悪役令嬢の私と牢獄に繋がれたヒロイン
鉄格子越しに私は彼女と向き合った。
先日までアル王太子殿下の隣で幸せそうに微笑んでいた彼女は、今では見る影もなく憔悴している。
「……私を笑いにきたの?」
「あら。ずいぶんご挨拶ね」
アイリ・レイン男爵令嬢。
日の光を集めたかのような柔らかな髪。暖かな暖炉を思い起こさせる赤い瞳。小柄な体躯のわりに、女性らしい体つき。小動物のような、愛嬌の塊のような彼女。
その愛くるしい外見は、神々が齎したかのような芸術品。しかし先日の王太子殿下が起こされた婚約破棄騒動の一幕で明らかになった彼女の内面は、酷く人間臭く生々しいものだった。
王太子殿下の婚約者である私から数々の嫌がらせを受けたという訴えは、結局証拠不十分で通らず、逆に証拠や事件のねつ造を看破されて彼女は牢につながれた。
「ねぇ、最期にひとつ聞かせてよ」
「なにかしら?」
「貴方は転生者なの?」
「てんせいしゃ……?」
首をかしげる私を、赤暗い瞳がじっと見据えてくる。その眼差しには敵意や憎悪は含まれていないが、私の内面を見透かそうという気迫に満ちていた。
「今更知らないふりしないでよ! 貴方も私と同じ転生した人間なんでしょ? じゃなきゃ辻褄が合わない! おかしいじゃない! セレナ・ミムズ公爵令嬢は悪役令嬢だった筈なのに! この牢の中に入るのはあなただった筈なのに!」
突然激昂した彼女は喚き続ける。
「私はヒロインだったのに……! ちゃんとルート通り、完璧に進めたのに……! 貴方が、貴方が予定通り私を虐めないからこんなことになったのよ!」
彼女の気迫に押され、私は沈黙を保つことになる。アイリはそんな私に構わず、彼女の辿ってきた道のりについて語り続けた。
彼女は別の世界で生きて、事故で亡くなったじょしこーせーだった。
この世界はおとめげえむの世界である。
辿る選択肢によって、様々な結末に分岐する小説のような遊戯であり、色んな男性との恋愛を楽しむものである。
そしてアイリは物語のヒロインで、セレナは悪役の令嬢だった。
「ふぅん……」
アイリの狂人めいた独白は、本来ならば信じるに値しない世迷言の類であった。しかし不思議な説得力を秘めていた。そうでなくとも彼女は以前から不可思議な存在であったし、こうやって必死に私に言い募る彼女の目は狂気染みた迫力を宿してはいるものの、狂気そのものではなかった。
「私は転生した人間ではないわ」
「嘘よ!」
「まぁ信じる信じないはあなたの勝手だけれども、こんな状況になってまで貴方に嘘ついてどうするのよ?」
「ならなんで私を虐めなかったのよ! あんたの行動だけが明らかにおかしいのよ!」
確かに彼女の話を聞く限り、全ては彼女の思惑通りに進んでいた。私の行動以外は。
アイリの夢物語のような言葉を全て真として、私はしばらく今までの過去を振り返ってみる。そうすると確証のないあやふやな結論が浮かび上がってくる。
「私ではなく、貴方なのよ」
「……は?」
「貴方の話を聞いてて思ったのだけど、ここがそのおとめげえむの世界だとして、私が悪役で貴方がヒロインであるとして、"異質"なのは貴方なのよ。定められた運命にたどり着かなかった原因は、貴方にある」
「どういう意味よ……」
まるで縋るようにこちらを見上げるアイリ令嬢に、一つ溜息をついてから、ゆっくり息を吸いつつ考えをまとめる。
「貴方はアイリ・レインではなく、転生したじょしこーせーさんなのよ。そうでしょう?」
「……」
「今思えば、貴方はずっと異質な存在だったわ。ふとした時の表情、言葉選び、ちょっとした所作……。貴族令嬢にしては、いや、人として何か違和感を抱かせる存在だったの。でもこうして貴方の話を聞いて心底納得したの。貴方はアイリを演じるじょしこーせーさんであって、アイリ・レインではない」
果たして本物のアイリ・レインはどうなったのか。一瞬そんなことが頭をよぎるが考えても仕方ないことだとすぐに忘れることにする。
「私ね。貴方がずっと怖かった。その時々によって立ち振る舞いが全く違うのだもの。人物としてあまりに掴みどころがなくて、得たいが知れなかった。不気味に思っていたわ」
「……」
「そんな理解しがたい存在と仲睦まじい様子の王太子殿下も、同様に不気味に思えた。何故貴方を横に侍らせて楽し気に出来るのかと……そうね、気持ち悪く思っていたの」
「は!?」
私の正直な告白に、アイリ嬢が目を真ん丸に見開く。
「貴方が知るおとめげえむでは、私は嫉妬から貴方に嫌がらせを繰り返すそうだけど……私は王太子殿下にも貴方にも近づきたくないって思ってしまったの」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! それじゃあ……」
「以前は確かにアル王太子殿下のことは、とてもお慕いしていたわ。ええ。以前は」
「……」
「だから貴方に嫉妬なんてしていないし、そうなると嫌がらせもする必要がなくなるわね」
「そんな……」
アル王太子殿下は非常に麗しい外見をしていらっしゃるから、綺麗なものが大好きな私は子供の頃から彼にのぼせていたけれど、得たいが知れない女に現を抜かす姿を見てそんな気持ちもすーっと冷めてしまった。
自暴自棄からあまりにも明け透けに内面を吐露してみせたアイリに引っ張られる形で、私もついつい人に聞かれたら大変なことになってしまうようなことを喋ってしまっている気がする。まぁ聞き耳立ててるような輩はいないだろうし、たとえ聞かれたとしても別に……。
「貴方の言うおとめげえむは、あくまで作品であり、物語なのでしょう? アイリ・レインの人生の全てが語られるわけではない。アイリ・レインが見聞きした全て、考え感じたこと全てが表現されていたわけではない。娯楽として成立するように簡潔に要点が纏められたものでしかない。ルートだの選択肢だのと言っても、漠然とした指針でしかなく、それ以上に多くの"空白"があった筈。むしろこれまで上手く物事を進めてこれたことが奇跡だと言えるのではないかしら。実際に貴方はげえむ通り、五人の男性と仲良くなれたようだし」
アイリ嬢は口をぽかんと開けて私の言葉を聞いている。かなり間抜けな表情だろうに、可愛らしさを損なわないのが凄い。
「作品の中でなら"お茶会に出席して、楽しく過ごしました"なんて一文で終わる場面でも、この世界で生きる貴方は実際にお茶会に出席した方々と言葉を交わさなきゃならない。げえむではいくつかの選択肢からひとつを選べばよかったかもしれないけれど、この世界で実際に生きる貴方は無限の選択肢から選んでいかなければならない。単語ひとつ、動作ひとつ、恰好ひとつが全て選択肢なのよ」
アイリに持論を語りながらも、それでも彼女が大まかにも"決められた流れ"を泳ぎ切っている事に私は改めて驚いていた。ボタンひとつ掛け違えただけで未来は全く別のものになるだろうに、彼女はターゲットの男性たちから寵愛を得ていた。それはアイリ・レインの力ではなく、実際に彼らと会話を重ねていた彼女自身の力であると言える。
アイリ・レインの中身が転生者だったことで、王太子殿下への恋心が薄れた私がアイリへ嫌がらせすることがなくなり、私への断罪と共に婚約破棄、その後のアイリと王太子殿下の婚約の流れは上手く繋がらなくなった。最後の最後で大きく結末が破たんした。
私だけがストーリーから外れた存在であると彼女は言い募っていたが、私はそうは思わない。彼女の知るおとめげえむとは、きっともっと色々と細かい差異が生まれているだろう。そうやって少しずつ角度がずれていき、結局終着点はまるで違う場所になってしまったのだ。
「は、ははは……そんなの分かるわけないわ。アイリが言いそうなこと、やりそうなことは予想できても、一言一句一挙手一投足全てアイリのように演じるなんて不可能よ……」
彼女は力なく項垂れ、その赤い大きな瞳からぽたぽたと滴が零れる。失意のどん底にあってもなお、彼女は美しかった。
私を嵌めてでも望む結末を手に入れようとした行いはとても清廉潔白な主人公には相応しくないが、転生などと言う現実離れした立場にあって、懸命に進んできたことだけはわかる。
彼女はアイリ・レインにはなれなかったが、破滅したとしても彼女はこの物語の主要人物なのだ。
「私は……この後どうなるの?」
「……現王の唯一の子供だから、アル王太子が今の立場から降ろされることはない。けれどミムズ公爵家の令嬢をないがしろにして、あまつさえ冤罪を着せて大勢の前で罰しようとしたのだから、王座についてからも微妙な立場を強いられる。貴方の狂言で多くの人間に恥をかかせて、キズをつけた。簡単に許されることはないでしょうね。げえむだと悪役は最後、どうなるのかしら?」
「処刑か、国外追放か……。良くて修道院に入れられるわ」
「まぁそんなところでしょうね。修道院入りは無いかしらね。あまりにも大事になりすぎた。貴方にはあまりにも味方が少ないし、立場も弱い。庇ってくれる人間がいれば多少は違ったでしょうけれど」
私の冷たい物言いにも、彼女は取り乱すことなく俯くだけだった。そして静かに頭を下げた。
「なんのつもり?」
「……ゲームエンドだわ。私は選択肢を間違えた。もう大人しく終わりを迎えるだけ。覚悟するわ」
「……」
「最後だし、貴方とこうして話す機会ももう無いだろうから……」
「……」
「ごめんなさい。冤罪着せて。迷惑かけてしまって」
そうしてようやく、私は"得体のしれないアイリ・レイン"ではなく、"彼女"と相対することができた。
しばらく私たちの間に沈黙が流れる。私は少しばかり悩んでから、目の前の小柄な彼女をもう一度見やった。小動物のような彼女。愛くるしい彼女。
――欲しいな。
「ところで一国の王とはいえ、なんでも自由に我儘出来るというわけではありません。王族と言えど有力貴族や派閥を無視できない。今回の一件で王族はミムズ公爵家に大きな負い目を作ったわ」
「……はあ」
「具体的に言うと、貴方の今後については、ミムズの意向に大きく左右されるわけ」
私の言葉に彼女は顔をこわばらせる。
「……さすがに拷問とかは勘弁してほしいのだけど」
「そんな悪趣味はないわ。私としては、ミムズ家で貴方の身柄を預かろうかと」
「……は?」
鉄格子にずいっと近寄り、彼女の顔を覗き込む。
「貴方の言葉を全て信じるならば、貴方はこことは全く異なる世界で生きていたのよね」
「まぁ……大抵の人は信じられないとは思うけど、その通りよ」
「そういえば以前、レイン男爵領発祥の新しいお菓子が話題になったことがあったわね」
「あれは……まだストーリーに全然関わらない子供の頃に、ちょっと魔が差して……甘味が少なかったし」
「ああ、やはり貴方が作ったものなのね」
思わずにやけてしまう口元を、扇を開いて隠す。
「貴方はきっと色んなことを知っているのでしょうね。こことは違う世界の、さまざまな知識を、経験を」
「……」
「その全てを、ミムズ家のために、私のために使いなさい。貴方、私のものになりなさい」
彼女は信じられないものを見るような目で私を見上げる。
「……本気で言ってるの? いや、それ以前にそんなこと出来るの? 私を引き取るなんて……」
「ふふ、その程度の事。お父様にお願いして、お友達にも根回しすればどうとでもなるわ。まぁあなたはもう二度と社交界には出られないし、貴方はしばらく周りからあれこれ言われて辛い思いするでしょうけれど、今後ずっと我が家のために陰で働くことになるから人前にはあまり出ないだろうし、私には関係ないし」
思わず微笑んでしまう私を、アイリは微かに震えながら見上げていた。
「貴方を上手く使うことで、ミムズ家は他家を押しのけてこの国でさらに強固な立場を確立するでしょう。王族は今回の一件でミムズ家の機嫌を伺わなければならない状況に落ちて、次期国王であるアルは次期王妃である私に頭が上がらなくなった。それに貴方の知識は、きっと他国に対しても有効に働くわね」
鉄格子から手を伸ばし、そっとアイリの頬を撫でる。白磁のような惚れ惚れとする滑らかさだ。
「貴方は金の卵をぽこぽこ産むの。そうして貴方の価値を示し続けなさい。貴方が役に立っている間は、貴方を大事にしてあげる。貴方がただのガチョウに成り下がったら、その首を刎ねるわ。貴方は正真正銘、一生私のものよ」
アイリのあごに指を当て、下がる視線をぐっと引き上げて目を合わせる。
「ねえ、アイリ・レイン。忘れていない? 私は確かに貴方の知るセレナ・ミムズのような嫌がらせはしなかったわ。でもそれは必要がなかったからしなかっただけで、私が良い人だからしなかったわけではないのよ? 貴方はアイリ・レインではなかったかもしれないけれど、私は間違いなくセレナ・ミムズなの」
ふるふると震える桃色の唇を、親指でなぞる。立ち振る舞いにはもう少し教育が必要だろう。だが、傍に置いておく価値は十分にある。なにせ、私は綺麗なものならなんでも好きだから。
なにより、その怯えた赤い瞳が気に入った。
「どう? 悪役令嬢セレナ・ミムズらしい選択でしょ?」