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「ほぎゃー、ほぎゃー」
腕の中のヨリトはまだ泣いている。
おなかがすいているんだろう。口に何かを入れるまで泣き続けるかもしれない。
「なんだよ、金なら払っただろう、そのうるせーの近づけるんじゃねー、くそっ」
「あなたはきっと、赤ちゃんを悪く言うので、赤ちゃんの呪いがかかっているんでしょう。だから、赤ちゃんの泣き声を聞くたびにどこかが痛むのでは?」
スカートの中に隠れて、右足を左足で踏む。病傷転移魔法発動。相手はあの男。とんでけー。
「ほら、今左足が痛いんじゃありませんか?そこに呪いの影が」
男がはっとして左足を見る。
「あら、呪いの影が頭に移動したようですね」
ヨリトが髪の毛を引っ張るので痛いっの、男に飛んでけ。あ、男はそこらへん剥げてますよ。剥げてるのに髪の毛を引っ張られたような痛みを感じるのって、不気味かもしれませんねぇ。
「うっ、うわぁーっ」
必死で頭の周辺を手で振り払う。
呪いの影なんて嘘ですよ。
「ああ、影が濃くなってきたみたいですよ、目の方に移動したみたいです。気を付けて」
ヨリトが私の目に手を伸ばして暴れ始めた。
いつもなら避けるんですが、えーい。ぶすり。流石に目はつむりました。ですが、瞼の上から突かれても痛いですよねぇ。
「うっ」
男が目を手で押さえた。
「ああ、影が次第に濃くなってきているみたいですけれど……。赤ちゃんの泣き声を聞くたびにいろいろな箇所に痛みを覚え、しまいには命にかかわる危険も」
男が床に両膝をついた。
「うわー、どうしたらいいんだっ、死にたくない、死にたくないっ」
「赤ちゃんが泣く場所には近づかないようにすることですね」
もう、ここには来るな!作戦ですよ。
「そんな、どうしたらいいんだ、近づくなと言っても、隣の家からは始終聞こえてくるというのに……」
そうだったんですね。それはさすがに、飲み食いするときくらい静かな場所でと望んでも仕方がないかもしれないです……が、それと無銭飲食は話が別です! それに、母親はその泣き声から24時間逃げられないんですよ。どうして、その母親を責めるような言葉を吐くのか。
「うるせー、黙らせろ!と、思っていませんか?でも、赤ちゃんは泣くのが仕事ですし、赤ちゃんは生きるために泣きます。あなたが死にそうなときに助けてくれというのと同じです。助けを呼ぶなと言っているようなもの。つまり、赤ちゃんに死ねといっているのと同義なのですよ?だから、呪われて当然なのです。呪いをときたければ……泣いている赤ちゃんの声を、生きるために頑張っているなと応援してあげてください。そして、うるせー黙れという人間に、伝えてください。うるさいのはお前の方だと。赤ちゃんは黙れませんが、大人なら黙れますよね?それとも、赤ちゃんと同じで、コントロールできませんか?……と」
うーん。ちと嫌味が入ったかな。
反省反省。
◆
この男の人も、四六時中赤ちゃんの泣き声を聞いて睡眠不足だったのかもしれないし、酒が入って日頃のうっぷんが噴出しちゃっただけかもしれないし。
えーっと、ごそごそとポケットの中をあさる。
あったあった。
男の人の耳にすぽっと「即席耳栓」をさす。
「な、何をするっ!」
「耳栓です。これを耳に入れれば、周りの音が小さく聞こえると思います。夜、寝るときなど、隣の家の赤ちゃんの声が気になるようなら耳栓をすればいいんですよ」
と、もう片方の耳栓は手渡す。
男が、手渡された耳栓を自分の耳にはめた。
「ああ、本当だ。音が小さい……」
男が頭を下げた。
「すまない……」
床に投げ捨てたお金を拾い、ご主人に手渡した。それから、テーブルの上にそのままにしてあった空の器を、カウンターまで運んで片付ける。
別のテーブルの客が、そんな男の背中をトントンとたたく。
「呪いが消えるといいなぁ」
「そうだ。自分の子供ができりゃ、呪いなんて言ってられねぇぞ」
「そうそう、すぐ馴れるさ。むしろ、子供がでっかくなりゃ、泣き声が懐かしくなるさ」
「おー、うちのガキはもっとうるさかったぞ」
「なぁ、その耳栓ちょっと貸してくんねぇか?うち、今度3人目が生まれるんだ」
3人目が!めでたい。
「おお、こりゃいいな。これしてれば泣いても起きないで済みそうだ」
……まぁ、仕事に支障が出るなら仕方ないですけど。父親が耳栓……なんだかいやだなぁ。
「耳栓をつかえば、かぁちゃんもゆっくり寝れるかな。おう、その時はもらい乳させてくんねぇか?」
あ、耳栓を使うのは、奥さんの方なんだ……。
そうか。奥さんにゆっくり寝てほしくて……。そうだよね。時々まとめて睡眠がとれるだけでもずいぶん楽になるよね。
いい人だ。
「ごめんなさい、私もアンナさんに頼っている立場で」
「なんでぇ、お前んとこ3人目か!うちは2人目がもうすぐ1歳だ。うちにくりゃいい」
と、他のお客たち和気あいあいと子供の話を始める。
そうか。
……。赤ちゃんの泣き声がしていても平気なお客さんたちが来ているってことなんだ。だから、ここのお客さんは皆温かい。
カウンターに注文の品を取りにいき、空いた皿を片付けるなんてセルフサービスだって、素直に受け入れて……。
双子かぁ、そりゃ大変だと、笑って協力してくれる。
ヨリトは夜中に2回起きた。
1回目は、運よく階下からも泣き声が聞こえていたので、もらい乳しにお邪魔することにした。
代わりに、一人授している定間に、おむつを替えたり、抱っこしてあやしたりとお手伝いをさせてもらった。それから、少しおしゃべりしながら。
「私の妹も双子ちゃんを生んだのよ。それで、ずいぶん手伝ったから」
「なんだか私よりも双子の扱いに慣れてるように感じたのはそれなんだ。両腕に抱っこはなかなか怖くてできなくて」
「そうね、まだ首が座ったばかりだよね。横抱きのときは二人一緒は無理だから……すぐに慣れるし、すぐにたくましくなるわよ」
「早く、たくましくなりたい……。主人にも申し訳なくて……」




