+
こんな大金……まるで、手切れ金というか、ヨリトの養育費……というか……。当面の生活費の当面ってどれくらいなの?しばらくって……。
リュートさんまさか、このままどこかへ行ってしまうんじゃ……。
「賢者に会ってくる。賢者ならば、水車の作り方もわかるだろう。それから、他に何かいい知恵を教えてもらえるかもしれない」
それなら私も一緒に行きますと言おうとして、ヨリトに視線を落とす。
旅の途中、オムツはどうすればいいの?宿に泊まった時にまとめて洗って干すの?それで乾く?そもそも大量のおむつを持ち歩くだけでも大変なことだ。ミルクは?行く先々で運よくおっぱいがもらえればいいけど……。大人なら、2,3日食べなくたって何とかなる。だけど、乳児は、たった半日飲み食いしなかっただけで簡単に低血糖になってしまう。低血糖をなめてはいけない。即入院、命にかかわることもある。
そんな危険を冒してヨリトを旅に突き合わせるわけにいかない。
「大丈夫だ。普通なら往復で2か月はかかるだろうが、俺の足なら1か月もあれば往復できる。1か月……待っていてくれるか?水車の作り方を必ず教えてもらってくるから」
頷くしかない。
大丈夫。この街の人たちはいい人ばかりだもの。アンナさんにマチルダさんにハルヤさん……。
ぽろっと涙が落ちる。
ああ、もう、涙腺弱いな。こんなに涙腺弱かった覚えはないのに。
「気を付けて……」
大丈夫だって思っても、でも、リュートさんと1か月離れるのが辛い。異世界の生活が不安で。
リュートさんといると、同じ黒髪で黒目だからなのか妙に落ち着いて……ううん、違う。そうじゃない。好きな人と離れたくない、それだけ。
「善は急げだな、今から出発するよ。1日も早く何とかしたいからな」
リュートさんが立ち上がる。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる……。
ちょうど、空はそんな感じだ。
「春はあけぼの……」
リュートさんが空を見てふとつぶやいた。
「え?今、なんて?」
「いいや、何でもない。じゃぁ、行ってくる。ヨリト、頼子の言うことよく聞いていいこにしてるんだぞ」
リュートさんの大きな手がヨリトの頭をなでる。
その手に向けてそっと魔法をかける。
「祝福を……」
リュートさんに降りかかる病や怪我は、あの牢屋で見た殺人者に飛んでいけ。
「頼子……」
リュートさんの目が私に向いた。
迷わず、両目を閉じた。
リュートさんの体が近づくのを肌で感じる。
抱きしめて欲しい。キスして欲しい。
「だー」
ぺちぺちと、ヨリトが何かをたたく音に目を開く。
目前20センチほどの距離にリュートさんの顔があった。
「す、すまない、あ、いや……えーっと」
リュートさんはヨリトに頬っぺたをペチペチされながら顔を真っ赤にしている。
つられて、私の顔も赤くなる。
◆
「じゃぁ」
リュートさんが出て行った。
「だー、だ」
「あ、ははは……」
何してるんだろうね、私たち……。
ポカポカと火照る頬。
私たち……は違うか。何してるんだろうは”私”か。いい年して、旅先のアバンチュールじゃないんだから……。
リュートさんが賢者に会って水車の作り方を教えてもらっている間……。
まずはおむつ作りだ。
ヨリトと朝食を済ませる。
「旦那はどうしたんだ?」
宿のご主人に尋ねられる。旦那ってやっぱりリュートさんのことですよね。
「しばらく、仕事で王都を離れるんです。えっと、1か月くらいその……ここで待ちたいので、泊めていただいてもいいですか?」
「ああ、それはもちろん構わないよ。アンナも話し相手も出来て助かるよ。ずっと部屋に子供とこもりっきりだったころよりずいぶん表情が明るくなって」
うん。分かります。
育児の話ができる相手がいるかいないかって大事ですよね。もちろん、こうしたほうがいいああしたほうがいいっていう上から指導タイプの人はいない方がいいですけど。わかるー、そうだよね、なんかうちはこうしてるよーって話せる人は大事。と、赤ちゃん交流会に妹といった時に思いました。
「おはようございます」
昨日と同じ兵に軽く会釈をして孤児院へ向かう。
孤児院の門で、紐を引っ張るのを一瞬ためらう。
また、あの子たちを見なければいけない。子供たちのあの……飢えた体を見るのは辛いものがある。心の奥が痛くて仕方がない。
だけど、そんなことは言ってられない。
紐を引っ張れば昨日と同じように奥で鈴の音が聞こえ、しばらくして子供が一人出てきて、院長室に案内される。
「今日は一人ですね。気が変わったのでしょうか」
ヨリトを見る。
「今日伺ったのは、こちらにいる子供たちの件です。お金を寄付し続けることはできないけれど、子供たちにはもっと食事をとらせてあげたい。それで」
50代の女性。
子供たちほどではないけれど、ずいぶん細身の院長が立ち上がる。
「余計なことはしないでちょうだい」
憎しみのこもった目を向けられる。
「話を聞いてください。一時的に食事を得られるというような話じゃなくて」
「帰ってください!」
院長が、立ち上がり私の背中を押し、部屋から出そうとする。
「あの子たちは、大人になれば幸せになれるんですっ」
院長の声が震えている。
「それはもちろん、院長先生たち、孤児院の方々が子供たちに愛情を持って接してくださっているのは分かります、子供たちが十分な食事をとれないことを責めているわけではなくて」
私の言い方が悪かったのだろうか。
怒らせてしまった。
今までのやり方が間違っていると批判するつもり何て一切ないのに。
ただ、協力したいだけなのに。




