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春や来し年や行きけん小晦日

 春や来し年や行きけん小晦日


 芭蕉がまだ松尾宗房(むねふさ)宗房(そうぼう)という俳号であった、寛文二年の年末、十九歳の立春にこの句を詠んだとされる。

 「立春が年内の二十九日に来てしまったが、新しい年が来たと言うのか、古い年が過ぎ去ったと言うのだろうか」という意味の軽妙な句である。

 新暦では立春は正月の後に必ず来るが、旧暦の寛文二年(1662年)は暦の巡りで十二月二十九日に立春がやってきた。

 三十日の大晦日(おおつごもり)に対して、二十九日は小晦日(こつごもり)と言った。

 ある種の言葉遊びである。


 『古今集』の在原元方が詠んだ「年の内に春は来にけり一年を去年とや言はん今年とや言はん」をそっくり踏襲してる。

 当時は伊賀国上野の侍大将、藤堂新七郎良清の嗣子(しし)(跡継ぎ)である主計良忠(蝉吟(せんぎん))に料理人として仕えていた。

 京都で北村季吟に師事して、二歳上の良忠と共に俳諧(はいかい)を始めたばかりの夢中な松尾宗房の姿が目に浮かぶようだ。

 芭蕉が『奥の細道』の冒頭で詠んだ「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也」の萌芽が垣間見えるが、まだその才能は開花していない。


宗房(そうぼう)、そなたはどういう俳諧師(はいかいし)になりたい?」


 兄弟子で主君でもある良忠(蝉吟(せんぎん))に問われた。

 二人でいる時は身分を超えて、俳号で呼ぶ約束だった。


「……春や来し年や行きけん小晦日」


 宗房は俳諧で答えた。


「基本に忠実、それでいて、軽やかだな」


 蝉吟(せんぎん)はそう評した。


「だけど、どうも面白みが無いですね」

 

 宗房は口惜しそうに漏らす。


「そうか。月日が人のように行き交うところが面白い。月日は百代の過客にして……」


 蝉吟(せんぎん)があの有名な句の冒頭を詠んだ。

 俳諧は連歌から派生した物だが、誰かが詠んだ句に、即興で句で応えることに醍醐味がある。

 現代の俳句のように上品ではなく、漢語や普段使う言葉などを使い滑稽さを加えて詠むものであった。


「それは良い句になりそうですね」


「そうだな。またどこかで使ってみると良い」


「はい。いつか伊賀を離れて、俳諧を詠みながら全国を旅してみたいです」


 宗房は自分がおそらく、一生、この伊賀の里を離れられないと感じていた。

 宗房の母方は伊賀の忍びの棟梁である百地家であり、宗房は生涯、百地家の下忍として仕える約束だった。

 藤堂家に仕えたのも内偵のような役割のためであった。

 それと引き換えに、兄の半左衛門は農家として平和な日々を送れる事になっていた。

 

「そうか、いつか、私が連れていってやる。その前にどこかの城の普請(ふしん)に駆り出されるかもしれぬが」


 寛文二年(1662年)五月一日に推定震度六の「寛文近江・若狭地震」が発生し、伏見城、大阪城、佐和山城など多数の城が破損し、城普請の名人である藤堂高虎は地震で破損した城の修復に追われた。

 伊賀国上野の侍大将、藤堂新七郎良清も高虎と共に活躍するが、良忠、宗房(むねふさ)も当然、城の修復に駆り出されることになった。

 年末なっても余震は続いていて、正月明けにはまた、城の修復に行くことになっていた。

 後に江戸に出た宗房改め桃青(とうせい)(後の芭蕉)が神田川分水工事に携わった時、この時の経験を活かして現場監督のような仕事をしている。


「どうか、連れていって下さい。楽しみにしておきます」


「そうだな。きっと連れて行く」


 蝉吟(せんぎん)はそう言って破顔した。

 四年後の寛文六年(1666年)に蝉吟(せんぎん)こと、良忠は亡くなってしまう。

 だが、蝉吟(せんぎん)の残した「月日は百代の過客にして」は、松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭の句として、多くの人の心に刻まれることになる。

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