+
出会って2日目で、尻の軽い女だと思われるかもしれないし、平凡な三十路女子だけど……リュートさんが好き。
嬉しくて、今にも飛びつきそうな気持ちで心臓がうるさい。
でも、だけど……。
「すぐにでなくてもいい。その、考えてほしいんだ。俺と一緒にヨリトを育てるっていう道もあるってことを……」
返事を返さない私の気持ちをどう思ったのか、リュートさんが差し出した手をひっこめようとした。
思わず、手を伸ばしてぎゅっと握る。
あ、ああ!
しまった!
「頼子?」
「約束してくださいっ!」
「約束?」
「私がいなくなった後、ヨリトをちゃんと育ててくれるって。私がいなくなった後、誰かと恋をして結婚して幸せになるって」
リュートさんが驚いた顔をしている。
そりゃそうだよね。プロポーズした相手からの返事としては誰かと結婚して幸せになってなんて……。
「それは、えっと、ごめんなさいってこと……だ、よな?」
あ、そうか。確かに別の人と結婚して幸せになってなんて、私はあなたを受け入れられませんって意味だ。
首を横に振る。
ダメ、思ってることと、行動がちぐはぐだ、私。
好きだもん。
だって、やだ、好きだから……。離れたくないって思っちゃったんだもん。
「私、3年しかいられないかもしれない……だから、私……一生一緒にいてあげられない……それでもいいなら……」
3年も一緒にいたら、私の方が離れられなくなってしまうかもしれない。日本に帰りたいなんて気持ち、どっかに行っちゃうかもしれない。だから、誰かと親しくするつもりなんてこれっぽっちもなかったのに。
「3年……?もしかして、不治の病……を?」
「それでもいいなら、一緒にヨリトを……」
ぎゅっとリュートさんの手を強く握る。
「あ、うん、そっちだよね。は、はい。3年その、一緒にヨリトを育てましょう」
そっち?
リュートさんが頭をぽりぽりとかいた。
「3年の間に好きになってもらえれば最高なんだけど」
いや、え?
あれ?
私もリュートさんのこと、好きなんだけど、伝わってない?
伝わってないよね?え?これ、どうしたら?今からでも好きですっていうべき?
いやむしろ、3年後に別れが待ってるのに深い関係にはならないままのが無難?
いや、まぁいいや。とりあえず、まだ一緒にいられるんだから。その間に、距離を詰めるか詰めないか……考えよう。
ドアをくぐると、外に出るときに私を睨み付けていた兵が、ヨリトを見て笑った。
「ありがとう」
と、小さな声が聞こえる。
「僕たちは孤児院出身なんです。思いとどまってくれてありがとうございます」
もう一人の兵が頭を下げた。
孤児院出身……。
「ねぇ、あそこにいるときに、お腹がすいて苦しくなかったの?」
ふと気になったことを尋ねた。
「みんな一緒でしたから。それに、大人になるまでの辛抱だからと……」
辛抱……やはり辛いんだ……。
◆
「土地があるから、そこで畑を作ったりはしないの?」
運動場のような場所があった。塀で囲まれた外側にも土地がある。
「川が増水したらすぐに流されてしまうんですよ」
そういわれれば、土地はあったけれど雑草がほとんどなかった。土がしょっちゅう流されて作物を育てるのに向いていない痩せた土地なのかもしれない。
「その……出身者は、あなたたちみたいにちゃんと仕事をするようになるんでしょう?寄付とか……」
何人いるのかはわからないけれど、相当な人数がいるはずだ。それなりに給料をもらえる仕事に皆がついているなら少しずつお金を出し合えば、お腹いっぱいとまではいかなくても、もう少し栄養状態が改善できるようになるのではないだろうか。
兵が頭を横に振る。
「院長先生に禁止されているんです。食べ物は、一度味を覚えると飢えがひどくなるからと。寄付をするなら、紙やインクや本、それから訓練用の剣や弓、そして大人になって孤児院を出た時に着る服と、就職して生活が安定するまでの手助けをと……」
そうか……。
食べるものだけが支援じゃないものね。
宿に戻り、目の前のことをこなしている間も、頭に浮かぶのは、やせ細った子供たちの姿。
日本で子供たちの貧困が問題になることはあっても、あれほど痩せた子供の姿を見ることなどなかった。
いいや、むしろ、日本の貧困問題は、衣食住を何とかしてあげようという方向に向いていて、大人になったときに困らない知識や技術を与えようというところまで行っていないように思う。子供食堂で食べさせるのではなく、子供食堂で料理を教える、将来料理人になれるくらいに……とはしない。食べさせて終わりだ。そう考えると、あの孤児院は、日本よりも進んでいるのかもしれない。
……なんて自分を納得させようと思っても……思っても。
無理だよ。
無理だよ。目に焼き付いて離れない。なんでどうして。
子供たちが飢えに苦しまなくちゃいけないの?いやだ、無理だ。忘れるなんてできない。
ぷくぷくとかわいいヨリトのほっぺ。柔らかなヨリトの体。
「ああああーーっ」
「頼子、頼子っ!」
はっ。
リュートさんの声で目が覚める。
「大丈夫か?ひどくうなされていたが……」
気がつけば、汗でびっしょりだ。
「怖い……」
怖い夢を見た。
「大丈夫だ。何も怖くない」
リュートさんが私の背中をさする。
「怖い、怖い……」
ヨリトがみるみると痩せていき、そして、呼吸が浅くなり、止まる夢を見た。
大きな声でお腹がすいたと泣き出したヨリト。食べるものがなく、みるみる痩せていき……泣き声が次第に小さくなり、そして、泣くことすらできなくなったヨリト。
ぽろぽろと涙が落ちる。
いやだ。
怖い。
怖い。




