19 反乱軍の頭目 リンデマン大尉
つい4日前まで、自分たちがいた宿営地を見上げた。
正門に回った。遠目からでも宿営しているのが一個小隊どころではない大所帯であるのがわかった。監視哨がさらに増設され、それらの上と正門前に歩哨が5人もいてヤヨイたちを見下ろしていた。
同じ軍服を着てはいたが、ヤヨイには帝国軍の友軍部隊というよりはどこかの敵国の陣営地であるかのようによそよそしく映った。
ヤヨイは少尉の副官だった。
「Ave CAESAR!(敬愛なる皇帝陛下!)。第38連隊独立偵察大隊第二中隊のニシダ少尉だ。開門願いたい!」
ヤヨイの名乗りに、歩哨の一人が応じた。
「Ave CAESAR! 了解している。入場を許可する!」
レオン小隊もそうだが、野戦部隊と違って偵察部隊の兵はその挙動がなんとなくキビキビしている。その歩哨たちは紛れもなく、偵察部隊だった。
あの工兵隊の護衛部隊の指揮官に会ったように、真っ先に宿営地のスロープを登ってゆくかに見えた少尉が、いつになく馬の手綱を持ったまま、上を見上げて立ち尽くしていた。
「・・・少尉?」
「あ、ああ・・・。では行くか」
宿営地内の騎乗は禁じられている。万が一馬が突然暴れだしたりすると事故につながるからだ。陣営地の構築法だけではなく、その運用についても軍にはそんなマニュアルが無数にある。
テントの数が3倍に増えていた。それに右手の東側、南東の端に新たに厩が設けられて数頭の馬が首を並べていた。厩係の奴隷に手綱を渡し、歩哨の一人に案内され、少尉と共に指令所に向かった。
どのテントの前にも灰が残る竈があった。紺のテュニカの奴隷が鍋を集めているのを見ると朝食が終わったばかりなのだろう。指令所の前の広場には一個小隊30名が整列し、小隊長の号令で今しも宿営地を出て行かんと隊列を組んでいた。皆、テュニカの袖に黒い筋を付けていた。正規の野戦部隊だ。偵察部隊ではない。
「小隊、出発!」
動き出した隊伍とすれ違うようにして指令所のタープを目指した。
行進してゆく小隊を見て、依然少尉は唖然としていた。宿営地を出て行こうとする小隊には男よりやや少ない数の女性兵士が混じっていた。ヤヨイはレオン小隊しか偵察部隊を知らない。だが、自分たちと比べると行進もどこかぎこちなく、戦場ズレしていないのは一目瞭然だった。
偵察部隊の宿営地に正規の野戦部隊が混じって駐留している。そういうことだった。
少尉は大股で指令所の幔幕に近づいていった。
指令所のタープの下で下士官を集めて指示していた士官がいた。レオン少尉に気付いたのか、士官は振り向いた。黒髪に高い鼻梁。青い、目の鋭い男だった。金の樫の葉。階級は大尉だ。
この男がリンデマンか・・・。
「Ave CAESAR! 38連隊偵察隊のニシダであります!」
彼は、少尉の気迫のこもった敬礼に、同じく気迫を込めて答礼していた。
「Ave CAESAR!・・・」
気迫は籠っていた。だが、その答礼には、少尉のそれとは何かが違っていた。彼からは何か「迷い」のようなものを感じた。
ここでもヤヨイは興味を持たれた。しかし、先と違って少尉が黙っているので自分で姓名階級を名乗った。
「ニシダ小隊のヤヨイ・ヴァインライヒ二等兵であります」
その場に沈黙が訪れた。少尉の沈黙のせいであるのは明らかだった。そして目の前のリンデマンは、少尉の沈黙の理由をすでに承知しているかのように、無理に親しさを作り、その場を取り繕おうとしているようにも聞こえる雑談をした。
「ヴァインライヒ、か。キミは平民だな。すると父方の姓か。いにしえのドイツの、中部地方の姓だ。たしか、イディッシュ語で、『裕福な友人』という意味だったかと思う」
裕福どころか、金がないせいでこんなところにいるというのに・・・。
「僕はかつてドイツに住んでいたというユダヤという民族の末裔らしい。もしかするとキミと僕の先祖は遠い昔にどこかで会っていたかもし・・・」
「大尉!」
少尉はリンデマンの雑談を遮るように叫んだ。
「あの監視哨に昇りませんか。敵情をご説明申し上げたく存じます!」
リンデマン大尉は俯いた。
「監視兵。ちょっと場所を空けてくれ」
彼は監視哨を見上げそこに上っていた兵を下ろさせた。
梯子を昇るリンデマン大尉に続いて少尉が、そしてヤヨイが続いた。
3人も登れば監視哨の上はもう一杯だった。
そこからは北の野蛮人の地はもちろん、遠く南を望む景色も得ることができた。南に広がる深い森の向こう。霞のかなたに一週間前に後にした38連隊の駐屯地のある高台がうっすらと遠望できた。
「あれはなんだ。何故だ、リック。何故なんだ!」
パトロールのためだろう。先ほどヤヨイたちとすれ違うようにして宿営地を出ていったぎこちない新兵ばかりの小隊を指して、少尉は言った。
ここでも少尉は、声音は控えつつ、上級の士官に対して対等に吼えた。ウリル少将の言った通り、彼は士官学校時代の同期、少尉の同志なのだと知れた。そしてこの計画の中心人物だ。もし今、彼らの口からその計画のキーワードが出れば・・・。
ヤヨイは、やらねばならない。
「連隊を出る直前に、差し替えられてしまったのだ」
リンデマン大尉は監視哨の下、宿営地の中の一つのテントを見た。その脇に立って目を細めてこちらを見上げている軍曹と目が合った。
「パオロか。あいつの小隊しかいないのか、偵察は」
「あとの二つ。サイモンとトーマスの小隊は取り上げられてしまったんだ。代わりに野戦部隊の新兵や二年兵ばかりのを宛がわれた。ろくに小銃の取り扱いも出来ないのがいる。昨日、一人が暴発事故を起こした。指を一本失って、連隊に返した」
少尉は押し黙ったまま目を上げ、大尉をみつめ、次いで連隊のある方角を見張るかしたまま身じろぎもしなかった。
「キミは、レオンの同志か」
大尉は言った。
「自分は・・・、少尉の副官であります」
「リック。いいんだ。ヤヨイは大丈夫だ」
少尉は振り向きもせずに、言った。
「で、どうするんだ。わたしは、やるぞ」
「・・・無理だ。今回は、見送ろう」
「この機会を逃せば、我々にはもうチャンスは巡ってこない。お前が第七に転出したら、もう出来なくなる。怖気づいたのか、リック。リック! そんなに出世が大事か! そんなに家門が大事か! お前はそんな奴だったのか!」
彼の胸倉を掴みかからんばかりの勢いで、少尉は詰め寄った。これで大尉が諦めてくれれば、計画はなくなる。ヤヨイは心中それを祈った。
大尉は、静かに言った。
「見損なうな、レオン」
荒ぶることもなく、落ち着いていた。
「わたしの意志は、変わっていない。慎重になれと言っているだけだ。またチャンスはある。
だが、一個大隊の予定が一個中隊になってしまっては、第十三軍団の中だけでカタが付いてしまうような規模ではダメだろう。我々の意志は伝わらずに、すぐに潰される。それでは、わたしを信じている同志たちを犬死させることになる。そんなことは、わたしには出来ない。お前だって、そうだろう」
そう言って大尉はヤヨイを顧みた。
「わかった」
と少尉は言った。
「それでは、計画を変更しよう。ここでただ籠城して要求を突きつけるのではなく、わたしの隊が囮になり、撒き餌になって派手に暴れて耳目を惹きつけ、ここに敵を引き連れて来る。それなら当初の目的を果たせる。砲火を交えればここからも視認できる。それを合図に野戦の連中を陣営地から出して落ち延びさせ、マークの部隊にも伝える。さっき彼と手筈を確認して来た。彼も新兵達とあのイヤミな工兵隊を陣営地から追い出す。
お前に2個小隊。マークに1個小隊。それだけあれば、銃を暴発させるような新兵の群れなど、仮に旅団規模で来てもどうということはない。当初の計画通り、十分にひと月は持ちこたえる。それだけ頑張れば、13軍団だけの問題ではなくなる」
少尉はテュニカの懐から折りたたんだ布を取り出して広げた。それは青地に金のクロスが入った、中央にライオンの紋章のついた旗に見えた。
「帝国の全土に、我々の義挙が伝わるのだ! 我々の理想が達成される礎を築くことができるのだ。リック! この旗をこの宿営地に翻してくれ。リック。リック!」
ヤヨイは、悟った。
このリンデマン大尉とレオン少尉は、間違いなく反乱を起こそうとしている。
自分はこの二人を、殺らねばならない!
ついにその時が、来てしまった、と・・・。