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第六話 さよならイチカちゃん 前編

 波の音が、規則的に聞こえる。

 ヒナミたちは、海辺の道を歩く。

「あの人、やっぱりどっかで会ったことある」

 歩きながら、おもむろにイチカちゃんはいった。

「あの人って、さっきの男の人?」

 ヒナミは尋ねる。

 イチカちゃんは「うん」とうなずく。

「はじめはパパに似てるだけかなっって、思ってたんだけど、絶対それだけじゃない。どっかで会ってるよ」

「で、どこで会ってんの?」

 ミホが聞いた。

「わかんない」

 イチカちゃんは即答した。

「わかんないけど、間違いないよ」

 イチカちゃんの疑問に答えが出たのは、その少し後のこと、ヒナミたちがヒナミの家に到着して、リビングに入ったときだ。

「あー。思い出したー。お葬式に来てた人だー」

 イチカちゃんは叫んだ。さっきの男の人は、リビングにいた。ヒナミのお父さんと一緒に、コーヒーを飲んで、くつろいでいた。

「よっ」

 男の人は、手を挙げて挨拶をする。

「おかえり、ヒナミ。イチカちゃん。それからいらっしゃい、ミホちゃん」

 お父さんはいった。

「その人、お父さんの知り合い?」

 ヒナミは尋ねた。

「うん。イチカちゃんの遠い親戚の人だよ。前から連絡は取りあってたんだ」

 お父さんはそういった。どことなく、機嫌がよさそうに見える。

「ごめんね。急に予定が空いたから、イチカに会いに来たんだよ。そしたら、学校に行ったって聞いたから、見に行ったんだけど……ビックリしたよ。急に走り出すんだもん」

 男の人は苦笑いのような笑みを浮かべた。

「ごめんなさい。ずっとこっちを見てたから、不審者かと思って……」

 ヒナミは首を曲げて、お辞儀をした。

「元気があっていいよ」

 男の人は笑いながらいった。

「ヒナミちゃんだね。イチカが世話になったね。ありがとう」


 男の人はそういった。その視線は、明らかにヒナミの脚を見ていた。

「かわいそうに。子供なのに」

「べつに。これが、私の普通ですから」

 ヒナミは少しいら立っている自分を感じた。その理由は、わからなかった。

「ヒナミちゃん、ミホちゃん、ちょっとだけ、この人とお話したいの」

 イチカちゃんはつぶやくように、小さな声でいった。


 イチカちゃんをリビングに残して、ヒナミとミホはヒナミの自室へ移動した。

 リビングで、イチカちゃんと、お父さんと、男の人が話す声がする。でも、会話の内容まではわからない。

「あの人、イチカを見てたんだね」

 ミホはいった。

「うん」

 ヒナミは小さくうなずく。なんだか、なんだろう。そう、恥ずかしさだ。なんてことないことで、大騒ぎしてしまった恥ずかしさ。

「なんか……」

 ヒナミはそういってから、次の言葉を考えた。

「なんか、ごめんね」

 結果、出てきたのはそんな言葉だった。

「いいよ」

 ミホは、短く答えた。なんにも気にしてない様子だ。本当に気にしていないのか、気にしていないふりをしてくれているだけなのかは、よくわからない。

 ヒナミは部屋のすみに置いた水槽に目をやる。亀は、いつも通り、ぼんやりとした目でヒナミを見ている。

 ウミのせいにしちゃ、駄目だよね。

「これから、どうする? ヒナミ」

 ミホが尋ねる。

 ヒナミはドアのところまで這っていくと、ちょっとだけ開けた。リビングから、お父さんと、男の人と、たまにイチカちゃんの声も聞こえる。

「二人で、見に行こうか。イチカちゃんの水着」

 ヒナミはミホを見ながらいった。


 お母さんに事情を話すと「行っておいで」といってもらえた。交通費と水着代に使いなさいといって、おこずかいももらえた。

 ヒナミはミホと駅へ行くと、やって来た電車に乗り込んだ。適当な空席を見つけ、二人並んで座る。

 カタリ、コトリ。電車は軽い足取りで走る。

 地元の駅から電車に乗って二十分ほど。松山市駅に到着だ。

 駅の上は大きなデパートになっている。小学校に入る前、お父さんがデパートの上の観覧車に乗せてくれたのを覚えている。

「イチカって、身長どれくらいかな?」

 子供服売場。ずらりと並んだ水着を見ながら、ミホはいった。

 ヒナミより高くて、ミホより低い身長。それは病死した友達、チサトちゃんと同じくらいだ。生前、チサトちゃんはいっていた。自分の身長は一三〇センチちょっとだと。

「一三〇センチってとこじゃないかな? 勘だけど」

 ヒナミは、あえてチサトちゃんの名前を出さないでいった。

「そうだね。チサトと、同じくらいだもんね」

 ミホが、チサトの名前を出したことで、ヒナミは安心感を覚えた。チサトちゃんのことを忘れられないのは、自分だけじゃないんだと。

「うん」

 ヒナミは、うなずいた。

「これなんてどうかな?」

 ヒナミは適当に近くにあったものを指差す。値段も、サイズも、ちょうどいい感じだ。

「う~ん。もうちょっといいのない?」

 しかし、ミホは不満げだ。

「でも、学校行事だから、あんまり派手なのは……」

「それにしても、プレゼントなんだから、かわいいのにしなきゃ。これとか」

 ミホが手に取ったのは、ミニスカートのような飾り布のついた水着だった。

 そうだ。ミホの意見ももっともだ。

「うん。そうだね。いいと思う」

 ヒナミは素直に感想をいった。

 その水着は、お母さんからおこずかいではちょっと高かった。だから、ヒナミとミホは前から貯めていたおこずかいも少しずつ出し合った。


 駅のホームで電車を待つ。

「イチカ、喜んでくれるかな?」

 ミホの手には、デパートの袋が握られている。

「うん。大丈夫」

 ヒナミはいった。きっと、似合うはずだ。

 踏切の音が鳴り、電車はゆっくり、ホームへ滑り込む。

 帰りの電車は、部活帰りの学生で混んでいた。でも、ドアの近くに座っていた人が席を譲ってくれた。ヒナミは大丈夫といったけど、強く勧められたのでご厚意に甘えさせてもらうことにした。

 やがて線路は、緩やかな曲線を描く。そこを抜けると、車窓に海が広がる。沈みかけの夕日に、オレンジ色に照らされている海だ。

 電車は弱いブレーキをかけて減速する。

梅津寺(ばいしんじ)梅津寺(ばいしんじ)です。ありがとうございました』

 アナウンスが入る。ヒナミとミホの降りる駅だ。

 駅に止まり、ドアが開いてから立ち上がり、電車を降りた。

 駅員さんに切符を渡し、駅の外へ。

「あれ、イチカちゃん?」

 駅の横の踏切をイチカちゃんが渡っていく。見間違えじゃない、イチカちゃんだ。

「どこいくんだろう?」

 ミホも気付いたようだ。

 イチカちゃんの後を追って、踏切を渡る。そこは、砂浜になっている。どこにいったんだろう。キョロキョロと周りを見る。

「ヒナミ、あそこ、あそこ」

 ミホが指差した先、イチカちゃんは靴を脱ぐ。続いて、靴下も脱ぐ。

「なにしてるんだろう?」

 裸足になったイチカちゃんは、海へと入っていく。

「イチカちゃーん」

 ヒナミは大声でそういいながらイチカちゃんに近付く。イチカちゃんは、驚いたように振り返り、ヒナミを見た。

 ヒナミとミホはゆっくり近寄る。イチカちゃんはじっと待っていてくれた。

「なにしてんの?」

 ミホが尋ねる。

「これをね」

 イチカちゃんの手の中には、折り紙の舟があった。図書室で折っていたやつだ。

「これをね、パパとママにあげようと思うの」

 夕日でオレンジに染まる波が、イチカちゃんの素足をなでる。

「人間は、舟がないと海を行くことはできないから」

 イチカちゃんはその場でしゃがむと、水面に船を浮かべた。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 波を乗り越え、舟はその場に留まる。

「パパ、ママ。イチカの舟をあげるから、だから、帰ってきて」

 イチカちゃんは祈るようにつぶやいた。その途端、大きな波が来て、舟を飲み込む。

 波が引いたとき、舟は無くなっていた。

「お待たせ」

 立ち上がり、ふり返ったイチカちゃんは、いつもの笑顔だった。


 海辺の道に沿うように、堤防が続いている。イチカちゃんは、堤防によじ登ると、両手を広げて歩く。ヒナミとミホは、その横の道を歩く。

「おじさんが帰ってから、ヒナミちゃんとミホちゃん、電車で出かけたって聞いたから、駅までお迎えに行ったの」

「おじさんって、あの男の人?」

 ヒナミが尋ねると、イチカちゃんは歩きながらうなずく。

「それでね、ヒナミちゃんとミホちゃんは電車でお出かけしたって聞いたから、駅までお迎えに行こうって思ったの。そしたらね、思いついたの。駅って、海の近くでしょ。せっかくだから、イチカの舟、パパとママにプレゼントしちゃおうって」

 イチカちゃんはトン、トン、トンとリズムをつけて、スキップする。

 トントントン。

 トントン。

 トン。

「あのね、ヒナミちゃん、ミホちゃん。イチカね、おじさんのところで暮らすことになったの」

 うん。なんとなく、そんな話かもしれないと思ってた。

「でも、イチカ親戚の人と仲悪いっていってなかった?」

 ミホは心配そうに尋ねた。

「うん。でもね、おじさんが説得してくれるって。しばらくは、外出とかも、できないかもしれないけど、なんとかするって」

「外出できないの?」

 ヒナミは、違和感を覚えた。あの男の人に好印象を持っていないから、疑いぶかくなっちゃってるだけなのかもしれないけど。

「うん。親戚の人たちがいっぱいいる街だから、見つかったらいじめられちゃうかもしれないからって」

 イチカちゃん大丈夫かな。本当に、このままなにもしないで行かせてしまって、いいのかな。

「いつ出発なの?」

 ヒナミはイチカちゃんの顔を見ようとした。でも、夕日がまぶしくて、見えない。

「明日の夕方」

「急、だね」

 ミホが静かにいった。

「うん。おじさんが、はやい方がいいだろうって」

 イチカちゃんはスキップをやめ、ゆっくりと歩きはじめる。

「どこに、行くの?」

 ヒナミの足下に、イチカちゃんの影が伸びる。

「呉。お船の生まれる街。ごめんね。学校でお泊り、行けそうにないの」

「いいよ。呉ならまた会いに行ける。きっとね」

 ヒナミは内心、ちょっぴり安心していた。ここ、愛媛県の松山市から広島県呉市はそう遠い場所ではない。家の近くの港から、高速船も出ている。

「海、大丈夫? 怖くない?」

 呉は、海辺の街だ。ヒナミが尋ねると、イチカちゃんは足を止め、海の方を見た。

「昼の海は平気。夜は、ちょっと怖いかな。でもでも、きっと、いつかは平気になれると思う」

「無理しないでね」

 イチカちゃんは、小さくうなずいた。

「イチカっ!」

 ミホは突然、手に持っていたデパートの袋をイチカちゃんに投げた。

「えっ? あっ! うわっ!」

 イチカちゃんは危うく袋を落としそうになりながらも、なんとかキャッチする、のだが今度はイチカちゃん自身がバランスを崩した。

「うわっ」

 フラリ、フラリ。イチカちゃんはよろける。そして、ドシンと堤防から道路へ落ちた。

「イチカちゃん、大丈夫?」

「ごめん、やりすぎた」

 ヒナミとミホが近付くと、イチカちゃんは仰向けに寝そべっていた。胸にデパートの袋を抱えて。

 イチカちゃんは今にも泣きそうな顔をしている。泣き出しそうなくらい、嬉しそうな笑顔だ。

「ありがとう」


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