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第五話 海の見える場所

 イチカちゃんがヒナミの家にやってきて、数日がすぎた。

 その日、ヒナミはイチカちゃんと一緒に学校へやってきた。夏休みの間の学校が静かだというのは納得がいく。でも、普段より広く感じるのは不思議だ。

 ヒナミは、普段、先生たちが使っている玄関から校舎に入り、階段を上る。自分の学校なのに、なんだかちょっと、緊張する。

「へー。ヒナミちゃんのがっこ、広いね」

 イチカちゃんはきょろきょろと周囲を見回している。

 階段を上がって、廊下を進んで。職員室の前までやってきた。

「ちょっと、待っててね」

 ヒナミがいうと、イチカちゃんは笑顔でうなずいた。

 イチカちゃんが開けてくれたドアから職員室に入る。

「失礼します」

 職員室にいる先生の人数も普段より少ない。ああ、夏休みだ。

「あら、ヒナミさん。どうしたんですか?」

 ヒナミに気付いたのは、立花先生だった。

「あの、ちょっと訊きたいことがあって」

 立花先生の視線は、ヒナミの後ろを見ている。

 ヒナミが振り返ると、ドアから顔をのぞかせるイチカちゃんの姿があった。

「ヒナミさんの、お友達ですか?」

 ヒナミは「はい」と答えた。すると、立花先生は軟らかい、フワッとした表情を浮かべる。

「廊下に、出ましょうか」

 立花先生と一緒に、廊下に出て、イチカちゃんとむきあう。

「こんにちは、郡中イチカです。四年生だよ」

 イチカちゃんの声が、廊下に響く。

「立花キヨミです」

 立花先生はイチカちゃんの大きな声に動じる様子はなく、いつも通りの口調だ。

「それで、先生、これなんですけど」

 ヒナミは片方の杖に体重を預けて、空いた手でポケットから紙を取り出した。

 それは、終業式の日にもらった『学校に泊まろう』のパンフレットだった。四つ折りにしてポケットに入れてきた。

「これ、イチカちゃんも参加したいそうなんですが……」

 立花先生はヒナミからパンフレットを受け取ると、広げて、注意書きのところをしげしげと見つめる。

「そうですねー。本来は、この学校の児童だけですからねー」

 立花先生は難しい顔をした。

 あれ?

 そういえば誰もイチカちゃんがこの学校に通ってないなんていってない。もしかして立花先生、この学校に通ってる三百人ちょっとの全員の顔と名前を覚えてるの?

 いや、そんなわけないか。うん。

「一度、校長先生に聞いてみますね」

 立花先生はそういい残して職員室に入っていった。

「今のセンセ、ヒナミちゃんの担任?」

 立花先生の背中が見えなくなってから、イチカちゃんは尋ねた。

 ヒナミはうなずく。

「いいなー。イチカも、あんな優しい先生に当たりたいなー」

「イチカちゃんの学校の先生、恐い人なの?」

「うーん。優しいときは優しいんだけど、よく怒るんだ。ちょっと怖い」

「そっか」

 そのとき、立花先生は職員室から出てきた。

「イチカさんも、参加してよいそうです」

 ヒナミはイチカちゃんと顔を見合わせた。一花ちゃんは笑っていた。多分、ヒナミも笑っていたと思う。

「ただし、条件があります」

 立花先生は声を低くした。

「イチカさん、なにか訊かれたときは四年二組に通ってます、って答えてくださいね」

 あの、立花センセ? ホントに許可、もらえたの?

「これ、持ち物の一覧です。忘れ物の無いようにおねがいしますね」

 立花先生が差し出したプリントを、ヒナミとイチカちゃんはそれぞれ受け取った。

 持ち物は、着替え、パジャマ、などなど。あ、水着がある。

「あの、イチカは名札と水着、どうしたらいいですか?」

 イチカちゃんの声がして、ヒナミはプリントを見直した。確かに、持ち物の中に名札と水着がある。

「そうですねー。イチカさん、お名前はどう書きますか?」

「苗字はおおざとに君のグンに、真ん中のナカで郡中。名前は一つの花で一花だよ。ハナは簡単な方のハナ」

「わかりました。少し待っていてくださいね」

 立花先生は職員室に入っていった。

 数分後、出てきた立花先生が持っていたのは名札だった。


『四年二組

     郡中 一花』


 この学校の名札は、ケースに厚紙を入れるタイプのものだから、簡単に作れるのはわかる。わかるんだけど、本当に校長先生の許可もらえたの?

「水着だけ、ご自分で用意していただけますか? 一応、学校行事ですので、派手すぎない、授業で使っているのと同じようなのでお願いします」

「プール、入るんですか?」

 イチカちゃんはすかさず訊き返した。すごく真剣な顔だ。

「はい、天候次第ですが」

 立花先生はそういって微笑む。


 イチカちゃんが手を動かすたびに、紙がこすれる音がする。

 ここは図書室。夏休みだけど、今日は解放日。

 本を読みに来ている人のほかに、低学年の子供たちが折り紙やけん玉で遊んでいる。それ用にカーペットを敷いた場所が作ってある。

 ヒナミは机にむかい、本を広げた。いろいろな職業を紹介する本だ。

 夏休みの宿題に、お父さんかお母さんの仕事について調べるというのがあって、そのためにここにきた。

 お父さんに話を聞けば、すぐにすむ話だけど、やっぱり下調べもしておかなきゃ。

「できたー」

 イチカちゃんの手元には、折り紙で折られた船があった。

「ヒナミちゃんのお父さん、カッコいいよね」

 イチカちゃんは、手元の作品を見ながらいった。

「うん。私のお父さんだからね」

 英語がペラペラで、外国の話をよくしてくれるお父さん。袖口に三本、金色の帯が入った制服姿も、似合っている。

 ヒナミは手元に視線を落とした。開かれた本の頁は『航海士』を紹介していた。

「色、塗っちゃお」

 イチカちゃんはクレヨンを手に取った。


 ヒナミとイチカちゃんが校舎を出るとミホがいた。

「よっ」

 ミホは手を挙げて挨拶をした。

「どうしたの?」

 ヒナミは尋ねる。

「ヒナミん家に遊びに行ったら、学校だっていわれたからさ。これからヒマならさ、遊ぼうよ」

 ヒナミはいいけど、イチカちゃんはどうなんだろう。

「うん。イチカも行くー」

 決定だ。

「んで、どこ行くの?」

 ヒナミは尋ねた。

「ヒナミもイチカも、どっか行きたいとこある?」

 ミホは、ヒナミとイチカの顔を順に見る。

「あの、イチカね、服屋さん行きたいんだけど、いいかな?」

 イチカちゃんは遠慮がちに手を挙げた。

「服屋? いいけど、なんかほしいものでもあんの?」

 ミホが尋ねる。

「うん。イチカね、水着持ってないから、だからね、行きたいな。今度ね、学校でお泊りするの。そのときに、ヒナミちゃんに泳ぎ方教えてもらうんだ」

 ミホは突然、イチカちゃんの髪をワシャワシャとなでる。

「あたしも参加するんだ。よろしくね」

「うん」

 イチカちゃんは大きくうなずいた。

 ヒナミ、ミホ、イチカちゃん。三人で並んで歩く。はずだったのだけど、ヒナミだけ遅れてしまった。

 誰かがヒナミの服の袖を引っ張ったからだ。

 視線をむけると、銀色の髪と、青い瞳の女の子、ウミだった。

「なに? ウミ」

 ヒナミが尋ねると、ウミは前方を指差す。ミホと、イチカちゃんが歩いている。

「あの二人がどうかしたの?」

 ウミはブンブンと首を横に振った。

「じゃあ、校門?」

 ウミはうなずいた。

「ええっと……」

 ヒナミは目をこらしてみる。そして気が付いた。

 校門の影から、まっすぐにこちらを見ている人がいる。男の人だ。全く目をそらさない。ヒナミたちを凝視している。

「あの男の人のことを教えてくれたの?」

 ウミはうなずく。

「あの人、悪い人なの?」

 ウミは、うなずく。

「ミホ!」

 ヒナミは叫んだ。ちょっと、声が裏返った。

「どしたの? ヒナミ」 ミホはヒナミの前まで戻ってくる。イチカちゃんもだ。

「ねえ、ミホ」

「ん?」

「おんぶして」

「は?」

 ミホはキョトンとした表情を浮かべる。まあ、そうだよね。

「おんぶ」

「ヒナミ、どしたの?」

「ヒナミちゃん?」

 ミホも、イチカちゃんも、心配そうにヒナミを見つめる。

「さっきからずっとこっちを見てる人がいる。ヘンな人かもしれない」

 ヒナミは早口で一気にいった。

「ホント?」

 イチカちゃんがいった。

「うん」

 ヒナミは即答した。

「わかった。乗って」

 ミホはヒナミに背中をむけると、その場にしゃがんだ。

「杖持つよ」

 イチカちゃんが手を差し出す。

「ありがと」

 ヒナミはイチカちゃんに杖を渡すと、ミホの背中につかまった。

「校門をくぐったら走るよ。左ね」

 そういいながら、ミホは立ち上がった。

「わかった」

 イチカちゃんは大きくうなずく。

 イチカちゃんと、ヒナミを背負ったミホは校門へむかう。

「あの人?」

 ミホは、小さな声でいった。その視線は、例の男の人を捕らえているようだ。

「うん」

 ヒナミも、小さな声で返事をした。

「あれ? あの人……」

 イチカちゃんは一瞬、不思議そうな顔をうかべた気がする。でも、一瞬でその表情は消えた。だから、ヒナミの気のせいだったかもしれない。

 校門が近づいてくる。ヒナミの緊張は高まる。ウミがわざわざ知らせてくれたんだ。どんな人かわかったもんじゃない。

 校門を抜けて。

「今っ」

 ミホは走り出す。グイグイ加速する。ヒナミは小柄で体重も軽いとはいえ、人を一人背負ってこの走りはすごい。

「イチカ、ついてきてる?」

 走りながらミホはいった。ヒナミは振り返る。

 やや遅れ気味ながら、ついてくるイチカちゃんが見えた。

「大丈夫」

 ミホの頭越しに、前の景色が見える。

「ミホ、左」

 ヒナミはいった。

 道路の左側にお墓がある。ミホはそこに飛び込み、そのまま適当な墓石の裏に隠れ、ヒナミを降ろした。

 少し遅れて、イチカちゃんもやってきた。三人並んで、墓石の裏に隠れる。いや、隠れられてはいないんだろうけど、でも、気持ちは少し楽になる。

 ミホとイチカちゃんはしゃがんでいて、ヒナミは正座をしている。

「二人とも、もうちょい寄りな」

 ミホはヒナミとイチカちゃん、それぞれの肩に腕をまわして、体を引き寄せる。

 十秒、十五秒、二十秒。

 時間が、ゆっくりに感じる。

「もうそろそろ、いいかな」

 数分たった頃、イチカちゃんは小声でいった。

 ミホも、墓石の影から顔を出す。

 ヒナミは、ふう~と息を吐いた。大丈夫そうだ。

「はやめに出ようよ。この人に悪いよ」

 イチカちゃんは、墓石を見ながらいった。

「大丈夫だよ」

 ミホは墓石の正面にまわる。

 ヒナミも、ミホの後に続く。立ち上がるときイチカちゃんが手伝ってくれた。

「ありがとね」

 墓石に刻まれた文字を見ながら、ヒナミはいった。


『森松智里之墓』


 イチカちゃんも、墓石を見つめる。

「知ってる人?」

 イチカちゃんは静かに尋ねた。

「友達。海が、好きだった」

 彼女の実家は、松山から遠く離れた東京だった。でも、お墓はここにある。海が好きだったから、海の見えるこの場所にある。

 イチカちゃんはなにもいわず、しゃがんで手を合わせた。

「ありがとう」

 ヒナミは口の中でつぶやいた。

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