聖女じゃないっ!〜嘗て異世界に召喚されてしまった人と男だけど聖女だったオレ〜
「あ、気が付いた?」
見慣れない天井をぼーっと見上げていたら、直ぐ側で声がした。
まだよく働かない頭で。それだけ認識して、頭部だけを動かしてそちらを向く。
そこには、大人の女の人が一人立っていて。こちらを見ていた。
初めて会う女の人だ。
「……ここは?」
オレが覚えているのは、今朝、学校に行こうとしていたところまでの出来事だった。
学校の最寄り駅で電車を降りて……そこから先の記憶がない。
いつ気を失ったか──寝てしまったのかもしれないけど──それも分からなかった。
そして、今、目覚めたらここに居た。
もう一度、頭部を動かして、辺りを見渡す。
天井だと思っていたのは、どうやら、屋根みたいなやつが付いたベッドのそれで。そこからレースのカーテンっぽいやつが下がっている。
確か、こんなのを映画とかで金持ちやら貴族が使っていたのを見たことがあったなと思いした。
あと、枕とか布団がやたらふかふかしている。
体を起こして、よく見ると。部屋の中もやたらと金が掛かっていそうな造りをしていた。
……って事は、この女の人はどっかの金持ちということだろうか。
だとしたら、オレはどういった経緯で、ここに居るんだろう。
「ええと……経験上、今から私が言うことは、絶対、一発じゃ信じられないと思うけど、聴いてね?」
困惑しているオレに。女の人は顎に手を添えて、思案するように少しだけ目を伏せてから言った。
「ここはあなたの居た日本とは違う、異世界の国、『ミストレア』。あなたは、この世界を救う者としてここに招かれたの」
「……」
オレは女の人に近寄り、そっとおでこに手を当てた。
「うん。私、熱は出てないから」
女の人は困ったような声音で言う。
オレは自分の頬をつねった。
力任せに行ったからすげぇ痛い。
「残念ながら、夢でもないんだ」
「……」
夢じゃない。
でも、現実感もない。
絶句するオレに。女の人は、「普通そうだよねぇ」と苦笑いした。
その言い方は、何だか、妙に実感が籠っている。
「ああ。お目覚めになりましたか?」
すると、そこへ。オレでも女の人でもない第三者の声が聞こえた。
そちらに目をやると。これまた豪奢な扉を備え付けられた部屋の入り口のところに、人が立っている。
長い髪を三つ編みにして。はっきりした顔立ちの、日本人っぽくない美人。
女の人みたいに見えるけど、さっきした声は低かったから男の人だろう。
近付いて来たら、背も結構高かった。
オレは、始めからここに居たほうの、女の人を見る。
先ほどの、異世界云々の話が信じられなかったのは、多分、こちらがどう見ても日本人の顔をしていたからだ。
だからといって、男の人のほうが先に居たとしても、たぶん信じられないだろうけど……。
じっと見ていたら、オレが不安を感じていると思ったのかも知れない。
女の人は、こちらを安心させるように微笑んでから、頷いた。
大人の女の人だけど、今の笑顔はちょっとかわいいなと思った。
いくつくらいの人なんだろう?
どう見ても日本人っぽいし、なんか、オレの置かれてる状況を色々理解してるっぽいんだけど。
「今度こそ、間違いないといいんですが……」
「どっちの言葉も理解出来てるんでたぶん間違いないと思いますよ」
「本当ですか!?……いやぁ、7年前は不甲斐ない結果になりましたからねぇ……」
「それを言われると、私も複雑なんですけど……」
「その節は……申し訳ありませんでした」
「あのぉ……すみません……ちょっと……いろいろよく解ってないんですけど……」
二人がオレを置いて二人の世界を構築しかけていたので、放置されては困る……と思い、おずおずと申し出た。
「ああ、そうそう!ごめんね……クレイグさん、あれ、ちゃんと持って来てます?」
「はい、名誉を挽回しなければならない踏ん張りどころですからね!抜かりないですよ」
そう言って男の人改めクレイグさんが、懐から何かを取り出して、オレに差し出す。
「この龍水石はあなたのものです」
「りゅう……すい……せき?」
何だかよく分からないままに手を出すと、その上に青く光る小さな石が乗せられた。
「光ってます!光ってますよ!クレイグさん!!」
「確かに!光ってます!やりましたよ!ボク!!」
オレの手のひらで光る石を覗き込み、女の人とクレイグさんが手を取り合って飛び跳ねる。
ああ、何か楽しそうだなと他人事みたいにそれを眺めていたが。続いて言われた言葉に、表情が固まった。
「ようやく、正式にセイジョさまを召喚する事ができました!」
……せいじょ?
セイジョって、もしかして、聖女?
いやいやいや……そんな……まさか……
「はっ!いつまでもレディの寝所に居座るわけにはいきませんねっ!!……先ずは、寝間着から、こちらに着替えて下さい。詳しい話しは別室で」
そう言ってクレイグさんは小脇に抱えていた布の塊をこちらに押し付けてくる。
何か、聞き捨てならない単語が聴こえた気がするが……気のせいだよな?
オレは恐る恐る布の束を受け取り、確かめた。
ピラリ。
広げた布はレースと刺繍がふんだんにあしらわれた、いわゆるドレスというやつだった。
「セイジョって、やっぱり聖女じゃねぇか!!」
当然、オレは絶叫した。
***
「いやぁ……なんとな〜く『体つき薄いな〜』とは思ってたんだよ?」
と、女の人……洋子さんは言った。
彼女の正式名は、榎木洋子さん。
やはりというか。オレと同じ、こちらからすると異世界からやって来た日本人ということだ。
「どう見たって、オレ、男にしか見えないでしょう?」
「いやいやいや!キミ、自分が思ってる以上に女の子みたいな顔とか華奢な骨格してるからね!?声、高いし!身長低いし!」
「うっ……」
『女の子みたいな顔』には異論しか無いが、『声高い』は、痛いところを突かれた。
一応、声変わりはしたはずなのに。声、低くならないんだよなぁ。
『華奢な骨格』と『身長低い』は……ほっといてくれ……。
「でも、オレ、制服……着てたし……」
気が付いた時には、オレは寝間着に着替えさせられていた。後から、それを着ているという事実に愕然としたが、いわゆるネグリジェとかいうやつだった。
けど、その前は確かにちゃんと学制服を着ていたはずだ。
それも、ブレザータイプじゃなくて、よくある学ランタイプ。
洋子さんが同じ日本人なら、あの姿を見て『女の子認定』する確率は低いんじゃないだろうか?
「私がこっち来たばかりのキミの姿を見たのって、召喚の儀式やらで色んな人がキミを囲ってた関係で制服だって認識出来ないくらい一瞬だけだったんだよねぇ。キミ、気絶してたから直ぐ寝床に運ばれちゃったし。私が部屋に行った時はもう着替えさせられた後だったし」
「あー…その、オレを着替えさせたのって誰なんですか?流石にその人が気付かないって事はないと思うんですけど……」
「それは、緊急を要してたので、ボクが魔法で」
そこで、ピッと片手を上げてクレイグさんが言った。
魔法で着替えさせたので、誰もオレの性別に疑問を抱かなかった……と。
そういう事らしい。
なんて便利!なんて迷惑!
いや。着替えの際に、誰かに体を見られたかったのかって言うと、全くそんな事はないので、助かったと言えばそうなんだけどさ……。
クレイグさん……フルネーム、クレイグ・シンフォニアさんは。オレをこちらの世界に招いた張本人の召喚魔法師であるらしい。
召喚魔法師というのは、魔法を使う人の中でも、それに加えて召喚魔法を使える人たちへの呼び名で。召喚魔法には膨大な魔力が必要なため、普通の魔法師よりも高い魔力を持っている。
そして、そんな召喚魔法師はとても希少で。クレイグさんも希少な存在なんだそうだ。
失礼ながら、「残念な事にとてもそんな凄い人には見えない」……と、言うのがオレの感想である。
「クレイグさんが着替えさせたのかぁ……うっかり変な服着せちゃわなくてよかったですねぇ」
洋子さんがあははと笑った。
ネグリジェでもオレ的には十分変な格好だけど……という感想はさておき。
このクレイグさんが凄い魔力と能力を持っているにも関わらず、凄い人に見えない理由は。この、彼が相当なうっかりさんだという事に尽きた。
なにしろ、洋子さんがこちらの異世界に喚ばれたのも、クレイグさんのうっかりが原因だそうだから……。
「大切な召喚陣を途中から書き間違えてたとか、気付いたのが儀式を始めてしまってからだとか、にも関わらず何でか召喚式が発動しちゃったとか、でも陣自体は間違ってるから間違った人が召喚されちゃったとか……ホント、そんなうっかりとか、迷惑な話だよねぇ……もう慣れたけどさ」
とは、洋子さんの言である。
そのうっかりのレベルは、召喚されてしまった側としては酷い。
というか……。
洋子さん。それ、慣れちゃいけないと、オレは思う。
当時の事を振り返って、しみじみと言う洋子さん。
彼女がこちらの世界に来たのは7年前だったそうだ。
当時の洋子さんの年齢は、20歳。
それは、短期大学を卒業後。決まった就職先へ出社した1日目の出来事だった。
「就職課に通いつめたり求人情報かき集めたりして、いろんなとこ落ちまくって、卒業後になんとか決まった就職先だったんだけどね……出社1日で来なくなるとか、会社としては迷惑極まりないだろうねぇ」
それから7年。
27歳になった洋子さんは、今もまだこのミストレアで生活している。
それを聞いて、帰れなかったのか?と、オレは訊ねた。
帰れないのだ……と、洋子さんは答えた。
あちらの世界からこちらの世界に来るのは川下りの様なもので。下る分にも力や技術はそれなりに要るが、そこを上るとなるとその抵抗力は下りの比じゃなくなるらしい。
故に、召喚魔法師のクレイグさんの力でも、洋子さんを帰す事は出来なかった。
それと、もう一つの理由はあちらとこちらの繋がるタイミング。
龍水石が呼応する時……という呼び出し基準はあるが、何時でも簡単に繋げられるという訳ではなく。その間隔もまちまちらしい。
前回の召喚の儀式失敗から、今回の召喚までに7年の間が開いてしまったのも、そういう事なのだという。
逆に、7年くらいでまだよかったですよ……と、クレイグさんが言ったので。そのお気楽さ加減に、オレはいよいよ洋子さんへ同情した。
「あ、誤解しないで。キミに関しては大丈夫!役目を果たすまで時間的な拘束をされはするんだけど……聖女の特典みたいなやつでね、やることやったら願いの力っていうのを使えるらしいの!!歴代の聖女はそれで帰った人が居たみたいだから!」
オレのその同情的な眼差しを、またもや不安と洋子さんは受け取ったらしい。
慌てた様子でそう付け足した。
そこは本来気にするところではあるんだろうけど。オレは言われるまでそれを気にしてなかった。
洋子さんという、先に召喚された先輩が居たからかもしれない。
あと、それ以上に気になる点があったからかもしれない……。
「あの……洋子さん。オレの役目って、『この世界が荒れた時に、聖獣の力を借りて世界の安定を図ること』でしたよね?」
「そうだけど?」
「一個、気になってる事言っていいですか」
「どうぞ?」
オレは、一拍間を置いてから切り出した。
「それ別に『聖女』じゃなくてもよくないですか?」
実際、召喚されたオレは男である訳だし。聖女の役目が『世界が荒れた時に、聖獣の力を以て世界の安定を図ること』なら、その勤めを果たすための肩書きが必ずしも『聖女』である必要はないはずだ。
「言われてみるとそうなんだけど……ええと……そこんとこどうなんですかね、クレイグさん?」
「伝承では召喚されて来るのは聖女さまでしたし、ボクが見た記録上は今までもそうでした。こちらの都合で申し訳ないですけれど、求心力と通りがいいという点において、今更、聖女の名称は変えにくいんですよねぇ……というか、聖獣を使役出来るのが本来ならば『清らかな乙女』だけなはずなんですよ」
「あぁー…ありがちなやつですねー。だとすると、今回の件が異例……いや、まぁ、クレイグさんは、7年前にも、清らかな乙女じゃない人喚んじゃってますけどね!聖女じゃないですけど!……あ。でも、私、喚ばれた当時も今も体は清らかですよ?乙女じゃないですけど!」
「ヨウコさんは、折に触れては痛いところを抉ってきますねぇ」
ふふふとクレイグさんが笑い出し、あははと洋子さんが応じる。
笑いごとじゃないです、クレイグさん。
でもって、洋子さんはぶっちゃけ過ぎです。
「き……乙女じゃなくちゃいけないんだったら、その……オレが聖女ってのがそもそも間違いなんじゃないですか?」
「それは無いと思う。龍水石が反応した訳だし……ですよね、クレイグさん?」
「はい。龍水石は聖女と聖獣の繋がりを示すものですので、あれが光ったという事は、確かに聖女で間違いはないかと」
クレイグさんにそう言われて。オレは鎖を付けられ、今は胸元に下がっている青い石を見た。
手に取ると、それは淡い光を放つ。
その光は、オレが聖女である事の証……らしい。
「分かりました……百歩譲って、オレが聖女で、その肩書きが仕方ないとして……」
再び手を放すと、光は消えて、青い石が胸元で揺れた。
そのままオレは、勢いよく立ち上がり、言う。
「だからといって、オレ、この格好する必要あります!?」
立ち上がったオレに合わせ、ふわりと長い裾が舞った。
それは、踝よりも長く広がる、どう見たってドレスの裾。
実は、クレイグさんの手によって寝室に持ち込まれたドレスに、オレは袖を通すはめになっていた。
他に服が用意出来なかったという事ではない。
「それは、ほら。そうしないと龍水石が聖女判定してくれなかったから……ね?」
……その通りだった。
龍水石は、何故かオレが男性の衣服を身に付けると、聖女であるという認識を果たさなくなったのだ。
石が光らないだけならまだよいのだが。どうやら龍水石の判定を受けていない状態は、同時に聖女の力も使えない状態になっているらしい。
故に、オレは泣く泣く女装を余儀なくされた。
結局、どう言おうと足掻こうと。オレは聖女の肩書きからも女装からも逃れられない……らしい。
甚だ不本意である。
見てくれの格好だけで判断するなんて。龍水石、お前の目は節穴か!と、問いたい。
石だから目とか耳とか無いけど……。
***
逃れられない運命に散々うちひしがれた後。
オレと洋子さんはやたらと広い回廊を歩いていた。
クレイグさんは魔法師の詰め所らしきところに報告があるとかで別行動である。
「川島観月くんって……また、男女どっちでもいけそうな名前だねぇ」
聖女さまとかキミとか呼ばれて、それで成立してたからそういえば自己紹介してないな……と、今更ながらに気付いて。道すがら名前を教えたら、洋子さんからいただいた感想がこれだった。
別にいいんだけど……いや、よくはないけど……。
ただでさえドレスなんて着せられてるので、オレは今その辺りに過敏になっている。
「ごめん、ごめん。観月くん……あ、川島くんのほうがいい?」
「……観月でいいです」
「じゃあ観月くんね。……観月くん、同郷だし、弟分が出来たみたいでなんかかわいくてさ。ついからかっちゃいました……ほんと、ごめんね」
拗ねた態度をとるオレに、洋子さんはそう謝りながら頭をポンポンしてきた。
年齢の差が一回り以上あるオレと洋子さんは、同じく身長差もかなりあって。オレの背は洋子さんの肩くらいまでしかない。
だから、弟分と言うのは分からなくはないけど……。
そのかわいい扱いも、頭ポンポンも、やられると複雑な気分がするし、あまり面白くはない。
だから、失礼な態度とは思いつつも、その手を払い退けて、ついでに物言いはぶっきらぼうなってしまう。
「……これ、どこに向かってるんですか?」
「え?……ああ、言ってなかったね。今から向かうのはね、こういう時の定番といえば定番だけど、この国の王様が居るところだよ」
洋子さんはオレの態度を気にした風もなく答えたが、言った後で何かに思い至った様で少し眉根を寄せて唸った。
「うーん……居るとは限らないから大丈夫とは思うけど……居たら、観月くんは確実に『アレ』の好みだろうし……」
かと思えば、若干痛いくらいの力でオレの肩に掴みかかり、真剣な面持ちで言う。
「観月くん。今から行く場所に、王様以外の無駄にイケメンな若い金髪が居たら、絶対目を合わせちゃダメ。同じ空気を吸わない様にして、話しかけて来ても無視。近付いてきたら殴っていいから」
「ええと……?」
「同じ空間に居るだけで、観月くんが穢れるかもしれないし、触られたら確実に孕む!」
「はらっ……!?」
いや、洋子さん!
オレ身体の構造上、孕めませんって!
……あれ?でも、男の体にも子宮の名残があるんだっけ?
ってそうじゃなく!
何だろう、その聞くからに危険な香りの漂う人物……王様の近くにそういうの置いてていいんだろうか?
「でも、いざとなったら、全身全霊かけて私が観月くんを守るから安心して!!」
オレの不安を余所に、洋子さんはめちゃくちゃ凛々しい顔でそう言ってくる。
胸に拳を当てて。その意気たるや、さながらお姫様に忠誠を誓う騎士だ。
オレはお姫様じゃないけどさ……。
でもって洋子さん。続けて、とっても素敵にカッコよくウインクまでサービスしてくれた。
今この瞬間。見知らぬ不審者なイケメンよりも断然洋子さんのほうがイケメンな気がする。
一方。見た目云々は一先ず置いといて……生物学的にイケメンにならないといけないのは本来こちらなのに、聖女という肩書きを押し付けられ、女装までしている、オレ。
目的地に着くまでに、オレの複雑な思いは二割増しになったのだった。
***
ヤバイ……何がヤバイかって、めっちゃ見られている。
もの凄く潔いキレイなガン見だ。
玉座の間に招かれて。謁見との名の元に。王様の話を聴くこと体感で1時間近く。
これが全校集会の校長からのスピーチだったら、そろそろ倒れ出す人続出だぞ……と、思うほどの間。オレはとある輩からのなめ回すような視線の集中攻撃を受けていた。
耐えられずにそちらをちらりと見やれば、目が合った瞬間に蜂蜜も斯くやというほど甘く微笑む金髪のイケメン。
(ひぃぃぃぃ)
なぜだか背筋がぞわっとして、思わず隣に立つ洋子さんの腕を掴んだ。
「観月くん、どうし……」
オレのただならぬ様子に、洋子さんは「どうしたの?」と、小声で口にしかけた様だが。直ぐに原因に思い至ったらしく、そちらをじろりと睨みながら低く呻いた。
「早速目をつけたか、あの変態ロリコン野郎」
ロリコン……ロリータコンプレックス。
1955年に刊行された、ウラジーミル・ナボコフの長編小説『ロリータ』。その内容と登場人物の名前を元にして生まれた和製語。
主に、その年頃を外れた年長者が、幼女・少女にのみ性欲を感じる異常心理。
少女にも食指が働いている事から、幼児性愛より若干年齢的なストライクゾーンが広いと思われる。
オレは頭の中に、昔誰かから教えられた、無駄知識な用語解説を思い浮かべた。
なぜ今そんな事をしたかというと、安全確認のためだ。
オレは男だから、ロリコンは関係無い。
大丈夫。きっと大丈夫。
そう言い聞かせても。尚も感じる金髪イケメンの視線に、やっぱり肌が粟立つのを止められない。
(ひぃぃぃぃ)
だから、カッコ悪過ぎるがオレは王様の話が終わるまでずっと洋子さんの服の袖を握りしめてすがりついていた。
その緊張のせいで、王様の話した内容なんかろくすっぽ覚えていない。けど、何だかどっと疲れが出た。
「観月くん、大じょう……」
「ご気分が優れないのですね、可憐な君。それはいけない、早急に休める場所へお運びしなくては」
「ひっッ!!!!!」
そんなオレを見て、洋子さんが心配して声をかけてくれる。
しかし、その言葉を遮る形で、別の声が乱入した。
姿を確かめたら、あの金髪イケメンだった。
同時に、例のなめ回されるような視線を感じて、オレは情けなくも小さく悲鳴を上げる。
「顔色がよくないですね。やはり急いで医務室にお連れしなければ!私が!抱き抱えて!今すぐに!」
金髪イケメンは、怯えるオレに構わず、ぐいぐいと距離を詰めて来た。
長身な金髪イケメンとオレとでは、かなり背丈に差があるので、悲しいかなコンパスの差もあるんだろうが、一歩後ずされば相手は一歩半こちらへ近付く。
近い……かなり近い。
あと、然り気無く動いてる手つきがなんかちょっとだいぶ気持ち悪い。
遂に金髪イケメンが間近に迫った時、そんな攻防を見かねたのか、洋子さんがオレと相手の間に割って入った。
「ヴィルヘルム第一王子。王子ともあろう者が初対面の相手に、不躾かつ不当に距離を詰めて、妄りに触れようとするのはいかがなものですかね?」
洋子さんの言葉に、オレは驚いた。
何と、金髪イケメンはこの国の王子様であったらしい。
国の王子がこんな感じでいいんだろうか?
しかも第一って事は、よっぽどの事がなければ王様の跡継ぎって、この人になるんじゃ………………大変余計なお世話かも知れないが、不安だ。
「これはこれは、ヨウコ・エノキ召喚魔法師補佐官殿。貴女におかれましては人の恋路を邪魔するなど、馬に蹴られて黄泉へと旅立つべき案件かと存じますが?」
「は?恋路って、頭沸いてんの?どこをどう見たらあんたとこの子との間に恋愛が成立してるように見えるわけ??というか、毎度毎度、嫌がる相手に触ろうとすんなっつってんでしょうが、この、見境無し!!」
「何を言うか!見境はちゃんとある!私は審美眼に乗っ取って、美しく可憐な人にしか声をかけていないし、私に声をかけられて喜ばぬ娘は居らぬ!!」
「なにその根拠の分からない自信!?いつそんな事実があった!?そもそも、それが悪いっつってんでしょ!!もうそろそろ、あんたからぶら下がってる大事なもん、もぐぞ!ロリコン!!」
二人の舌戦は、砕けた言いかたになるばかりでなく、だんだんと、乱暴で激しいものに変わってくる。
そして、洋子さんの怒号に、関係ないはずのオレの下半身はひゅんとなった。
「相変わらず君は訳の解らないことを言うな。だが口汚い言葉を吐いているのは何となく、理解できるぞ!この性悪年増!」
「年増って、あんたとはそんな年変わんないでしょうが!!よし、分かった。その喧嘩買ってやる。表出ろ、ド変態っ!!」
「は、17を超えた女は総じて年増で十分だね!受けてたつぞ野蛮人!!」
「あんた今女性の過半数を敵にまわしたからね?夜道で刺されろ!」
「優秀な護衛がついてますし、王子はそんな時間に出歩きませ〜ん!」
幼稚だ……。
物凄く幼稚な争いだ。
でもって、言い合う口調はとても気安いのに、決して仲良くは見えない。
二人、どういう関係なんだろう?そして、彼らの間に何があったんだろう?
でも、取り敢えずは……。
オレは、この争いを止める方法を思いついて。一先ず金髪イケメンの誤解を一つ解く事にした。
「あの」
「なんですか?可憐な君」
「オレ、聖女って言ってますけど、女の子じゃないです」
オレがそう言うと、ヴィルヘルム王子は。爽やかなイケメンスマイルを浮かべる。
今までの気持ち悪い言動がなかったら、普通にイケメンだっただろう。
「ああ、それは失礼した。立派なレディに対して、子供扱いはよくなかったかな?」
「いや、そういうことじゃなく……オレ、男です」
訂正したおれの言葉に、ヴィルヘルム王子は鳩が豆鉄砲食らったような顔で、二度瞬きをする。
「は?」
「オレ、女の子じゃなくて、男です」
再びオレが繰り返すと、ヴィルヘルム王子は、オレの姿を確かめるように、視線を頭の天辺から爪先まで往復させた。
「いやいや何を言ってるんだい」
その反応は、まあ、想定内だ。
大人のイケメンと比べたらオレは男としては頼りない外見だろう。
そして、このドレス姿という格好が何より誤解を助長させている。
あまり、気は進まないけれど、ここは伝家の宝刀を出すしかないのかもしれない。
オレは、ヴィルヘルム王子の手を取って、ある場所へと導いた。
先ほど、洋子さんによってひゅんとさせられたその場所へ。
「こんなに可憐でかわいらしい人が男なわけ……え?」
にこやかに話していた、ヴィルヘルム王子の表情が一瞬にして驚愕に固まる。
可哀想だが仕方がない。
寧ろこの場合、オレも可哀想だ。
男の象徴。この存在を確かめて、流石に女性と勘違いする事はないだろう。
この際、両性具有がどうのとかその辺りの可能性は置いといて。
「そんな……これは……」
「……お分かりいただけましたか?」
オレが確かめると、ヴィルヘルム王子はこくりと頷いた。
ここまでして、お分かりいただけなかったら、オレとしてもやるせない思いと共に頭を抱えなければならないので。とりあえずはほっとする。
しかし、ほっとしたのもつかの間。
話しは終わったとばかりにオレが安心してヴィルヘルム王子の手を解放しても、ヴィルヘルム王子の手は何故かオレのオレを離してはくれなかった。
「アノ……ヴィルヘルムオウジサマ?」
「……」
困惑するオレに対して、ヴィルヘルム王子の手は、離してくれないどころか、何かを確かめるようにわさわさと動いている。
そして、眼差しは真剣にじっとオレを見詰めている。
え……いや……あの……ちょっと、どういう事か全く解らないんだけど……。
「ヴィルヘルムオウジサマ??」
「ふむ……」
考え込むのは構わないが、頼むからその手を離して欲しい。
そう思っていたら、動き回っていたヴィルヘルム王子の手に唐突に力が入り、オレのオレは、ぐっと握り込まれた。
「ひゃんっ!」
思わず変な声が出る。
「よ……よぅこさぁん……」
もう限界だとばかりに助けを求めて振り返ったら、洋子さんはポカンとした表情でフリーズしていた。
洋子さん。さっきのカッコいい洋子さんはどこに行ったんですか…。
戻ってきて下さい。
戻ってきて今すぐオレを助けて下さい。
にぎにぎと動くヴィルヘルム王子の動きに、思わず出た涙を拭う。
いい加減、小刻みに揉み続けるのを止めて欲しい。というか、離して……。
確かに、安易に感触で確かめさせたのはオレだけど……オレだけど……。
神様仏様聖獣様。この状況、あんまりすぎやしませんかね?
その前に、そもそも、男のオレが聖女として召喚されて女装を余儀なくされてる時点でいろいろあんまり過ぎやしませんかね……。
一頻りオレを撫でくりまわして触り倒した後、満足とばかりに一つ頷くと、ヴィルヘルム王子は言った。
「……悪くない……寧ろ、ありだ」
「え!?」
今度はオレが驚愕に目を見開く番だった。
『あり』って……一体何が、『あり』なんだろう……嫌な予感しかしない。
ヴィルヘルム王子はその場に跪くと。さっとオレの手を取り、恐るべき事に、恭しく口をつけた。
口づけられた部分から背中にかけて、ぞわぞわしたものが走り抜ける。
「聖女、ミズキ・カワシマ。私、ミストレア国第一王子、ヴィルヘルム・アインツ・ミストレアは、その名において、あなたに永劫の忠誠を誓い、臣族となる事を、ここに宣言しよう」
「はい……?」
シンゾク……ってナニ?
親族?
オレ、今、何を誓われたの???
というか、さっきのぞわぞわが止まらないのは何でだ……もう、鳥肌通り越して、きっと羽になってる……。
そんなオレの後ろから。石化が解けたらしい、洋子さんの声が聞こえた。
「新しい扉を開眼してしまったか……これは、想定外」
新しい扉って……開眼って……。
後ほど説明された話によると。臣族とは、臣下が更に一歩踏み込んだ所で、主に仕えます、一生重用して下さい……と、誓う、この世界独特の儀式的なものらしい。
儀式とするからには、宣言に嘘偽りがあればそれ相応のリスクを負うため、滅多な事でやろうとする人は居ないそうだ。
もちろん、通常王族はされる側であってもする側になる事なんてない。
それを、ヴィルヘルム王子はオレに対してやってのけた。
「いや〜、明らかに好みの顔してたとはいえ、あの本とに手がつけられなかったロリコンに、趣旨変えさせて跪かせるなんて、観月くん、キミ、凄いわ!」
しかも、あれ以来キミ一筋で他への被害が減ったの!世界平和!と、洋子さんは興奮気味に語る。
嬉しくないです……洋子さん。
「その上、国王様に頼み込んで、龍山の旅にまで護衛として同行してくれる事になりましたからね」
ヴィルヘルム様の実力はかなりのものですから、安心ですよ。良かったですね。と、クレイグさんがのほほんと言う。
そういうこっちゃないと思います……クレイグさん。
数日後。オレはこのメンバープラス、クレイグさんの召喚した使い魔と王子で、龍水石の聖獣である龍を起こしに龍山へと旅立たなければならない。
もちろん衣装は──ギリギリのラインを見極めて何とかガッツリとしたドレスからは逃れられたが──女装だ。
そして、そんな格好だから。相変わらず、オレは聖女と呼ばれている。
(はぁ……)
先行きは、不安だらけだ。