〇〇一 タヌとラウル
「タヌ、起きろ」
う、うん・・・
「タヌ、起きろって」
うん?あ、俺を呼んでるのか・・・
背中に感じるチクチクとした感触。
乾いた藁の臭いと、どこからか漂ってくる馬糞の臭い。
そっか。馬小屋に潜り込んで寝たんだっけ・・・
ガタガタ・・ガタン・・ガタガタ・・
自分を呼ぶ声の背後から、早朝の街を走るいくつもの荷馬車の音が聞こえてくる。
タヌは眠気まなこをゴシゴシこすりながら、ゆっくりと目を開けた。
「おい、起きたか」
そこに自分の顔を覗き込むラウルの顔があった。
その薄灰色の髪、尖った耳は霊兎族のものだ。
「うん。起きた」
タヌは応え、
「ふぁああ」
大きな欠伸をして眠気を覚まそうと試みる。
二人は開け放たれた馬小屋の出入り口近く、藁の山に隠れるように寝ていたので、外の空気、音、雰囲気を肌で感じることができた。
まだ夜が明けきらない早朝の時間。
朝早くから活動を始めるのは、市場に向かう商人だけだ。
「もうすぐ市場が開く時間だ」
ラウルは馬小屋の出入り口に立って、うっすらと明るくなってきた空を見上げた。
「もうそんな時間なんだ。まずいね」
タヌは藁の寝床から出て、着ている袖なしの筒型衣の裾をパンパンッと弾ませるように引っ張って服についた藁を落とし、ぼさぼさになった赤毛の髪を整えながら、ラウルの隣に立って空を見上げた。
「夜が明け切る前に帰らないと」
ラウルはそう言ってタヌに振り向き、
「うん。急いで帰ろう」
タヌがそれに応じると、二人は夜明け前の暗い街の中へ飛び出したのだった。
バシーッ!
年季の入った革製の鞭が、木製の机の色褪せた上面を叩く。
その激しい音は教官部屋の空気を切り裂き、その場に緊張が走る。
「お前たちは昨日、作業を抜け出してどこへ行ってたんだ!」
醜く太った初老の教官は、直立不動の姿勢で目の前に立つ二人の生徒を怒鳴りつける。
「作業が終わってからです」
タヌがそう答えると、
バシッ!
教官はタヌに思い切りビンタを食らわせた。
「訊かれたことに答えろ!」
怒りに支配された者にとって、怒りを爆発させることは快感だ。
しかも、その相手が日頃から快く思っていない生徒ならなおさらだ。
タヌは殴られた頬の痛みを感じながら、いつもながらふんぞり返って偉そうにしているこの教官に、ふつふつと怒りを覚えるのだった。
偉そうに・・・・
タヌが歯を食いしばって教官を睨みつけていると、隣で口を一文字に引き結んで黙っていたラウルが口を開いた。
「ドリル様、全部俺のせいなので、タヌは許してください」
ドリルは教典学習の教官だ。濁った灰色の髪色をしたこの男は狂信的な爬神教の信者であり、高位兎神官でもある。(兎神官とは霊兎族の神官を意味している)
ラウルはドリルに許しを乞いながらも、その目にあるのは不満だった。
ドリルはラウルの納得していないその目つきに、
「なんだその目は!」
と怒鳴って鞭を振り上げ、ラウルの腰をめがけて振り下ろした。
バシッ!
鞭はラウルの臀部から太ももの後ろを激しく叩く。
「ぐっ・・・」
ラウルは歯を食いしばって痛みに耐え、
このクソじじぃ・・・
心の中でそう吐き捨て、直立不動の姿勢は崩さない。
姿勢を崩したら二発目が飛んでくることがわかっているからだ。
「もう一度訊く。お前たちは作業を抜け出して朝までどこへ行ってたんだ?」
ドリルは冷たく尋ね、
ヒュン!
鞭を振り上げ二人を威嚇し、二人の体がビクッと勝手に硬直する。
鞭の痛みは体が覚えているのだ。
ラウルはチラッとタヌに目配せをしてから、
「畑で作業をしてたのは覚えているのですが、気づいたらなぜだか中央広場にいたんです。本当に不思議なことでした」
怪訝な表情を浮かべてその不可思議な出来事を語り、タヌもその不可思議な出来事に解せないといった顔をして頷くのだった。
「そうなんです。気づいたときには日が暮れ始めていたので、暗くなる前に養成所に戻ることはできないと考え、馬小屋で寝ることにしたのです」
タヌがそう説明すると、二人を睨みつけるドリルの頬がピクッと引き攣るのがわかった。
「いい加減なことを言いおって・・・」
ドリルは苦々しい顔をし、
バシッ!
容赦なくタヌに鞭を振り下ろし、
「ぐっ・・」
タヌの顔が痛みに歪むのを嬉しそうに見ながら、
ヒュン!バシッ!
立て続けにラウルを打つ。
「うっ・・」
ドリルの振り下ろした鞭は太ももの裏を狙って振り下ろされ、ラウルもまた痛みに顔を歪めるのだった。
「痛いか?」
ドリルは蔑むように二人を睨みつけると、
「高位兎神官である私に平気で嘘をつけることが、お前たちの本性を物語っているのだ。お前たちは神に逆らうことに躊躇がない。お前たちが父親から受け継いだ血がそうさせるのだろう。気狂いの子よ。私に反抗する前に、お前たちの穢れた血を憎むがいい」
と吐き捨て、その顔に卑しい笑みを浮かべた。
その言葉に二人は何も言い返せない。
タヌの父親とラウルの父親は二年前、前代未聞の大惨事を起こし、神をも恐れぬ極悪人として霊兎族の歴史にその名を刻んでいるからだ。
タヌが苦虫を噛み潰したような顔をして、それを隠すように俯きがちにラウルの方へ視線を向けると、ラウルはその視線に気づき、ドリルに気づかれないように微かな口の動きで「ぺっ」と、唾を吐く真似をしてみせるのだった。
ラウルははなっからドリルの言葉に耳を傾けてはいないのだ。
そんなラウルが頼もしくて、タヌは微かな笑みを浮かべる。
そのやりとりに気づかないドリルは、
ヒュン!
鞭を振り上げ、
「怖いか?」
と、二人を威嚇して喜ぶのだった。
「授業に出る前に体を洗うように。お前たちは根性が腐っているせいで、糞の臭いを放っておる」
ドリルが口をへの字に曲げて二人を汚物のように見、部屋の入り口のドアを鞭で乱暴に指し示す。
ほっ・・・とした。
タヌとラウルは安堵の気持ちを見透かされないように真顔で辞儀をして部屋を出る。
その二人の背中に向かって、
「今日は朝食抜きだぞ。それから、お前たちのことはしっかりとコンクリ様に報告しておくからな」
ドリルはそう吐き捨てるのだった。
「・・・」
二人に言葉はなかった。
朝食抜きは結構きつい。昨日のお昼に食べたっきりなのだからなおさらだ。
教官部屋を出ると、二人は寮に向かった。
タヌとラウルの二人は霊兎族の聖地ラドリアにある〝ラドリア精鋭養成所〟で学んでいて、精鋭養成所とは〝爬神教〟の教会によって運営されている全寮制の養成所のことだ。(爬神教とはフィア山に棲むドラゴンを〝神の使い〟として崇める爬神族の宗教であり、大陸のすべての人種族が信仰する宗教である)
養成所ではドラゴンを崇め、爬神族に忠誠を尽くす精鋭が育成され、その中でも優秀な者だけが、爬神教の教えに従って治安を守る〝護衛隊〟に入るか、〝兎神官〟となってその身を爬神教に捧げるか、どちらかの道を歩むことになるのだった。
チュンッ、チュンッ・・・
どこかで鳥の鳴き声がする。
朝の空気は清々しいというのに、
「はぁ・・・」
タヌとラウルの口から漏れるのはため息だった。
二人が向かっている男子寮は一部屋を五歳から十八歳までの生徒十人で使っていて、自然年長の者が下の者たちの面倒をみることになり、年長の者たちはそうすることで人として成長し、下の者たちは年長者から学ぶことで成長するようになっていた。
寮には女子棟もあり、施設の北側、東の壁沿いに男子棟、西の壁沿いに女子棟が建てられていて、男女合わせて八百人ほどの生徒が寝起きし、学業に精を出しているのだった。
精鋭養成所には五歳から入所できるのだが、五歳になれば誰でも入所できるわけではなく、入所するにはコンクリの許しが必要だった。ちなみにタヌとラウルは二年前、十歳のときに偶然にも同じ日にそれぞれこの施設に連れて来られ、コンクリのお眼鏡に叶って入所することになったのだった。(タヌとラウルは入所した日が同じということもあり、男子寮の同じ部屋に入れられ、ベッドも隣同士だった)
「今日はついてなかったね」
タヌが残念そうな顔をすると、
「ほんとついてないよな。バレると思ってなかったのにさ」
ラウルはそう応えてため息をつく。
まだ夜が明けたばかりの早い時間だ。
施設内のどこにも人影は見当たらない。
こんな時間に散歩する奴がいるなんて誰が思うだろうか。
タヌとラウルの二人は運の悪さを嘆くしかなかった。
誰にも見つからずに部屋に戻れるはずだったのに・・・
二人は施設を囲む塀を飛び越えて施設内に入り、自分たちの部屋に戻ろうとそろりそろり歩いているところを、たまたま早朝の散歩をしていたドリルに見つかったのだった。
二人はこっそりと部屋に入り、まだ寝ている子供たちを起こさないように、そっと着替えをとって生活棟に向かった。生活棟とは食堂や浴場、洗い場など、生活するために必要な設備のある建物のことだ。
部屋の前の通路を生活棟に向かって歩く二人。
「よりによってドリルに見つかるなんてなぁ・・・」
ラウルが肩を落とすと、
「マーレ様なら見逃してくれたのにね」
タヌも納得がいかない表情で運の悪さを嘆く。
「だよな」
ラウルが相槌を打ち、
「はぁ・・・」
二人は同時にため息をつく。
「でも、『気づいたら中央広場にいた』だなんて、よく思いついたね」
タヌはそう言って、ドリルに問い詰められ、咄嗟にそう答えたラウルの機転に感心した。
その言い訳で、ドリルはそれ以上問い詰めても無駄だということを悟ったのだ。
「思いつくより先に、口から言葉が出てたんだ」
ラウルはおどけた顔で肩をすくめる。
そんなラウルがタヌには逞しく見える。
「いやぁ、面白かった」
タヌは思い出し笑いをしながら、
バシッ!
右の手のひらでラウルの腰のあたりを叩いた。
「いてぇー」
そこはちょうどドリルに鞭で叩かれた場所だった。
ラウルは眉をつり上げて目を丸くし、大袈裟に痛がった。
「あ、ごめん」
タヌは謝りながらも、
「くくくっ」
ラウルの顔がおかしくて笑う。
タヌが笑うと、
「笑うな」
ラウルはそう言って照れ笑いを浮かべるのだった。
二人は浴場で体を洗い流してさっぱりすると、さっきまで着ていた服を浴室の隣にある洗い場で洗った。
生活棟の外に出ると、
「あー、さっぱりした」
ラウルは水浴びした後の気持ち良さを口にし、
「でも、お腹空いたぁ」
タヌは右手に洗ったばかりの服を持ち、左手で空腹のお腹をさする。
二人は洗った服を干すために〝中庭の森〟へ向かう。
高い塀で囲まれた、だだっ広い施設の真ん中に雑木林があって、それを皆〝中庭の森〟と呼んでいるのだった。
そこはのんびりと過ごすにはとても良い場所であるのと同時に、洗濯物を干すにも格好の場所だった。
だから生活棟の近くに生える木々には、ロープが張られていて、ちゃんと物干し場が作られているのだった。
タヌとラウルが濡れた服を持って物干し場に向かって歩いていると、
「タヌ〜!」
元気な声を上げながら、
「どーん!」
背後から抱きつく女の子がいた。
「おっ」
タヌは前につんのめりそうになりながらもなんとか体勢を保ち、タヌの背中から腕を回してしがみつく女の子を見て苦笑いを浮かべる。
「マーヤ、やめろよ」
タヌが注意しても、
「タヌ、おっはよ!」
その女の子はタヌの背中にしがみついたまま、悪びれもせずそう応えて嬉しそうに笑うのだった。
女の子の名をマーヤという。
マーヤはスカートの裾が地面に擦れて汚れてしまいそうなのに、それを気にもしない。
霊兎族の女性の恰好は基本的に袖なしの無地のワンピースで、腰のあたりを腰紐で縛るようにして着ていて、足には革製のサンダルを履いているのだが、精鋭養成所の女子も皆それと同じ恰好をしているのだった。
霊兎族の男性の恰好は袖なしの筒型衣、ズボンにブーツといった恰好であり、精鋭養成所の男子もこれと同じだ。
「マーヤ、『おっはよ!』じゃないだろ」
タヌはマーヤに文句を言って〝仕方ないなぁ〟といった表情を浮かべる。
ラウルはそのいつもの光景に頬を緩め、それから周りを見渡し、シールの姿を探すのだった。
シールはマーヤの二つ年上の姉で、タヌやラウルと年が同じ十二歳の女の子だ。
マーヤのいるところにはシールがいて、シールがいるところにはマーヤがいる。
だから、ラウルは無意識にシールを探してしまう。
ちなみに、二人には六歳になる弟のトマスがいるのだが、トマスは独特の感性を持つおもしろい男の子だった。
シール、マーヤ、トマスの三姉弟は、二年前、タヌやラウルより少し先に入所していて、そのときトマスはまだ四歳で、年齢制限のために一度は入所を断られたのだが、五歳になるまでシールが面倒をみるということで特別にコンクリにお目通りが許され、その際、トマスを見たコンクリが「なかなかの曲者だな」そう言って笑みを浮かべ、特別に入所が許可されたのだった。
コンクリとのお目通りが終わったあと、それをトマスから聞いた二人の姉は「たしかにトマスは曲者といえば曲者だわね」そう言って笑ったものだった。
そのトマスは男子寮でタヌやラウルと一緒の部屋にいて、二人によく懐いていた。
「朝なんだから、おはようでいいんだよ」
マーヤはそう言ってタヌにくっついて離れない。
そんな二人を羨ましく思いながら、ふとラウルが女子寮の方に視線を向けると、シールがゆっくりとこちらに向かって歩いてくるところだった。
シールの瞳は深く濃い赤色で、背中まで伸びた白く艶やかな髪の美しさと、色白の肌がその目の色と調和していて、とても魅力的な雰囲気を身に纏っているのだった。
霊兎族に白髪は多くいたが、シールのそれは金色がかっていて、神々しくさえ見えるのだった。
「おはよう」
シールが笑顔で朝の挨拶をすると、
「おはよう、シール」
ラウルはそれに応えて自然笑顔になる。
二年前、精鋭養成所への入所が許された日、男子寮へ案内されるその道すがら、傷心のラウルは中庭の木々の間から差す木漏れ日の中に、シールの姿を見つけたのだった。
そのとき、シールはマーヤとトマスを優しく見守っていて、シールもまだ小さな女の子なのに、すでに妹と弟を守る強さのようなものを持っていた。
そんなシールにほんの少しの時間見惚れていると、シールがふとこちらに気づいて目が合った。
シールはラウルに微かな笑みを浮かべた。
そのシールの温かな眼差し。
そのときの胸の高鳴りは今でも忘れられない。
あのときと変わらないシールの笑顔が今は目の前にある。
「マーヤったら、タヌのことが大好きなんだから」
シールは困り顔でラウルに話しかける。
その落ち着いた雰囲気とは異なり、シールのその口振りはまだ十二歳の女の子らしく、ハキハキとしている。
「いいなぁ・・・」
ラウルは思わずそう声を漏らしてから、はっとして口をつぐむ。
心の声が口から漏れてしまっていた。
恥ずかしいぞ。
顔が赤くなるのがわかって、ラウルは俯いてしまう。
そんなラウルに気づいて、
「どうしたの、ラウル。顔が赤いわよ」
シールはからかうようにラウルの顔を覗き込む。
「なんでもないよ。そんな変な目で見るなよ」
ラウルは恥ずかしさを誤魔化すためにぶっきらぼうにそう言い、そっぽを向くのだだった。
そんなぎこちないラウルに、
「変なのはそっちでしょ」
とツッコミを入れ、
「ふふふ」
と、シールは笑うのだった。
そんな二人の視線の先で、マーヤはタヌの背中にしがみついたまま、その背中に顔をスリスリしていた。
「おっ、おっ、おっ」
マーヤに押されるようにしてタヌは前に進み、二人から少しずつ遠ざかっていく。
「タヌ〜、昨日どこ行ってたの?心配したんだからね」
マーヤは泣きそうな声で、昨夜帰って来なかった理由を尋ねた。
「いや、あの、昨夜はラウルとちょっと・・・」
お腹を締めつけるマーヤの力が思った以上に強くて、空腹のタヌは腹に力が入らない。
「どこ行ってたのよ!」
ギュッとマーヤの腕に力が入る。
「ちょ、ちょっと散歩に・・・」
タヌはなんとか言い訳を考えてみるが、嘘が下手なタヌには見え透いた嘘しかつけなかった。
「なによ、ごはんも食べないで散歩って、信じないからね」
やはり、タヌの嘘なんてマーヤに通じるわけがなかった。
「そ、そうだよね。信じられないよね」
タヌはそう応えて他に良い言い訳を探すけれど、ラウルがドリルについた嘘のように、「気づいたら中央広場にいた」なんて言ったら、マーヤのことだから怒って頭突きを食らわせてくるに違いない。
それがわかっているから、それは言わない。
困ったなぁ・・・
そもそもマーヤに嘘なんてつきたくないのだ。
「どこ行ってたのよ」
マーヤは改めてタヌを問い詰め、ギューっと思いっきりタヌのお腹を締めつけた。
「うっ・・」
タヌは観念するしかなかった。
「じ、実は、ラウルが昔住んでいた家を探しに行ってたんだ」
タヌは本当のことを伝えた。
マーヤはタヌの口調からそこに嘘がないことを感じたのか、しがみついていた手を離すと、タヌの前に回り込み、タヌの顔を真顔で見つめた。
「ほんと?」
嘘を許さないマーヤのきれいな赤い瞳が、真っ直ぐにタヌの濃い茶色の瞳を捉えて離さない。
マーヤにはかなわないぁ・・・
タヌはそう思う。
「うん」
タヌは吹っ切れた笑顔で頷いた。
「なんで?」
マーヤは首を傾げる。
「なんでだろう。それはラウルに訊いてみないと」
タヌがそう答えると、マーヤは辺りをキョロキョロと見回し、だいぶ離れたところに立っているラウルを見つけると、
「ラウルー!」
と叫びながら駆け出した。
タヌは走り去るマーヤの後ろ姿を目で追いながら、
朝っぱらから元気一杯だな・・・
自然、優しい笑顔になるのだった。
マーヤはラウルの前に立つと、嘘は見逃さないという目付きでラウルの目を凝視する。
「昨日、ラウルの昔住んでいた家を探しに行ったって本当?」
マーヤが率直に尋ねると、
「えっ」
ラウルの頬がピクッと引きつった。
マーヤはラウルが動揺したのを見逃さず、ニッコリと笑い、
「タヌがそう言ったよ」
それが動かぬ証拠とばかりにタヌの名前を持ち出した。
ラウルもそれはわかっている。
マーヤがそう言わなくても、タヌしかそれを知っている奴はいないのだから。
でも、なにも本当のことを言わなくてもいいだろう・・・
ラウルはそう思った。
「あいつ、本当のこと言いやがった」
ラウルがそう呟いてタヌを睨みつけると、タヌはバツが悪そうな顔をし、顔の前で手を合わせて謝るのだった。
ラウルは呆れ顔で肩をすくめ、不満の意志を示す。
マーヤはラウルが思わず口走った言葉を聞き逃さず、
「えー、やっぱりそうなんだ!」
そう声を上げて喜んだ。
タヌが自分に嘘をつかなかったことが嬉しかったのだ。
「あ、ああ」
ラウルは渋々それを認めた。
「でも、どうして?」
マーヤは素朴な疑問としてその理由を尋ねる。
なぜ今さら昔住んでいたところに、蛮兵たちに見つかる危険を冒してまで行かなければならなかったのか、マーヤには理解できなかった。
ラウルの隣に立つシールは何も言わないけれど、その理由はやっぱり気になっていた。
「急に懐かしくなって、どうしても見に行きたかったんだ」
ラウルは取り繕うようにそう答え、なんとかその場をしのごうとする。
「本当に?」
マーヤはラウルの目の奥を覗き込む。
「本当に?」
シールも一緒になって問い詰める。
「えっ、シールまで?」
シールに睨まれて、ラウルは狼狽えてしまう。
「うん。本当だよ」
ラウルはしっかりとマーヤの目を見て答え、それから、少し照れながらシールの目を見つめ返して頷いた。
「そうなんだー」
そもそもタヌが嘘をついたかどうかだけが気になっていたマーヤは、それ以上ラウルを問い詰めることなくぴょんぴょん飛び跳ね、
「わーい!」
そう言いながらタヌの元へ走り去っていったのだった。
タヌがちょうど洗った服を干し終えたところにマーヤが駆け寄り、
「えいっ!」
タヌに正面から飛びついた。
「わっ、マーヤ!」
タヌは足元をふらつかせてマーヤを抱えたまま仰向けに倒れてしまう。
ドサッ!
タヌは背中に地面の冷たさと雑草のごわごわとした感触を感じつつ、胸にマーヤの頭があることになんだか恥ずかしくなる。
「本当だったんだね」
マーヤはタヌの胸にホッペをくっつけてニコニコしていて、柔らかな白髪からのぞくツンとした耳が、マーヤをより可愛らしくみせていた。
「だから言っただろ。マーヤに嘘はつかないよ」
タヌが顎を引いて胸の上にいるマーヤに笑顔で応えると、
「ついたじゃない。最初、散歩って言ったじゃない」
マーヤは口を尖らせ、タヌの嘘を指摘するのだった。
マーヤはタヌの小さな嘘も見逃さないのだ。
「そうだっけ?」
タヌが惚けると、
「もー」
マーヤは顎を突き出すようにして怒る。
マーヤのその顔が面白くて、
「それ、牛?」
そう言ってタヌが笑うと、マーヤは顔を赤くしてタヌを叩く。
「バカバカバカ!」
グ〜。
タヌのお腹が鳴った。
「あはは。腹減ったー」
タヌが恥ずかしそうに笑って大の字に腕を伸ばすと、
「これも私を心配させた罰よ」
そう言ってマーヤはタヌのほっぺを両手でつまむのだった。
「そうかも」
タヌはおどけて応えてから、マーヤを悪戯っぽく抱きしめた。
「きゃっ」
マーヤはそれに驚きながらも、嬉しそうにタヌに抱きつくのだった。
そんな二人を微笑ましく眺めるラウルとシール。
ラウルは洗った服とズボンを近くにあるロープに干しながらそれを見ていて、シールはそれを手伝いながら見ているのだった。
「あの二人、お似合いだよなぁ」
ラウルが呟くと、
「そうね」
シールは相槌を打ちながら、ふと心配そうな眼差しでラウルを見、
「ラウル、気をつけてよ。夜は蛮兵が見回りしてるんだから、見つかったら大変よ」
シールは〝大変〟と言葉を濁したが、蛮兵に見つかるということは、蛮兵に食べられてしまうということだった。
シールの不安はそこにあった。
「ああ」
ラウルもそれは十分承知だ。
蛮兵が夜徘徊している兎人を食べることは、ここラドリアでは許されていることだし、日が暮れたばかりの時間や夜が明けきらない時間に、兎人が蛮兵に食べられてしまうことは、時折耳にする話だった。
「夜はどうやって過ごしたの?」
シールが尋ねると、
「市場近くの馬小屋で寝てた」
ラウルはシールを安心させるために笑顔で答える。
馬小屋で一晩過ごしたとわかって、シールは少しほっとした。
馬小屋の中なら十分寝られただろうし、蛮兵に見つかることもない。
「無事で良かったわ」
シールは安堵の表情を浮かべ微笑んだ。
シールのそのほっとした表情に、ラウルは温かい気持ちになる。
シールが自分のことを心配してくれたことが嬉しかった。
「ま、タヌが一緒だったから何も怖くなかったけど」
そう言ってラウルは笑う。
そのとき、
グ〜。
ラウルのお腹が鳴った。
「朝食抜きだってさ」
ラウルはバツが悪そうな顔をして笑い、
「あーあ」
と天を仰ぐ。
そんなラウルに、
「ふふふ。それは私を心配させた罰よ」
シールは悪戯っぽく笑う。
朝食の時間だ。
寮から子供たちが出てきて、食堂のある生活棟へぞろぞろと向かう。
シールとマーヤは食堂へ向かい、タヌとラウルは部屋に戻って授業が始まる時間までベッドで横になることにした。