《人間株》
無機質で冷たい照明が規則的に並んだ白い天井。
俺は床に寝転がりながら、遥か高い場所にあるそんな天井をぼうっと眺めていた。
規則的に配列されたものを見ると、なぜか落ち着く。
人類が滅亡しかけるという異常事態となってから、こういった人工物は尽く破壊され、外にはカオスが溢れかえってしまった。
だから人が意図して規則的に配列した照明を眺めていると、平和だったのはわずか数年前なのに、遥か遠い記憶を掘り起こしているように、かつて慣れ親しんだ人工物に懐かしさが蘇ってくる。
「そろそろ行く時間だ」
頭上で声がした。
声の主は、あのアメリカ人の女だ。
名前は、リザというそうだ。
リザは床に立っている。
でも俺は床に寝転がった状態で頭上を見上げているから、視界が反転している。
そのためリザはコウモリのように天井にぶら下がっているように見える。
今のリザは、初めて会ったときよりも随分と小さい。
それもそのはずだ。
今のリザは強化外骨格を着ていない、タンクトップと迷彩のカーゴパンツだけの姿だ。
強化外骨格を着ていない彼女の姿は、手足がスラリと長い、一見スレンダーなモデルのように見える。
でもその腕と足、胸には、鍛え上げられた筋肉が纏われ、筆で書いたような、しなやかで美しい体の曲線を描いている。
そんなリザに対し、俺は上半身を起こして言った。
「準備体操がまだだ」
するとリザは呆れた、という具合に肩をすくめ、その肩で壁に寄りかかる。
しかし、それは壁じゃない。
アメリカ人からすれば、それは壁ではなくて、“希望”なのだ。
未来への、大切な希望。
だから、
「寄りかかってバチでも当たったらどうすんだ?」
とリザに言ってやる。
しかし、
「バチなんか当たらない。ここにいるのは神様や仏様じゃない。いるのは、人間だ」
とリザは言った。
そういうことだ。
リザが寄りかかっているのは、壁ではなくて、ストレージ・サーバ。
それも《人間株》という、様々な人の遺伝子情報が記録されたDNAストレージ・サーバだ。
そのDNAストレージ・サーバが、サーバ・ラックの中に敷き詰められるだけ敷き詰められている。
なぜそんなことをしているのかと言うと、理由は簡単だ。
――滅亡しかけている人類を再生する。
それ以外の理由なんてない。
完璧な遺伝子情報さえあれば、哺乳類の子宮を使って人間を再生する技術をアメリカは開発したと以前聞いたことがある。
その技術を応用するんだ。
子宮を提供する哺乳類は人間である必要はない。
たとえ犬でも、牛でも、何でもいい。
だから将来、母親が犬や牛といった世代が生まれてくることになるのだろう。
しかし人類が滅亡しかけているこの事態に、「俺の親が犬だなんて嫌だ!」なんて嘆くわけにはいかない。
その嘆きは平和になってからの贅沢品なんだ。
まあ、俺は犬や牛から産まれてくるくらいなら、ずっと地獄で働いていた方がマシだと思うがな。
それはそうと、このDNAストレージ・サーバに溜め込んでいる遺伝子情報は、アメリカ人しかいない。
それも白人のみ。
さすが、ぬかりのないアメリカ人と言うべきなのか?
再生した次の人類の世代でも、アメリカは、アメリカという“白の巨大帝国”を堅持したいようだ。
だからここにあるのは、《人間株》ではなく、《アメリカ株》なんだ。正確に言えばな。
リザはそんな《アメリカ株》が入ったDNAストレージ・サーバに優しく触れる。
そのサーバには、Kevinと書かれている。
リザはサーバに手を添えながら、言う。
「私はいつか、“彼”を産まなくちゃならない。だから必ず、生き残る」
それは決意とも、誓いともとれる言葉。
しかし、ケヴィンとは誰なのだろうか?
昔の恋人か?
それとも兄か? 弟か?
わからない。
知ったところで、俺にメリットは無い。
それに今は、流暢にリザの過去を聞き出す時間も無い。
だから、
「行こうぜ。《Q-TeK》に」俺は言った。「俺をエスコートしてくれよ」
「お前は自分のことをゲストだと勘違いしているようだが、お前は我々の盾だ」
「でも俺がいないと、お前らは困るわけだ」
するとリザは、また呆れたという具合に肩をすくめ、眉毛が八の字に歪む。
その表情は、案外可愛いかもしれない、と俺は一瞬だけ思った。
が――
突然、銃が俺に突きつけられる。
もちろん、銃を突き付けているのは、リザだ。
ここには俺とリザしかいないからな。
案外可愛いかもしれない、と思ってしまったことは、撤回させてくれ。
「オーケー。わかったよ。俺はお前らの盾として、従うよ」
これだから、かつての“白の巨大帝国”は困る。




