君たちはどう生きるかの感想(※ネタバレあり)
「君たちはどう生きるか」面白かった。
親が再婚して愛されにくくなった少年が主人公だ。
主人公は親の気を引くためや、再婚相手を傷つけるために自傷して愛を占有しようしたりする。
愛は有限だろう。誰かを愛するということは誰かを愛さないということかもしれない。
映画館で俺の隣のカップルがイチャイチャしていたように、愛は特定の誰かを選ぶ傾向にあるだろう。
そんな、あんま愛されずに悩んでた、主人公だが、偶然「君はどう生きるか」という本を見つけて、その中には「未来の眞人へ」という亡き母の愛の言葉を受け取るのだった。眞人は主人公の名前。
そこから主人公は自信を得る。
鬱陶しい中身がおっさんな青鷺と戦おうとする。
「お父さんが好きな人です」と主人公は何度か言って、囚われた父の再婚相手を助けに出かける。
お父さんに愛されるために再婚相手を助けるのだろうか。それともお父さんが好きだから再婚相手を助けるのだろうか。
平等に愛するということは平等に愛さないということだろう。
平等に世界を愛するということは平等に世界を愛さないということだろう。
助けようとしたが再婚相手に嫌いですと主人公が拒絶される。その時は再婚相手をお母さんと呼んで立ち向かうが助けることが叶わなかった。
愛することは勇気がいることだろう。拒絶されたらショックだろう。
私たちは愛争奪戦を日々繰り広げているのだろうか。
この社会は愛争奪戦の産物なのだろうか。
君は愛争奪戦から降りているのだろうか。そもそも降りることは幸せなことなのだろうか。
愛されないと立ち向かう自信を得ることができないのだろうか。
自信とは自分を信じること、それなのに何故他者に愛されることが必要なのだろうか。
自信とは相手に愛されることを期待することなのだろうか。
とまぁ、父親の再婚相手を助けるために、祖先のおおおじが作った世界に助けに行くことになる。
この祖先が作った世界で、子供の頃のお母さんと、主人公の少年が再会する。
お母さんは戦争の炎に焼かれるがその世界では炎と使い手だった。
かもめやインコなどが敵で、空を飛べる自由な鳥が敵なのには意味があるのだろうか。
初めは敵だった狡猾はアオサギは友達になった。
主人公は祖先の世界を継いでほしいと言われるが、それを断る。自傷した傷が悪意の印だと言って。
悪意のない13この積み木を3日ごとに詰め、それが世界を作ることだと、先祖は言う。
インコの王がその積み木を真っ二つにすることで祖先の世界が崩壊する。
君たちはどう生きるか。