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第二話 富士山(ふじのやま)

本文内で以下の歌の歌詞を、著作権が消滅していることを確認のうえで使用しています。

『富士山』作詞:厳谷小波 作曲者不詳



 あくびをしながら校長先生の話を聞く終業式と、恐怖の通知簿配り、それから夏休みの注意を聞いて、学校は終わり。

 家に帰っても、ヒナミはソワソワと落ち着かない。

「ねーちゃん、気持ち悪い」

 昼ごはんのとき、ヨウタはヒナミの顔を見ていった。ヨウタは電車で私立の小学校に通っている。こちらも、今日は終業式だけだったらしく、午前中で返って来た。

「姉にむかって気持ち悪いとは失礼な」

 ヒナミはすすっていたそうめんを飲み込んでからいった。

「だってねーちゃん、にやけっぱなしだし」

 ヨウタはそういうと、そうめんをつゆに漬けた。

「そんなに成績よかったの? 楽しみだわ」

 お母さんはヒナミを見ながら、ニヤリと笑った。

「まあ、それもあるけどね」

 確かに、今学期の成績は、ヒナミにしてはかなりいい方だった。算数以外は。でも、それだけじゃない。

 カレンダーを見た。間違いない。今日の日付に船のシールが貼ってある。

 ヒナミはそうめんをすすった。

 ちなみに、昼食の後、お母さんに通知簿を見せたところ「悪くないんじゃない。算数以外は」とのコメントが帰って来た。

 ヨウタの通知簿を見ると、ヒナミよりずっといい成績だった。算数以外もだ。同じ四年生なのに、なのに。

 チキショウめ。


 昼下がり、玄関のドアが開く音がした。

 ヒナミは急いで、といっても動きはゆっくりだけど、とにかく気持ちだけ急いで、勉強机に掴まって立ち上がり、自室を出た。

 部屋を出てすぐのところが玄関で、そこにはお父さんがいた。

「やあ、ただいま。ヒナミ」

「おかえり、お父さん」

 ヒナミは大きな声でいった。自然と、笑顔になっていた。だって嬉しいもん。お父さんが帰ってくるの、三カ月ぶりだし。

「おかえり」

 ヒナミの後ろから、お母さんも顔をのぞかせる。

「ただいま」

 お父さんはお母さんから目をそらした。あれ、なんだか緊張しているように見える。どうしたんだろう。

「お父さん、どうしたの」

「え、いや、その」

 お父さんはずっと玄関に立っていて、家に入ってこようとしない。

「どうしたの、入らないの」

 お母さんも、心配そうに声をかける。

「落ち着いて聞いてほしいんだけどね」

「うん」

 ヒナミとお母さんは同時にうなずく。

「ちゃんと、事前にいおうとは思ったんだよ」

「うん」

 ヒナミとお母さんは同時にうなずく。

「ただ、いろいろと忙しかったんだ」

 お父さんは、横によける。お父さんの後ろに、女の子がいた。

 ヒナミより高くて、ヨウタより少しだけ低いであろう身長。小学校四年生くらいだろうか。リボンが巻かれた登山帽の下からのびる髪は、二つにくくっている。荷物は、大きめのリュックサック一つだ。

 女の子は、帽子を脱ぐ。

「グンチュウ・イチカです」

 女の子――イチカちゃんはいった。聞き取りやすい、声量のある声だった。

 グンチュウ、珍しい苗字だな。字は『郡中』かな。そういえば、学校へ行くとき、前を通る家にそんな表札が出てたな。

 ヒナミはぼんやりとそんなことを考えていた。

「今日から、お世話になります」

 イチカちゃんは、深々と頭を下げた。


 お父さんはリビングのソファーに座っている。というか、座らされている。

 お父さんの前には、仁王立ちのお母さん。

「ヒナミ、ちょっと、イチカちゃんを部屋へ案内したげなさい」

 お母さんはいった。笑顔が、引きつっていた。

「はーい」

 ヒナミはイチカを見た。イチカちゃんも、ヒナミを見ていた。

「行こうか」

「うん」

 ヒナミの声に、イチカちゃんは大きくうなずいた。

 リビングから廊下に出て、玄関の方へ。壁に体重を預けながら歩く。

 扉を開けると、ヒナミの部屋だ。

「おじゃまします」

 ヒナミに続いて、イチカちゃんが部屋に入る。

「ふう」

 息を吐いて、ヒナミはベットに座った。

「その辺座って」

 ヒナミがいうと、イチカちゃんは遠慮がちに床に座る。その目線は部屋のすみへむかっている。

 そこにあったのは、ヒナミの杖だった。

「私ね、あれがないと生活できないんだ。事故に遭っちゃって」

 ヒナミは笑ってみせた。

「怪我したの? 大丈夫? 痛くないの?」

 あ、イチカちゃんのこの顔。本気で心配してくれてるやつだ。うれしいな。

「大丈夫。怪我したのは、二年くらい前だから」

 ヒナミは答えた。最近は、痛みを感じることも少なくなってきた。

 イチカちゃんの視線はヒナミを外れ、部屋のすみに置かれた水槽で止まった。

「なに飼ってるの?」

「亀。見ていいよ」

 ヒナミがいうと、イチカちゃんは水槽をのぞき込む。

「亀さん、かわいいね」

 ヒナミも、水槽を見る。亀は、水槽の中の石に登って、ぼんやりとイチカちゃんを見上げていた。

「あなたね、なんの相談もなしにあの子連れて来て」

 お母さんの声が聞こえた。リビングでお父さんと話しているようだ。というか、お父さんにお説教しているようだ。

 イチカちゃんの表情がこわばる。お母さんの声が気になるんだ。

「いや、その、思わずかわいそうになっちゃって」

 お父さんは、お母さんの勢いに押され気味だ。これはいつも通り。

「だから、相談ぐらいしてっていってるの」

 お母さんは大きな声でいった。

「ヒナミちゃん。私、ここにいていいの?」

 イチカちゃんはとても不安そうな顔をヒナミにむける。

「大丈夫。イチカちゃんはここにいていいよ」

 ヒナミはサラリといった。だって、

「前もっていっといてくれたら、イチカちゃんの部屋だって用意しておいたし、晩ご飯だって、もっと豪華なもの、用意したのに。」

 お母さんがそういうの、わかってたもん。


 テーブルの上には、いつも通りの洋食。テーブルの上がいつもより狭く感じるのは、お父さんの分と、それから、イチカちゃんの分もあるから。

「イチカの家の裏はね、お山になってるの。そのお山はね、高さが六三四メートルあってね、東京スカイツリーと同じ高さなの」

 イチカちゃんはさっきからずっと喋ってる。でも、うるさくっていやだ、なんてことはない。むしろ楽しい気分になる。こんなににぎやかな晩ご飯、いつ以来かな。

「ねえねえ、ヒナミちゃん」

 イチカちゃんはヒナミを見ていた。

「ん? なあに?」

 ヒナミは笑顔で応えた。


 夕食の後、お風呂に入って、それから寝る準備。

 ヒナミは自分のベットで。イチカちゃんはヒナミのベットの横に布団を敷いて寝ることになった。

「ねえねえ、ヒナミちゃん」

 布団とベットでは高さが違うから、イチカちゃんの顔は見えない。

「イチカね、今度、富士山に登るの」

「富士山って、あの富士山?」

「そう。その富士山。パパがね、来年の初日の出を見に行こうって」

 ヒナミは富士山を見たことがない。そもそも、本州へ行ったのも、一度か二度だ。

「てっぺんまで、登れそう?」

 ヒナミは尋ねた。

「うん。イチカだもん」

 イチカちゃんの自信にあふれた声。ヒナミの頭に一つの景色が浮かんだ。富士山の山頂に立つイチカちゃんの姿だ。富士山の頂上がどんなところか知らないけれど。

 イチカちゃんが小さく息を吸った音が聞こえた。それから、歌を口ずさむ。


   あたまを雲の上に出し

   四方の山を見おろして

   かみなりさまを下に聞く

   富士は日本一の山


   青空高くそびえ立ち

   からだに雪の着物着て

   霞のすそを遠く曳く

   富士は日本一の山


 一音一音、丁寧に、繊細な模様の布を編み上げるようなイチカちゃんの歌は、とても優しい。

「眠れない夜、パパやママがよく歌ってくれたの。パパはとっても上手なんだけど、ママはすごく音痴なの」

 なんだろう。眠くなってきた。ヒナミはまぶたを閉じた。

「でもね、ママの歌も大好きだった」

 イチカちゃんの声を聞きながら、ヒナミは眠りに落ちていくのを感じた。

「ヒナミちゃん、寝ちゃった? そっか。おやすみなさい」

 うん、おやすみ。


 暗い。

 真っ暗で、何も見えない。

 一定の周期で、体が上下に揺られている。

 腕が痛い。ずっと、ペットボトルに掴まっているから。もう、放しちゃおうか。そしたら、楽になれるのかな。

 パパに会いたい。

 ママに会いたい。

 いつまで、こうしていたらいいんだろう。どうしたら抜け出せるんだろう。

 もう、嫌だ。


 体が、左右に揺れている。

 誰かが、ヒナミの体を揺らしている。

 ゆっくり寝させてよ。

 大丈夫、学校には、間に合うようにおきるから。

 体が、左右に揺れる。

 もう、しかたないなあ。

 ヒナミは目を開けて、上半身を起こす。

 そっか。夏休みになったんだっけ。学校、お休みだ。

 部屋を見回す。ベットの横に、ウミが立っていた。セーラー服を着ている。

「もう、こんな夜中にどうしたのよ」

 ヒナミは口をとがらせるが、ウミはそんなことお構いなしにヒナミの腕を引っ張る。

「なに?」

 珍しく、ウミが慌てているように見える。

「もう、だからなに?」

 ヒナミはベットから顔をのぞかせる。

 ちょうど、月明かりが窓から差し込む。

「イチカちゃんっ!」

 ヒナミは叫びながら、ベットから転がり落ちるように降りる。

「イチカちゃん、大丈夫?」

 ヒナミはイチカちゃんの枕元に座る。

 イチカちゃんは、枕に顔をうずめて、苦しそうなうめき声をあげていた。手が、震えている。

「イチカちゃん、イチカちゃん」

 ヒナミはイチカちゃんの体を揺さぶる。

「どこ? どこなの? ママ、パパ」

 イチカちゃんは、ヒナミに抱きつく。

「うん。大丈夫。だいじょーぶ」

 ヒナミはそういいながら、イチカちゃんの頭をなでた。


 イチカちゃんは、コップに入った牛乳を見つめている。

 とりあえず、リビングへ移動した。

「ごめんね。ヒナミちゃん」

 イチカちゃんは小さな声でいった。

「牛乳、気持ちが落ち着くよ」

 ヒナミはいった。イチカちゃんとは、テーブルをはさんで正面に座っている。

「どうしたの?」

 ヒナミは、優しい口調を心掛けた。

「変な夢……見た」

「どんな夢?」

「大したんじゃ……」

「ほら、いってみて」

 ヒナミはイチカちゃんの語尾に自分の言葉を重ねた。わざとそうした。

「怪物がね、私を飲み込もうとするの」

 うつむいたまま、イチカちゃんはいった。

「怪物?」

 ヒナミが訊き返すと、イチカちゃんは小さくうなずく。

「黒い、大きな怪物。私を飲み込もうと足を引っ張るの。見えるところは、みんな怪物ってくらい、大きな怪物」

 イチカちゃんは、牛乳を一口飲んだ。

「また、私を襲いに来る」

 壁に掛けた時計の長針が、カチリと動く。

「イチカちゃん、海の怪物ってなに? 私でよかったら、話、聞くよ」

「ごめんね。夢の話。もう……もう、大丈夫」

 早口で一気にいうと、イチカちゃんはリビングを出て行った。

コップの中には、まだ牛乳が残っていた。

 イチカちゃん、本当に大丈夫なのかな。

「ヒナミ、ありがと」

 イチカちゃんが出ていったのとは別のドア、寝室から、お父さんが出てきた。もしかして、ずっと見ていた?

「べつに、私は……」

 ヒナミは、短く答えた。それから「ふわ~」とあくびをする。なんだかんだいっても眠い。

「もう寝るね」

 ヒナミはテーブルに掴まりながら立ち上がる。

「ヒナミ、イチカちゃんのこと、頼めるか?」

 お父さんの声。ヒナミはうなずいた。



参考文献

『思い出の童謡・唱歌200』編集:成美堂出版編集部(成美堂出版)



  

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