〇二五 旅立ち
「逃げろ!」
二人は同時に叫び、走り出す。
しかし、蛮兵は凄まじく足が速かった。
その蛮兵は二人の捜索を指揮する監視団の班長、ケウォだった。
ケウォはあっという間にタヌとラウルに追いつくと、右手にラウルの首を、左手にタヌの首を鷲掴みにして、思いっきり地面に叩きつけた。
ドサッ!ドサッ!ズザザザザーッ!
二人は地面に身体を強かに打ちつけて転がった。
「ぐっ・・・」
二人は地面に叩きつけられた衝撃で動けない。
うずくまる二人の前でケウォは仁王立ちに立ち、
「私から逃げられるとでも思ったか」
そう言って嫌らしく笑う。
タヌは頭を打ち、めまいがして起き上がることができなかった。
ラウルは足をくじいたうえに畑道に突き出た岩にスネをぶつけ、その痛みにうずくまる。
「昨夜のうちに見つけられなかったのは残念だったが、その分、いたぶってやるからな」
ケウォはそう言いながらタヌの前に立ち、ゆっくりと剣を抜いた。
そのとき、部下の蛮兵が一人駆けつけてきた。
ケウォは剣の切っ先でタヌを指し示し、
「こいつを起こせ」
部下に向かってそう命じた。
「はい」
部下の蛮兵はテキパキとタヌの後ろに回り、襟首を掴んで乱暴にタヌを引っ張り起こすと、襟首を握ったままタヌを膝立ちの姿勢にさせた。
「狂人の息子にはそれなりの苦しみを与えなければならない。そうでなければ、多くの仲間を殺された我々の怒りは収まらんのだ」
ケウォは真顔の鋭い目つきでうなだれるタヌを睨みつける。
気狂いの子供のその弱々しい姿。
「お前はどんな味がするんだろうなぁ」
ケウォは卑しい笑みを浮かべ、舌舐めずりをする。
ケウォはタヌを食べるつもりだ。
タヌの身体を後ろから支える蛮兵もニヤニヤと笑っている。
タヌはぐったりしたままだった。
痛めた足を抱えうずくまるラウルの目に、今にも処刑されそうなタヌの姿が映る。
「やめろー!」
ラウルの叫び声が夜の畑に響く。
「次はお前だ。よく見てろ」
ケウォはラウルに向かってそう告げる。
それからタヌに向き直ると、
「まずは耳から食うことにしよう」
ニヤニヤしながら右手に持った剣をタヌの左耳の付け根に当てた。
「どうだ、怖いか」
ケウォはそう言って下卑た笑みを浮かべる。
この哀れな気狂いの子を弄ぶかのように、なかなか剣を動かさない。
タヌはこんな状況の中で、父ナイを想っていた。
俺はまだ何も成し遂げていない・・・
このまま死ぬなんて嫌だ。
「父さん、助けて・・・」
タヌは声にならない声でそう呟いていた。
そこにある絶望感。
それを見てケウォは満足した。
「もういいだろう」
そう言ってニヤリとし、舌舐めずりをした。
と、そのときだった。
タヌを後ろから支えていた蛮兵がケウォの背後を見て「あっ」と声を上げた。
「何事だ」
ケウォが怪訝な表情で後ろを振り返ろうとしたその瞬間、
バサッ!
「ぎゃっ」
小さな悲鳴とともに、ケウォの頭部は首の付け根からポトリと落ちて地面を転がったのだった。
ケウォの体は首の部分から血を吹き出し、ドサッと地面に崩れ落ちた。
「ひっ!」
タヌを支えていた蛮兵が思わず悲鳴を上げた次の瞬間、
「ぎゃっ」
その蛮兵の頭部もまた刎ね飛ばされて地面を転がり、その体は血飛沫を上げ、ゆっくりと仰向けに倒れたのだった。
ドサッ!
気づけば辺りは血に染まっていた。
父を想い、涙でぼやけるタヌの目の前に、護衛隊のマントを羽織った鈍色の霊兎が現れた。
「もう大丈夫だ」
鈍色の霊兎はそう言ってタヌの背中を優しく擦った。
背中に感じる手の温もりに、すーっと気持ちが落ち着いてくる。
「ラウルを、お願いします」
タヌがそう言うと、
「じっとしてるんだぞ」
鈍色の男はタヌの肩をポンと叩き、足を痛めてうずくまっているラウルのところへ向かった。
「大丈夫か」
鈍色の霊兎は足の状態を尋ねながら、しゃがんでラウルの足の状態を確認した。
ラウルはこの鈍色の霊兎の顔を見て目を見開いた。
「ミ、ミカル様・・・」
ラウルは驚きのあまり言葉が出なかった。
そうこの鈍色の霊兎こそ、ラドリア護衛隊隊長、ミカルだった。
ラウルは慌てて痛みを堪えて立ち上がろうとする。
「ラウル、無理をするな」
ミカルはそう言って無理に立ち上がろうとするラウルを止めた。
ラウルはミカルが自分の名前を口にしたことにも驚いていた。
「大丈夫です。ただの打撲だと思います」
ラウルはそう言いながら痛みに顔をしかめる。
強がりを言うラウルをミカルは微笑ましく思う。
「痛みがあるなら無理をすることはない。私が背負ってやる。逃げるぞ」
ミカルがそう告げると、ラウルは申し訳なさそうにし、
「俺たちは大丈夫です。ミカル様、ここを離れてください。俺たちが一緒だとミカル様まで罪に問われてしまいます」
と、ミカルの助けを断った。
ラウルにとって護衛隊の隊長であるミカルは、目指すべき憧れの存在だった。
そのミカルを危険な目に合わせる訳にはいかなかった。
「私のことを心配するのは百年早いぞ」
ミカルは真顔でそう言い放ち、
「捕まらなければいいだけだ。お前たちが私の従者として振る舞っていれば疑われることはない」
そう説明してラウルを安心させた。
実際、このときはまだ日が暮れて間もないため、護衛隊と蛮狼族監視団が混在している時間帯だった。
「これを羽織れ」
ミカルはそう言ってマントの中から子供用のマントを二つ取り出した。
それはミカルの計画的犯行を示すものだった。
タヌとラウルはマントを急いで羽織った。
二人がマントを羽織るのを見つめながら、
「この私が蛮兵を斬り殺すとはな・・・」
ミカルは感慨深く呟き、自分に呆れるような笑みを浮かべるのだった。
「俺たちのために・・・」
タヌは申し訳なさそうにミカルを見つめ、
「すみません」
ラウルは頭を下げることしかできなかった。
そんな二人を見て、
「心配することはない。蛮兵を斬り殺したのはお前たちの仕業にされるだろうから」
ミカルは堂々とそう告げ、
「ふふ」
と悪戯っぽく笑う。
二人はそれを聞いてほっとし、
「よかった・・・」
「それなら嬉しいです」
そんな声を漏らすのだった。
「行くぞ」
ミカルはそう言うとラウルを背負って歩き出した。
「ミカル様、すみません」
ラウルはミカルの背中でそう呟いた。
ラウルは足を痛めた自分が情けなくて、それがミカルに申し訳なくて、いたたまれない気持ちだった。
「気にするな」
ミカルはそう返して平然と歩き続けた。
ミカルはもくもくと歩き、タヌはミカルの従者としてその後ろを俯きがちに付いていく。
連れて行かれたのは、ミカルの家の近くにある畑の小屋だった。
「申し訳ないが、朝になるまでここで休んでいてくれ」
そう言いながら、ミカルは二人の傷の具合を診る。
タヌは肩を斬られていて、ラウルは背中を斬られていた。
「二人とも傷は浅いな。これならすぐ治るだろう」
ミカルは携帯している薬草を使って二人の傷の手当を行った。
小屋の中は耕作道具が雑然と置かれているが、二人が横になるスペースは十分にあった。
それに、市場のあの物置小屋と比べたら、埃もなく、息苦しくもない。
ここならゆっくり休めそうだ。
「朝になればこの小屋の前の道を、イスタルの市場へ向かう荷馬車が通る。私の知り合いだ。私が引き止めている間に荷台に紛れ込め。紛れ込めたら何の心配はいらない。あとはイスタルに着くまでじっとしていろ」
ミカルは二人にそう説明しながら傷の手当を終えると、
「それじゃ、朝まで身体を休めるんだな」
そう言って立ち上がった。
小屋を出ていこうとするミカルに、
「あの」
タヌが声をかけた。
「なんだ」
ミカルが立ち止まって振り返ると、
「どうして俺たちを助けてくれるんですか」
タヌはミカルに感謝しながらも、護衛隊の隊長であるミカルが背信者の自分たちを助けてくれることに、やはり、〝なぜ?〟と思わずにはいられなかった。
「そうだな・・・」
ミカルは宙を睨んでしばらく黙り込み、それから、ゆっくりと口を開いた。
「二年前のあの日、私は二人の戦士の姿を目の当たりにした。その二人の勇姿に心を打たれたのだよ。爬神族に支配され、蛮狼族にいたぶられることを当たり前のことだと信じて疑わなかった私には、それは信じられない光景だった。あまりの衝撃に呆然とするしかなかった。それでも、なんとか自分を奮い立たせ、その場にいた護衛隊隊士全員で斬りつけたんだ。だが、二人にはまったく歯が立たなかった。それでいて二人の戦士は、我々護衛隊の隊士を誰一人傷つけることはなかった。ただひたすら神兵と蛮兵だけを斬り殺したのだ。そんな二人が狂人なわけないじゃないか。二人は霊兎族の戦士として、ラドリアの戦士として、その誇りを胸に戦っていたんだ。あの光景が、私には忘れられないのだ。あの日以来、私は常に自問自答を繰り返している。このままでいいのか、このままでいいのかと」
ミカルはラドリアの惨劇でのナイとハウルの姿を思い出しながら、自らの想いをその子供たちであるタヌとラウルに伝えた。
ミカルの告白に、二人は胸を震わせていた。
ラウルの胸に、父ハウルに対する想いが込み上げてくる。
「うっ、うう・・・」
ラウルは堪えきれずに泣いた。
父ハウルのことを今でも許せないはずなのに、得体の知れない感情が込み上げてきて、溢れる涙をどうすることもできなかった。
タヌの目からも涙が溢れていた。
「父さん・・・」
タヌの目からこぼれる涙は、父ナイを恋しく思う気持ちだった。
あの日ナイが見せた死に様は、自分だけじゃなく、その場にいた他の霊兎たちの胸をも打っていたのだ。
そう思ったら、タヌは父ナイのことを改めて誇らしく思った。
「うっ・・・」
タヌは声を殺して泣いた。
それぞれに父を想い、肩を震わせ涙する二人に、ミカルも目頭を熱くする。
ミカルは二人に優しく声をかけた。
「もし、いつか、お前たちが立ち上がる日が来るなら、私も仲間に入れてくれ」
ミカルの二人を見つめる温かな眼差し。
「・・・」
タヌはミカルの言葉に胸を打たれ、ただミカルを見つめるだけで、返すべき言葉が浮かばなかった。
「ミカル様・・・」
ラウルは敬愛するミカルのその言葉に、ただ胸を震わせていた。
ミカルは笑顔で二人に頷き、
「約束だぞ」
そう言って小屋を出ていった。
翌朝、荷馬車の荷台から顔を出し、こちらを見つめる二人を、ミカルは笑顔で見送った。
「約束、忘れるなよ」
小さくなっていく荷馬車に向かって、ミカルはそう呟いた。
二人を乗せた荷馬車はゴーゴイ山脈を越え、イスタルへと向かった。




