〇一一 嫌な予感
朝の食堂。
一つの長方形のテーブルを囲んで、片側にラウル、タヌ、エラスが座り、向かい側にシール、マーヤ、トマスが座って、六人はいつものように朝食を摂っていた。
生真面目なエラスがこのグループにいることに違和感を覚えるが、精鋭養成所での入所日が近いということもあって、朝食はこのメンバーで摂るのが当たり前のようになっていた。
この日の朝食はお決まりのサラダにパン、そしてスープだった。
「昨日、マーレ様に呼ばれたって聞いたけど」
テーブルにつくとラウルはすぐに、正面に座るシールに昨日のことを切り出した。
すると、シールが答えるよりも先に、
「お姉ちゃん、マーレ様の推薦で上のクラスに移るんだって」
マーヤが嬉しそうに答えて目を輝かせる。
さらに、
「シール、すごーい!」
タヌが大袈裟に喜びの声を上げるのだった。
「でしょ!」
マーヤはタヌに向かって胸を張り、その喜びようはまるで自分のことのようだ。
「すごいねぇ、シールお姉ちゃんはすごいねぇ」
マーヤの隣でトマスはひとり言のようにそんなことを言いながら、シールのことよりも目の前にあるパンに興味を示し、そのパンを手に取ってかじりつくのだった。
ラウルはタヌとマーヤの喜びように肩をすくめて笑い、それから、
「すごいね、シール」
そう言ってシールを祝福した。
「うん」
シールは照れくさそうに笑う。
みんながシールを祝福したように、
「よかったね、シール」
エラスもさりげなくシールを祝福したが、その表情は明らかに悔しそうだった。
「あ、ありがとう」
シールはどんな顔をしてよいかわからず、
「祝福するならそんな顔するなよ」
ラウルが文句を言うと、
「この顔は生まれつきだから」
エラスはそう言い返し、改めてシールに目を向けた。
嫉妬の眼差し。
マーレの教える授業で上のクラスに移るのは簡単なことじゃなかった。
知識だけでなく霊力の高さが求められるからだ。
霊力の高さはその者の魂の質によって決まる。そしてそれはコンクリによって見極められるものだ。
つまり、シールはコンクリによってその霊力が認められたと言うことになる。
「昨日はコンクリ様にお目通りしてもらったんだね」
エラスが引きつった表情で尋ねると、
「うん」
シールは神妙な面持ちで頷いて、それを認めた。
エラスはシールに嫉妬せずにはいられなかった。
誰よりも兎神官になることを夢見ているエラスがシールに先を越されたことに嫉妬するのは無理もないことではある。
それでも、
「ほんと、すごいよね」
エラスは笑顔を引きつらせシールを祝福するのだった。
なんだか気まずい空気。
そんな空気を察したのか、
「今日のサラダ、美味しいよ!」
突然トマスが声を上げた。
みんなは〝助かった〟と思いながら、トマスに目を向け、
「みんなも早く食べてよ」
トマスがそう言うと、それぞれ自分の皿に載ったサラダに視線を向けた。
シールの話題で盛り上がり、トマス以外は誰も朝食に手を付けていなかった。
「美味しそうだね」
マーヤはそう言ってサラダを口に運び、
「美味しい!このオランジ、水々しくてあまーい」
マーヤが美味しそうに食事を始めると、みんなも黙って朝食を食べ始めた。
「おっ、美味いな」
ラウルはひと口食べてその味を確かめると、フォークにサラダの野菜や果物を刺せるだけ刺して口に運び、むしゃむしゃと食べるのだった。
「ラウルは本当においそうに食べるわね」
シールはそう言いながら自分もサラダに手を付けた。
「スープも悪くないよ」
タヌが美味しそうにスープをすすると、
「そうなの?」
マーヤはタヌを真似てスープをすするのだった。
「おいしい!」
と喜ぶマーヤを不愉快に思いながらエラスは黙って食べているが、向かいに座るトマスと目が合うと、
「いーっ」
トマスが変顔をして笑わそうとするので、できるだけトマスと目が合わないように気をつけていた。
みんなは黙々と食べ続け、そろそろ食事も終わるというところで、
「シールは算術は僕より下だよね」
エラスはそう言ってシールに目を向けた。
「うん」
シールがそれを認めると、エラスはチラッとマーヤを見てから、
「算術は大切だからね。もっと頑張らないと」
と、上から目線でシールを励ますのだった。
シールに先を越された以上、エラスに自慢できることは算術しかなかったからだ。
「そうね。頑張るわ」
シールはエラスの励ましを素直に受け止めたが、それにはラウルが反発した。
「何言ってるんだよ、エラス。自分が得意だからって算術持ち出してどうするんだよ。関係ないだろ。それよりも、お前はもっと武術の腕を上げるべきだ。お前が武術に打ち込めば、今頃俺たちと同じクラスにいてもおかしくなかったんだからな」
ラウルはエラスに厳しい言葉を浴びせてから、
「な、タヌ」
と、タヌに同意を求め、
「そうそう。エラスは武術もがんばれ」
タヌはラウルに同意し、エラスを励すのだった。
このことは、二人がエラスの武術の才能を認めているということを意味しているのだが、エラスはそれに気づかない。
「君たちこそ算術がんばれよ」
エラスはそう返して口をへの字に曲げる。
「がんばってるさ」
ラウルが不機嫌に言い返し、「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向くと、
「何だよ、その態度」
エラスは声を荒げ、場の空気が張り詰める。
するとまたもや、
「ごちそうさまー!」
トマスが声を上げ、胸の前で手を合わせた。
それに合わせてみんなも手を合わせ、一触即発のムードは回避されたのだった。
朝食を済ませるといつものように授業に向かう。
その日の授業は午前午後ともに、いつも通り何事もなく終わった。
午後の授業が終わると、生徒たちは奉仕活動のために一旦部屋に戻って着替えを済ませる。
タヌ、ラウル、エラスの三人が授業を終え部屋に戻ってくると、
「タヌ〜」
先に戻っていたトマスが嬉しそうに駆け寄ってきた。
トマスはタヌに抱きつき、
「トマス、早いなぁ」
タヌが笑顔で頭を撫でると、
「ラウル〜」
と言いながら、今度はラウルに抱きつくのだった。
「トマス、力、強くなったな」
ラウルは抱きつくトマスの力に驚いた。
エラスはその横をそそくさと通り過ぎ、自分のベッドに腰掛ける。
寮の部屋は十人で使うことになっていて、この部屋の最年長がタヌやラウルと同じクラスで剣術の授業を受けている十五歳のスレイとトンテだった。次が十三歳のガスクで、それからタヌ、ラウル、エラスの十二歳が続き、十歳のマヌサ、九歳のミナル、六歳のレレ、トマスで十人となる。
タヌやラウルにとって幸いだったのは、この部屋のまとめ役がトンテとスレイだったことだ。
スレイは信仰心はあるものの、盲目的に規則に従うこともなく、自分の考えをもたない奴を嫌っていたから、型にはまるエラスや気難しいガスクよりも、柔軟な考え方ができるタヌとラウルを気に入ってくれていた。それどころか、スレイはタヌとラウルの剣術の腕前に憧れさえ抱いているほどだった。
だから先日タヌとラウルが朝帰りしたときも、特に文句を言うこともなく、教官のドリルに鞭で打たれても平気な顔をしているタヌとラウルに感心し、トンテと二人で同情してくれたのだった。
トンテは穏やかな人柄で誰にでも優しく、気難しいガスクや生真面目なエラスもトンテの言うことは素直に聞くほどだった。
スレイとトンテは最年長の生徒として、この部屋をうまくまとめていた。
この日の奉仕活動は部屋ごとに割り当てられた仕事だった。
「みんな揃ってる?」
と言いながら、スレイが部屋に入ってきた。
トンテとガスクも一緒だった。
「揃ってるよ」
タヌがそう答えると、
「今日はなんだっけ?」
とスレイが尋ね、
「今日は飼育棟だよ」
ラウルがそう答えるのだった。
飼育棟とはその名の通り動物を飼育している建物のことで、建物の南側半分が厩舎になっていて、北側の半分でヤギや鶏を飼育しているのだった。馬は移動用に、ヤギはミルクのため、鶏は卵のために飼われていた。
「飼育棟かぁ。臭いの嫌なんだよなぁ」
スレイが嘆くと、
「臭くても嫌がらないの」
トンテがそれをたしなめる。
「信仰心が足りないからだ」
ガスクが仏頂面でボソッと文句を言うと、
「わかってるよ」
スレイはため息をついて部屋の一番奥にある自分のベッドに向かい、ベッドの横の棚から縦長の布袋を取って着替え始めた。
布袋を頭から被り、その袋から頭と腕を突き出すのが、飼育棟掃除のときの恰好だった。
十人全員がそそくさと着替えを済ませると、
「行くぞ」
スレイとトンテを先頭に飼育棟に向かった。
飼育棟に行く途中、中庭の森にある井戸に寄って水を飲むことにした。
井戸に近づいていくと、井戸の周りには人だかりができていて、
「ちょっと遅かったか・・・」
トンテはそう呟いて「はぁ」とため息をつく。
みんな考えることは一緒なのだ。
「みんなー順番待ちするぞー」
スレイがそう声をかけ一同は井戸の前で順番待ちの列を作る。
順番待ちをしながら、スレイは何気なく辺りを見回していたが、何かを見つけると、
「あっ」
と、小さな悲鳴を上げた。
隣で井戸の様子を窺っていたトンテはその声に、
「どうした?」
と振り向いた。
スレイは井戸とは別のところを見ていて、
「アクがいる・・・」
血の気の引いた顔を引きつらせてそう呟くのだった。
井戸の先、少し離れた森の奥にあるベンチに、明らかに周りの霊兎と雰囲気の違う霊兎が寝転んでいた。
並の霊兎と比べれば一回りも二回りも大きな身体をし、鍛え上げられた筋肉の鎧を身に纏った、体格のがっちりとした黒緑色の霊兎だった。
「あっ・・」
トンテも黒緑色の霊兎を見つけると、目を見開いたまま固まってしまう。
「夢じゃないよな・・・」
スレイが確かめると、
「夢じゃない。悪夢だ・・・」
トンテは小刻みに首を横に振って、目の前の悪夢の光景に唖然とするのだった。
「嘘だろ・・・」
スレイは小声で吐き捨て、
「イスタルから戻ってきたのかよ・・・」
トンテは心から嫌そうな顔をした。
アクは手に負えない乱暴者だからイスタルへ追放されたはずだった。
少なくとも二人はそう思っていた。
だから、アクと会うことは二度とないと思って安心していたし、そのアクが当たり前のように、中庭の森のベンチで横になっていることが信じられなかった。
「あいつがいなくなってこっちは平和だったのに」
スレイは落胆して肩を落とし、
「大丈夫。近づかなければいいんだから。とにかくあいつとは関わらないようにしよう」
トンテはそう言ってスレイを励ました。
スレイは体の力を抜くように「ふぅ」と息を吐いて顔を上げると、
「そうしよう」
トンテに同意して頷いた。
井戸の周りにいたひと塊の子供たちが水を飲み終え井戸を離れ、スレイの前にいたひと塊の子供たちが井戸の水を飲み始める。
スレイは歩を進めて前との間を詰めながらも、視界の片隅のアクの様子を意識せずにはいられなかった。
アクはベンチの上で頭の後ろで手を組み、仰向けになってピクリとも動かないので、きっと寝ているのだろう。
アクが寝ているうちにとっとと水を飲んでこの場を去らねば。
「みんな、さっさと水飲んで、さっさと飼育棟に向かうぞ。モタモタしちゃダメだぞ」
スレイは後ろを振り向きそう声をかける。
そのときだった。
「わーい!」
スレイの横を、トマスが元気な声を上げながら駆け出した。
最初は誰もトマスのことを気にしなかった。
それがいつものトマスだからだ。
しかし、トマスが向かっているのは井戸ではなかった。
トマスは真っ直ぐにアクに向かって駆けていた。
スレイとトンテの顔から血の気が引いていく。
「ダメだ!」
スレイが叫ぶのと同時に、
「おい!トマス、どこいくんだ!」
タヌが大声で叫び、慌ててトマスの後を追って駆け出していた。
スレイはトマスがアクに向かって近づいていく姿を、目を丸くしてじっと見つめていた。
頭が真っ白だった。
身のすくむような恐怖心が下腹部あたりから湧き起こってくる。
どうしよう・・・
一瞬の躊躇。
しかし、スレイは覚悟を決めると、
「ここ見てて」
そうトンテに言い残し、トマスとタヌを追って駆け出したのだった。
「ダメだ!」
トンテはスレイを引き留めようと叫んだが、スレイの耳には聞こえていなかった。
「トマス、ダメだよ!タヌ、トマスを止めろ!」
スレイは必死に叫んでいた。
しかし・・・
トマスはアクに向かって一生懸命走って、走って、アクが寝転がるベンチの前まで来ると、軽快に跳び上がったのだった。
その恐ろしい光景に、
終わった・・・
スレイは思わず走るのをやめて呆然としてしまう。
「トマス!」
タヌが叫ぶ。
「とぉー!」
トマスは雄叫びを上げながら、ベンチで横になるアクの腹に向かって落ちていったのだった。