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後編

 



「みーちゃん?みーちゃんだろ?」



 16時に店を閉めて、ぶらぶらとすすきのへと赴いた。

 まだ火おこしをしている出店が殆どで、歩行者天国の人垣もまだまばらだった。

 ドリンク販売を始めている店を探して路地中を行くと、眺めたメニュー札の奥から声がかかった。

 屋号を見ると『Bar Dawn』。

 わたしは声の主へと顔を向けた。



「カズヒトから聞いてたよ、来るかもしんねぇって。

 うわー、嬉しいな、これ。

 みーちゃんに来てもらえた」



 親し気に話しかけてくる男性はまさに鉄板に火を入れている最中だった。

 見知らぬ人でわたしは戸惑い、どう返事をするべきか考えあぐねて首を傾げる。

「ああ、ごめん。

 昔、カズヒトと『つくしや』に通い詰めてた野郎のひとり。

 あの頃、カレー300円だったろ?金のない俺らにとっちゃ、天国みたいな場所だった」

 リーマン・ショック前の、不景気ながらもゆったりとした時代だった。

 笑うとえくぼがはっきりと出て、とても親しみやすい男性に、わたしは「ごめんなさい、わたし、憶えていなくて」と返した。

「そりゃー憶えてないでしょう。

 カラス族だったから、俺たち。

 皆おんなじ格好して、髪形も似せてた。

 憶えられるわけねーって」

 声を上げて笑う男性に言われて、確かに当時ススキノの風物詩だった黒服の男性たちがよく来店していたことを思い出した。

 皆一様にどこか虚ろに見えてしまって、わたしは変わらずに笑うことしかできなかったけれど、無言で食べて無言で去っていく背中に、「ありがとうございました!」と励ますような気持ちを乗せて言ったものだった。



「よし、火入った。

 みーちゃん、なに食べる?俺のおごりだから何でも頼んで」

「いえ、そんな!オーナーさんからチケットをいただいています。

 それ使ってもいいですか?」

「なんだよカズヒト、自分だけイイカッコしやがって。

 わかったよ、ドリンクは一枚ね。

 何がいい?つぶ焼こうか?」

「はいお願いします、ありがとうございます」



 プラカップの生ビールをもらって、わたしは近くの長テーブルに着いた。

 まだ日は沈んでいなくて、こんな明るい時間から飲めてしまうススキノという街に同化した気分だ。

 色とりどりの浴衣の女性たちが、結い上げた髪に少しはにかんだ微笑みを浮かべて歩いている。

 次第に人通りは増えて、道路に几帳面に並べられた沢山のテーブルにもちらほらとビール片手のお客さんが見える。

 わたしもその内のひとりなのだと思うと少し笑えて、ぐいとカップを傾けた。



「みーちゃん、いける口なの?」

 器用につぶと焼きそばの紙皿を片手に持ち、もう一方の手にはビールを持って、先ほどの男性がわたしの隣に座った。

「カズヒト呼んだんだけど、なんかごちゃごちゃ言って来ねーみたいだ。

 何を恥ずかしがってんだろうね、いいおっさんが」

「わたし、チケットのお礼を言えてなくて……」

「あー、いーのいーの、どーせなんかカッコつけやらかしたんでしょ、わかる。

 飲もうや、とりあえず」

「お店はいいんですか?」

「若いのに任せた。

 みーちゃんのが大事」



 笑いながらビールを煽って、「俺エイジ、今更なんだけど、よろしく」と彼は言った。



「なんでカズヒトがみーちゃんとこ行ったか、わかる?」



 わたしは首を振り「いいえ」と答えた。

 昔の馴染みの店の店員、わたしはそれだけの人間だ。



「『つくしや』はさ、ホント、いいとこだった」



 どこか遠くをじっと見つめ、エイジさんはぽつりと言う。



「マスターもママさんも、俺らみたいのを嫌がらずにさ。

 カレーだけ食ってく嫌われもんのカラスなんて、ホントは嫌だったかもしれねーけど。

 それにみーちゃんがさ、いっつも笑ってくれた。

 俺たち、ホントそれに救われてた。

 だから皆で、みーちゃんだけは引かねえぞ、って約束してたんだよ」



 今になって明かされた事実に驚く。

 だからなのか、わたしはカラス族の勧誘に遭ったことがなかった。

 何度か声をかけられたことはあったのだけれど、わたしの顔を見たら慌てて去って行くので、そんなにわたしは魅力がないのかと当時本当に落ち込んだものだった。



「ススキノ条例できたから、カラスやめてさ。

 別に好きでやってた仕事でもないし。

 琴似とか北24条に流れてカラス続ける奴もいた。

 すぐまた禁止になったけど。

 あいつら今どうしてるんだろうな。

 ろくなことになってない気がするけど、下手すりゃ俺たちもそうなってただろうな。

 次の日のこととか考えてなかった。

 ただ流されて生きてただけだから」



 それはわたしも一緒です。

 言おうとしたけれど言えなかった。



「俺らバカで、みーちゃんみたいに夢もなかった。

 でもいーよなって話してて。

 俺らも店持ちたいよな、て、カズヒトが言い出したの。

 だから今あいつがオーナーなんだけど」



 泡の消えたビールに目を落として、思い出したように笑うエイジさんの言葉に、「そんな立派なものじゃなかったんです」とわたしは自嘲した。



「他になにかやりたいことがなかった。

 でも、お仕事は楽しくて。

 あの年のすすきの祭りで、いろんな方にお会いして、やっと初めて本気で言えたんです、お店を持つのが夢って」


「立派じゃん、そう思って、叶えたんだろ?」


「でも、ずっとそうしようと思って生きてきたわけじゃない。

 たまたまお店を持つことになって、たまたま『あの時』の夢が実現したように見えるだけです。

 わたしがやってきたことは、あの時のわたしが願っていたことじゃない」


「……ホントかわんねーなあ、みーちゃん」



 にやり、と笑んで、「二杯目、何にする?ビールでいい?」と言われ、「はい、お願いします」とわたしは食券をちぎった。

 わたしにカップを渡しつつもう一度座り、エイジさんはわたしに向き直る。



「みーちゃんのカフェ、俺も一度行ったよ、あいつと一緒に。

 あいつが見つけてきたんだけど、オシャレカフェとか、俺らみたいなおっさんが入るのハードル高いし。

 もう一人、ヒロトっていうのがいるんだけど、そいつと3人で行ったの。

 窓の方の、テーブル席に座った。

 感動したよ、なんかさ。

 ああ、みーちゃん、変わんねえなって。

 にこにこしてて、一生懸命で。

 バカだよなー、男3人、でかい図体で、ただアイスコーヒーすすって金払って、出てきた。

『みーちゃん変わんなかったな』って、店出てから話して、なにしに行ったんだろうな。

 ほんとバカ。

 でもさー、行ってよかった。

 そういう所、ホントそのまんまで、嬉しかった」



「食べようよ」と差し出された割りばしを受け取る。

 十代の頃と変わらないと言われて、喜べるほど若くもない。

「少しは大人になったつもりです」とつぶをつつきながら言うと、「違いねぇ、イイ女になった」と返され、きっとわたしは酒によらずに赤面した。



「たぶんみーちゃんは知らないけど。

 すすきの祭りの前かな、後かな?どっちか。

 俺たちでろんでろんに酔っぱらってさ、朝方、ここらへん歩いてたの。

 ヒロトなんか排水溝にリバースしまくるし。

 そんでさ、つくしやの近く通ったのよ。

 びっくりしたよ、みーちゃんが、あんな朝から仕事してんの。

 ごみを外に出してたんかな、そこらへん掃いたりして。

 俺らにとってはさ、朝なんて夜なの。

 仕事するような時間じゃない。

 でもさ、みーちゃん、誰が見てるわけでもないのに、いや、俺ら見てたけど、一生懸命仕事してたの。

 そんでさ、めっちゃ、空が赤いわけよ。

 すんごく、綺麗なわけ。

 びっくりしてさ。

 空が綺麗なんて、ずっと思ったこともなかった。

 でもさ、そん時みんなおんなじこと思って。

 カズヒトが『空、綺麗だな』て言って、ヒロトがしまいにゃ泣き出して。

 あの朝、空が赤かった。

 それに気付かせてくれたの、みーちゃんなんだよ」



 驚いてわたしは何も言えなかった。

 朝の仕込みの時のことだ。

 昼のパートタイムの方と当番制で早朝の仕込みをしていた。

 前日は22時まで働いて、どんくさい自覚のあるわたしは仕込み当番時はかなり早くから店に来ていた。

 今思えば若かったからできていた芸当だ、と本当に感じる。



「みーちゃんは、きっとそうやって一生懸命にこれまでやってきたんだろう。

 自分の思い通りにいかないことだって、そりゃ沢山あるだろうさ。

 でもさ、それでいいじゃん。

 俺たちは、なんでも一生懸命なみーちゃんに、すっげー、励まされてたんだよ。

 そしてそれが全てだ」



 泣きそうになって奥歯を噛む。



「それからみんな、みーちゃんが呆れるぞって言って、バカみたいに働いたよ。

 やっぱりバカだからときどきはめ外して。

 正直夢とかはよくわからんくて、でも、みーちゃんがやりたいって思ったこと、俺らもやってみてえなって。

 最初の店は潰しちまった。

 でも楽しかったんだよ。

 もう一回やるかってなるまでに、時間かからなかった。

 今6年目。

 よくやってる方だろ?」



 わたしは深く頷いた。

 すすきの祭りで出店できることが何よりの証拠だ。



「みーちゃんは、俺らの恩人なの。

 だから、見て欲しかったんだ、俺ら、頑張ったぞって」



 照れたようにエイジさんは「ガキみてえだな」と笑った。

 その笑顔につられて、わたしも笑った。





 太鼓の演奏が始まった。

 すすきの祭りの始まりだ。


 一生懸命だった、あの夏のわたしに言えたらいい。

 あなたの願う通りにはならないけれど、そこまで悲観するほどの将来ではないよ、と。

 あなたが見たかったものだけを見て、あなたが願ったことだけを行えたわけではなかったけれど。

 それでもわたしは今、わたしの足で()っている。


 それを肯定できるように、これからも歩いていければいい。








 つぶ焼きは甘くて、普段飲まない銘柄のビールは、美味しかった。






カラス族:地下街を中心に、性風俗店での勤務やアダルトビデオなどへの出演を勧誘している。黒い服を着て、何人かで固まっていることが多いため、カラス族と呼ばれるようになった。


ススキノ条例:札幌市公衆に著しく迷惑をかける風俗営業等に係る勧誘行為等の防止に関する条例


https://www.city.sapporo.jp/shimin/chiiki-bohan/kanrakugai/ordinance/index.html





読んでくださりありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 地元の同級生が一生懸命あれやこれやをやってるのを思い出して、じーんときました 僕もまだまだ頑張れそうです
[一言] エッセイ「なまこが紹介する、『お気に入り短編集』」の紹介でお邪魔しました(様式美)。 何度読んでも世界観というか、空気感が素晴らしい小説ですね! 個人的には、舞台が北海道なのがよかったんだと…
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