表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

聖夜の金貨に気をつけて

 季節モノ。

 恋愛物リハビリのためにベタなラブコメを書こうとしたら、こうなりました。


 聖人祭の前夜(12月24日)、今年は世間並みに年明け3日までお休みだなぁ、と感慨に耽りつつ、薪ストーブの上の小鍋で温めたホットワインをカップに注いで両手で持つ。

 二人がけのソファに一人でカップと沈み込み、ゆっくりと一口ずつ、蜂蜜多めのホットワインを飲んでいれば、思い出すのは一年前のことだ。


 去年の聖人祭の前後は最悪だった。


 聖人祭の三ヶ月前、秋口に体調を崩して寝込んだまま、私が勤めていた小さな商会の先代会長が亡くなった。

 後を継いだのが、先代様の一人息子の木偶の坊。

 こいつが全く仕事を覚えてないせいで、雑用係でしかなかった私を含めて商会の働き手全員が、しばらく深夜帰宅を余儀なくされた。


 その上、木偶の坊は仕事を覚えさせようとするベテラン商会員を、「俺に逆らったから」と、上から解雇していった。

 おかげで私の深夜帰宅期間は更に延長。


 更に、木偶の坊は隣の国へ「新商品の仕入先開拓」と称して、経費でただの長期バカンスへ。

 聖人祭の少し前にようやく帰って来た時には、何処から拾ってきたのか、若い女の子を連れていて、「彼女が結婚できる年齢になったら商会長夫人にする」と宣言。

 若そうだと思ったら、なんと女の子の年齢は十四歳。結婚可能な成人年齢が十八歳のこの国では、成人男性が手を出したら犯罪な若さ。


 更に悪いことに、木偶の坊には婚約者がいた。

 商会の主力商品の仕入先のお嬢さんだ。

 当然、先方は激怒。木偶の坊の有責で婚約破棄。勿論、慰謝料も発生。


 木偶の坊は、それまでの主力商品と同レベルの品を、他の工房から今までより安い値段で仕入れて来いと、商会員達に命令。

 しかし、嫁入り先への持参金代わりとして適正価格の四割引で卸してもらっていたのだから、他の工房からもっと安く、と言うのは無理な話。


 聖人祭前夜、ちょうど去年の今日のこと。

 久しぶりに夕方に家に帰れたのに、木偶の坊から「商会の忘年会をやるから来い」という使いが来た。

 当時の私には同棲中の恋人がいて、聖人祭前夜は恋人がいる人は恋人同士で過ごすのが、国からも推奨される当たり前の習慣で、私も「恋人と過ごすので」と断った。


 けれど、「遅くまではかからないので」、「全員必ず参加するようにと言われています」と使いの人に食い下がられて、最後には「連れて行かないと私が怒られます」と泣き落とされ、恋人には「一時間で戻るから」と言って、仕方なくもう一度出掛けることになった。

 恋人が会場まで送ると言ったけど、使いの人が「自分がお連れするよう指示されています」と断ったので、彼には家で待つように言った。


 忘年会の会場は、一階にレストランが入った小洒落たホテルだった。

 でも、「全員参加の商会の忘年会」と言うのは真っ赤な嘘で、待っていたのは見知らぬ壮年の男性一人。

 私を上から下までジロジロと値踏みするように見て、「まぁ、この程度でもいいだろう」と私の腕を掴むと、宿泊する個室のある上階に引きずって行こうとした。


 どういうことだと全力で抵抗して暴れた私と、「そういう約束だろ!」、「今更抵抗するな!」と怒鳴る男で、聖人祭前夜のデート中の恋人達で満席のレストランは大騒ぎ。

 ホテルの衛兵さんが呼ばれる事態となり、衛兵さんに仲介されながら別室で話を聞けば、男性は、ある工房のオーナーで、木偶の坊は、元婚約者さんから仕入れていた品物の類似品を、低価格で作って卸してもらう代わりに、「無料で自由にしていい女」を斡旋する約束だったそうだ。


 私は一言も聞いていないし了承もしていないことを衛兵さんに伝えると、しっかり犯罪として憲兵さんに回される事案となり、連絡を受けてホテルに来た憲兵さんに、自分が売春を強要されそうになった話のついでに、木偶の坊が十四歳の女の子に手を出している可能性があるという相談もしたら、それが思ってもいなかった大事件に発展してしまった。


 なんと、女の子は隣の国の家出した貴族の御令嬢だったそうだ。

 隣の国では大規模に捜索願が出されていて、ご両親と婚約者様(当然みんなお貴族様)が血眼になって探していたらしい。

 まさか国境を超えて隣の国まで来ているとは思わなかったそうで、うちの国の憲兵さんの詰所に回って来た似顔絵入りのビラも、「まさかと思うけど一応」という程度で置かれていたそうだ。


 お貴族様の誘拐事件。

 おまけに隣の国からだから、外交とか交易とか色々問題が発生するのは庶民でも薄っすら想像できた。

 とにかく大変なことになった。

 木偶の坊は逮捕されて女の子は保護されたけど、私も日付が変わるくらいまで帰してもらえなかった。


 疲労困憊で帰宅したら、一度も私に怒ったことの無い恋人が、怒りも露わに怒鳴って来た。


『どうして今帰って来たの⁉ 約束は一時間だったよね⁉ 今日だけは─もう昨日だけど! ちゃんと約束守ってって、僕ずっとお願いしてたよね⁉』


 その時は私も疲れていた。

 帰れなかったのだって不可抗力で、先代様が亡くなってから理不尽な深夜帰宅が続いて、彼との時間をろくに取れなかったのだって、私が望んでいたことでもないし、わざとでもない。

 それに、私の深夜帰宅が続くようになってから、彼が他の女性と遊んでいる姿を見たと、私に教えてくれる「親切な人」が何人もいた。


 平凡よりは多少上、程度の外見の私の恋人は、彼に一目惚れする女性達からは「不釣り合い」と面と向かって言われるくらいの美形だった。

 だから、浮気されても仕方ないかも、という諦めと、いつか浮気されるだろう、という不安が、同棲してからも完全には消えなくて。


 疲れ、苛立ち、木偶の坊への鬱憤、不安、上手くやれない自分への自己嫌悪と悲しみ。

 そんなのが全部混ぜ合わさって、私は彼に怒鳴り返してしまった。


『うるさいっ! あなただって浮気してるでしょう⁉』


 今思えば、かなりマズイ言い方だったし、彼だって怒鳴ってしまったのは私への心配が高じてだっただろう。

 彼の浮気は「私以外の女性と買い物や食事をしているところを目撃された」というだけで、浮気と責められるようなことをしていた確証は無い。

 なのに、「あなた()()()浮気してるでしょう」と言ってしまった。


 勤め先の忘年会だと呼び出されても、行き先はホテル。

 一時間で戻る約束をしておいて、日付が変わるまで帰って来ない。

 その状況で、この発言。

 彼が、私()浮気してると受け取ったとしてもおかしくない。

 きっと、そう受け取ったんだと思う。


 彼は、その綺麗な金色の瞳を限界まで大きく見開くと、一瞬でクシャリと美しい顔を歪め、


『分かった! もう別れる!』


 と叫んで、二人で暮らしていた部屋を飛び出した。


 そのまま、年が明けても戻っては来なくて、彼とは、それきりだ。

 この街を出たのか、見かけることも無い。


 その後、私の勤めていた商会は無くなった。

 未成年の貴族の御令嬢を誘拐した平民の商会なんて、存在した記録も無くなる。

 私は、私の通報が保護に繋がったと、御令嬢のお家から謝礼金を貰ったので、しばらく働かなくても暮らせたけれど、他の人は「貴族に睨まれた商会の元商会員」のレッテルを貼られて再就職も難航し、親戚や知人を頼って、それぞれ他所の街に出て行った。


 同棲していた元恋人が、この部屋の鍵を持ったまま飛び出して行ったので、手にした泡銭で部屋の扉ごと鍵を変えた。

 二人で選んだ家具も食器も、彼が置いていったままの私物も、再就職先を探す忙しさを言い訳に、一つも処分せずに放っておいた。


 元の勤め先では、私はただの雑用係で、「まだ一人前じゃないから」と正式な商会員として登録されていなかったことが幸いして、女一人が暮らしていく程度の稼ぎの仕事なら、すぐに見つかった。

 恋人もいないから、結婚のための貯金もしなくていい。

 毎月、借金をしないで、人に迷惑をかけずに生きていけたら、それでいいから。


 今は、朝から夕方まで、布の問屋で机仕事をしている。任されているのは、書類の清書や品物の合計額の計算だ。

 商会で雑用係をしていた私は、平民だけど平民の基礎学校を出ただけよりは、難しい字も読み書き出来て計算も慣れている。

 仕事内容は難しくないし、労働環境もきつくない。


 おかげで、自由時間も体力も余っていた。


 今日も、聖人祭前夜だと言うのに、一人で暇を持て余して自宅でホットワインを飲んだくれているくらいだ。

 恋人達で溢れた街には出たくないから、食べ物も飲み物もたっぷり買い込んで用意した。

 今夜は体力の続く限り飲み明かす。

 そんな決意をした時、ドンドンドンドンと激しくドアが叩かれた。


 時計を見ると、もうすぐ日付が変わる。

 こんな時間に訪ねて来る人に心当たりは無い。

 放置の方針を固め、ホットワインを小鍋から注ぎ足す。

 もう何杯目だろう。そろそろ小鍋に新しく作らないと、次のおかわりが出来なそう。


 ドンドンドン、ドンドンドン。


 ドアは叩き続けられている。

 こんな時間に近所迷惑だ。

 どんな奴なのか顔だけでも見てやろうと、新しいワインの瓶を取りに行くついでに、ドアののぞき窓から外を窺って、私は一度ドアから離れた。


 酔いが回ってるかもしれない。

 ドアの前に、去年別れた恋人がいた。


 ドンドンドン、ドンドンドン。


 いや、まさか〜。

 無い無い。

 ある訳ない。


 ドンドンドン、ドンドンドン。


 あんな美形が聖人祭の前夜に一人で別れた元恋人の部屋のドアを夜中に叩いてる?

 幻に決まってるよね!


 ドンドンドン、ドンドンドン。

「ミネア、幻だとか思ってない⁉ 僕ちゃんと本物だからね⁉」


 うわ、空耳まで聞こえる。

 相当酔ってるなぁ。新しいワイン開けるの止めとこうかな?


 ドンドンドン、ドンドンドン。

「ミネアー、開けてー、開けてよー、寒いよー、ミネアー」


 大声で名前を連呼されている。

 え、どうしよう。

 コレ、ご近所さんから見たら『痴話喧嘩で恋人を真冬の深夜に締め出した冷血女』じゃない⁉


 ドンドンドン、ドンドンドン。

「ミネアー、ミネアー、お願いー、開ーけーてー」


 ・・・・・・。

 開けよう。

 どうして来たのか何の用なのか見当もつかないけど、話はそれから。

 なのかな?

 いいのかな?

 夜中に別れた男にドアを開けていいのかミネア⁉


 ああぁっ。

 自問自答してる間にドアの外からすすり泣きが聞こえて来る!

 うわぁ、滅茶苦茶外聞が悪い!


 ドンドンドン。

「うえぇん、ミネアー、」


 ガチャ。

「あっ! ミネア!」


「うおぅ離せー」


 ドアを開けた途端に飛びつかれ、ギュウギュウとしがみつかれてオッサンみたいな声が出る。

 隙間は作ったものの、それでも私を腕の中から放そうとしない元恋人からは、アルコールの匂いがした。


 なんだ、酔っぱらいか。

 酔って昔の恋人の部屋を訪ねてしまっただけか。

 そういうことか。


 納得以外の目を背けたい感情には蓋をして、どうにか長い腕の中から出ようともがくが、上手くいかない。


「ね、ミネア。今日泊めて」


「はぁ⁉ 別れた元恋人の所に聖人祭の前夜に来て言っちゃいけない台詞第三位でしょう⁉」


「えー? 一位と二位は?」


「『ホテルが満室だったから今の恋人と過ごすために朝まで出ててくれる?』と『今の恋人とのデート代貸して』」


「うわ、最低。僕そんなこと言わないよ」


「一人暮らしの元恋人に泊めてって言うのも最低でしょうが」


「えー、どうしたら泊めてくれるの?」


 私を腕の中に見下ろす柔らかい金色の眼差しに、恋人同士だった頃と、空いた時間を感じさせない変わらないノリに、そして、随分と回ったホットワインに──魔が差した。


「じゃあ素泊まり金貨一枚。出せるなら泊めてもいいけど?」


 酷い冗談。

 金貨なんて、庶民の財布には普通入ってない。

 「金貨一枚出せるなら」は、庶民の()()()()が口説かれた時に、「それくらいの覚悟があるなら恋人になってあげてもいいわよ」という上から目線の返事の定番だ。

 私は生まれてこの時まで、一度も口にしたことの無い、身の程知らずな台詞。

 けれど、元恋人は、嬉しそうにニッコリと笑顔になると、胸のポケットからスルリと金貨を取り出した。


 ちょっと待って! 金貨を裸で胸ポケットに入れてたの⁉ 落としたらどうするの⁉


「はい、金貨一枚。泊めてもらうね。ありがとうミネア」


 は? という形に口を開いたまま固まっている私を、「寒いから中に入ろうね」と手を引いて、その前にしっかりドアを閉めて鍵までかけて、元恋人は勝手知ったる部屋の中を進む。


「もー、もしかして、この小鍋いっぱいホットワイン飲んだの? 飲み過ぎだよ。今日はもう寝ようね」


 小鍋をストーブから下ろしてカップと一緒に台所に片付ける元恋人。


「リカルド」


「なぁに? ミネア」


 私に名前を呼ばれただけで、蕩けそうに表情を緩めて声を甘くして、嬉しそうに応える元恋人(リカルド)


「なんで、手、握ったままなの?」


 小鍋とカップを片付ける間も、リカルドは私の手を放さない。


「だって、逃げたら嫌だし」


「は? なんで?」


「んー? 取り敢えず今日は寝よう。ミネア酔ってるし。話しても覚えてないって言い訳させたくない」


「え、どういう意味」


「ほらほら、寝るよー」


 手を引いて寝室に連れられて、置かれているベッドは二人で暮らしていた時と変わっていなくて。

 でも、居た堪れないのは私だけみたいで、リカルドは当たり前みたいに私をベッドに入れて、一緒に暮らしていた頃のように後から潜り込んだ。


「ちょっと! ダメでしょ同じベッドは!」


「大丈夫。何もしないよ──今夜は」


 最後に何か聞こえないくらい小さい声でボソッと言った気がしたけど、隣で整った人畜無害な顔立ちで寝顔を晒している男から、スースーと規則正しい寝息が聞こえて来ると、毒気を抜かれた。


 別れていたこの一年で、元恋人(リカルド)が「人畜無害」を返上していたなんて知らなかったからね!


 翌朝、目が覚めると、私の左手の薬指にはリカルドとお揃いの結婚指輪が嵌められていて、それは魔法契約がかかっているから二度と外すことは出来ないと、非常に良い笑顔で宣言され、「諦めてコレにサインして?」と、リカルド側が記入済みの平民用の婚姻届の書類を示されてるのが、今現在。


「え、どういう・・・?」


 絶賛混乱中の私。


「本当は、一年前の昨日、プロポーズしてサインしてもらうつもりだったんだ」


 去年の聖人祭前夜。

 絶対に当日だけは一緒に過ごす時間を作って欲しいと、何日も前からリカルドに言われていたあの日、私は木偶の坊なんかに騙されて、のこのこホテルに行き、色々あって日付が変わるまで帰れず、大喧嘩をして、リカルドは出て行った。


「ミネアの仕事が急に酷く忙しくなって、毎日深夜まで帰って来れなくなって、身体も心配だったし夜道を歩かせるのも嫌だった。だから、結婚を前倒しして、一度仕事を辞めるか休むかしてもらおうと思ってたんだ」


 この国では、結婚すれば、妊娠していなくても、「新生活準備」の名目で、最長一ヶ月は職場に休みが申請出来るし、職場はそれを受理しなければならない。妊娠している女性は更に長い休みが申請出来る。

 引っ越しや各種手続きに回る時間が取れないからと、晩婚化が進む国民を憂いた政策らしい。

 働いていると、手続きが必要な場所が開いている時間は自分も働いている。

 この制度が出来てから、勢いで結婚したり、貯金さえ目標額に到達すれば結婚する若いカップルが増えた。


 あの頃、毎日深夜まで働いていれば、貯金が早く増えると考えていた。

 だから、リカルドも理解して協力するのが当然だという甘えも、きっとあったんだと思う。

 勤め先から自宅までは街灯も多く、深夜でも若い女性が歩けるくらい治安がいい区域だと言われていたけれど、恋人が深夜に外を歩いているのは不安だろうし、毎日疲れた顔をしていた私を見れば、優しい彼は心配もしただろう。


「あの日、ミネアが何に巻き込まれていたのか、後から知った」


 商会関係者は、私の前の勤め先の代表が「貴族に犯罪行為をした」くらいは情報が回っていたみたいだけど、貴族の令嬢が婚約者以外の男に連れ去られていたことは、絶対に広めちゃならない醜聞だということで、私の謝礼金には口止め料も入っていた。

 だから、令嬢誘拐が発覚する切っ掛けとなったホテルでの騒ぎにも箝口令が敷かれたらしい。

 私が口止めで済んで口封じをされなかったのは、運が良かったのかもしれない。


「ミネアが浮気したかも、って頭に血が上って飛び出したけど、冷静になったら、そんな筈ないって思って、姉さんの伝手を頼って調べてもらって、何があったか知った。本当に、無事で良かった」


「ありがとう・・・」


 リカルドのお姉さんは、高位の冒険者で世界中を飛び回っている。

 偉い人や貴族とも繋がりがあると聞いたことがある。

 リカルドと同じ金色の瞳で、髪はリカルドの蜂蜜みたいな金髪に鮮やかな赤を混ぜた、燃えるような朱金。『溶岩の女王』の二つ名で、強力な炎の魔法と魔剣の双剣を使う妖艶でグラマラスな美女だ。

 確か、世界各地に、お姉さんを崇拝する『仔猫ちゃん』がたくさん居るらしい。


 何度か会ったことのあるお姉さんを思い出した後で、余計なことも思い出した。


「そう言えば、リカルドの方の浮気は?」


「してないよ!」


「色んな女性と買い物や食事のデートをしていたって」


「違っ・・・けど、僕が最低なことをしていたのは違わない」


 怯えるように、絶対放さない、と私の手を握りながら金色の目を伏せるリカルドに、「どういうこと?」と問えば、躊躇いながらポツポツと話してくれた。


 最低と言えば最低、と言うか、厳しい言い方をすれば「幼稚」だけど、私も一方的に責められない態度を取っていたな、と思った。


 商会長が代替わりして深夜帰宅が当たり前になっても、私はリカルドに相談もしなかったし、貯金を早く増やしたいからだという「無理する理由」も伝えていなかった。

 毎日遅く帰って、疲れた顔をして、一緒に食事を摂ることも無くなり、会話もほとんどせずに倒れるように寝るばかりで、それでも「頑張ってる自分は労られて当然」という傲慢さがあって、言い訳さえしなかった。


 リカルドは、私に構ってほしくて、目を向けてほしくて、わざと女性達と食事や買い物に同行し、目撃談が私の耳に入るようにしていたらしい。

 けれど、全然怒りもしないし「浮気」を問い質しもしない私は、リカルドに一切興味を持っていないように感じられたらしい。


 リカルドの浮気を問い質さなかったことに関しては、「釣り合わない」と言われ続けていた私に、諦めや不安があったことを伝えたら、金色の瞳に一瞬不穏な影が過ったけど、見間違いだと思う。

 お姉さんは不穏な金色を三日月型にして笑ってる表情が多いけど、リカルドの金色は、いつも柔らかくて暖かいのだ。


「その女性達とは本当に」


「何でも無いから!」


「食い気味だね。リカルドは何とも思ってなくても、リカルドみたいな美形とデートした女性は」


「絶っ対無いから!」


「また食い気味。何でそう言い切れるの?」


「あの人達は姉さんの忠実な下ぼ・・・ケホッ、友達で、僕に協力してくれただけ」


 今、「忠実な下僕」って言いかけたよね?

 お姉さんの『仔猫ちゃん』なのかな?

 確か、お姉さんの『仔猫ちゃん』には『溶岩の女王様の仔猫の会』の合言葉があったような?

 何だっけ。会員?仔猫ちゃん?同士が会ったらする決まった挨拶があった筈。

 ああ、思い出した。


「お強い御姐様こそ至高。軟弱ヘタレ野郎絶許」


「やめて⁉ 姉さんミネアまで毒牙にかけたの⁉ 待って、今から姉さんに毒盛って始末して来」


「待って‼」


 ずっと握っていた私の手を放り出して飛び出そうとしたリカルドの上着の裾を、どうにか間に合って掴む。

 危なかった。


「かかってないから! 仔猫の会の合言葉を思い出して口から出ちゃっただけだから!」


「て言うか何で合言葉知ってるの⁉」


「お姉さんが教えてくれたから」


「はぁ⁉ 何やってんの姉さん! ダメです教育に悪いから忘れなさいミネア良い子だから!」


 何故かノンブレスでおかん風に怒られた。

 それより気になったのは、


「お姉さん始末する方法、毒殺なんだ」


「正面から行ったら返り討ちでしょ」


「いや、そうだろうけど」


 向こうは世界的に有名な高位冒険者だし。

 あれ? そう言えば、リカルドは今まで何処に居たんだろう。

 この街では姿も見かけなかったし、住んでいたら、この目立つ見た目で、人の口に上らない訳は無いと思うんだけど。


「ねぇ、リカルド。今まで何処で何してたの?」


 出会ってから私と暮らしていた一年前までは、街の図書館で本の修繕士の仕事をしていた。


「姉さんの知り合いのところで勉強とか修行とか」


 『溶岩の女王』の知り合いのところで勉強と修行。

 詳細を聞いても大丈夫なものだろうか。


「・・・どういう?」


 迷いはそのまま、曖昧な問いかけになった。


「一言で言えば錬金術師になった。前の数十倍は稼いでるから、安心してお嫁さんになってね♡」


 え、錬金術師って、一年かそこらでなれるものなの?

 そもそも、平民が目指すなんて聞いたことも無いけど。


「お姉さんの知り合いって・・・?」


「三つ向こうの帝国の宮廷錬金術師」


 初っ端から空耳みたいな人物が登場した。


「どうして錬金術師になろうと思ったの?」


「姉さんに、ミネアを取り戻すにはどうしたらいいか相談したら、金と身分を作って攫いに行けって」


「うん、飛躍した。すっ飛ばした中身を教えて?」


「あの日、飛び出してすぐ、姉さんに家族限定の緊急連絡手段で連絡を取って、ミネアがホテルに行って夜中まで帰らなくて浮気を匂わす発言をしたって泣きついたら」


 何処から突っ込んでいいか分からないから黙って聞き続けよう。


「『諦めるのか』って訊かれたから『絶対嫌』って言ったら、『じゃあ金と身分を作って攫いに行け』ってなって、僕も姉さん程じゃないけど魔力が結構あるから、『根暗で器用なお前にピッタリの稼げる仕事を紹介してやる』って帝国に連れて行かれて、あとは勉強と修行」


「そうだったんだ・・・」


「で、その間に姉さんが、あの日ホテルで何があったのか、ミネアが前に勤めていた商会のこととか調べてくれて、僕の代わりにミネアを護ってくれていたん」


「え?」


 最後まで言わせず疑問の声が口から出た。


「あれ? 気が付かなかった? 姉さんが、ミネアを口封じしようとした隣国の貴族と()()はしたんだけど、万が一を考えて姉さんの手下ど・・・ケホッ、えぇと、後輩的お仲間が、見えないようにミネアとこの建物を護衛してたんだよ」


「・・・気付かなかった」


 何一つ。

 お貴族様の醜聞を知って、口封じされかかっていたことも、私自身も住む所も、ずっと護られていたことも。

 手下共って言いかけたのは聞かなかったことにしておく。


 私は、何一つ気付いていなかった。

 リカルドの私への気持ちが、軽くて簡単なものじゃなかったことも。

 私を諦めることも、忘れることも無かったことも。


 私はリカルドに、ものすごく愛されていたことも。


「ありがとう」


 一言に、まだ、どんな言葉を使えば表せるか選びきれない、たくさんの想いを込めて、リカルドに言った。


「うん。去年まで、情けなくてガキでごめん」


「私も、言葉が足りなくて、意地を張りすぎて・・・信じられなくて、ごめん」


 ふわり、と長い腕で胸に柔らかく抱き込まれた。


「許す。サインしてくれるよね?」


「はい。します」


 笑ってペンを受け取り、リカルドの名前の隣に私の名前を書く。


「じゃあ、一緒に出しに行こうか。聖人祭の当日は、家族と過ごすのが定番でしょ? 僕達は、恋人同士じゃなく家族になるから」


「うん」


 手をつないで、キラキラと聖人祭の飾りに彩られた街を歩いて婚姻届の提出に行く私は、まだ知らない。


 結婚指輪はリカルドが錬金術で作った、位置情報取得、盗聴、リカルド以外の男性に触れられたら相手に電撃攻撃、リカルドから5メートル以上離れられない、というとんでもなく執着心にまみれた機能の付いた代物だったことを。


 指輪の機能で離れられないのに部屋から飛び出す素振りを見せて、()()()私が引き止めてくれるか、試していたことを。

 もし、引き止めなかったら、「ちょっと暴走しちゃったかも」なんて考えていたことを。


 人畜無害な優しいリカルドは、一年前に捨てていたことを。

 今や、お腹が真っ黒な、見た目を有効活用する、あざとい鬼畜になっていることを。


 年が明ける頃には、私に「リカルドと釣り合わない」と嫌がらせをしに来ていた女性達が、いつの間にか街から見えなくなっていることを。


 そして、夫婦になって部屋に帰ったら、そのまま寝室に直行で、仕事始めの新年4日まで、一歩も外に出られないことも。


 私は、近いうちに思い知る。


 金貨一枚で、死ぬまで取れない金の首輪と鎖が付けられたのだということを。

 まぁ、それでも幸せだからいいけれど。





=Fin=


 実は死んでも取れない金の首輪と鎖だったり・・・。


 金貨一枚で聖人祭の自分用プレゼントを手に入れたリカルド君のお話でした。




【人物紹介】


[ミネア(21歳)]

 明るい茶色のふわふわしたセミロングに、緑色が混じった淡い茶色の瞳の、「並よりは美人かもしれないけどリカルドの隣は釣り合わない」と、リカルドに振られた女性達に言われるレベルの容姿(=嫌ってる同性からでも「ブス」と言い切れないくらい可愛い)の女性。


 それぞれ別の職場で働いていた平民の両親は、ミネアの成人を待って離婚し、既に別家庭を持っていて同じ街にいない。


 15歳で平民の基礎学校を卒業した後、「成人までは見習い」という慣習のため、就職した商会で雑用係となったが、売上を理由に成人後も正式な商会員の雇用契約をしてもらえず雑用係のままだった。(ブラック商会で先代にも騙されていたが、本人は気付いてない)


 18歳の時にリカルドから結婚を前提にした告白をされ、両親が街から出て一人暮らしのミネアを心配したリカルドから、結婚前提なんだから一緒に住もうと押し切られ、付き合い当初から同棲。


 色々気付いてない。




[リカルド(24歳)]

 ゆるく癖の入った蜂蜜のような豪奢な金髪に金色の瞳の、甘い顔立ちの美青年。


 両親は遠くの大陸から駆け落ちして出奔して来た元貴族で、引退した元高位冒険者。姉は現役の世界最高位冒険者の一人『溶岩の女王』。リカルドとリカルド姉のスペックが高いのは、両親が元貴族だから。リカルドも自分の血統を知っているが、ミネアに話す気は無い。逃げられたら大変!


 両親を教師にした家庭学習で、一般貴族以上の知識や教養は身に付いていたが、目立ちたくないリカルドは平民の基礎学校に入学、卒業。

 15歳で卒業後は、目立たぬ平民として暮らそうと、街の図書館に修繕士見習いとして就職し、18歳で正職員となった。


 16歳の見習いの頃、図書館に来ていた当時13歳の学生だったミネアに一目惚れ。以降五年間、告白するまで「見守り生活」の名のもとにミネアをストーキング。絶対にミネアに言う気は無い。

 21歳の時、同棲するための部屋を用意し、ストーキングで得た「ミネアの好み」の情報をフル活用して気に入られそうな部屋に整えてから、結婚を前提にミネアに告白。押し切って無事に部屋に連れ帰った。


 姉も両親も犯罪者紛いなリカルドの実態を知っているので、「ミネアを絶対に逃がすな」と協力してくれている。

 家族はミネアがリカルドを人畜無害だと思っていたことを知ったら、「人畜無害なリカルドとは何処のリカルドさんのことですか?」と真顔で聞き返すと思う。


 色々、気付かせる気は無い。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ