4.夢、そして現実
久しぶりに夢を見た。普段の僕は夢を覚えていないから、実際には見ているのかもしれない。それに昨晩は父の夢を見たことがなによりも嬉しかった。
さて、今日は大学の講義がある。僕は浮き足立って支度を始めた。
「行ってきま〜す」
今までは無気力だったけど、何故か生き生きしている気がする。
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大学に着くと、さっそく誰かに呼び止められてしまった。
「あ、伊藤君?」
確か、先日の飲み会にいた女子たちだ。名前も分からない。今頃何の用事だろうか。
「どうしたの?」
僕は面倒なので、適当に返事を返す。
(早く〜、言っちゃいなよ)
また、取り巻きが余計なアドバイスを送っている。言いたい事は自分で言えばと思ったが口には出さなかった。
「今度・・・みんなでランチでも・・・どうですか?」
この女の子にとっては精一杯の告白であろうことが分かる。
「ごめん、ランチなら別の人を誘って行ってくれ」
「わっ、わかりました。ゴメンね」
さらに、別の女の子が近づいて来た。
「ねぇ、君。ちょっと今の態度はなぁに?ランチくらい行ってあげれば良いんじゃないかしら。少しくらい女子にモテるからって調子づいてるのではなくて?」
言い掛かりであったが、面倒になる前にこの場を去ることにした。
「別に調子づいてない。僕に用はないから失礼するよ」
「ちょっと、待ちなさいよ」
待てと言われて待つ人はいない。
「悪いけど、もう僕に話しかけないでくれ」
この状況を見ていた人たちが大げさに騒ぎ立てたので、校内はすぐに良からぬ噂でもちきりとなった。
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「お〜い、やっと見つけた。聞いたぞ、お前、何した?」
雅樹が血相を変えて近づいて来た。
「何も?はっきり言っておくが僕は無関係だ。あの女がいきなり喧嘩を売って来たから『話しかけるな』って言った」
「ヤバい、ヤバいよ。お前は知らなかったんだろうけど、関係なくないんだって。良いか?梨紗ちゃんはな、世界的に有名な音楽家夫妻の一人娘でな、この大学だって、梨紗ちゃんのおじいさんが理事長なんだよ。梨紗ちゃんを敵に回したら、大学はおろか、音楽業界では生きていけね〜んだよ」
雅樹は力説してくれた。
「また大げさな。そんなマンガみたいな話、ある訳ないだろ!?」
「お前、もう大学、卒業できないかも・・」
「なぜ?」
「前にも居たんだよ。梨紗ちゃんにしつこくした男が、大学を除籍されたって話が」
「そ、それはまずい・・・でも僕は付き纏われてるんだけど」
「違うんだって。梨紗ちゃんの気分しだいなんだよ。あの子、わがまま放題に育ったからな。お前も気をつけたほうが良いぞ!」
「そうだな・・・って、もう遅いよ!」
それにしても困ったものだ。あの女にそんな芸当が出来たとは思わなかった。考えても仕方ない、これからは穏便に済ませる事にした。
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(もし、大学を卒業できなかったら・・・)
ふと昼間の出来事から、最悪の想像をしてしまった。そんな嫌な事を忘れるために僕はベッドに入った。
(夢を見ていた)
小学生くらいの女の子がいる。その少女はポケットから鍵を取り出すと古びたアパートのドアを開けた。部屋の中は狭く、キッチンには洗われていない食器が散乱している。ちゃぶ台には少しの食事と、やりかけの宿題ノートが開いている。部屋には誰もいないようだ。
少女が登校している。周りにいる少年たちはしきりに暴言を吐いているが、少女は構わず歩いている。
飼育小屋が見える。そこにはウサギがいて少女は何か話しかけているようだ。そこに女子生徒たちが現れ少女を突き飛ばした。
クリスマスツリーが見える。母親らしき女性が少女にプレゼントを渡している。それを嬉しそうに開けると、赤いリボンとオカリナが入っていた。少女は赤いリボンを髪に結ぶと、にこやかな笑顔で母に見せた。オカリナを吹く少女を見て母は笑顔になった。
給食の時間だろうか、赤いリボンの少女は教室にいないようだ。男子生徒が『貧乏だから給食も食べられない』と騒ぐのが聞こえた。
一人の少年がパンと牛乳を持って教室を出ていく。飼育小屋の前で赤いリボンの少女にそのパンと牛乳を渡している。
下校時刻だろうか、赤いリボンの少女は女子生徒の一人にそのリボンを取られてしまった。男子生徒が来てそのリボンを投げられてしまった。女子生徒たちは笑いながら男子生徒に何かを言っている。
リボンを投げられてしまった少女は開きかけのランドセルを背負いながら歩いている。衣服は汚れ、手足には傷が出来ている。ある家のまえでその少女は立ち止まった。ピアノが流れている。少女はどうやらその曲を聴いているようだ。涙を流し、その場に立ち尽くしている。
ピアノを弾く少年がいる。曲はベートーヴェンの悲愴だった。拙いまでも丁寧に弾いている。リボンを投げられてしまった少女は、物陰からその曲をこっそりと聴いている。
少女は母にピアノが好きなことや綺麗な曲を聴いたことを嬉しそうに話しかけている。
飼育小屋のウサギが死んでしまったようだ。少女は涙を流して泣いている。そこに女子生徒たちが現れ、給食の残りを投げつけている。
少年が雑貨店に入っていった。色とりどりのリボンを見ながら、赤いリボンを買っている。リボンを投げられてしまった少女がピアノが流れている家の前に着くと、少年は飛び出して行き、先ほど買ったリボンを少女の髪に結んでいる。赤いリボンを結んだ少女はとても優しい笑顔だった。少年はその姿を見て『可愛いね』と言っている。
少年が赤いリボンの少女を家に招待している。リビングのピアノの前で少女はピアノを聴いているようだ。少年の母親らしき女性が赤いリボンの少女に紅茶とクッキーを差し出すと美味しそうに食べ始めた。赤いリボンの少女は、その女性に自分もピアノが欲しい事などを伝えている。少年の母親は赤いリボンの少女に名前や連絡先などを聞いているようだ。
少年の母親は赤いリボンの少女の家に電話をしているようだ。内容までは分からないが時折笑みがこぼれている。
赤いリボンの少女のアパートに何か大きな荷物が届いたようだ。少女の母が中に運ぶように指示をしている。その荷物は少し古めだが立派な電子ピアノであった。少女は嬉しそうにピアノの前に行くと、なにやら弾いているようだった。
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夢から覚めると、目には涙が溢れていた。
「不思議な夢だった・・・」
僕は見たこともない子供たちが出てくる夢を見た。内容は切ないものだったが、なぜか忘れないようにメモしていた。
その夜も夢を見た。
(夢を見ている)
赤いリボンの少女はピアノを弾く少年の家にいる。少年はその少女にピアノを教えているようだ。二人とも笑顔でピアノを弾いている。少年の母親が夕飯の支度をしている。そこに父親らしい人物が現れた。みんなで夕飯を囲んで楽しそうに語らっている。赤いリボンの少女も照れながら食事をしている。微笑ましい光景だった。
少年は教室で授業を受けているようだ。そこへ教師らしき男性が慌ただしく入ってきて、その少年に何かを伝えている。少年は慌てて教室を飛び出していった。
これは、病室かな?ベッドには先ほどの父親らしき人物が映っている。母親が涙を流しているようだ。少年は不安そうな顔をしてその母を見ている。
誰かの葬儀のようだ。少年と母親らしき女性が泣き崩れている。外は雨のようだ。赤いリボンの少女がずぶ濡れになったまま、外からその様子を眺めている。
赤いリボンの少女のアパートだ。暗い部屋の中で誰かに祈っている。『神様、もうこれ以上悲しまないように。忘れさせて下さい』と言っているようだ。天井に光のような人影が現れ、少女に何かを伝えているようだ。『汝の想い、叶えてやろう。忘れさせてやる』そう聞こえた。
赤いリボンの少女は教室でピアノを弾く少年に話しかけているようだ。『お前、馴れ馴れしいんだよ。ほとんど話したこともないくせに。気持ち悪いからどっかに行け』少年はそう言っている。少女の目には涙が溢れ、寂しげに教室を出ていく姿が見える。
赤いリボンの少女は家で寝ている。頭に氷のうを乗せていることから熱がでたようだ。母親はいなく、咳がつらそうに見える。部屋には食べ物も用意されていない。『神様ありがとうございます』少女の声が聞こえた。
ピアノを弾く少年が帰宅中らしい。家の前に着くと、辺りを気にしているようだ。母親が話しかけている。『本当にそう思っているの?』母親はそう言っている。赤いリボンの少女について尋ねたのだろうか。『そんなやつ知らないよ』少年はそう答えていた。
赤いリボンの少女はピアノを弾く少年の家の前にいる。少女に近づく少年の母親は何かを話しかけている。『私が神様にお祈りしたから、みんな忘れちゃったの』赤いリボンの少女はそう言っているようだ。
赤いリボンの少女はアパートに籠っているようだ。そこに男子生徒たちが押し掛けている。少女が顔を出すと男子生徒たちは何かを言い、一斉に苛め始めた。泥だらけになり、必死にその場を逃げようとしている。
ピアノを弾く少年の家の前に赤いリボンの少女がいる。良く見ると少女は傷だらけだった。そこに女子生徒たちが現れた。赤いリボンの少女を取り囲むと、リボンで結んだ髪を引っ張り始めた。少女は泣きながら抵抗しているが、女子生徒たちは笑っている。
ピアノを弾く少年は家から出てくると『やめろよ』と叫んでいる。少年はなぜそんなことを言ったのかと不思議そうな顔をしている。
赤いリボンの少女は泣きながら、少年の母親に抱えられるように家のなかに入っていった。
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「うわぁっ!何だ、今の夢・・・」
目が覚めると、僕は枕が濡れていることに気付いた。今の夢を忘れないうちにメモした。断片的だったが、夢の内容はなんとなく分かった。そして、もうひとつ分かったことがある。
「まさか僕の記憶?・・・忘れていたのか?いや、違う。あの夢に出てきた赤いリボンの少女が神様に祈って起きたことか?」
今までは気にしたこともなかったけど、僕は小さいときの記憶が曖昧なのだ。父が倒れた日または葬儀の日よりも前の記憶は特に曖昧だった。昔は、嫌なことを思い出したくなかったから自然にそうしていたのだろうと考えていた。それに赤いリボンの少女のことなどまるで記憶になかった。自分の事だなんて全く考えずに、ただの夢を見ていたと思っていた。
僕はどうしても赤いリボンの少女に会いたくなり、消息をたどることにした。