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八月の夢見村  作者: 狼々
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「昨日は、つい甘えてしまいました。ごめんなさい」

「謝ることじゃないさ」


 朝食を食べ終わって、彼女の部屋に戻った後。

 彼女からは、謝られていた。


 当然、俺が言うように謝ることではない。

 甘えることは、決して悪いことではないのだから。


「それに、俺が君にできることなら何でもするよ」

「やっぱり、貴方は優しいです。つい甘えたくなってしまいます」

「まあ、俺ほど優しい人間となると、世界中探しても片手で数えるくらいしかいないだろうけどな?」

「もう、さすがに言い過ぎですよ」


 少しおちゃらけながら、笑い合う。

 心躍るような、相当に楽しい出来事なわけでもない。

 年に数度しかない、貴重なイベント事というわけでもない。

 しかし俺にはこの何気ない、殆ど意味すらないような会話が、楽しくて仕方がなかった。


 真っ白な雲を掻い潜って、切れ目から朝の陽光が漏れ出している。

 清々しく、純度の高い可視光は、この部屋の灯りの役割を担った。

 雲もアトリウムとなっていて、少しだが灰色の光が雲の向こうに見える。


 堂々と佇む木々の合間を縫う風で揺れる風鈴の舌。

 心地良い硝子音は、小さな椀の中で反響した。

 音の波は湾曲面から遥か遠くへと飛び出して、俺達の耳に届いている。


「この風鈴、実は私が選んだんです。音が、とても好きでした」

「へぇ、案外、俺と君は音の感性が似ているのかもな。俺も硝子製の風鈴の方が、音が澄んでいる気がするよ」


 景色は見えなくとも、音は同じものを聞いている。

 何が制限されるでもなく、全く同種の音楽が共有されるように聞こえているのだ。

 それが、個人的には嬉しく感じられた。


 目の前の人間と置かれる環境が同じでも、相手と同じ五感情報を受け取っているとは限らない。

 共通した音や視界が広がることが当たり前。そう思うのは大きな間違いだ。

 現に、彼女は過去数人の旅人から、枉屈(おうくつ)されていたのだから。


 無意識の抑圧ほど、(たち)の悪いものはない。

 無自覚の圧力ほど、相手を困らせるものはない。

 彼女が盲目であることを知ったときの態度は、少なからず彼女にとって圧力だった。


 せめて、彼女が俺と話しているときくらいは、気の向くままにしてほしい。

 それだけでなく、一寸の光陰軽んずべからずとも言う。

 楽しむのならば、文字通り徹底的に楽しむべきだろう。


「で、君は今日、何がしたい?」

「貴方と一緒なら、どこで何をしても私は満足ですよ」

「そう言われてもな~……あれだ。何でもいいっていう答えが一番困る」


 料理においても、行きたい場所においても、何でもいいという返答が最も困ってしまうものだ。

 自分の希望を控える謙虚な部分も垣間見えるが、困るときは本当に困ってしまう。


 俺はこの村にどんな場所があるのかを、殆ど知らない。

 知っているとしても、行ったことのある向日葵畑や市場、後は駅くらいだ。

 二度目も悪くないのだが、せっかくなので新しいところへ行きたいとは思う。


「そうは言いますが、今日で最後なのですよ?」

「まぁ、そうなんだけどさ……」


 こうして考えている間にも時は刻一刻と過ぎゆく。

 時間は駆け足に、やがて疾走するほどに加速することだろう。

 生憎ながら、時間は待ってくれない。

 足を止めてくれるというのなら、いっその事楽な話なのだが。


「よし。午前中は何か話して、午後になったら外に出かけよう」

「わかりました。では、外出は手を引いてくださいね?」

「勿論だとも。というより、今までもずっと手は繋いでいただろ」

「そう、ですね。だって、手を繋いだ方が落ち着きますから」


 彼女は俺の胴体から、探りながらに手を辿って繋ぐ。

 落ち着くのは、何も彼女だけではない。

 俺自身も、触れた手から暖かみが全身へと巡る。


「やっぱり、手を繋いだ方が、危険はなくなって安心するのか」

「あっ、えっと、それもそうなんですが……貴方だからでも、あるんですよ」


 今度は、俺の片手を彼女の両手で握られる。

 手のひらも甲も柔らかな感触に包まれて、心臓は跳ねた。


 俺はたった一つだけだが、不安があった。

 それが、彼女が俺と手を繋ぐ理由だ。


 彼女が何故、いつも俺の手を握りたがるのか。

 それを考えると、全盲だからという結論が一番に頭を駆けた。

 実際、それが一番の理由なのだろうと納得もできたはず。

 しかし、同時に少し残念でもあったのだ。


 一人で勝手に舞い上がって、手が触れ合う度に喜んだ。

 そんな過去の自分を思い出すと、恥ずかしさと残念感があった。

 彼女は俺と手を繋ぐことを、どう思っているのだろうか。

 それを考えると、不安だったのだ。


「そうか。ありがとうな」

「こちらこそ。貴方には、支えてもらってばかりなんですから」

「たった数日のことだし、ばかりってわけでもないんだろうけどな」


 けれども、俺にできることはやったつもりだ。

 彼女のためを思った結果、彼女が助かったのなら万々歳。

 笑っている彼女が見られたならば、それは十分過ぎる見返りというものだろう。


「いいえ。私は貴方がいなかったら、きっと辛いままでしたから」

「……まぁそれなら、よかったよ」

「あっ、照れていますか? 照れていますよね? その声は照れている声ですよ」

「う、うるさいなぁ。いいじゃないか、別に」

「ふふっ、意外と可愛いんですね」


 可愛いと言われると、余計に羞恥の念が巻き上がってしまう。

 ただ、嬉しさ半分、複雑さ半分というものでもある。


 男性が可愛いと言われているのは、あまり恋愛対象として見られていない感じがする。

 女性の感情はわかりかねるが、本当のところはどうなのだろうか。

 愛しさなどの気持ちを男性に持つのか、俺としては気になるところである。


「あの、失礼ですが、女性との交流は多かったのですか? あまり慣れているようにも見えない、と言いますか……」

「そういえば、機会の数は言ってなかったか。いや、平均的にはあったな。そう信じたい」

「あ、あはは……」


 彼女の呆れた笑いが、乾いて聞こえた。

 しかし、自分でも平均がどれほどなのかの区別がつけられない。

 交際の経験だってないわけではないし、そういう意味では平均なのだろうか。


「だ、大丈夫ですよ! 母も、恋愛に期間は関係ないって言っていました。きっと数にも同じことが言えるはずです!」

「慰めかよ……」


 結局、何を話しても笑いに行き着いてしまう。

 話しているだけで楽しいのは、本心だということ。

 それが、深く実感できた。

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