第1章 1話 冬空に
まだまだ体が冷える高校1年生の冬。
窓から見える外では、雪がほろり、ほろりと落ちていた。
そして、朝の教室はある話題で、いつにも増して騒がしかった。
その話題とは
「なあ、お前はどっちだと思う?」
「やっぱ、女子でしょー!カワイイ子がいいなぁ」
「現金なやつー」
「イケメンっていうのもありよ!そして尊いカップリングを……ぐふふ」
「イケメンは尊いよね!」
「どっちだろうなー、転入生!」
12月も半ばの、この時期に転入生が来るという話題だ。
まあ、正直、自分にはどっちでも良い話だ。
(今日の体育、寒そうだな)
外の景色に目をやり、首にまだ巻いているマフラーを口元にあげる。
「おはよー………大和……」
「おはよう、健太。今日も寝不足?」
「んー……。新作ゲームの感想を書いててよー、全然その良さを書けなくってさー」
「熱心なのは良いけど、ちゃんと寝ろよ?」
「そうだなー」
眠そうなのは腐れ縁というか幼馴染みというか、もう長年一緒にいるこの男は大隅健太。
毎日のように、ネットゲームを夜更けまでやっているらしい。
似た者同士なのか、健太もまた転校生の事はどうでもいいらしい。
「おーい、席つけー」
体育教師の担任は朝から声が大きい。
そんな声に渋々、各々の席に戻っていく。
「どうせ、お前らの事だから知ってると思うが、今日から転入生がお前達と同じクラスでやっていく。くれぐれも、詰め寄って質問攻めにするんじゃないぞ」
はーい、という気の抜けた返事の後に、教室の外で待たせていたであろう転入生を呼んだ。
入ってきたのは女子だった。
その途端に、クラスの男子(大和と健太は除く)が小さく机の下でガッツポーズを取り、そわそわし出した。
無理もない。転入生は、透き通るような色白でブロンドヘアーの海外の方だった。
担任が黒板に名前を書いていった。
「えー、今日からこのクラスで生活をする、リリィ・フォルト・ウィーミングさんだ。名前から分かる通り、海外からいらっしゃったそうだ」
そして、そのリリィと言う転入生に自己紹介を促した。
「あ、えー、り、リリィ・フォルト・ウィーミング、と言います。日本語で話しかけて頂いて構いません。えと、ヨロシクお願いします」
その転入生は、流暢に日本語で挨拶をした。
まあ、自分にはどうでもいいんだが。
大きな欠伸が出たのをマフラーで覆い、時間割を一瞥して、また外に目をやった。
先程よりも雪のチラつきは減っていた。
その外の銀世界と転入生の透き通るような、肌の色はとても似ていた。
そして、昼休み。
転入生は一番後ろの席、つまりは自分の後ろの席だった。
授業が終わる度に、「どこから来たの?」とか「普段は何して遊んでいるの?」などの質問攻めに合っている転入生。災難だな、と耳に入る転入生の声で感じた。
自身は後ろが騒がしくて、少し苛立っていた。
普段は静かな席が、転入生という存在により一気に騒がしくなる。
【フフフフ、珍しく苛立っているな】
(バアルか)
小さな猫が自分の机の上に突如として現れた。
だが、特に驚きはしない。
自分にとっては当たり前のことだから。
しかし、教室にいるものは誰もこの猫に気づかない。
それは何故か────この猫が悪魔だからだ。
悪魔と聞いて何を思い出すか。
ゲームなどでよく耳にする『サタン』や『ルシファー』などが一般的かもしれないが、この悪魔達はそれらと同等に有名な悪魔だ。
『ソロモン72柱の悪魔』と言えば分かるだろうか。
古代イスラエル第3代の王、ソロモン王が封じたとされる72体の悪魔達。
その悪魔達が封じられた魔導書が2000年程の年月を経て、実家の寺に自分が8歳の頃に巡り巡ってやってきた。
実家の寺は、遺族の方が遺品を持ってきたり、はたまた家の蔵にあった、いわくつきと思しき物をお祓いにやって来る。
そして、その魔導書は元はと言えば海外だ。
魔導書と言えば、呪文を唱えたり、生き血を捧げたりする事がある。
しかし、異文化の文章が齢8歳の子供に読めるのか、と言えば到底無理だ。
それに、英語教室に通っていなければ、まだ英語も喋れない年頃だ。
何故読んだか、単純な話だ。親に読ませて、と一言言っただけ。小学校から帰ってきて、手を洗って、うがいをして。
その時のマイブームがいわくつきと言われた物を、片っ端から触って、開いて、弄り倒す事だった。
その中の一つに魔導書があった。
その魔導書を手に取った時に、全身に電流の様なものが駆け巡った。
しかし、8歳の子供は恐怖よりも好奇心が遥かに勝る年頃。全くもって意に介さず、勢いよく魔導書を開いた。
最初のページは、学校の図書室に置いてある本と殆ど大差は無かった。
文字は線がぐにゃぐにゃしていたり点々だったりと、様々な形だったがそれを自分は日本語を読むように、教科書を音読するのとなんら変わらないスピードで読めていた。
そうして、紙をめくろうとしたその時だった。
指を切ってしまったのだ。偶然か必然か。その指から流れ出た血はポタポタと畳に落ちた。
そして、男子小学生は指が切れたくらいで絆創膏なんて貼りもしない。
それに寺に持ち込まれた、いわくつきの物は全て家の寺が所持している。それでも大抵の物はお焚き上げをしている。
それでも、お祓いに持ってきた中にはそのまま寺の所有物にしてしまうこともある。
自分が触っている物も勿論、寺の所有物になったものだ。
だからか、お構い無しに全ページを捲って、全ページに血痕を残してしまった。
そして、本を抱えて母のもとへと向かおうと立ち上がった。いつも通り、所有する事を母に言いに行くつもりだった。
その時だった。
魔導書の文字が眩く発光したかと思えば、腕から抜け出て、宙に浮遊したのだ。
そして、ふと頭に浮かんだ言葉を、意志とは関係無しに口から漏れ出た。
すると、魔導書が1ページ捲られ、先程捲っていた時は白紙だった部分に円、いわゆる魔法陣が浮かび上がった。
そして、その魔法陣が大きくなり、黒い靄の様なものが流れ出た。
また、頭に浮かんだ言葉を呟いた。
そしてナニかが出てきた。
そして、また1ページ捲られ、また魔法陣が浮かび上がり、また言葉を呟いて、またナニかが出てきた。
それが、どれだけの時間続いたのかは覚えていないが、気づいた時には、心配そうに見つめる両親の顔が自分の顔を覗いていた。
その後ろで黒い靄達がいたような気がした。
その日は夢を見た。
色々な声や、姿、動物と動物が混ざったようなキメラ、人のような姿だが人ではなかったり、動物に乗っていたり、と騒がしくて、でも懐かしい雰囲気もあった夢だった。
目が覚めると、自室でこの悪魔達が楽しそうにこっちを眺めていた。
それからは以外にも意気投合し、仲が良い。
(ところでだけどさ、バアル)
【どうした?】
(今日も散歩?)
【そうだが?】
(寒くないの?)
【まあ、過去にいた氷魔術を使う魔道士の技よりかは比較的涼しいかな】
(その人強かったの?)
【そうだな、お前の後ろにいる女、あれは所謂転校生ってやつか?】
(正確には転入生ね)
【むう、日本語は、どの国の言語の中で特に難しいものだな】
(使っている人達でさえ、ちゃんと理解している人は少ないかもね)
【そういうものなのか……。話は戻すが、その転入生とほぼ同格の強さだろうな】
(え、ちょっと待って、ここは人間界だよ?一般人しかいない世界だよ?なのに、なんで転入生がそんなに強いみたいな事になるの?)
【分からんか?試しにシュトリでも呼んでみたらどうだ?】
(いや、学校で召喚するのはちょっとね………。それに転入生が気になってる理由でもないしね)
【ふむ、やはり人間というものはよく分からんな。欲の濃い奴がいたり、はたまた貴様のような欲が薄い奴がいたりと。これだから悪魔はやめられん】
カカカッ、と高笑いしてバアルはその場から消えた。
それと同時に予鈴が鳴った。
その後、授業も何も起こらず、LHRが行われていた。
担任からの諸連絡、プリント配布、それら全てを感覚で済ましていく。長年、同じ動作を強いられれば人間は必然的に身体が覚える。
「あとー、この間からも言っているが、付近での不審者の目撃情報が相次いでいる。あまり暗くならないうちに帰るように。くれぐれも寄り道をし過ぎない事。わかったな?」
「はーい」と生徒は返事をし帰路につく。
部活にも委員にも入っていない大和は、同じく部活にも委員にも入っていない健太と一緒に帰っている。
同じ方向に帰り続けて、もう10年は過ぎた。
健太の家は寺から5軒離れた所にある。そこで別れ、大和は生まれた時からずっと昇り降りしてきた階段を上がる。
地元では「心臓破りの階段」と呼ばれている程に有名だ。一応、檀家さんにご高齢の方が増えてきたので、遠回りにはなるが、脇に緩やかなスロープの道を作って置いた。小高い山の麓にある寺は、先祖から代々続いている由緒正しい寺だそうだ。
そんな寺の息子が、あろう事か悪魔を召喚していると知ったらさぞ評判は落ちるだろう。
その為、悪魔を召還した、とか、悪魔が視えるなどとは絶対に言わないようにしている。
「……っふう………」
上りは本当にキツい。だけども、生まれてこの方この階段を昇り降りしてきた。そのお陰で、足腰は格段に強く育っている。
「ただいまー」
家は四年ほど前にリフォームした、まだ新築と呼べる一軒家だ。
人の返事は特にない。この時間帯は父も母も離れにいるからだ。
人の返事は無い代わりに、人ではないものの返事が多い。
「おかえりー!!」
本当にみんな元気な奴らだ。
人の部屋で勝手にくつろいで、バカ騒ぎして、物を散らかして………。
「今すぐ片付けろー!このアホ共ーーー!!」
「ご、ごめん!」
悪魔達はあたふたと片付けだす。
召喚者の命令には決して歯向かわないのが、この魔導書────グリモワールとも呼ばれる本に記されていた。
勿論、ここには72体全員の悪魔がいる。なのに、何故一杯にならないのか。
実体こそあるが、術者や同業者ぐらいにしか姿は見えない。そして、考えたてみたところ、悪魔達は色々な姿を取れると聞いたので、一人ひとりに成りやすい姿に変身してもらっている。
割と皆も慣れてきている様子だった。
「大和、ここで1つポーカーでもせんか?」
そう聞いてきたのは、大和がまだ10歳の頃にこの世のやくそうの見分け方と、その薬草の薬効を全て教えてくれた地獄の序列第10位の大総帥───ブエルだ。
本来ならブエルは、太陽が射手座の方角にある時にだけ現れると言われているようだが、召喚したその日は太陽が射手座の方角にあった訳でも無く、なのにも関わらず今でも我が家に居座っている。
悪魔に関する文献はいくつかあるものの、それら全てが正しいとは限らない。もしかすると、ブエルの偉大さを現そうとした脚色なのかもしれない。
今では、ゆるキャラのようなライオンの頭に山羊の尻尾を生やして、体格は日本人に近い姿を取っている。
本人曰く、「頭の周りに山羊の足が5本もあり、それが回るのはとても邪魔臭い」そうだ。
「いいよ。他にやるやつはいる?」
「あ、じゃあ、俺やるー」
手を挙げたのはベリアル。元々は天使だったという悪魔。今は雄牛の様な角を生やした子供の姿を取っている。本人曰く、「燃え盛る戦車は男のロマン」だそうだ。
「私もー」
もう1人はオセという序列第57位の総裁だ。オセはたまに人の精神を錯乱させる技を教えてくれる。本人は深刻には考えていないらしいが、大和が小学校の頃、かけっこで1位になった子にオセから教わった、人に物事を信じ込ませる話術を使うと、その子は陸上の名門に入ることを目指して突き進んで行ったらしい。中学生卒業後は会ったことはないが、今でも大会で優勝し続けているらしい。周囲からは、「陸上に取り憑かれた化け物」とも囁かれているらしい。
オセはスタイルのいい女性の姿を取っているが、Tシャツのフロントにヒョウの顔がプリントされている服を着るという、少し変わったセンスの持ち主だ。
「では、ディーラーは私めが」
ディーラーは、他の悪魔から「お爺ちゃん」と言うあだ名を付けられているアモン。
アモンは序列第7位の公爵だそうだ。勉強はアモンにだいたい教えて貰っている。世話焼きのアモンは、時たま「おかん」と周囲に呼ばれている。
「では」
アモンは素早くカードをシャッフルし、手慣れた手つきで3人の前にカードを配る。
「うーん、じゃあ3枚交換」
「俺は全部だー!」
「私は1枚でいいよー」
「むう、3枚……」
「では、オープン致します」
大和はツーペア。
ベリアルはブタ。
オセはフラッシュ。
ブエルはフルハウス。
「やっぱりオセは強いなー。あ、今日の見回りの付き添いの当番って誰だったっけ」
見回りとは、大和が趣味で行っている夜の散歩である。
散歩ついでに外を見回り、何か問題は無いかを確認するだけの趣味。
「今日は……フォカロルだな」
「おーい、フォカロルー、起きろー」
オセがフォカロルと呼ばれている男の両頬を、ぺちぺちと叩きまくる。
「うっ…………うーん………」
「フォカロルー、起きろー!ベリアルが羽根もぐってさー」
「……う、ん…………うわああああああぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!もがないでーーー!」
「おはよ、フォカロル」
「へ?………あ、ああ」
傍から見れば、普通の一般男性が「羽根をもぐ」と囁かれてベットから慌てて飛び起きる。この男が序列41位の悪魔、フォカロルである。
「それじゃあ、晩ご飯を食べたら行くよ」
「……うむ………」
この時は大和は何も知らなかった。今日この日から物凄く面倒臭い事が起こるとは。
△▼△▼△▼△▼
ほぼ、大和が夕食を食べ終わると同時刻。
小さな街中に怪しげな雰囲気が溢れていた。
それも、ここ数週間の内に行方不明者が続出し、その内の数人がバラバラに身体を切断された状態で河原に遺棄されているのが見つかった事件が起こっているからだ。
この小さな街中に1人だけの犯行なのか、複数人による犯行なのか、未だに警察は手がかりの一つも掴めていないので、小中学校では集団登下校を実施している。
高等学校もこの場所限定で、居残りや部活動の禁止を義務付けた。
夜間の外出も、保護者に注意を呼び掛けて、なるべく避けている。もちろん、大人にも注意は呼びかけている。
何故なら、行方不明者と遺体の共通点はこの街の住民というだけで、他は年齢も性別も誕生日も生れ年もなにもかもが違うのだ。
死体からは何も検出されず、薬が投与された痕跡もなく、全てが大量出血死と判断された。
そして、今日もまた、静かな夜に血の香りが漂う。