〇一八 呼び出し
鼻歌を歌いながら、シールは洗濯物を干していた。
その日の奉仕活動でかいた汗を浴室で流したばかりなので、さっぱりとして気持ちがいい。
中庭の森には生徒たちの干した洗濯物があちらこちらにぶら下がっていて、風に揺れるそれらの衣服が、陽光を浴びて気持ちよさそうにシールの鼻歌を聞いているかのようだ。
洗濯物は寮の室内に干してもすぐに乾くので外に干さなくてもいいのだが、天気の良い日は外に干している生徒が多かった。
外で日光に当てて乾かした服のほうが、日向の匂いがして良いからだ。
シールは楽しそうにしていて、そんなシールの姿を離れたところから見つめる男がいた。
鋭い目つきでじっとシールを見つめるその男は、アクだった。
たまたまアクが中庭の森を仲間と歩いていたら鼻歌が聞こえてきて、そこにシールの姿を見つけたのだ。
森の木々の先、木漏れ日を浴びたシールが楽しそうに洗濯物を干している。
その柔らかな光に包まれた美しい姿に、アクは心を奪われてしまっていた。
「アク、どこ見てるんだ」
三人組の真ん中をアクは歩いていて、
「アク、どこ見てるんだ」
アクの右を歩く少年が尋ね、
「アク、行くぞ」
左を歩く少年が立ち止まってしまったアクを急かしたが、アクには二人の声が耳に入っていなかった。
アクは動くことができなかった。
しばらくその場に立ち尽くしてシールを見つめていた。
心臓がギュンッと何かに鷲掴みにされるような感覚があって、すぐに胸の鼓動が激しく打ち始めた。
アクにとってこんな経験は初めてだった。
一緒にいた二人の少年はアクに構わず先を歩いていた。
「おーい、アク!」
自分を呼ぶ声に我に返ると、アクは後ろ髪をひかれるような思いでその場を後にしたのだった。
自分が誰かに見られているとも知らず、シールは楽しそうにマーヤの分の洗濯物を干していた。
そこにバタバタと足音が聞こえてきたかと思ったら、
「お姉ちゃん、遊ぼ!」
元気な声でそう言いながら、マーヤが背中に抱きついてきた。
シールは後ろを振り向くと、
「マーヤ、どこ行ってたの!自分の洗濯物は自分で干しなさい!いつまでもお姉ちゃんにさせてちゃダメでしょ」
そう言ってほっぺを膨らませる。
でもその目は怒っていない。
そこへ、
「マーヤ!」
大声でマーヤの名を叫びながらトマスが駆けてくると、マーヤはここぞとばかりに、
「トマスを呼びに行ってたの」
と言い訳をするのだった。
しかし、シールは騙されない。
「その手に握られてる物は何かしら」
シールはそう言ってマーヤの手に握られた木の枝を見る。
マーヤの手には細長い木の枝が握られていて、駆けてくるトマスの手にもしっかりと木の枝が握られていた。
「えへへ」
マーヤはバツが悪そうに笑う。
シールはチラッとトマスを見、それからマーヤの憎めない笑顔を見て、
「はぁ」
と、ため息をつくのだった。
「タヌ、行くぞ!」
トマスはそう叫び、木の枝でマーヤに襲いかかる。
マーヤは振り向きざま、
バシッ!
トマスの振り下ろした木の枝を振り払った。
「お姉ちゃん、見ててね」
マーヤはそう言うと、トマスとじゃれ合うように木の枝で決闘の真似事を始めた。
「あらら」
シールは呆れながらも仲の良い姉弟を微笑ましく思う。
「来い、へなちょこ」
マーヤはそう言ってトマスを挑発する。
「なんだと!お前こそへなちょこだ、えい!」
トマスがマーヤの前で木の枝を振り回すと、マーヤはトマスの振り回す枝の先がぎりぎり届かない距離を保ち、自分の持つ木の枝でトマスの枝を払いながら後退る。
なかなか自分との距離を縮められないトマスに向かって、
「まだまだだな」
マーヤは余裕の笑みを浮かべる。
「何を!」
トマスは怒鳴ると、
「マーヤになんかに負けないぞ。やーやーやー!」
枝をブンブン振り回しながらマーヤを追いかけ、
「私に勝つなんて十年早いわ。オホホ」
マーヤは笑いながら、右に左にトマスの振り回す枝を払うのだった。
その身ごなしは見事なもので、マーヤがスカートを穿いていなければ誰も女の子だとは気づかないだろう。
「に、げ、る、な!」
トマスはなかなかマーヤに追いつけず、イライラしてきて顔がだんだん引きつってくる。
「マーヤ、そろそろ負けてあげないとトマスが泣いちゃうわよ」
とシールが声をかける。
そのとき、
「おーい!」
と声がして、生活棟の方からタヌがやってきた。
戦っている二人はタヌに気づかない。
「とぉ!」
トマスが棒を水平に振って、
バシッ!
それがマーヤの腰に当たると、
「いたっ」
マーヤは大袈裟に痛がり、
「やられた〜」
両手を上げてその場に倒れ込むのだった。
そんなマーヤを見てタヌは笑う。
「相変わらずマーヤは元気だね」
そう言いながら、タヌはシールの横に立った。
「ほんと、男の子みたい」
シールは困ったような笑顔でマーヤを見ながら返事を返す。
「あ、タヌだ!」
タヌに気づいたマーヤは大きな声を上げ、さっと立ち上がると、
「タヌー!」
手に持った枝を投げ捨て嬉しそうにタヌに向かって駆け出すのだった。
その勢いにタヌは若干顔を引きつらせ、右足を引いて腹に力を込める。
マーヤは駆けてくると、
「どーん!」
と言いながらタヌに飛びつき、タヌはマーヤをしっかりと受け止めたのだった。
「マーヤ、あぶないよ」
タヌはそう注意し、それから笑顔になって、
「何してたの?」
と尋ねる。
すると、マーヤは急に真顔になって、
「トマスと決闘してた」
と答え、それから、
「トマスじゃ相手にならないんだよ」
と得意げに胸を張るのだった。
「でも、マーヤの方がやられてなかった?」
タヌがそういってからかうようにマーヤを見ると、
「見てたの?なら、訊かないでよね」
マーヤはぷいっとそっぽを向く。
そこへトマスが小走りでやって来て、
「マーヤなんて相手にならないや。タヌ、勝負だ!」
そう言いながらマーヤの後ろに立ち、手に握る枝をタヌに向かって構えるのだった。
「俺と?」
タヌが驚いて目をパチクリさせると、
「タヌ、どうした、俺様が怖いのか」
トマスは突き出した枝の先で円を描きながら、タヌを挑発した。
そのトマスの仕草が可愛らしくて、
「トマス様に俺が敵うわけないだろ」
タヌはあっさりと降参するのだった。
「なら仕方ない。今日は見逃してやろう」
トマスはそう言うと手に持った枝をポイっと投げ捨てた。
その物わかりの良さもトマスらしい振る舞いだった。
そんなトマスを微笑ましく見ながら、
「でも、マーヤっていい動きしてたよ。剣術の才能あると思う」
タヌがそう言うと、
「見てたの?」
マーヤは驚き、
「もちろん。ちゃんと見てたよ」
タヌがそう答えると、
「そっかー、見てたのかー」
マーヤは嬉しくてニヤけてしまう。
「うん」
マーヤが嬉しそうにすると、タヌも嬉しい。
「私、タヌみたいに強くなりたいんだ」
マーヤは愛くるしい笑顔で真っ直ぐにタヌに見つめる。
そのキラキラとした瞳がタヌをドキッとさせた。
「俺、もっと強くなるよ」
タヌがそう言ってマーヤを見つめ返すと、
「がんばってね、タヌ」
マーヤは喜んでタヌに抱きつくのだった。
「あらら」
シールはそんな二人を微笑ましく思いながら、ふとラウルがなかなかやって来ないことが気になった。
「タヌ、ラウルは?」
と尋ね、
「トイレだって。もう来る頃だと思うけど」
タヌがそう答えたそのとき、
「おーい!」
とラウルの声がした。
声に振り向くと、生活棟の方からラウルがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「うんちだね」
マーヤはラウルを見てそう言い、
「そんなこと言わないの」
と、シールにたしなめられる。
ライルがやってくると、
「うんちしてたの?」
と、トマスが聞いた。
トマスはちゃんとお姉ちゃんたちの話を聞いているのだ。
「えっ、違うよ」
ラウルはそう言って目をパチクリさせると、
「嘘だぁ」
マーヤがそれを疑うのだった。
「ち、違うって言ってるだろ」
ラウルはシールの目を意識して動揺し、
「あはは」
そんなラウルを見てタヌは笑う。
シールのラウルを見る目は温かい。
のどかな光景。
それが日常だった。
「何して遊ぶ?」
トマスがキラキラした目を二人に向けると、
「ごめん。俺たちドリル様に呼ばれてるんだ」
ラウルは申し訳なさそうにそう答え、
「そうなんだ」
タヌもまた申し訳なさそうにトマスを見るのだった。
ドリルが二人のことを嫌っているのは誰もが知ることだ。
だから、
「ドリル様に?」
シールは驚き、
「なんで?」
マーヤも信じられないといった顔をした。
「アクのことなんじゃないかな」
タヌがそう推測すると、
「アクってあの?」
シールはその名前を聞いて嫌な予感がしたが、
「そう。あのアク。補習授業のときに罰を与えてほしいってお願いしてて、ドリル様からコンクリ様にそのことを伝えることになってたんだ。何か決まったのかもしれないな」
ラウルのその説明を聞いてほっとした。
「それじゃ、心配いらないのね」
シールが念を押すと、
「うん」
ラウルは穏やかに頷き、
「よかった」
シールは安心したが、
「私、ドリル様きらい」
マーヤはあからさまに嫌な顔した。
「俺も」
タヌが笑顔でそれに同意すると、
「私とタヌは気が合うね」
マーヤはそのことを喜ぶのだった。
「ラウル、戻ってきたら話聞かせてね」
シールのその言葉に、
「もちろん」
ラウルは力強く頷き、その流れで、
「タヌ、戻ってきたら私と決闘ね」
マーヤはそう言ってニヤリとし、
「なんでだよ」
とツッコミを入れるタヌに、
「うふふ」
そう悪戯っぽく笑うのだった。
「それじゃ、行こうか」
「おう」
二人が執務棟に向かって歩き出すと、
「バイバーイ」
トマスは二人の背中に向かって大きく手を振った。
そんなトマスに、
「バイバイじゃないでしょ。すぐに戻ってくるんだから」
マーヤはそう言って口を尖らせるのだった。