俺が現実から逃げた理由
「あの時のお兄ちゃん、結構カッコよかったよ。だってハヅキストがお兄ちゃんに向かって発砲しようとした、その瞬間、左肩と右腿を撃たれていたお兄ちゃんは、なんと左足でハヅキストを足払いした。それでハヅキストは転んだ。すてーんって、床に転んだんだよ」
「止めろ……」
「おかげでハヅキストが撃った銃弾は大きく反れてしまった。そしてハヅキストは床に後頭部を打ち付けちゃったから、脳震盪を起こしちゃった。その隙に、お兄ちゃんは床を這い、一度手放してしまった銃の元までいき、それを手に取った」
「止めろ……」
「でもハヅキストは脳震盪から回復して、頭を手で支えながらも立ち上がる。そして再び、お兄ちゃんに銃を向ける」
「止めろ……」
「お互いに突きつけられる銃口。さあ、どうなる? 死ぬのはハヅキストか? それとも、お兄ちゃんか?」
「止めろ……」
「もちろん、結果は言うまでもないよね。だってここにお兄ちゃんが生きているってことは、そう! 先に引き金を引いたのは、お兄ちゃん! つまりお兄ちゃんはハヅキストをぶっ殺した! でも一発目は脇腹っていうチョー中途半端な場所に着弾しちゃったから、一発でハヅキストに致命傷を負わせることができなかった。もしここでお兄ちゃんがヘッドショットに成功して、ワンショット・ワンキルを成功させていればサイコーにクールだったんだけど、まあ、お兄ちゃんにそこまでは求めないよ。例えワンショット・ワンキルに成功できなくても、結果、お兄ちゃんはハヅキストを倒した。脇腹を被弾して怯んでいるハヅキストに向かって、お兄ちゃんは何発も何度も、弾が尽きるまで引き金を引き続けた。そしてお兄ちゃんを殺そうとしていたハヅキストは、死んだ」
「止めろ……」
「そうだよ。お兄ちゃん。お兄ちゃんはハヅキストを殺した。殺したんだよ、この手でね。つまりお兄ちゃん、遊間 頼は、人殺しなんだよ」
「止めろー!」
ついに、俺は叫んでしまった。
耐えられない。
自分で塗り替えようとした過去が、自分で埋葬したはずの過去が、ハヅキによって……いや、妹によって掘り起こされ、目の前に晒されることが、耐えられない。
それは恥部が晒されること以上の屈辱。
――ああ。確かに、俺は人を殺したさ。
自分の命を守るためとは言え、俺は人を殺したんだ。
でも、そんな現実を受け入れ、遊間 頼という人間が汚れてしまうくらいなら、一層死んでしまえばいい。
だから、俺は殺したんだ。
ハヅキストがどんなクソな人間であっても、俺はハヅキストとなり、ハヅキストが遊間 頼を殺したと信じることで、俺はこの汚い過去に蓋をしたんだ。
同じ人殺しでも、“本当の自分”の潔白だけは、守りたかったんだ。
違う。守らなければならなかったんだ。
そうじゃないと、俺は……俺は――
「お兄ちゃんは、 ひ と ご ろ し」
既に顔の皮膚をほとんど失った妹は、チタン合金の頭蓋骨で“ひとごろし”の一文字一文字を、まるで舌の上でキャンディーを転がすように甘く囁く。
その一文字一文字が、鋭い槍となって俺の胸に突き刺さる。
「でも、それは悪いことじゃない。むしろ、これは成長だよ。お兄ちゃんは自分を守るために、私利私欲にまみれた、クズな人間を殺した。それは童貞を捨てること以上に、勇敢で男らしい行為だよ。
だって、考えてみて。戦争の進化は、いかにして死との距離をつくるかの進化だったんだよ。
だって人間は、よほどの異常者で無い限りは、本能的に人を殺すことに抵抗感を覚えるからね。
だから人間は長距離ライフルを発明し、爆撃機を作り、長距離ミサイルを作り、仕舞いには兵器を無人化した。
戦争は人を殺す場であるのに、その死からできるだけ遠ざかり、死を目撃できないようにすることで、殺戮を簡単にした。グロテスクシーンに規制をかけたCERO-Cのゲームのように。
なのにお兄ちゃんは、何の規制も無い、本物のナマの殺害を経験した!
それはスゴイことなんだよ! お兄ちゃん!
平和だったときはアレだったかもしれないけど、人類が滅ぼしかけちゃってるこの状況では、それは立派な勲章。人類の進化の過程で、人類が避けていた本質に、お兄ちゃんは体当たりでぶつかった。それでお兄ちゃんは一皮も二皮も剥けたんだよ。だからその瞬間――お兄ちゃんがハヅキストを撃ち殺した、その瞬間、私、ちょっと濡れちゃったよ。そのままエッチしたいって思ったほどだったよ。でも、お兄ちゃんはそれから錯乱状態に陥って、結局気絶しちゃったから、エッチはできなかったんだけどね」
「黙れ! ハヅキ!」
俺は尻餅をついた状態から、ゆっくりと立ち上がる。
「もう、怒んないでよ」
妹は笑いながら言う。
顔の皮膚が無いから表情はわからないが、声は笑っている。
「ねえ、お兄ちゃん。病院ではエッチできなかったから、ここから早く脱出して、エッチしよ。でもその前に、さすがにこの体じゃお兄ちゃんは勃たないだろうから、この体は取り替えなくちゃね。カリフォルニアに私の型を製造できる無人工場を残してるし、そこから新品の体を取り寄せるね。ピカピカでプニプニしてて柔らかいよ」
「黙れって言ってるだろ!」
もう、我慢の限界だった。
俺は妹に飛び掛かる。
頭に血が上った、咄嗟の行動だだった。
何も考えていない。
だから結果なんて、目に見えている。
案の定、俺は妹によって弾き飛ばされてしまう。
まるで指でオハジキが弾かれるように、簡単に。
俺の体は呆気なく後方に飛ばされ、床に崩れる。
そんな俺に、妹は歩み寄ってくる。
途中、俺が落としてしまったリボルバー式の銃を拾いあげる。
「もう! また失敗?!」
妹は癇癪を起したような口調で叫ぶ。
「今回で14,578回目のリトライなのに! どうしてこうも、いつもお兄ちゃんは強情なの! 私の言うことをきかないの! っていうか、いつフラグが立つの! もう! このムリゲー!」
それから妹は俺の前で立ち止まり、まるで子供のように地団駄を踏んで見せる。
でも急に熱が冷めたように、呟くようにこう言った。
「まあいいや。今回失敗しても、またやり直せばいいし。次で14,579回目だから、ぶっちゃけ、もう飽きてきちゃってるんだけどね。次は、もっと強引な手段で落としちゃおうかな?」
俺は全身に走る痛みに耐えながらも、妹を見上げる。
妹は、俺に銃口を向けている。
「ばいばい、お兄ちゃん。今回のお兄ちゃんも、まあまあ面白かったよ。でも今度会うときは、もっと面白くなるように、私が育ててあげるからね。そして今度こそ、エッチしようね」
銃のトリガーにかかる妹の指に、じわじわと力が籠る。
この事態を、どう切り抜ける?
何度か、こういった事態はかろうじて切り抜けてきた。
でも、今回はわけが違う。
相手は妹で、その妹は人類を滅ぼしかけている、最強のサイボーグだ。
しかも、仮に切り抜けられたとしても、問題がある。
ノアの船内で鳴り響く警告音に、こんなアナウンスが被さったからだ。
〈墜落まで、あと3分〉




