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第十一話 しおかぜは海を渡る

 広島駅で、新幹線に乗り換える。そこから、三十分ほどで岡山に到着する。

 岡山で、三十分ほど時間があった。だから、昼食を調達することになった。

「おいしそー」

 コンコースの売店で、イチカちゃんは駅弁に目を光らせる。まるで宝箱をのぞき込むような表情。イチカちゃん、元気だ。

「よかった」

 ヒナミはつぶやいた。

「どうしたの?」

 イチカちゃんはヒナミを見つめる。

「ううん。なんでも」

 ヒナミはそういって、自分の昼食を選びはじめた。

「二人とも、決まったかい?」

 お父さんがやってきた。その手には、もうお弁当がにぎられている。

「じゃあ、イチカはこれ」

「うーん。これかな」

 イチカちゃんとヒナミは、それぞれお弁当を選んだ。

 お弁当と、お菓子を調達して、エスカレーターを下る。そこは、四国方面行の列車の乗り場だ。

 ホームに降り立つと同時に、列車の接近を知らせる音楽が流れ始める。

『八番乗り場到着の列車は、特急、しおかぜ十五号、松山行きです』

 ゆっくりと、流線型の特急列車が登場する。銀色の車体は、太陽を反射し輝いている。

「かっこいー」

 イチカちゃんがつぶやくのが聞こえた。


 車内の掃除が終わってから、ヒナミたちは列車に乗り込み、切符に書かれた番号の席に座った。イチカちゃんが窓側で、ヒナミが通路側だ。

「四国って、海のむこうでしょ? どうやって電車で渡るの?」

 イチカちゃんは、首をかしげる。

「瀬戸大橋があるから」

 ヒナミは短く答えた。

「瀬戸大橋? 海を渡る橋なの? そんなのあるの?」

 はしゃぐイチカちゃんに、ヒナミは微笑んだ。


 列車は岡山駅を発車する。

 市街地を抜けると、車窓には山々が見え、何度もトンネルを抜ける。

「おっべんと、おっべんとー」

 イチカちゃんは膝の上にお弁当を置き、ふたを開けた。

「うん」

 ヒナミも、お父さんも、お弁当を広げた。

 最初の停車駅、児島を発車すると、アナウンスが入った。

『次は瀬戸大橋を渡り、宇田津、宇田津です。宇田津で特急いしづち十五号と連結いたします』

 イチカちゃんの、お箸を握る手が止まった。窓の外を、じっと見る。

 列車はトンネルに入り、窓の外は暗くなる。ゴーッという音が響く。窓に、イチカちゃんの横顔がうつる。

 突然、パッと視界が開ける。まぶしい。

 海が、下に見えている。

 何千本もの鉄骨を編み上げてつくられた大橋を、列車は走る。

 眼下に、海が、島が、船が見える。それはまるで、鳥になったような景色だった。空を飛んでいるようだった。


『空を。すごいですね。私、いきたいです』


  ヒナミの頭に、ふと懐かしい声が響いた。そうだった。夏休み、瀬戸大橋を渡りに行こうって話してたんだっけ。

 ちゃんと、大橋まできたよ。チサトちゃん。

「すごいね、ヒナミちゃん」

 イチカちゃんがいった。

「うん。すごいんだよ。瀬戸大橋は」

 ヒナミは、そう返事をした。


 この前、社会の時間に勉強した。瀬戸大橋というのは通称で、実際には六つの橋で本州と四国を結んでいる。

 列車は、十分ほどで六つ全てを渡りきった。

『宇田津、宇田津です。この駅で、後ろに三両、高松からの特急いしづちを連結いたします』

 放送が入った。

「いしづちって、お山の名前だよね」

 イチカちゃんが尋ねる。

「うん。西日本の最高峰だね」

 ヒナミは答えた。

「いつか行ってみたいなー」

 イチカちゃんはうっとりとした表情だ。

 連結作業のため、この駅でしばらく止まる。

 お父さんの、携帯電話が鳴った。

「ちょっとごめん」

 お父さんは、そういってデッキへ行った。

 ヒナミと、イチカちゃんはお弁当を食べる。そのうちに、列車は再び発車した。


 次の丸亀駅に到着しても、お父さんは戻ってこない。

「遅いね」

 イチカちゃんは、心配そうにデッキの方向を見る。

「うん。ちょっと様子を見に行ってくる。ついでに、ゴミも捨てに」

 ヒナミは座席の肘掛けをつかんで、立ち上がろうとする。しかし、ちょうどそのタイミングで電車が動き出し、よろける。

「危ない!」

 間一髪、イチカちゃんが支えてくれた。

「ありがと」

「一緒に行こ、ヒナミちゃん」

 ヒナミはうなずいた。

 イチカちゃんに支えられながら、デッキにやってきた。

 お父さんは、なんだか怖い顔で電話に向かっている。

「はい……はい……まあ、見つかっただけでも、奇跡ですよ。とりあえず、イチカちゃんにはしばらくは……落ち着くまでは秘密に……はい」

 お父さんはそんなことをいっていた。なんの電話なんだろう?

「お父……さん?」

 ヒナミは、遠慮がちに声をかけた。

「へ、ヒナミ!? なんで」

 お父さんの声は裏がえっていた。そんなにびっくりしたんだ。

「す、すみません。後でかけなおします?」

 お父さんは慌てた様子でそういうと、電話を切った。

「イチカに関係のあるお話しなの?」

 イチカちゃんはゴミ箱に中身が空になったお弁当の箱を入れてからいった。

「それは……」

 お父さんは口ごもる。

「私に関係のある話しなんだね」

 イチカちゃんは、さっきよりも強い口調で行った。

 お父さんは、観念したように、息を吐き、しゃがんで視線の高さをイチカちゃんとそろえる。

「イチカちゃん。行方不明だった、お父さんとお母さんが見つかったよ」

 ヒナミは、お父さんの表情から、見つかった、の意味を察した。同時に、それが思い過ごしであることを願った。

「さっき、ある海岸に打ち上げられたんだって。まだ身元の確認が終わってないみたいだけど、たぶん、間違いないよ」

「無事なの?」

 イチカちゃんはうつむく。

「とってもきれいな、海難事故に遭ったとは思えないような、そんな、遺体らしい」

 お父さんは、一言一言、かみしめるように行った。

「死んじゃったんだ」

 イチカちゃんは、あっさりと、ただ、事実を確認するだけだといわんばかりの口調でいった。

「うん。そうだね」

 お父さんは、はっきりうなずいた。

「そっか。そうなんだ」

 イチカちゃんは、顔を上げた。その表情は、笑顔だった。

「よかった」

 イチカちゃんはつぶやいた。でも、ヒナミにははっきり聞こえた。

「さ、席に戻ろ、ヒナミちゃん」

 イチカちゃんの笑顔が、ヒナミには不思議だった。


 本当はね、知ってたんだ。

 わかってたんだ。

 パパとママがもう死んじゃってるってこと。

 海の底、寒くないかなって心配だった。

 いつも、そう、ご飯を食べてるときも、お風呂に入ってるときも、ヒナミちゃんと話しているときも、震えてるパパとママが見えるの。

 だから、よかった。


 イチカちゃんは、笑顔でそう語った。

 ヒナミはポケットから、ヘアゴムを取り出しイチカちゃんに差し出す。ヒマワリの飾りが付いたゴムだ。

「直してくれたのー?」

「うん。ミホが」

「ありがと―」

 イチカちゃんはヘアゴムを手首にとめた。

『まもなく、多度津です』

 アナウンスが流れて、列車はブレーキをかける。

 イチカちゃんは、一呼吸おいてから、話しはじめた。ここまでの話題とは、なんの関係もない、前に通っていた学校の話だった。

 イチカちゃんのおしゃべりは止まらない。

『まもなく、観音寺です』

「ねえねえ」

『川之江です』

「あのね」

『伊予三島です』

「それでね」

『新居浜です』

「でもでも」

『伊予西条です』

「だからね」

『壬生川です』

「きっとね」

『今治です』

「とにかくね」

『伊予北条です』

「大好きなんだ」

 そして、終点の松山に到着した。

「とうちゃーっく」

 ドアが開くなり、イチカちゃんはジャンプで列車を降りた。


 松山駅から路面電車に乗り、途中で一度乗り換え、ヒナミたちは家にむかった。

 家に着いたときには、もう夜の入り口だった。

 帰ってきた。 

 イチカちゃん、ヒナミ、お父さん。三人で、帰ってきた。

「ただいま」


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