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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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〇三〇 兎人の町


 サイノ川に架かる橋が完成して三年が経った。


 全長三百メートル超、幅三十メートルの橋の名は「新世界橋」と命名された。


 新しい世界を切り開く橋という願いを込めて付けられた名前ではあったが、あまり評判の良い名前ではなかった。


 新世界橋完成後一年経って、サムイコク側、イスタル側、両岸にそれぞれに新しい市場が開かれた。


 サムイコク側の市場は「サイノ市場」と呼ばれ、石造りの高い壁に囲まれた広い敷地をドーム型の屋根が覆っているため、雨を気にせず市場は開かれ、常に買い物客で賑わっているのだった。


 市場ではサムイコク産のみならず、賢烏族各国から集められた商品が扱われ、さらに対岸の市場で買い付けてきた霊兎族の商品も所狭しと売買されているのだった。


 サイノ市場を通して流通した霊兎族の商品は、サムイコク各地区の市場を通して外の国へも流通した。北地区、東地区の市場ではガルスコクとの交易を活発化させ、南地区ではキノコクとの交易を活発にした。


 霊兎族との交易は目に見えてサムイコクに好影響を与えていた。


 片やイスタル側の市場は、その地域の名をとって「ムニム市場」と命名された。


 ムニム市場でも霊兎族、賢烏族、両人種族の商品が扱われたが、その多くの面積は霊兎族各地から送られて来る商品のために使われた。


 それはつまり、それだけ多くの賢烏族の商人たちが、ムニム市場に霊兎族の商品を買い付けに来ていているということだった。霊兎族の商品で特に人気なのが、良質なハチミツやジャムなどの嗜好品、胡椒や辛子などの香辛料だった。


 サムイコク側からも様々な商品が入ってきたが、人気があるのは賢烏族の高い技術力を活かした道具や工芸品だった。


 サイノ市場、ムニム市場、二つの市場を建設したのはサムイコクの技術者たちで、賢烏族にとっては当たり前のことだが、市場を囲む高く分厚い石壁の中に水道が造られていて、そこに川から水を引き入れ、市場内の至るところでその水を利用することができた。


 この水道の技術は霊兎族にはなかったもので、広い敷地を覆うドーム型の屋根と共に、イスタルの人々がとても驚いたことだった。


 雨を気にすることなく買い物ができるのは、霊兎族の人々にとっても非常に有り難いことだった。


 こうしたこともあり、霊兎族の人々は市場ができたことを素直に喜んだ。


 これは賢烏族との交流を嫌がっていた霊兎族の人々が、賢烏族と交流することから得るメリットとして実感したことだった。


 市場ができるとその周りに人が集まり軒を連ねる。


 サイノ市場周辺には、市場に集まる買い物客のための飲食店や、遠方からやって来る商人たち向けの宿泊施設などが所狭しと建てられ繁華街を形成していた。


 それだけはない。市場周辺では市場に入れない者たちが直接色々な物を売っていて、それも見どころの一つになっていた。


 タッタッタッ・・・・


 人通りが多い路地を、薄汚れた服を着た少年が人にぶつかりながら走り抜けていた。


 香ばしいパンの匂い、甘いハチミツの匂いが路地一杯に漂っている。


 焼いた肉の匂いも食欲をそそる。


 グゥ〜。


 茶髪の少年は空腹のお腹を(さす)りながら人混みを掻き分け走り続ける。


 手には短刀を握っていて、それを服の内側に入れて隠しながら走っているのだった。


「はぁ、はぁ、はぁ・・・」


 スラム街からずっと走りっぱなしで、息も切れ切れだった。


 腹が空いていたので何か食べ物が落ちていないかと思って、遠回りして繁華街に入ったのが間違いだった。


 少年は繁華街を抜け、市場の入り口の前を通り過ぎ、サイノ川の土手で待っている仲間の元へ急いだ。


 川沿いに生える藪を抜けて土手に出ると、茶髪の少年は走るのをやめ、仲間の元に歩いて向かった。


「はぁ、はぁ」


 みんなに向かって声をかけようと思ったが、呼吸を整えるだけで精一杯だった。


 すると、土手の斜面に座る三人の少年と、土手の上に置かれた丸太に腰掛ける女の子が茶髪の少年に気づいて声を上げた。


「早かったな!」


 そう大声で茶髪の少年に声をかけたのはタケルだ。


 身長も大分伸びていて、細身の身体が少年ぽさを残してはいるが、精悍な顔つきからは少年らしさが失われつつある。


「よぉ!」


 そう言って右手を上げたのはアジだった。


 身長はタケルと同じくらい伸びた。その筋肉質な身体に子供の頃の面影はなく、顔つきも大人の顔になりつつあるが、アジの持つ優しい雰囲気は変わらない。


「待ってたよ!」


 その黄色い声はクミコのものだ。


 クミコはその活発さの中にも女性らしい雰囲気を身にまといつつあった。


 腰まで伸びたきれいな艶のある黒髪に白い肌。くりくりとした瞳に小さめの口。クミコの容姿は小さな頃から人目を惹くものだったが、そこに女性としてのしなやかさが加わりつつある。


「早く!」


 そう言って茶髪の少年を急かしたのはセジだ。


 身長も高くなり、体つきも兄のアジと変わらない。


 その顔つきに泣き虫な少年の面影はなかった。


 そして、


「待たせたな」


 そう言ってみんなの元に歩いてくる茶髪の少年は、サスケだ。


 スラム街で出会ったときとは別人のように穏やかな顔つきをしている。


 しかし、そのほっそりとした筋肉質な身体から発する鋭利な気概のようなものが、彼の生きてきた人生の厳しさを物語っているのだった。


 サスケは歩きながら息を整え、タケルの前に立つと、


「ほらよ」


 手に握る短刀をタケルに差し出した。


「ありがとう」


 タケルは短刀を受け取ると、鞘から抜き、刃先に光を反射させて刀の状態を確認した。


「いいね」


 タケルはそう言って短刀を鞘に収め、サスケに返した。


 短刀は、サスケの父親がどこからか拾って来た物だった。


 サスケはクミコが腰掛けている丸太の横の草の上に腰を下ろす。


「ほんとうに行くのか?」


 サスケが真顔で尋ねると、


「行くよ」


 タケルはあっさりと答えた。


「サスケ、心配はいらない。ちゃんと許可証も五人分出してもらったし、悪いことをしにいくわけじゃないから大丈夫だよ」


 アジがそう言って笑顔をみせると、


「なんだかワクワクするわ」


 クミコは目を輝かせた。


 こういうときって、男より女のほうが恐れを知らないものなんだな・・・


 とサスケは思う。


 それは守る側と守られる側の違いなのかも知れないとも思う。


「サスケ、俺もあまり気乗りしないんだけど、タケルと兄さんが決めたことだからさ。ここは我慢して一緒に行くしかないよ」


 セジは諦め顔でサスケに肩をすくめてみせるのだった。


「ああ。タケルとアジが行くなら、俺も行くさ」


 サスケはセジにそう応えてから二人に目を向け、


「一体何を考えているんだか・・・」


 と、ため息をつく。


 タケルやアジに比べてサスケは用心深かった。


 だから未知の場所へ踏み入るときは、特に警戒心が強くなる。


 五人は新世界橋をイスタル側へ渡るつもりだ。


 新世界橋を渡ってイスタル側に入るには許可証を出してもらう必要があるのだが、元老家のタケルにとって許可証を得るのは難しいことではなかった。


 父ムサシにお願いして許可証を出してもらい、いざイスタルへ渡れることになったとき、サスケが家にあると言っていた短刀を持って来てもらったのだった。


 しかし、イスタル側へ入る際、武器の持ち込みは禁止されている。


 だから勿論、こっそり持ち込むつもりだ。


 そもそも短刀を使うことは考えてはいないが、初めての場所だ。しかも、得体の入れない兎人の町だ。何が起こるかわからない。最悪の事態だって想定しなければならないのだ。


 それでタケルは服の中に隠せる短刀を必要としたのだった。


「あくまで見物だよ、見物。兎人たちの生活を知っておくのも、後で何かの役に立つと思うんだ」


 アジはそう言って笑う。


「あいつらも人間だからな。霊兎の世界を知ることは大切なことだ。これは勉強だ」


 タケルは真顔でそう補足し、サスケに理解を求めた。


 二人の言葉に、


「そっか」


 サスケはそう相槌を打ち、どこか寂しげな笑みを浮かべるのだった。


 そんなサスケに、


「サスケは心配性なんだね」


 クミコは無邪気に声をかける。


 サスケはそれに微かな笑みを返すだけだった。


「時間がない。行こうか」


 タケルがそう言って立ち上がると、皆一斉に立ち上がった。


 五人は新世界橋を渡る。


 初めて渡る。


 橋の上を吹き抜ける風に黒髪をなびかせ、五人は胸をときめかせる。(一人は茶髪だけど)


 未知の世界に触れる際に感じる緊張感を、五人それぞれが、それぞれの感じ方で感じていた。


 しかし、サスケのそれは、嫌な予感のようなものだった。


 新世界橋を渡りきると、イスタルに入るための門があり、そこが検問所になっていた。


 検問所を通過する際にボディチェックと荷物の検査を受けてから町に入ることになるのだが、剣などの武器はここで預けなければならなかった。


 門の両側に倉庫があり、預けられたものはそこで一時的に保管されるのだった。


 これは両岸の検問所でまったく同じ仕組みになっている。


 五人の持つ許可証は元老家の印の押された特別な許可証なので、五人は特にチェックを受けることなく検問所を通過することができた。


 サスケが隠し持っている短刀も気づかれることはなかった。


 検問所を抜けるとまず広場があって、広場は川沿いに南北に走る道路と、東にある市場へ向かう通りが交わる場所でもあった。


 新世界橋を渡って来た人々は真っ直ぐムニム市場へと続く通りへ向かう。


 タケルたちはすぐにムニム市場へ向かうことはせず、広場で立ち止まって兎人の町に来たことを味わっていた。


「なんだか匂いが違うな」


 そう言って深呼吸をするタケルに、


「空気が違う」


 アジはそう相槌を打ち、タケルを真似て胸一杯にムニムの空気を吸い込むのだった。


 それはまさに異国の匂いだった。


 ウオチでも兎人の姿を当たり前のように見るようになったが、ウオチで見る兎人と違い、当然ではあるが、ムニムの兎人はリラックスしているように見えた。


「兎人がたくさんいる。あっちにも、こっちにも」


 セジはキョロキョロし、目に映る兎人たちを指差すのだった。


 それを、


「ダメよ、セジ、指を差しちゃ」


 と、クミコがたしなめる。


「なんだかクミコがお姉さんみたいだな」


 アジが二人を見て笑うと、


「クミコはこう見えてババァなんだよ」


 セジは拗ねて毒づき、


「セジ、ひどい!」


 クミコが怒ってそっぽを向くと、


「ははは。クミコが怒るのは当然だな。セジ、謝ったほうがいいぞ」


 タケルが笑って声をかける。


 セジは子供扱いされたことにムカついただけで、クミコに怒っているわけじゃなかった。悪いのはアジなのだ。


 だから、


「ごめん」


 素直に謝りクミコに頭を下げた。


「じゃ、許してあげる」


 クミコもすぐに機嫌を直し、笑ってセジを許した。


「クミコは優しいな」


 アジが言うと、


「えへっ」


 クミコは嬉しそうに笑う。


 そんなみんなのやりとりを、サスケは温かく見守っているのだった。


「それじゃ、市場に行くぞ」


 タケルはそう号令をかけ、ムニム市場に向かう通りへと歩き出した。


 ムニム市場に向かう通りの両側にはサイノ市場の繁華街と同じように、様々な店が軒を連ね、どの店も賑わっているように見えた。


 通りを歩く人は、兎人より烏人の方が多いようだ。


 新世界橋から続くその通りはムニム市場の東門に繋がっていて、緩やかな上り坂になっていた。


 タケルを先頭に目をキョロキョロさせながら市場へと向かう。


 ムニム市場の周辺も、サイノ市場周辺に負けないくらいに賑やかだった。


 違いがあるとすれば、菜食の霊兎族らしく、通りに軒を連ねる飲食店から肉の匂いが一切しないことだった。


 肉の匂いがしないと空気が清潔に感じるのが不思議だった。


「美味しそぉ」


 クミコが店先に並ぶパンを見て物欲しそうな顔をすると、


「腹減ったぁ」


 セジがクミコに同調した。


「わかった。帰りに買おう」


 タケルがそう二人に声をかけると、


「やった!」


 クミコとセジは同時に声を上げて喜んだ。


 タケルはまず市場で買い物をする必要があった。


 父ムサシから許可証を出してもらうときの条件の一つが、市場でハチミツやジャムを仕入れてくることだったからだ。


 どうせ行くなら、ただ見物するだけでなく、少しは交流した方が良いだろう・・・


 ムサシはそう考え、そして、タケルとクミコの母であるヤスコが霊兎族のハチミツとジャムが好物ということもあって、タケルにお使いを頼んだのだった。


 タケルはまずその〝お使い〟を先に済ませたかった。


「しっかり視察してくるんだぞ。せっかくだから、クミコも連れて行ってやれ」


 ムサシはそう言って五人分の特別許可証を出すことを許してくれたのだった。


 そんなこともあって、タケルにとってイスタル見物はただの見物ではなかった。


 ムサシに報告するために真面目に視察しなければならなかったし、ムニム市場でハチミツとジャムを購入するという使命もあって、ちょっと気の抜けないものになってしまったのだった。


 そして、実際に許可証を出したのがトノジだったので、アジもイスタル見物の結果を報告しなければならなくなり、真面目にイスタル見物をすることになった。


 タケルとアジは通りの様子をしっかりと目に焼き付けていた。


 兎人は烏人に比べて小柄で俊敏なので、店先で働く兎人たちの動きはきびきびしていて、とても働き者に見えた。それに加えてみんな愛想がよく、烏人の客にも丁寧に接していて感じがいい。


 初めて見るイスタルの光景はタケルたちにとって興味深いものだった。


 しかし、タケルが注目したのはそこではなかった。


「やっぱり兎人は俺たちとは違う」


 タケルがそう呟くと、


「うん」


 アジはその意見に同意し、


「どう違うんだ?」


 後ろからサスケが尋ねると、


「なんか動物っぽい」


 タケルは前を向いたままそう言って兎人を蔑んだ。


 そんな二人の後ろをサスケと並んで歩いているクミコはニコニコと通りの兎人たちを見て喜んでいた。


「兎人さんたちって可愛いわ」


 クミコは無邪気にそう言って市場まで続く通りの風景を楽しんでいた。


「可愛くないよ」


 サスケを挟んで反対側を歩くセジがクミコにイチャモンをつける。


 そのとき、


 グゥ〜。


 サスケのお腹が鳴った。


 それを聞いて、クミコとセジがサスケ越しに顔を見合わせて笑う。


 サスケは笑われたことが恥ずかしくて、


「腹減って死にそうだ」


 と、前を歩く二人に声をかけた。


 通りに漂う香ばしいパンの匂いと、ジャムやハチミツの甘い香りに食欲が刺激され、サスケの胃袋は我慢できなくなったようだ。


 タケルは歩きながらサスケに振り向き、


「我慢できないのか?」


 そう言って笑うと、サスケはそれには答えず、眉をピクリと動かし鋭い目つきでタケル越しに見える前方の人だかりを睨んだ。


「どうした?」


 タケルはとっさにサスケの視線を追って前方に視線を戻すと、通りの先に人だかりができているのがわかった。


「ケンカかな」


 タケルが言うと、


「ケンカだな」


 と、アジが相槌を打つ。


 タケルたちがその人だかりに近づいていくと、市場に向かう通りとそれを横切る路地が交差して十字路になっている場所で、兎人と烏人が揉めているようだった。


 人だかりの中から物凄い剣幕の怒鳴り声と、それに怒鳴り返す声が聞こえてくる。


 人だかりの隙間から、烏人、兎人、双方とも複数人いるのが確認できた。


 ものすごい剣幕で怒鳴っているのは賢烏族の男たちだった。


 そして賢烏族の男たちに言い返しているのが、霊兎族の男たちだった。


 霊兎族の男たちは前掛けをしていることから、通りの店の店員なのだろう。


「イスタルに来て兎人とケンカするなんて、バカじゃないのかコイツら」


 タケルは賢烏族の男たちに呆れてしまう。


「ここはテドウ家の跡取りとして、タケルが収めるしかないな」


 アジは悪戯っぽくそう言い、タケルをけしかけた。


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