〇一三 力こそすべて
アクは次の一撃でタヌを仕留める気だ。
ダメか・・・
タヌが朦朧とする意識の中で死を覚悟したそのとき、
「やめろー!」
ラウルの叫び声を聞いた。
ラウルは絶叫しながらアクに飛びかかっていた。
ラウルはアクの背後から握り締めた右の拳をその後頭部に食い込ませるようにして打ち込んだ。
ズンッ!
アクは火花が散るようなその衝撃に、
「ぐおっ!」
思わず声を上げ、タヌの顔の横に右手をついて、その痛みに顔を歪めるのだった。
「誰だ!」
アクは自分を殴った奴を確かめようと後ろを振り返る。
その瞬間を狙って、
ドンッ!
ラウルはアクの顔に強烈な回し蹴りを入れ、
「んぐっ!」
アクは仰け反って後ろ向きに倒れたのだった。
ドサッ!
「俺が相手だ!」
ラウルはアクに向かってそう叫ぶ。
「俺としたことが・・・」
アクは鼻から流れる血を拭いながら立ち上がると、ぐったりと倒れるタヌには構わず、
「身の程知らずが・・・」
そう吐き捨てるように呟いてラウルに向かっていった。
ラウルがチラッとタヌを見ると、タヌは仰向けに倒れたままで動く気配すらなかった。
ラウルは後退りし、アクをタヌが倒れている場所から遠ざける。
「怖気づいたか」
後退るラウルを笑いながら、アクは間を詰めていく。
「お前にか?」
ラウルはそう応じてニヤリと笑い、
「いい度胸してるじゃないか」
アクは嬉しそうに言うのだった。
ラウルはタヌから距離が離れた時点で後退るのをやめ、アクとの間合いを測った。
アクは仁王立ちでラウルを見下ろすと、
「お前、名前は?」
と、ラウルに名を尋ね、
「ラウル」
ラウルはアクを睨みつけたままボソッと答える。
「俺はアクだ」
アクはそう言って片頬に笑みを浮かべると、両の拳を握り締め、ラウルとの間合いをジリジリと詰めていった。
ラウルは意識を集中させ、アクの隙を探した。
しかし、アクの体からは力が漲っていて隙を見つけることはできなかった。
くそっ・・・
ラウルの顔に焦りの色が浮かぶ。
「死ねぇえええ!」
アクはそう叫び、猛烈にラウルに襲いかかった。
ガツンッ!ガツンッ!ガツンッ!
ラウルは後ろに下がりながら攻撃を躱そうとするが、アクの繰り出す拳が速すぎて、空振りさせることはできず、腕でブロックすることしかできなかった。
アクの打撃の威力は凄まじく、ラウルは防戦一方だった。
アクのパンチを防ぐだけで体力がどんどん削がれていく。
「なんだお前、かかって来いよ」
アクはラウルを挑発しながら殴り続けた。
ガツンッ!ガツンッ!ガツンッ!
後ろに下がりながら受けることでアクのパンチの威力を弱めているとはいえ、何度も打たれているうちにラウルの腕の感覚が失われていくのだった。
このままではいずれ捕まってしまう。
どうすれば・・・
ふと、ラウルに迷いが生まれたその一瞬のことだった。
ドスッ!
突然の蹴りが、ラウルの腹部に炸裂した。
「ぐふっ!」
ラウルは勢いよく後方に飛ばされ、地面を転がった。
「ううっ・・・」
息ができずにうずくまるラウルにアクは馬乗りになり、
「どうした!もう終わりか!」
タヌにしたように滅多打ちをはじめた。
ボコッ!ボコッ!ボコッ!・・・
ラウルはなんとか気を充実させ抵抗を試みる。
アクの拳に腕をぶつけるようにして防ぎながら、なんとかその場をしのごうとするが、アクの拳はラウルの腕の間を突き抜けて顔面を捉えるのだった。
ボコッ!ボコッ!ボコッ!・・・
「ぐふっ・・・」
ラウルの顔が血に染まり、体力と気力が奪われていく。
こいつ、本気だ・・・
ラウルの意識が薄れていく。
もうダメかと思ったそのとき、ラウルの視界の片隅、アクの背後にタヌが現れた。
タヌはふらついていたが、
「や、め、ろ・・・」
そう言うと、アクの背中にもたれ掛かるようにしてその首に腕を回して締め上げるのだった。
ボコッ!ボコッ!ボコッ!・・・
アクはタヌに構わずラウルを殴り続けたが、すぐに苦しくなり、
「邪魔だ!」
そう怒鳴ってタヌの腕を力任せに剥がすと、
「むん!」
その腕を両手で掴み、タヌを思いっきり前方へ投げ飛ばしたのだった。
ドサッ!
タヌは地面に体を打ちつけ、
「う、ううっ・・・」
そのまま力尽き動けなくなる。
「雑魚が・・・」
アクがそう吐き捨て、再びラウルに向かって拳を振り上げたそのとき、
「お前ら、やめろ!」
と、声が聞こえた。
その声にアクが振り返ると、視線の先にダレロの姿があった。
アクはダレロの姿を見て拳をおろし、気まずそうに立ち上がると、ダレロに向かって頭を下げた。
「アク、お前、何やってるんだ!」
その場の尋常じゃない様子に圧倒され、ダレロは怒鳴っていた。
アクの足元でラウルが血だらけの顔を腫らして仰向けに倒れていて、少し離れたところでタヌも真っ赤に腫れた顔の鼻と口から血を流し仰向けに倒れていた。
おまけに小さなトマスまでもが倒れているのを見て、ただのケンカだと思ってやって来たダレロは唖然としてしまう。
ちなみにスレイはダレロが来る前にトンテによって井戸の方まで運ばれていて、意識もなくぐったりとした状態だった。
「こいつらがケンカを売ってきたから買ったまでのことです」
アクは当然といった感じでさらりと答える。
「お前にケンカを?」
アクの体格、醸し出す雰囲気からして、ケンカを売る者がいるのだろうか。
ダレロは首を傾げてしまう。
普通に考えればそうかも知れないが、トマスが喧嘩を売ったのは間違いなく、
「はい」
アクはしっかりとダレロの目を見て真顔で頷くのだった。
「しかしお前ほどの奴が子供からケンカを売られたからといって、それを買うのは違うと思うぞ」
ダレロはそう言ってアクをたしなめる。
アクはイスタルに派遣される前にもつまらない喧嘩で生徒を二人殺している。
その気性の荒さでかわいい教え子が殺されてはたまったものではない。
「ちょっと小バカにされたんで許せなかったんですよ。教官の資格を持つ俺をバカにすることは許されることではないはずです。殺したって構わないでしょう。コンクリ様にはわかってもらえると思いますけど」
アクはそう応えてニヤリと笑うのだった。
爬神教に愛や優しさはいらない。
コンクリは常にこう教えている。
神へ命を捧げよ!
強い者だけが生き残るのだ!
世界を支配するのは力だということを忘れてはならない!
それが爬神教の教えである!
この世界は力ある爬神族に支配されていて、その力の象徴がドラゴンだった。
精鋭養成所に才能ある子供たちを集め、鍛え、生き残るための厳しさを身につけさせているのも、力のある優秀な人材を輩出し、力によって霊兎族を治めるためなのである。
そして、霊兎族の人々へはこうも教える。
自分の命を神へ捧げること以上の強さはない。
命は自分のために捨ててはならない。
すべて神に捧げよ。
日々の生活の中のひとつひとつの行いを神へ捧げる行為として行え。
そして日々自分自身を磨き、高め、強くなるのだ。
弱いものは淘汰されなければならない。
どんな状況もそれは自分自身が招いたものだ。
もし淘汰されることがあるなら、生まれ変わって修行をやり直すがいい。
だからこそ、アクが気に食わない奴を殺したとしても別に咎められることではないし、殺された霊兎はその未熟さを恥じ、生まれ変わってやり直せばいい、ということになる。
天国があり、地獄があり、生まれ変わりがある。
その循環の中で、今のこの瞬間の大切さは置き去りにされ、天国や地獄、来世など、来るべき次のステージのために〝今〟は消費されるのだった。
明日のために今日があるのだった。
今この瞬間が世界のすべてであるにもかかわらず、誰も目の前にある今という瞬間の現実に目を向けようともしない。
いや、そうしないように教えられているのだった。
「ダレロ様が来なかったら、この二人とあのチビ助は生かしておかなかったんですけどね」
アクはそう言ってダレロの反応を窺う。
ダレロはその挑戦的な目つきにため息をつき、
「残念ながら、この三人はまだ死ぬときじゃなかったってことだ」
アクの目を真っ直ぐに見てそう応え、アクはダレロのその目の奥に苛立ちのようなものを感じると、
「もうひと眠りしてきます」
と言い、大きな欠伸をしながら去っていった。
アクが去ると、ダレロはすぐに倒れている三人の状態を確認した。
トマスは無傷で無事だったが、タヌとラウルは重傷だった。
アクは本気を出したんだな・・・並の霊兎なら殺されていただろう。殺されずに済んで本当によかった・・・
ダレロは心の中でそう呟いて胸を撫で下ろす。
スレイも重傷を負っていたが命に別状はなかった。
「トンテ、ガスク、エラス」
ダレロは三人を呼んで指示を与えた。
トンテがラウルを背負い、タヌは自分が背負うことにして、ガスクとエラスに命じ、スレイは担架で運ばせた。
トマスは騒ぎを聞いてやってきたマーヤが、
「起きなさい!」
バシッ!
ビンタを食らわせ叩き起こした。
「あれ?おじさんは?」
意識を取り戻したトマスはそう言って辺りをキョロキョロと見回した。
そんな平然としているトマスに、マーヤは怒り心頭だった。
「トマス!あんたのおかげでタヌとラウルが殺されるところだったのよ!バカ!」
マーヤはトマスに怒りをぶつけた。
マーヤは大袈裟だなぁ・・・
トマスはそう思う。
「タヌとラウルが死ぬわけないじゃないか」
トマスが悪びれもせずそう応えると、
「バカ!」
マーヤはトマスの頭に思いっきりゲンコツを食らわせた。
ゴツン!
怒りのこもったゲンコツは痛かった。
「マーヤのバーカ!」
涙目のトマスは頭を擦りながらマーヤに向かってアッカンベーをする。
反省のないトマスに、
「シールお姉ちゃんにも叱ってもらうからね!」
マーヤはそう言って、
ゴツン!
もう一発ゲンコツを食らわせた。
トマスの顔が痛みで引きつり、目から涙が溢れ出した。
「マーヤのバカ、うわぁーん!」
トマスはわんわん泣き出した。
「タヌが死んだらあんた許さないからね!」
マーヤはそう怒鳴ると、
「うっ、うっ」
こみ上げてくる感情に胸を震わせ、
「トマスのバカ!バカ、バカ、バカ!」
終いにはトマスと一緒になって泣き出すのだった。
「あらら」
そこへシールがやってきて、二人を井戸まで連れて行った。
「大丈夫よ。タヌとラウルなら大丈夫よ。心配ないからね。大丈夫だからね」
シールはそう言いながら二人の顔を洗った。
シールのその柔らかな声のもつ優しさが、二人の心に沁み入って、二人はいつの間にか泣きやんでいた。
飼育棟での作業は怪我をしたスレイ、タヌ、ラウル、おまけにトマスが免除となり、スレイの代わりにトンテが指示を出し、残ったメンバーで餌やりと清掃を頑張ったのだった。
「エラス、どうした?」
清掃作業中、ぼーっとしているエラスにトンテが声をかけた。
エラスは体をビクッとさせ、顔面蒼白の顔をトンテに向けると、
「なんでもない・・・」
小声でそう返し、俯いた。
「お前、震えてるんじゃないのか?」
トンテが心配すると、突然、
「震えてなんかない!僕は怖くなんかない!」
エラスは感情を高ぶらせ、声を荒げて言い返すのだった。
トンテが驚いて目を丸くすると、エラスは思い詰めたような顔をして飼育棟から飛び出して行った。
トンテは走り去るエラスの背中を見つめ、呆然と立ち尽くすしかなかった。
ああ・・・また人数が減った・・・俺が頑張るしかないのか・・・
そう思うと、ため息しか出てこなかった。
トンテは肩を落とし、エラスのことなんて心配するんじゃなかったと後悔した。
それでも、
ま、アクのあの暴力を目にしたら怖くて震え上がるのも無理ないか。正直俺も思い出しただけでゾッとするもんな・・・
トンテはそう解釈し、エラスを許すことにした。
「掃除は俺が頑張ればいいのさ」
トンテはそう呟くと、
「よしっ」
と自らに気合を入れ、清掃作業の続きを始めるのだった。