切り取られる光景
じりじりと、地面が焼けるような音が聞こえてきそうだ。
手に持った荷物が、やけに重く感じる。
混濁しそうになる意識を留めながら、隣の彼女と手を繋いで歩き続ける。
ワンピースから覗く白肌に、思わず喉を鳴らしてしまう自分。
やはり、彼女の容姿は端麗なようだ。
「なぁ。具体的に今日は、どこに連れて行ってくれるんだ?」
「う~ん……内緒、です! 着いてからのお楽しみですよ?」
優しそうな柔らかい笑みを携える彼女。
控えめに揺れる白布が、さらに彼女の魅力を引き立てている。
炎天下の路上の暑ささえも、『見る』涼しさで吹き飛んでしまうかもしれない。
地面を、白サンダルと同じく白のスニーカーが擦る音。
昨日よりも一層激しくなった蝉の声が、蒼昊の奥深くまで響き渡る。
茂る草を撫でるように吹く風が、俺達の周りを包み込む。
あらゆる景色や音が、都会では見えず、聞こえなかっただろう。
見逃してしまうどころか、聞こえすらしないのだろう。
そんなこぼれ落ちる音が、俺の心をぐっと掴んで離さない。
「ところで貴方は、都会から来られたのですか?」
「ん? あぁ、そうだよ。だから、こういう村に来る機会は貴重だとも言えるな」
現代人の悪いところは、そこにある。
利便性・快適性・合理性を求め、とにかく先進した場所へと旅立つ傾向にある。
全く、悍ましいものだ。
小さな村の過疎化が急激に進行していることも、それの暗示となっている。
機会があったとしても、行こうとする意識の大部分が、致命的に欠落してしまっているのだ。
かくいう俺も、ついこの間まで他人事ではなかったのだが。
発想転換、という名目が無ければ、村を訪れようとはしなかっただろうに。
「そうでしたか。であれば、私も嬉しい限りです」
「そりゃまたどうして?」
「貴方が訪問した村の一つが、夢見村だからです。貴方と会えて、本当によかった」
俺の心臓が、一気に心拍数を加速させる。
彼女の笑みは、俺にとっては武器の一種にもなりえてしまう。
呼吸は乱れかけ、落ち着きを忘れそうになるのだから。
言葉を選ぶ余裕すらなく、慌てるように答えた。
「あ、あぁ。俺も君と会えて、すごく嬉しいよ」
「え、ぁ……」
深く帽子を被り直して、俯く彼女。
かなり深めに被っているので、表情は殆ど見えない。
ほんの少しだけ見えた頬は、気のせいか赤らんでいるようにも見えた。
二人の会話の間に、静寂。どこか気まずいような雰囲気が流れる。
自然はそんなことは気にも留めず、摂理に従って各々の声を主張している。
黙って歩いているだけなのに、額だけでなく、全身から汗が止まらずに流れ続ける。
ただ単に暑いからなのか。それとも、内心の焦りにも似た何かのせいなのか。
無意識に、未だに繋がれた手を、少しだけ強く握ってしまう。
そして、一つの坂を越えた先で。
「えっと……確か、この辺りのはずです。着きましたよ」
「え? あ、あぁ、そうか。ありが――」
ありがとう。そう言おうとして、思わず息を呑んだ。
沢山の黄金輪が、太陽に向かって力強く花開いている。
花自体の美しさは去ることながら、黄金比を形成するの種の並び方にも、目を見張る程の芸術性を感じた。
背高なそれの中に混じって、小柄な背丈もあるが、例えそうだとしても、美しさが欠けたり、くすんだりすることはない。
黄色の瑞々しさを持つ夏の花は、神々しいとも思える。
「ひまわり、畑……?」
「合ってましたか。えぇ、そうですよ。ここの向日葵畑は、私が子供のときから綺麗な場所なんです。村の皆も言っているんですよ?」
雲一つない晴天に恵まれ、とは正に今日のことなのだろう。
深みのある青は、煌めく日光をさらに輝かせ、引き立てている。
向日葵の黄色はそれを反射し、幾つもの太陽となる。
それこそ、向日葵が本物の太陽のように。
視界いっぱいに広がり、地平線へと繋がる向日葵。
あまりの玲瓏さには、鳥肌が立って、いい意味で寒気すら憶える。
再び、歩いてきたときの言葉を思い出した。
都会にはない光景。その美しさ。
正直、この光景にすら恋してしまいそうだ。
狭く、厳しい縦社会に埋もれながら、この尊い存在を見逃すなど、勿体無いの一言に尽きる。
「なぁ。写真……撮ってもいいか?」
「えぇ。いつまでも待っていますから、好きなだけ――」
「いや、そうじゃない。《《君も一緒に》》写ってくれないか? この向日葵畑を、背景に」
「私、ですか……?」
この素晴らしい向日葵畑を背に、解語の花が写った写真。
それはもう、想像できないくらいに最高の写真となることだろう。
幸い、短い旅の道具として、デジタルカメラは持参してある。
今もそれは持ってきているので、後は撮るだけだ。
「勿論、無理にとは言わない。嫌だったら嫌と、はっきり言ってほしい」
「いえ、そうじゃないんです。私で、いいんですか?」
「むしろ、君がいい。君が、一番この光景が似合うだろうから」
本心だった。それも、随分と確信のある本音だ。
俺が見た人間の中で、この光景をバックにしたとき、一番似合うのは彼女だ。
大袈裟な話だが、不思議と俺はそんな確信を持っていた。
人との交流が少ないだとか、そんな程度の低い話をしているんじゃない。
もっと別次元の、尊厳とかいう話なのだろう。
少なくとも、俺はそう思うのだ。
「……わかりました。ポーズは、何かご所望ですか、カメラマンさん?」
「そう、だな。片手を帽子に、片手をピースで、できる限りの眩しい笑顔で」
「ふふっ、了解です」
「おっ、その笑顔いいねぇ」
「もう! あんまり茶化さないでください!」
一つ軽いおふざけを投じたところで、手荷物からデジタルカメラを取り出す。
レンズを向けて、彼女に合図を送った。
受け取った彼女が、先程伝えたポーズをそのまま、ゆっくりととる。
太陽に負けないくらい。いや、太陽にも勝ったのではないかと思うほどの、眩しい笑顔も前に出して。
不意に笑みが溢れながら、言葉を切る。
「はい、チーズ!」
瞬間、シャッターを切った。
彼女の輝かしい笑顔を収めた光景は、レンズの中での一瞬を凍結されて、切り取られた。