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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
32/367

〇三一 屈辱的な出来事


「仕方ないなぁ」


 タケルはため息をつくと、


「サスケ、短刀貸してくれないか」


 そう言ってサスケに振り返り、手を伸ばした。


「短刀はまずい」


 サスケが真顔で返すと、


「短刀を使うつもりはない。だけど、何が起こるかわからないからさ。あっちは大人で、こっちはまだ子供なんだから」


 タケルはそう言ってサスケに短刀を催促した。


 その軽い口調とは裏腹に、その目は真剣だった。


 タケルが真剣なら、サスケが拒否することはない。


「わかった」


 サスケはそう言うと、ズボンの腰のところに差していた短刀をタケルに手渡した。


「ありがと」


 タケルは短刀を受け取ると、ズボンの腹の辺りに差し、人だかりの中に入っていった。


「サスケ、セジとクミコを頼む」


 アジもタケルを追って人だかりの中に入っていく。


 タケルが人混みを掻き分け輪の中心に来ると、黒髪の霊兎が一人、口から血を流して倒れていて、白髪(しろかみ)と茶髪の二人が賢烏族の三人組に立ち向かっているところだった。


 それを兎人たちが取り囲んで野次を飛ばしている。


 烏人も通りを歩いているのだが、烏人と兎人の揉め事はいつものことなのだろう、あまり関心がないようで、人だかりを避けるようにして通り過ぎていくだけだった。


「金払え!」


 白髪の霊兎が怒りを込めて叫ぶ。


 茶髪の霊兎は賢烏族の男たちの怒鳴り声に萎縮して、白髪の霊兎の陰に隠れていた。


「うるさい!下等な兎人が!俺様から金を取ろうってのが間違ってるんだ!」


 賢烏族の三人組の真ん中に立つ体の大きな男が霊兎族の二人を(さげす)むように見下ろし、そう吐き捨てる。


 男たちは三人とも酔っ払っているようだ。


 状況から判断すると、店で酒を散々飲んだあげく金を払わなかった、ということらしい。


「ふざけるな!」


 白髪の霊兎は男の理不尽な物言いが許せない。


 しかも、ここはイスタルだ。


 イスタルで兎人を下等呼ばわりするなんて、許せるわけがない。


 タケルは黙ってその様子を眺めていた。


 最初は止めに入ろうかと考えていたのだが、ケンカを目の当たりにすると、兎人がどうやって烏人に対抗するのか観察してみたくなったのだ。


 アジもタケルの隣に立って、事の成り行きを見守った。


「お前もこいつみたいになりたいのか!」


 賢烏族の男はそう怒鳴りながら、倒れている黒髪の霊兎に視線を投げる。


「つべこべ言わず、金払え!」


 白髪の霊兎が怒鳴り返すと、


「生意気な!」


 賢烏族の男たちは白髪の霊兎に三人がかりで襲いかかった。


 茶髪の霊兎はあまりの恐怖で動けない。


 白髪の霊兎は敏捷な動きで一人目、二人目の拳を躱すが、三人目の男に背後に回られ捕まってしまう。


「兎人の分際で、俺たち賢烏に偉そうな口叩くんじゃねぇ!」


 賢烏族の大きな男がそう吐き捨てると、三人がかりで白髪の霊兎を殴り、足で踏みつけにしたのだった。


 白髪の霊兎は半殺しにされ、地面に仰向けに倒れ、ぐったりとして動かなくなった。


 その光景をタケルとアジは黙って見ていた。


 たしかにこの賢烏族の男たちの行為は許せるものではなかったが、彼らに対する白髪の霊兎の態度も悪かったと思う。


 所詮、タケルとアジにとって兎人は(さげす)みの対象でしかなかった。


 残された茶髪の霊兎は震えた声で、


「ちくしょー!」


 と叫び、拳を体の前で構え、男たちを睨みつけた。


 しかし、黒髪の霊兎と白髪の霊兎がボコボコにされるのを目の当たりにしたせいで、恐怖で体がガチガチになっている。


「ひどいよ、烏人さん、ひどいよ!」


「せめてそいつは許してやれよ!」


「もうやめてくれよ!」


 野次馬の霊兎たちからは懇願の声と、


「賢烏のクズ野郎!」


「お前ら二度とくるな!」


「何様だ、人でなし!」


 などの罵声が飛んでいた。


 そんな野次を浴びせられても、賢烏族の男たちは屁とも思わない。


 兎人を同じ人間だと思っていないからだ。


 霊兎族の人々は野次は飛ばすものの、乱暴な賢烏族の男たちに立ち向かおうとする者はいなかった。


 震える茶髪の霊兎を、男たちは取り囲む。


 その様子をタケルはじっと見ていた。


 賢烏族に対して生意気な態度をとった兎人は躾ける必要があるだろう。


 すこしやり過ぎかも知れないが、この三人の兎人には、みせしめになってもらう必要がある・・・


 タケルはそう思って、手出しをしないことに決めた。


「いいのか、タケル」


 アジが茶髪の霊兎に同情して声をかけると、


「あの兎人たちの態度も悪かったからな」


 タケルはそう返事を返すだけだった。


「お前も俺たちに金払えって言うのか?」


 賢烏族の大男がそう言うと、


「・・・」


 茶髪の霊兎は恐怖に震え、声が出せなかった。


 しかし、必死に男たちを睨みつけるその目つきからすると、決して〝金は払わなくていい〟と言うつもりはないようだ。


「お前も痛い目に合いたいんだな!」


 大男はそう怒鳴って茶髪の霊兎に向かって拳を振り上げた。


 と、そのときだった。


 野次馬の人だかりの中から亜麻色の霊兎が飛び出して、


 ドンッ!


 その大男の背中に飛び蹴りを食らわせたのだった。


「おわっ!」


 大男は声を上げ、前につんのめって転んだ。


 次の瞬間、亜麻色の霊兎は茶髪の霊兎を(かば)うように立ち、四つん這いになって呆然としている大男を見下ろしていた。


「てめぇ!」


 大男の仲間が亜麻色の霊兎に怒鳴る。


 その怒鳴り声に我に返った大男は酔い覚ましに頭を振ると、人だかりの前で四つん這いになっている自分自身の状況に気づき、恥ずかしさと怒りで鬼の形相になる。


「貴様ぁ!」


 大男は酔って赤くなった顔をさらに赤くして立ち上がると、亜麻色の霊兎を威嚇するように仁王立ちに立った。


 亜麻色の霊兎は賢烏族の男たち三人を前にしても平然としていた。


 亜麻色の霊兎はまだ少年だ。


 タケルやアジと年もそんなに変わらないだろう。


 タケルは興味深く亜麻色の霊兎を見、アジはその少年の登場にホッとしていた。


「お前、子供だな」


 大男は自分を襲った亜麻色の霊兎が少年であることに気づいて拍子抜けしたようだ。


「おい、クソガキ、お前が代わりになるってのか?子供は家に帰ってママのおっぱいでも吸ってな」


 大男はそう言って薄ら笑いを浮かべる。


 亜麻色の霊兎はそれには応えず、


「ふっ」


 口元に微かな笑みを浮かべるとすぐさま跳び上がり、


「うるせぇ!」


 と怒鳴り、その大男の右目に鋭く拳を打ち込んだ。


 バキッ!


 骨が砕ける嫌な音がして、大男の右眼から血が噴き出した。


「ぎゃぁ!」


 男は右目を押さえ、痛みに耐えきれずその場にうずくまる。


「やりやがったな!」


 大男の両脇にいた男たちはカッとなって亜麻色の霊兎に殴りかかった。


 しかし、男たちの拳は簡単に躱され、亜麻色の霊兎は身を低くした素速い動きで男たちの背後に回ると、


 ドスッ!


「ぎゃっ!」


 一人目の男の急所に蹴りを入れ、それからすぐに跳び上がって、


 ズンッ!


「うがっ!」


 二人目の男の後頭部に蹴りを入れた。


 その跳躍力の高さに野次馬たちも驚き、


「おおっ」


 と、どよめいた。


 それはあっという間の出来事だった。


 賢烏族の三人の男たちはたった一人の霊兎、しかも少年にいとも簡単に倒され、呻きながら地面にうずくまったのだった。


「すげぇな」


 タケルは思わず声を漏らす。


 亜麻色の霊兎が跳び上がったときの、賢烏族の男の頭上高く舞い上がるその身体能力の高さに、タケルは驚嘆していた。


「なんだ、あいつは・・・」


 アジも呆気にとられていた。


「よくやった!」


 野次馬の兎人たちからそんな歓声が上がり、その場は拍手喝采に包まれた。


 亜麻色の霊兎は野次馬たちの歓声に後押しされるように、地面に倒れる大男の腹を思いっきり蹴り上げ、他の二人の顔を一人ずつ思いっきり踏みつけた。


 この霊兎の態度は、タケルには許し難いものだった。


 兎人が烏人を足蹴にしていることが許せなかったし、元老家の跡取りとして、タケルにはサムイコクの人間を守る責務があった。


「やめろ!」


 タケルはそう叫んで人だかりの輪の中に一歩踏み出した。


 亜麻色の霊兎がタケルに振り返る。


「俺が相手だ!」


 タケルは亜麻色の霊兎の前に進み、両手の拳を胸の前で構えた。


 アジはタケルのとっさの行動に驚いたが、タケルを追って輪の中に飛び込み、タケルの横に並んで立って亜麻色の霊兎に拳を構えた。


 亜麻色の霊兎は突然現れた二人の賢烏族の少年を見てニヤリと笑う。


 そして、凄みを利かせた目つきで二人を睨みつけた。


 亜麻色の霊兎のその殺気立った眼差しに、タケルはゾッとした。


 アジも背筋が寒くなった。


 治安部隊の訓練では味わうことのない、容赦のない殺気に身の危険を感じ、二人は怯んでしまう。


 タケルは腹に仕込んである短刀を使うか迷ったが、ここで短刀を使ったら、この目の前にいる亜麻色の霊兎に蔑まれる気がして思いとどまった。


「俺に勝てると思ってるのか?」


 亜麻色の霊兎は二人を見てせせら笑う。


「余計なお世話だ」


 タケルはそう答えて片頬に笑みを浮かべ、


「お前はやり過ぎだ」


 アジはそう言って亜麻色の霊兎を睨んだ。


「それじゃ、お手並み拝見といきますか」


 亜麻色の霊兎はそう言うが早いか、アジとの間合いをさっと詰めると、


 ボコッ!ボコッ! 


 その顔面に拳を二発打ち込み、アジがふらついたところに、


 ドスッ!


 その腹に強烈な回し蹴りを蹴りを入れたのだった。


「ぐはっ!」


 アジはあまりにも突然で激しい攻撃に為す術なく崩れ落ち、そのまま意識を失って動かなくなった。


 亜麻色の霊兎はとてつもなく強かった。


「アジ!」


 タケルもその光景に目を見張って驚いた。


「よくも!」


 タケルはそう叫んで亜麻色の霊兎に襲いかかった。


 ブンッ!ブンッ!ブンッ!


 しかし、タケルの打撃は亜麻色の霊兎に掠りもしなかった。


 亜麻色の霊兎は軽くタケルの打撃を躱すと、


 ボコッ!ボコッ!ボコッ!ボコッ!


 タケルの顔を滅多打ちにした。


 タケルは何発も顔面に強烈な拳を受け、気づいたら前屈みに崩れ落ちていた。


「金を払わず飲み食いするなんて、お前たち烏人にはプライドってものがないのか」


 亜麻色の霊兎はタケルに向かってそう吐き捨てる。


「獣のくせに・・・」


 タケルは口から血を流し、四つん這いにうずくまったまま、悔し紛れの言葉を吐くことしかできなかった。


 タケルはこの亜麻色の霊兎にまったく歯が立たない自分が、ただただ惨めで悔しかった。


 亜麻色の霊兎はタケルをバカにしたような笑みを浮かべ、タケルのもとに来ると、その腹を思い切り蹴り上げた。


 ドスッ!


 それは強烈だった。


「ぐふっ」


 息ができないほどの衝撃だった。


 タケルは仰向けに転がると、お腹を抱えてくの字に体を曲げたまま動けなくなる。


「図体だけデカくて偉そうにしているバカな賢烏の奴らが、俺たち霊兎をバカにするなんて、それこそ笑い話じゃないか。食い逃げしておいてそれを恥ずかしいと思わないどころか、店の人間を半殺しにするなんざ、乞食以下の卑しい人間のすることなんだぜ。それぐらいもわからねぇのか、バカな烏人どもは。俺たちを笑う前に、自分たちの卑しさを嘆くんだな」


 亜麻色の霊兎はそう吐き捨てるように言って、タケルを鼻で笑う。


 この亜麻色の霊兎が言っていることは(もっと)もなことだった。


「今度会ったら、その口、利けなくしてやるからな・・・」


 タケルは痛みに歪んだ顔で言い返すが、言葉に力はなかった。


 それは負け犬の遠吠え以外の何物でもなかった。


 それが自分でもわかっているタケルは、今まで味わったことのない屈辱に体が震えるのだった


 亜麻色の霊兎はタケルの顔の前で屈むと、


 バシッ!


 タケルの頬を平手で強く叩いた。


「くっ・・・」


 タケルは悔しさに歯を食いしばる。


「悔しいか。俺ならいつでも相手になってやる。俺の名前は、ギルって言うんだ。しっかりと覚えておきな」


 そう言って立ち上がると、


「ははは。後はよろしく頼むぜ」


 亜麻色の霊兎は高笑いしながら野次馬の人混みの中に消えていった。


 霊兎族の人々は胸のすくような思いで亜麻色の霊兎に拍手を送るのだった。


 残されたのはうずくまる烏人だけだった。


 誰もそんなものに興味はない。


 野次馬たちはパラパラと散っていく。


 サスケが異変に気づいて駆けつけたときには、すべてが終わっていた。


 まさかこんなことになっているとは思っていなかった。


 サスケはのんびりクミコとセジの相手をしていて、タケルの怒鳴り声が聞こえてきて慌てて駆け出したのだが間に合わなかった。


 いつの間にか日も傾き、もうすぐ日が暮れる。


 日が暮れると市場も閉まり、急に夜が訪れる。


 烏人がイスタルで夜を越すことは許されていない。


 日が暮れると蛮兵(ばんぺい)たちが取り締まりを始めるので、検問所が閉まる前にウオチに戻らなければ面倒なことになる。


 蛮兵たちが捕まえた烏人をタダで釈放することはないからだ。


 たとえ相手が賢烏族で高い地位にいる人間だとしても、爬神族の番民(ばんみん)である蛮兵たちにとって、それは意に介すことではなかった。


 揉めていた賢烏族の男たちは護衛隊が駆けつけた後も起き上がることができず、護衛隊の隊士たちの手によって担架に乗せられ、検問所まで運ばれていった。


 一方、タケルとアジはといえば、護衛隊が駆けつける前に、サスケたちの手によってすでにその場を離れていたのだった。


 サスケがタケルを背負い、セジがアジを背負ってウオチに引き返したのである。


「ひどいよ、ひどいよ」


 帰り道、クミコはずっと泣き続けた。


 タケルをおぶるサスケのお腹はグゥグゥ鳴り続け、セジは悔しそうに無言で歩き続けた。


 初めてのイスタルは、五人にとって(にが)い思い出となったのである。


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