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ラビッツ  作者: 無傷な鏡
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〇二六 サムイコクの野心


 ゴーゴイ山脈の東を流れる川がある。


 川幅は三百メートルほどで、緩やかに蛇行しながら北から南へとのんびりと流れている川だ。


 名をヒシリウ川といい、またの名をサイノ川という。


 なぜ二つの呼び名があるかといえば、一つは霊兎(れいと)族からの呼び名であり、もう一つは賢烏(けんう)族からの呼び名だった。


 この川を挟んで西に霊兎族の都市イスタルがあり、東に賢烏族の国サムイコクがあった。


 霊兎族の都市は都市といっても人口が集中している市街地だけではなく、その支配地域は広範囲におよび、実際、イスタルはヒシリウ川の西の広大な土地を収めているのだった。ゆえに、都市の名は国の名とも言える。とはいえ、霊兎族はラドリアにいる最高兎神官(としんかん)であるコンクリによって統治されているため、それぞれの都市が独立した国になることはなかった。霊兎族の都市はコンクリによって任命された統治神官によって治められ、実際、コンクリの支配下にあるのだった。


 それに比べ賢烏族は、サムイコク、キノコク、ガルスコク、カサコク、ミナカイコクの五つの国に分かれ、それぞれがそれぞれのやり方で国を治めていた。


 ここで登場するサムイコクは賢烏族の国でも珍しく、君主を置かず、元老たちによる合議制を採用していた。


 サムイコクは東西南北およびセントラルの五つの地区に分かれ、それぞれの地区をそれぞれの元家老が治めている。国の中心にあるセントラル地区に元老院が置かれ、定期的に元老たちが集まりサムイコク全体の政について議論しているのだった。


 元老院では最も繁華なセントラル地区を治めるサムラ家が、元老院会議におけるまとめ役を担っているのだが、それでいてセントラルは自前の武力を持たず、東西南北の各地区から兵を派遣してもらい治安を維持しているのだった。


 他の四つの地区にはそれぞれ治安部隊として武力が置かれているのだが、他国と問題が起こったとき、その各地区の治安部隊をサムイコク軍として統括(とうかつ)しているのが西地区元老のテドウ家だった。つまり、実質的にサムイコクを支えているのは、西地区元老のテドウ家だった。しかし、テドウ家はあくまで元老家の一つとしての振る舞いを忘れなかった。


 霊兎族には霊兎族の、賢烏族には賢烏族の、それぞれのやり方があった。


 川は静かに流れる。


 川は、霊兎族、賢烏族、両人種族にとって生きるために必要な水源の川であり、そして、二つの人種族を分かつ川でもあった。


 川を挟んだふたつの人種族に交流はない。


 古くは交流も行われていたのだが、賢烏族に比べ小柄で比較的穏やかな気質の兎人(とじん)(霊兎族の人間)を見下す烏人(うじん)(賢烏族の人間)の、その横柄な振る舞いに怒りを爆発させた兎人たちの手によって、数百年前に両岸を結ぶ橋は破壊されていたのだった。


 それ以来、両岸の交流は途絶えたままだった。


「あの土地を手に入れることができれば、我がサムイコクもガルスコクに負けない豊かさを手に入れることができるのだがな」


 デスケはそうポツリと(つぶや)く。


 デスケはサムイコクの西地区を治める元老だ。


 サムイコクの西の端、サイノ川沿いにウオチという名の都市がある。


 ウオチはサムイコク西地区の政治的中心地であり、そこに居を構え、政を行っているのが、サムイコク元老家の一つであるテドウ家であり、現当主のデスケ・テドウだった。


 ウオチにはサイノ川を見下ろす高台があり、そこに西地区の要職を務める家柄の者たちが居を構え、その中に一際大きなテドウ家の居館はあった。


 四方を石塀で囲まれた敷地には住居の他に三階建ての塔があり、その三階に執務室が置かれ、デスケはそこで政治を行っていた。


 執務室の窓からは町を見下ろすことができ、対岸のイスタルを見渡せるようになっていた。


 デスケはゆったりとした七分袖の筒型衣とズボンを身にまとって窓際に立ち、サイノ川の向こうに見えるイスタルの景色を眺めていた。


 デスケは金の首飾りをつけていて、それが元老の証だった。


 対岸を見つめるデスケももう若くはない。


 額には深い(しわ)が刻まれ、頬や首の皮膚もたるんでいる。


 それでも鍛え上げられた肉体は老いに抵抗するかのように、まだまだ(たくま)しかった。


「父上、私もそう思いますが、それは爬神(はじん)様が許さないでしょう」


 デスケの隣に立つムサシがそう意見を述べる。


 ムサシはデスケの嫡男で、齢三十一、人望が厚く、デスケの後継者として誰もが認める存在だ。


「それはわかっている。しかし、このままではサムイコクは力を失い、ガルスコクの脅威(きょうい)(さら)されることになるだろう。今のうちに何か手を打っておかなければならない」


 デスケがその表情を曇らせると、


「それならばイスタルと交流し、賢烏と霊兎を繋ぐ交易の拠点として活路を見出してはいかがでしょうか。イスタルの土地を狙うのは次の段階かと思います」


 ムサシはここぞとばかりにそう進言した。


 これはムサシがかねてから温めていた考えだった。


 デスケはイスタルの土地を望んではいるが、それはあくまで願望に過ぎなかった。イスタルを侵略すれば、爬神族から厳しく罰せられることがわかっているからだ。


 しかし、ムサシは現実的にイスタルの土地を手に入れることを考えていた。


 そのための一歩として、ムサシはイスタルとの交流を位置づけているのだ。


 いずれ元老の地位をデスケから譲られたら、爬神族の許しを得てイスタルとの交渉に臨むつもりだった。


 もしデスケがそれを許すなら、今すぐにでもそれに取り組みたいと思っている。


 デスケはムサシの案に魅力を感じるが、デスケはデスケでそれを現実的ではないと思った。


「兎人が我々を受け入れるとは思えんが・・・」


 デスケはそう言い、難しい顔でムサシを見る。


「誠意を尽くせば、同じ人間です、わかってもらえるでしょう」


 ムサシは真っ直ぐにデスケの目を見てそう訴えた。


 たしかに霊兎族は賢烏族に劣る人種に違いない。


 しかし、それでも、同じ人間同士だ。


 話せばわかるだろうし、誠意は通じるはずだ。


 それがムサシの信念だった。


「誠意か・・・」


 デスケは遠くゴーゴイ山脈の尾根を眺めながらそう呟いた。


「何もしないよりはマシです。とにかくやるだけやってみましょう」


 今がチャンスとばかりにムサシは熱く訴える。


 交流を始めなければ、その先も望めない。


 そうなればデスケの懸念したように、サムイコクはいずれガルスコクの脅威に晒されることになるだろう。


 交流を始めるなら早いに越したことはない。


 その危機感がムサシを熱くさせているのだった。


 デスケは(うつむ)きがちにしばらく思案し、そして、


「トノジ、お前はどう思う?」


 そう言って後ろを振り返った。


 窓際に立つ二人の後ろに三人の補佐官が並んで立っていて、その一人がトノジ・ジベイだった。


 トノジ・ジベイは齢三十二、最近家督を継いだばかりで、ムサシとは幼馴染みだった。


古くからテドウ家に仕えるジベイ家の主で、西地区の治安を守る役目、つまり軍事を司っている男だ。


 ジベイ家は古くは賢烏族の国々が覇権を争っていた時代からテドウ家を支え、サムイコク建国に尽力した家柄であり、ひとたびサムイコクに有事が起これば各地区の治安部隊を束ね、サムイコク軍を一つにまとめる役目を担っている家だ。その際、軍事的な作戦を練り、元老へ進言するのもジベイ家の役割だった。


 それだけにテドウ家とジベイ家の絆は深く、特別な関係だった。


「やってみなければわからないとは思いますが、やってみる価値はあると思います」


 トノジはムサシの提案を後押しした。


 デスケはトノジに(うなず)くと、


「なるほど。ヤシス、お前はどう思う?」


 そう言って、トノジの右隣に立つヤシス・ミザワに視線を移した。


 ヤシス・ミザワは齢五十二。そろそろ家督を息子のキヨスに譲ろうと考えている。


 ミザワ家は西地区の食料政策を司っていて、備蓄した食料の管理を行うと共に、西地区における物流を管理し、市場の運営を初め、他地区および他国の市場へ物産品を出荷する際の許可を出すのもミザワ家の仕事だった。


 さらには、西地区の住民に対してどれだけの上納品をテドウ家へ納めさせるかを決めたり、テドウ家からその臣下に対し分配される物品の割当てを、デスケの指示に従って決めているのもヤシス・ミザワだった。


「霊兎族は菜食であるがゆえに、野菜や果物などの種類が豊富にあり、古い資料によりますと、彼らは味覚が敏感であるがゆえに、香辛料などの調味料も豊富で味も格別のようです。もしそれらの物が入って来ることになれば、サムイコクの他地区のみならず、他国からもここウオチに商人たちが集まってくると予想されます。そうなれば、ここウオチを中心としてサムイコクは豊かさを手に入れることができるのではないでしょうか。それに加えて商人たちから税を徴収することで、住民からの上納品に頭を悩ませることもなくなるかと思います。これは我々西地区にとって悪い話ではありません」


 ヤシス・ミザワは霊兎族との交易にかなり前向きだった。


「そうか」


 デスケは深く頷いた。


 それからトノジの左隣に立つミノル・タヌカにも意見を求める。


「ミノル、お前の意見はどうだ」


 ミノル・タヌカは宗教を司る補佐官で、西地区各地にある爬神教の教会の管理や、爬神族に捧げる奉仕者の選別などを行う他、治安や秩序を守るための法を管理する役目を担っている。


 齢三十四。ムサシやトノジとは年齢的に近い存在ではあるが、私的な交流はなかった。


 法を司る家柄のせいか、融通のきかない性格で、人付き合いが苦手なタイプだった。


「霊兎族との交易で得るものは大きいと思います。是非進めてはいかがでしょうか。爬神様の御威光を使えば、霊兎も逆らえないでしょう」


 ミノル・タヌカは淡々と意見を述べた。


 それを聞いたムサシの顔がパッと明るくなる。


 ミノル・タヌカが口にしたことは、ムサシにとって大きな光明だった。


 爬神様の御威光を使って霊兎族に自らの案を受け入れさせるのだ。


 これなら間違いない。


 爬神様とは爬神族の尊称だが、特にこの会話の中で使われる爬神様というのは爬神官(はしんかん)たちを指している。


「なるほど。爬神様の御威光か」


 デスケは感心したように頷いた。


 たしかに妙案だ。


 霊兎族はドラゴンを(あが)め、その命を捧げるほどの人種族だから、爬神様の御威光に逆らうことはできないだろう。


「父上、いかがでしょうか」


 ムサシはデスケに決断を迫る。


 デスケは右手で(あご)をつまむようにながら、しばらく考える。


 それから大きく深呼吸を一つし、ムサシの目をしっかり見据え口を開いた。


「ムサシよ。これからはお前の時代だ。お前の望むままにやってみよ」


 デスケは家督をムサシに譲るときが来たことを悟った。


 そして、跡取り息子のムサシを頼もしく見つめるのだった。


「ありがとうございます」


 ムサシは深々と頭を下げ、デスケの懐の深さに感謝するのだった。


 その頃、テドウ家の中庭では、子供たちが騒がしく遊んでいた。


 浅黒く日焼けした男の子が二人、息を切らして角力を取っている。


 角力を取っているのは、タケル・テドウとアジ・ジベイの二人で、タケルはムサシの嫡男であり、アジはトノジの嫡男である。


 二人は同い年の十歳で、どちらも負けず嫌いの元気な男の子だ。


 二人は互いのズボンのベルトを握り()め、右に左に相手を揺さぶろうと歯を食いしばっていた。


「兄さん、がんばれ!」


 アジの後ろで男の子が叫ぶ。


「お兄様、負けちゃだめですよ!」


 タケルを応援する女の子も負けじと声援を送る。


 タケルとアジは力と力をぶつけ合う。


「よしっ」


 タケルが投げを打つと、


「くそっ」


 アジは足を踏ん張って(こら)える。


「がんばれ〜」


 笑いながら応援している女の子はテドウ家の七歳になるクミコだ。特に勝ち負けにはこだわりがないけれど、テドウ家の人間としてタケルを応援しているのだった。さらりと背中まで伸びた黒髪に黄色い花飾りを挿していて、その白い肌と大きな瞳が人目を引く可愛らしい女の子だった。色白の肌に黒髪、黒茶色の瞳は賢烏族の人間の特徴だが、クミコは特に色が白く、その黒髪も(つや)があって美しかった。


「兄さん、負けるな!」


 拳を握り締め、必死に応援している浅黒い肌の男の子はジベイ家の次男で、アジよりひとつ下の九歳になるセジだった。


 セジは負けん気が強く、ジベイ家としての思いが強かった。


 だから自分のことのようにアジを応援しているのだった。


 テドウ家とジベイ家の戦いは子供たちにとって遊びを盛り上げる大切な要素だった。


 誰が一番かを決めるよりも、家と家で勝敗を決めたほうが楽しい。


 そうすればクミコも一緒に楽しめるからだ。


 クミコも勝負に参加できるときは参加した。


 クミコが得意なのは釣りだった。


 クミコは無欲なのがいいのか、焦りがないからなのか、誰よりも上手かった。


 大きな魚を釣るのは難しいけれど、小さめの魚をひょいひょい釣るのだ。魚を釣り上げたときのクミコの嬉しそうな顔を見るのが、みんなは好きだった。


 そうやってテドウ家とジベイ家の子供たちは、みんなで一緒に過ごす時間を楽しむのだった。


「とりゃ!」


 タケルがアジの足をかけ、


 ドサッ!


 アジは地面を転がった。


「どうだ!」


 タケルはそう言って仁王立ちになってニタっと笑う。


「くっそ〜」


 地面を悔しそうに叩くアジの顔はそんなに悔しそうでもない。


 負けず嫌いだけど、勝負がついたらそれを受け入れる。


 真剣に勝負に臨んではいるが遊びは遊びだった。


「兄さん、だらしないよ」


 そう文句を言うのは、セジだった。


 セジの方がよっぽど悔しそうな顔をしている。


 セジは立ち上がり、


「負けたのに笑ってるなんて、ジベイ家の男じゃない!」


 そう大声でアジをなじるのだった。


 アジは困ったような顔をして立ち上がり、セジをなだめる。


「そんなにムキになるなよ、セジ」


 アジがそう言ってセジの肩をポンポンと叩くと、セジはその手をはねのける。


 そんなセジを見て、


「セジ、怒んないで」


 クミコが可愛らしく声をかける。


 セジはチラッとクミコを見、それからタケルを睨みつけると、


「タケル、俺が相手だ!」


 そう言って勝負を挑むのだった。


「おう」


 タケルはそれを受けて立つ。


 しかし正直なところ、あまり乗り気ではない。


 タケルがセジに負けることはないからだ。


 セジは負けると泣いて悔しがるし、だからといって勝負を断ると泣いて怒るし、仕方なくタケルが手を抜いてわざと負けてやると何日も口を利かなくなる、どうにも困った相手だった。


「俺はタケルに負けないぞ」


 セジはそう言ってタケルの腰のベルトを掴んだ。


 そして、いつものように負けて泣いた。


「セジ、泣かないで」


 三角座りをして泣くセジに、クミコが(やさ)しく声をかける。


 クミコの後ろでタケルとアジは微笑ましくその様子を眺めているのだった。


「さわるな!」


 頭を()でようとしたクミコに、セジはそう怒鳴って泣き続ける。


「あらら」


 クミコはいつものことなので気にしない。


「セジは怒りんぼさんね」


 クミコはセジにそう声をかけてから後ろを振り向き、タケルとアジに困り笑顔をみせるのだった。


「セジ、クミコが困ってるぞ」


 タケルがそう声をかけると、


「関係ない!」


 セジは顔を上げずに怒鳴り返す。


「負けて泣くほうがよっぽど恥ずかしいと思うんだけどな」


 アジがそう言ってため息をつくと、


「うるさい!」


 セジは顔を上げずにまた怒鳴る。


「しょうがないわね」


 クミコが腕組みをしてまるで母親のような態度をみせると、その仕草がかわいくて、タケルとアジは笑うのだった。


 テドウ家のタケルとクミコ、ジベイ家のアジとセジ、四人は本当に仲の良い兄妹のような関係だった。


 そこに家柄は関係なかった。


 父親同士が親友だということもあるのかも知れない。


 ムサシはジベイ家の子供たちを我が子のように思っていたし、トノジもテドウ家の子供たちを家族と思って接していた。


 そういうわけで両家の子供たちは互いに遠慮のない関係だった。


 セジが悔しくて泣くのはいつものこと。


 それを扱いきれなくて困ってしまうのもいつものこと。


 しばらくするとセジが何事もなかったかのような顔をして、みんなの輪の中で笑うのもいつものことだった。


 テドウ家の中庭での平和なひととき。


 子供は外の世界を知らない。


 これから世界がどう変わっていくのか、知ることもない。


 知る必要はないのかも知れないし、変わってから知ったって構わないのかも知れない。


 しかし、世界は確実に変わろうとしていた。


 変わりゆく世界は子供たちの未来を呑み込むことになるだろう。


 明日吹く風がどんな風だろうと、今はこうして無邪気に遊んでいよう。


「夕食の時間だ。帰ろう」


 アジが声をかけると、さっきあれだけ泣いていたセジも「うん!」と笑顔で応え、アジと一緒に仲良くテドウ家を後にする。


 二人が門から外に出る間際、アジがタケルとクミコに振り返り、


「また明日!」


 そう言って笑顔で右手を上げると、


「明日は釣りだぜ」


 タケルはそう応えて笑顔を返し、


「アジ、またね!」


 クミコはアジに元気よく手を振った。


 日は暮れ、ゆっくりと夜の帳は下りてゆく。


 こんな風に、子供たちの穏やかな一日は終わるのだった。


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