ハイスぺ男子と幼馴染たちのまるくない関係(と、おまけの佐々木くん)
『佐々木くんによるハイスペ男子の(恋の)観察』https://ncode.syosetu.com/n8782gt/の続きのようなお話。
※前作を読んでいなくても分かるように書いていますが、読んでいただけるとより分かりやすいかと思います。
井守 詩の頬には交通事故で負った傷がある。
超至近距離で見なければ分からないほど薄いが、それでも顔に傷があるというのは思春期の女子にとって小さい悩みではない。
通っている東高は名門校で、制服の着崩しには寛大なのに化粧は禁止されている。
毎朝鏡を見る度に憂鬱だった。
そんなある日、真面目な詩は、『禁止されてるけど校則無視だよ! いえ〜い』と言う友人の姫子に促され、翌日から思い切って化粧を施すことにした。
姫子曰く、可愛いは作るものであるらしい。
詩に可愛いを作るつもりはなかったけれど、結果的に傷を隠せたし、可愛くなった。
皆に褒めてもらい気分が上がる。化粧って凄い。可愛いって作れる!
そして心配していた教師達だが、詩の化粧を見逃してくれた。
さて、いきなりだが、その交通事故で詩は記憶を一部なくしている。
深刻そうで深刻でないのは、詩本人が全く、全然、ちっとも、困っていないからだ。
しかし、なくした記憶というのが、周囲の人間達(親しい親しくない関わらず)に大小問わない衝撃を与えるものだったのだ。
それは、ある人物への恋愛感情なのだけど、その人物というのが、なんとあのハイパーイケメン椋本 由直なのだ。
いや、ここまではまだ、理解できた。
キラキラしい幼馴染のことが好きだったことが皆にバレていたのか、とか。自分は面食いだったのか、くらいにしか思わなかったから。
でも、でも、聞いてびっくり。
詩は、由直のことを毎日追いかけ回していたそうなのだ。
中等部時代から四年以上も!
学年一。いや、学校一。いやいや、県内一。いやいやいや、もしかして全国レベルな、あの椋本 由直を、詩が、追いかけ回していた??? いやいやいやいや、待て待て。
冗談はやめたまえ。
え、本当に?
詩に、由直と話した記憶はない。
一度も染めたことのないという、艶やかな黒髪と、色気が限界突破した怜悧な瞳と口元にある二つの黒子を持つ彼の横を無関心で通り過ぎることのできる女(男も居るかも)は何人いるだろうか。
否。いるなら、その者は早急に眼鏡かコンタクトの購入を!
……まだある。
女子の憧れ第一条件の高身長(一八五センチ以上あるらしい)に加え、鍛えられた扇情的な腹筋を持つ彼は、なんと頭の出来も良かった。しかも、四ヵ国語を完璧に話せたりと、もう女子の夢という夢が詰まりに詰まって、詰まり過ぎて溢れている人物だ。
ちなみに生まれもいいとかで、豪邸に住んでいたりして、もしかしたら王子なのかもしれないという噂がある。
つまり、だ。
由直は高嶺も高嶺。
高嶺の頂点に咲く一級品の花なのである。
由直に比べたら詩は、そこらへんにあるペンペン草である。
だから、母の言葉を詩は理解できなかった。
「ナオくんに早く会いたいでしょう?」
「ナオくんって誰」
──この一言のせいで詩は散々な目に遭っている。
精密検査だ。
退院してしばらく経ったというのに、いまだに通院している。定期検診というやつなのだが、病院嫌いな詩にはこれが、本当に、本当に、辛い。
ごねて行きたくない詩を、とっても心配性で世話焼きな幼馴染兼親友の、柊 蒼司が文字通り、引き摺って病院に連れて行く。
「や〜だ〜! やだやだ! 行きたくないよぉ」
「詩、我が儘言わない」
「やだやだや〜だ〜! 蒼ちゃんのバカぁ」
「バカって言わない。もうあと二、三回で終わるから」
「……ほんと?」
「ごめん、嘘かも」
「わーん! 蒼ちゃんの嘘吐き〜!」
このやり取りのせいでクラスメイトに蒼司は『詩ちゃんのママ』などという不名誉なあだ名を付けられている。
「帰りにアイス買ってあげるから」
蒼司はいやいや期の幼児へ言っているのではない。
十七歳児に言っている。
「アイス」
「うん、一個だけね。ほら行くよ」
渋々、本当に渋い顔をした手を引き教室を出る。
「おーい! 詩ちゃん、蒼〜!」
一組の前を通りかかった時、二人の共通の友人である佐々木が声を掛けてきた。
「さ、佐々木くぅん」
「詩ちゃん。どうしたの、そんなぺっしょりした声出して」
「蒼ちゃんにドナドナされちゃうよ〜。ヘルプミー」
「なんて、可哀想な子牛ちゃんだ……っ! やいやい、子牛ちゃんを、どこに連れて行くつもりだ!」
ノリノリの佐々木に、詩がぱあっと笑顔になる。
「モーモー」
「病院行きたくないってごねてるんだよ、この子牛」
「え〜そうなん?」
「佐々木くん、子牛がヘルプしてるよ……」
「ヘルプしませ〜ん。病院には行かなきゃだめだよ子牛ちゃん」
「……かわいい子牛ぃ、売られてゆくよ〜」
「ドナドナドナド〜ナ〜」
「佐々木くんって音痴だね」
「む。詩ちゃんだって音痴じゃん」
「え!? 嘘……あたし、音痴……なの?」
「詩は上手だったよ。子牛の悲しい気持ちがとっても伝わってきた」
「蒼ちゃぁん!」
「へいへ〜い、納得いかないエコ贔屓するじゃん。俺のことも褒めなよ」
佐々木は中等部の頃からの友人だ。
確か詩の方が佐々木と仲良くなるのが早かったが、仲良くなったきっかけは思い出せない。
同じクラスになったこともないのに、どうしてだろう──
「──い、っ」
急に頭が痛くなってよろけた詩の手を蒼司が引いた。
「詩、どうした?」
「ぅあ、あれ? ……えと、佐々木くんと、仲良くなったきっかけ、何だっけって、考えて、そしたら……うう、頭痛い」
「詩ちゃん、それは──」
「詩、病院行くよ」
俯いて頭を押さえていた詩が「うん」と顔を上げたタイミングで、ぴしりと固まってしまった。
「詩?」
「詩ちゃん?」
心配する二人が、固まった詩の視線の先を追うと──由直が睨んでいた。詩を。
美形の凄んだ顔は怖い。
「ちっクソが」
「う、うわぁ……巻き込まれ事故だぁ」
乱暴な言葉を使わない蒼司が珍しく呟いた言葉に、今度は佐々木が固まり──そうなのを堪えて二人を引っ張って、由直の視線から外した。
詩は思った。
なくした記憶なんかいらない。戻らなくていい。
だって、怖過ぎやしないか? あの顔……。
あんな顔にさせてしまうほど、怒らせてしまった前の状態には戻りたくない。
記憶がなくなる前の詩は、由直を「ナオくん」などと呼び一日三回も告白したそうだ。由直が恋人と別れれば「付き合って」と迫ったりもしていたらしい。
詩が、蒼司に内緒で自分の行動をクラスメイト、他のクラスの友人、兄や両親に聞き回り知ったのは、自分の変態行為だった。
黒歴史だ。
それより、あの天下の椋本 由直様にどうして庶民代表みたいな詩が付き纏っていたのか分からない。いくら幼馴染とはいえ、住む世界が違うのだ。
ワンチャンあるかもなどと思ったのか、身の程を知らなかったのか?
少女漫画のヒロインじゃあるまいし、ド平均の詩がなぜそのポジションを狙っていたのか……。
ペンペン草のくせに、バカなの?
そりゃあ、かっこいいなとは思う。でも付き合いたいとかはない。畏れ多いキラキラは観賞用に限る。
だから! と詩は願う。
──もう近付いたりしないから……!
由直が詩を見つける度に、睨んでくるのをどうにかしてほしい。
「佐々木くん、ヘルプミー……」
「試練が人を大人にすると思わないかい、詩ちゃん」
佐々木に泣きついたが、神妙な顔で諭された。
何の試練?
睨まれること?
怖いから嫌だ。
佐々木が意味不明過ぎて詩の顔はスペースキャットになった。
佐々木はそれを見て大爆笑している。
酷い男だ、女子の顔を笑うなんて。詩は佐々木がタンスの角に小指をぶつける呪いをかけた。
「スペキャ詩ちゃん、えいっ」
「……佐々木くん、頬っぺたツンツンするのやめてくださぁい」
*
「病院、お疲れ。あー、今日ちょっと寒いからアイスやめて自販機であったかいの飲もっか。えっと、小銭小銭……」
「ママぁ、疲れたぁ」
「はいはい、よしよし」
「えへへ、あ、ココアある! 蒼ちゃんはコーヒーでしょ。これだよね? 押すよ? あ、もう押した〜。はい」
「あ、ココアのプルタブ開けるから、コーヒーまだ持ってて。……はい、開けた」
「ありがとう! う〜ん、ごぞうろっぷに染み渡るぅ」
「それ漢字で書ける?」
「……っ! ん?? ……か、書けるよ」
「五、臓、六、腑」
「あ」
「『腑』、書けなかったでしょ」
「えへへ」
「詩は漢字苦手だよね」
「……うん」
「漢字頑張ればテストの点上がるのに」
「覚えらんないんだもん」
「数学はびっくりするくらい出来るのに」
「えへ」
「また笑って誤魔化してる」
「……ねぇ……蒼ちゃん……」
「ん?」
「……あたし……わかんなくて。どうしよう」
「何、漢字の話?」
「……違う」
「どうした?」
「椋本くんが……いっつも、睨むのって……あたしのこと嫌いだからなの?」
*
「へえ。それで? なんて言ったの? 『そうだよ』とか言ったりした?」
佐々木が眉を八の字にして、仕方ないなあとでも言うように息を吐いた。
その仕草が、腹立たしい。佐々木のくせに。
「そんなこと言わない。『気にしないほうがいいよ』って」
蒼司の目が笑ってない。真顔がとても怖い。
「それってほぼ、肯定だよね?」
「肯定はしてないよ」
佐々木は由直の友人でもある。
中等部からずっと同じクラスで、好きなバンドが同じことから仲良くなった──この情報は蒼司が詩から得たものだ。
詩の求愛行動は学校では有名過ぎて、もはや日常だった。
毎日毎日飽きもせず、同じ学校に通えると分かった十三歳の春から、ずっと繰り返している「ナオくん、大好きだよ」を、佐々木は近くで見ていた。そのせいか、二人はすぐ仲良くなった。
佐々木は誰とでも仲良くなれるというか、誰にでも平等な典型的ないい奴だったので、詩を通して蒼司も知り合い、友人になった。
後に恋愛相談なるものをされ、アドバイスをするくらいには仲良くなった(そのアドバイスのおかげで美少女と名高い姫子とめでたく交際関係にある)。
「僕はお人好しじゃないから、自分のテリトリーにいない奴のことアシストするつもりはないんだよ」
蒼司は詩が好きだ。
詩以外の人間はきっと気付いている。もちろん、目の前で困った顔をしている佐々木も含めて。
「俺、由直とも友達だからさ、なんて言うかその……えーと」
首の後ろをぽりぽりとかく佐々木に、蒼司は鼻白む。
「佐々木は僕に恩があると思うけど、違う?」
「うっ。その節は、どうも……で、でもさ、こういうのは違うじゃん!」
「フェアじゃないって言ってる?」
「……あー、まあ」
由直は詩のことが気になりはじめた。
もしくはずっと好きだったか──だとしたら最悪だ。
気付くのが遅過ぎる。散々、詩を傷付けておいて。
あの男が、詩に何度待ちぼうけをくらわせたか、何度酷い言葉をかけたか、蒼司は知っている。
詩は傷付いた。泣いていた。
それを『勝手に傷付いた』なんて思う人間もいるが、そんなことよくも言えたなと思う。
「ごめん、蒼」
「……なんの謝罪?」
「由直に詩ちゃん睨むのやめるよう言えなくて」
「ああ、別にいいよ」
全然良くない。それと詩の頬をつつくのはやめろ。
「由直は詩ちゃんのこと好きだと思うんだ。あいつ、ほら、多分そういう気持ちに鈍いし」
「で?」
「……俺、三人の誰かを応援とかできないけど、見守ってるから!」
「は?」
何言ってんだ、こいつ。
蒼司は眉を顰めた。
「幼馴染の三角関係ってやつだろ? お前ら」
完全に面白がってる佐々木に蒼司は黒い笑顔を向けた。
「……ただの傍観者なら見逃すよ。佐々木はいい奴だし、ライバルじゃないし?」
「もしかして……自信満々? あの由直を相手に!?」
佐々木に協力なんてしてもらうつもりなんて蒼司には毛頭ない。
協力の必要なんてないからだ。
「自信か……。今ならあるかもね」
「……」
だってそうだろう?
──今、一番詩に近い異性は蒼司だ。
由直は後悔すればいい。
うんと後悔して、ずっとそこから詩を見ていればいい。
「やっぱり、男女の友情ってないんだな」
佐々木は、どうやって由直を慰めようか考えながら呟き、そんなものあってたまるか、と蒼司は思った。
【完】