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手をのばせば  作者: 長岡青
6/11

雨の日曜日

 天気も週末のたびに雨。だんだん寒くもなってきた今日この頃。

 波のサイズがあるのは嬉しいけど、なんかちょっと空しくもなってくる。

 私はサーフィン以外に何も残らないから。

 私の財産はサーフィンだから。

 やばい。天気悪すぎて気が滅入ってきてる・・・


 サーフィンは趣味?と聞かれると、なんか違う気がする。趣味って、もっと楽しいモノなんじゃないのかな。例えば、気が向いたときにやって、すっきりする、みたいな。

 私にとって、サーフィンって確かに楽しいけれど、そればっかりじゃない。


 なんなら辛い時も多いくらい。

 サイズ上がると怖いし、波にまかれてぐるぐるしたりして、アウトから乗ってくる人に怒られたり、板クラッシュしたり、怪我したり。結構痛い思いもいっぱいしてきてる。

 もちろん、相手に対して、私が悪いっていうことも多くあって、そのたびに申し訳思ったり、反省したり。日々勉強させられてることも多い。

 自分が海に行けない時に、いい波でサーフィンをしたっていう話を聞けば、悔しい気持ちになる。

 いい波の時は、待ちきれなくて、ウズウズしながら海へ向かう。

 いい波たど思って海に行って、全然だめな時、本当に切なくて悲しくなる。


 もちろん楽しい時もある。

 いい波に乗れた時は自然とニヤニヤしちゃう自覚がある。いいライディングをしている人を見たら、ひゅー!!って思うことがある。何より、波のパワーを感じて乗ってるときは快感。

 

 だけど、趣味とは違う、気がする。

 趣味と言うには、私の人生の中にがっつり入り込みすぎている。サーフィン出来ない週末なんて、イライラして仕方ない。

 

 タバコを吸う人にとって、タバコを吸えない時がイライラするように。

 人が呼吸することをやめられないように。

 サーフィンは私の人生の一部になってる。

 これは趣味なのか。もはや趣味ではないような気がする。


******************


 東日本大震災があった日。私は朝から海に行っていた。

 修士論文の提出も、発表も終わって、後はサーフィン三昧して、ここでお世話になっていたサーフィンの先輩方に挨拶して。

 卒業旅行に海外に行こうなんて気もなく、ただサーフィンをやりたかった私は、そうやって春休みを終えて、社会人一年生になるつもりの春休みの普通の一日だった。

 いつものポイントについて、波チェックをしていると、仲良くしてもらっていた先輩が海に入っていた。でも、オンが強くて、なんか海の表面が細かくざわざわしていて、とても乗れたような波にはなっていなかった。

 しばらく車の中でチェックしていると、先輩が上がってきた。

「何時から入ってたんですか?」

「入ったばっかだよ。入る前はこんな風吹いてなかったんだけど。全然だめだわ!」

 どうやら一気に風が入ったみたい。海には先輩一人しか入っていなかったし、そんな先輩の一言を聞いて、私は海に入る気もなくなっていた。

「そっかー。じゃあ、帰りますわー。」

「おう。じゃねー。」

 車を走らせて、仕方なしに大学へ行くことにした。


 修士論文の提出が終わったと言っても、完全に卒業するまでは色々と作業があるわけで。

 例えば後輩への研究の引き継ぎ。工学部にいた私がやっていた研究は実験を伴う研究でもあったから、その実験のやり方を細かく教えておかないと後輩が困ってしまう。

 他にも修士論文には使わなかったちょっとした実験のデータ整理や、先生がメインで書く論文のデータ取りなど、自分の研究が終わっても意外とやることはある。

 別にやらなくてもいいのだろうけれど、それでも、卒業させてもらえるのだから。先生にお世話になったおかげで卒業できるわけだから。面白い研究させてもらえたのだから。

 

 研究室の居室にいた昼下がり。

 急に起きた大きな揺れにびっくりした。

 それまでも、中越沖地震だったり、震度5クラスの地震は何度か体験したことがあったから、そこまで驚かなかったけれど、急に揺れるとどうしていいのかわからないもので、わー・・・とか言って、収まった後もぼーっとしていた。

 そうしている間に先生が「大丈夫か―」といって居室に来たり、別の部屋にいた同期がきたり、ちょっと地に足がついていない感じだった。

 どこが震源かと思ってインターネットで調べてみると、出たのは東北。

 親戚が多くいるし、友達も多くいる。びっくりして実家に電話するも電話はつながらない。

 どうした?今回に限ってなぜ繋がらない?

 

 そこから先のことは、実は憶えていない。

 どうしようもなくて、一人暮らしのアパートに帰ったんだと思う。

 どこであの津波の情報を知ったのか、まったく記憶がない。

 夜、一人で寝ていると、また大きな揺れを感じてさすがに目が覚めた。

 テレビをつけると、日本が一周、まるっと津波警報が発令されていることを知った。

 もうどうしようもない。死ぬ時は死ぬんだ。

 そう思って、一人で暗闇でおびえていた。


 次の日になって、テレビを見ると、大きな被害の様子が映し出されていた。

 親戚が住んでいるあたり、津波がきていた。

 実家に連絡をとると、なんとか繋がって、様子を聞くに、宮城に住んでいる親戚が何人か連絡が取れないとのこと。


 そっからは必死。

 インターネットを駆使して、被災地の避難所の被災者名簿の画像を検索した。

 恐らくあのあたりに居るはずだから、と目ぼしい所を片っ端から調べる。twitterでも情報を求めた。


 地震から3日がたち、探していた親戚は見つかった。

 小学校の体育館に避難していたが、周りが水浸しで出るに出られない状況にいたと後から聞いた。

 内陸にいた別の親戚が、会いに向かうと、本当に水がひどくて備蓄されていたものも満足に使えるような状態ではなかったようだ。

「ここは寒い。一緒にうちに行こう。」

「ここにいる。みんないるんだもの。私たちだけ逃げるわけにはいかない。」

 被災した当人たちはそう言ったそうだ。


 福島はもっとひどいことになっていて、原発の事故まで起きてしまった。

 あの近くには、サーフィンでお世話になった人たちがいっぱいいる。

 その人たちは無事なのか。

 結局今もわからない。


 そんな世の中が大変な中。

 東日本にいる自分としてはもうどうしようもなく心が痛くて、辛くてどうにかなりそうな中。

 私は就職で西日本へ向かわなければならなかった。


 いざ降りたってみた西日本は、東日本で起きたことがまるで遠い国で起きた何か別な出来事であるかのようで。

 あまりの平和っぷりに、返って驚くほどだった。

 だからこそ。

 私には後悔の念しか抱けなかった。自分が罪深いとすら思えて仕方がなかった。

 まだ見つかっていない仲間もいる。まだ大変な状況にある。それなのに、私は一人、楽な方へ逃げてしまった。就職したてでお金もない私にできることは本当に少なくて、ただ義捐金を送ること、ただ祈ることしかできなかった。

 

 大好きな海が、大切な人、大切な場所を奪っていった。憎むべきものが、大好きなものであるという矛盾に、心が悲鳴を上げそうだった。


 私にできることは何か。今、私が西日本に来た意味は何であるのか。

 それを自分に問う日々だった。

 そして、西日本にいる私ができること。

 西日本から元気を出していって、東日本を支えること。私が頑張って、西日本をぶちあげて、それで東日本もぶちあげていけばいいじゃないか。


 そんなことを思っていた。


******************


 大変な時に西日本へ逃げた私ができること。

 東日本で育ててもらった分、自分が成長して、いつか東日本をぶちあげられるようになること。

 私のベースは東日本にある。

 サーフィンを通じて、私は東日本へ恩を返していかなければならない。

 

 だから、サーフィンは趣味、というには少し違う一面を私に提示してくるのだ。

 

 趣味は何?

 探し中です。


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