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第八章:吐息の先

第八章:吐息の先

      *

 神力、異能の発動はなるべく避けたい。

 本気を出すための訓練らしいが、肉体のみの本気でどこまでできるか理解できていなければ意味がない。肉体の限界を知るからこそ、異能の全力は自己の最高を示すのだ。

 だから、彼は奔る。親から貰ったこの生身の足で、だ。

「連綿と不毛な血を繋げた遠野を舐めるなよ……!」

 雑木林の不安定な地形をものともせず、彼は三百メートルをものの三十秒で踏破した。

 タイルの敷き詰められた道に出る。

 泥の付いた靴で制動をかけ、広大な農業実験区を横目に彼は再び両足に力を込めた。

 一直線に続く道を、遠野は無防備に駆ける。心臓の鼓動が激しくなるのを感じつつ、

 ……施設が林立する能力開発区画まで辿り着けば、あとは市街戦の応用だ。そこまで、そしてそこからも距離的には辛いが、全速力を維持できれば五分程度で行ける。

 道筋を粗方考えた彼は、次に敵の攻撃指針を推察し始める。

 雑木林を行く間に敵の攻撃は三度あった。定期的に、しかし隙の生まれた瞬間を的確に狙った攻撃だった。一瞬ヒヤリもしたが、それらを遠野は速度を落とさずに回避し、相手の勢いを利用して投げ飛ばしていった。職人芸と言っても過言ではない芸当だ。が、

 ……いくらなんでも攻撃の回数が少な過ぎる。ヒト種のようだが、あの身体能力にそこまで制限があるようには見えなかった。攻撃を通したいのならもっと仕掛けられる筈だ。

 こちらの力量を測るだけなら、初撃の蹴りで十分だった。だが、相手はそれをせず、足場の多い雑木林をあえて素通りさせた。速度で勝っているのなら、あの地の利を活かさない手はない。絶好の機会をみすみす捨てたのは、敵方の策か、それとも、

 ……向こうにやる気がない?

 そんな筈はない。敵の攻撃は全て、無駄のない洗練された一撃だった。集中力を欠いた人間にあの攻撃は不可能だ。

 しかし、遠野の本気を出させるためなら、防御で忙殺させるくらいで行かねばならない事、学園の生徒なら承知している筈だ。

 それをしてこないのは、やはりやる気がないと考えるのが順当だろう。

 ……違う。そんな人選を副会長がする訳がない。

 やはり相手は何か策を持っている。油断は禁物だ。

 そう完結して、彼は足の回転数を上げにかかった。特殊技能訓練用の開発区画まで残り二百メートル弱。この速度なら、二十秒ほどで地の利を得られる。

 敵の考えはどうあれ、今はこちらが不利なのだ。急ぐ事を第一としよう。見晴らしの良いこの道では相手の攻撃手段も限られる。周囲を知覚し、警戒を怠らなければ対処は可能だ。

 風を切って走る遠野。だが、ややあってから、

(……ころぶ)

 ふと耳に届いた、囁きのような音。

 その意味を考えそうになる彼。

 だが、次の瞬間。

 視界が反転した事に、遠野は気が付いた。

      *

      *

「な……っ!」

 驚きのあまり声がでなかった。

 転びかけていた。

 踏み出した右脚が突然掬われたように滑り、これまでの勢いが嘘のように遠野は横へと倒れていこうとしていた。

 まだ地面との距離はある。

 何とか踏ん張れば、体勢自体は立て直せるだろう。が、しかし、

「くっ!」

 背後にはヒトの気配があった。

 気配は上空。丁度彼の頭部の高さ。今にも鋭い薙ぎを放つかのように溜めを作る蹴り足が、その存在感を示していた。蹴り足は右、彼が倒れていく方向も右側。

 対角線からの蹴りは、あくまで一撃の威力を重視した攻撃だった。一瞬の間にこの判断。物陰から跳んでくる時間差を考えた場合、敵はこちらがこけるのをあらかじめ知っているかのような合致具合だった。

 何故だ、という疑問は起きない。これは、

 ……コイツの能力か!?

 神力か異能、魔術か異業、どれかは分からない。が、少なくとも敵はこちらを転ばせる事が可能な力を持っているのだ。先程までの敵の攻撃は全て牽制、つまりこの一撃で仕留めるための布石だったのだ。

 死ぬ。

 間違いなく必殺の一撃だ。

 避けようがない。避けられるものならとうの昔に回避行動に入っている。蹴る足と、踏ん張ってから走る足のどちらが速いかなど比較するまでもなかった。

 ……全く。

 肉体の限界がこれとは情けない。

 しかし、限界である事は確かだった。吐息する暇はないが、心の中で彼は笑んだ。

 直後。空気が爆発した。

 遠野を中心に、魔力に感化された大気が数倍に膨張する。

 彼に足蹴を見舞おうとしていた敵も勢いに負け吹っ飛ばされた。十メートル強の距離をおいて、地面を滑っていく敵は道に四肢を着いて停まった。

「死ぬところだった。殺す気か?」

 神力、そして異能〝有者〟を発動現した遠野。その視線の先にいるのは、

「どおして、なんで」

 色素の薄い髪。整った顔立ちだが、翡翠色の瞳はひどく眠たそうで、感情の乏しい表情を浮かべている。スカートから伸びる健脚は白くしなやかで、蹴りものに使うとは思えないほど美しかった。

「三年の女子、中佐か」

「うん、そう。陸上科三年、中佐、纏向まきむく佐那さな。よろしく、……よろしくね」

 彼女の纏う空気に、遠野は眉をひそめる。

 ……殺気がまるでない。それに、一対一の状況で気配も薄いとは。

 コイツは忍か何かか、と彼は内心で毒づいた。

「……こんなものどうやって知覚しろっていうんだ」

「よろしく、ね」

「まぁこれも訓練の一環だと思えば早い。纏向中佐、取りあえず戦いの続きをしよう。肉弾戦でこれほど出来る奴がいるなんて知らなかった。まだまだ学園も侮れないな」

「ぁ、あの、……よろしく」

「見つかったんだからさっきみたく隠れるのはなしだぞ」

 遠野は軽く腰を落として、近接戦に適した構えを取った。が、彼女は、

「ぅう……」

 何故か涙目になっていた。何かの作戦かと身構える遠野だが、

「ひどい、ヒドイ。……みちみちやさしいって言ってたのに、うそ。うそつき」

 戦いに息込んでいる間に評価が下がっていた。どうしてだ。

「おい待て。何で泣く。泣くな。やり辛いから」

「やだ、嫌だ。もぅ許さない、から」

 慌てる遠野を前に、纏向は少しムスッとした顔で口を開いた。その薄い桜色の唇がぼそぼそと言の葉を紡いでいく。それは、

一言主大神ひとことぬしのおおかみの神力、〝一言いちげん吉凶きっきょう〟」

 彼女は告げる。

「――ころぶ」

 遠野は地面に転んでいた。

      *

      *

 纏向は内心でぷんぷんだった。

 ……みちみち、うそつきつき。――かずかず、冷たい寒い。

 だから一言で言って〝転ばせて〟やった。

「ふふ」

 ちょっとすっきりした。ぷんすか止めよう。

 眼前で地面へ急に転げた遠野。大したダメージもなく、易々と起き上ってくる。が、その表情は驚きと疑問に満ちていた。ややあってから、

「……ヒトコトヌシ、――言葉をもって吉凶を、運命を別ける神か」

 心底悔いるように舌打ちした。

      *

      *

 厄介な、と彼は頭の中で叫んだ。

 ……どういう理屈でこんな事になるかは皆目見当も着かないが、至極面倒な相手という事は確かだ。現実を捻じ曲げられる力か!

 遠野は転んだ。纏向の言葉で、だ。

 何故転げたか。身体に起こった事ならば彼にもまだ分かる。彼の持つ神力、〝大地功〟のおかげだ。纏向が言葉を紡いだ直後、遠野は霊体に干渉された時のような違和感を覚えていた。

 波坂の異能に似た感覚だった。

 おそらく、あれは言葉の魔力。言霊が理屈の根本にはあるのだろう。

 遠野の表情が驚きから緊張に変わる。纏向の挙動に注意しつつ、利き足を半歩引いて構えを取った。

 ……神力の有効範囲、実現可能な言葉の域が分からないままじゃ対処のしようがない。少なくとも言う前に無力化するのが最善なんだろうが、肉弾戦主体の相手にそれが出来るか。

 実現は難しい。全ての異能を使えるとはいえ、相手を知らねば〝無力〟だ。

 視線の先、股を広げて立つ纏向はこちらに半目を向けている。双方不動のまま、時間だけが進んでいった。が、ややあってから、

「先手必勝」

 遠野は地面を強く蹴った。

 初速から全力だった。

 走る軌道は左右。蛇を描くように相手を撹乱させる。十メートル強の距離を一瞬で詰め、遠野は纏向に肉薄した。身を低くした状態から、少女の顔を睨み付ける。

 少し驚いたような表情。やはりこちらと同様、同格相手での戦闘経験が少ないのだろう。集団戦におもきを置くばかり、暗殺や殲滅に特化してしまっている。

 纏向がこちらの動きに慣れる前に、何とかしなければ。

 肌がすれ合う程接近したところで、纏向がようやく回避行動を取ろうとした。それを逃がすまいと遠野は脇を締め、右手の掌底を繰り出す。

 掌底は真っ直ぐ彼女の胸部中央、正中線を狙う。

 ……纏向中佐の神力が計り知れない以上、ここで異能を使うのは危険だ。身体能力だけを底上げしていれば、考慮するのは中佐の口元とその動きだけで済む。

 直撃まで残り三十センチ足らず。しかし、少女の口が動いた。

「……それる」

 纏向の神力、今度は〝それる〟。という事は、

 ……っ、掌底の軌道が!

 零距離だというのに、右手の射線が胸部から彼女の左脇へと逸れていく。違う力に引っ張られるように身体の自由が曖昧となっていき、軌道修正が不可能になった。

 逸れた。

 纏向はその隙を突いて背後へと跳んだ。バックステップを数度踏み、再び間合いを戻す。今度は構えを狭く、小さくして、一対一に専念する気のようだ。

「対処法を見付けるのが先決だな」

 小さく吐息して、遠野は腰を落とす。

 できれば一時撤退を選んでほしかったが、ここは生憎見晴らしの良い場所だ。左は水路、右は農場。陰の少ない所では必然的に背後を見せるしかない。わざと敗けるような真似は向こうもしないだろう。

 纏向との距離は丁度七メートル。全力で踏み込めば二歩、ぎりぎり間合いだ。

 ……訓練開始から二分近くか。無人区まではまだ一キロ近くある。決着を着けるにしても、あまり時間を取りたくはないな。

 ならば、と遠野は右手に魔力を集めた。それは、何の方向性も与えられないもので、

「……っ!?」

 遠野の手中から投げられた魔力が、突然閃光を放った。

 目晦ましに、纏向は反射的に目を閉じる。すると遠野は、

「逃げ切ればいいだけの話だ!」

 と、全速力で先の開発区画へ突っ込んでいった。追おうにも纏向は閃光で視界がやられ、遠野が走った 方向を感じ取る事しかできなかった。

 そして、閃光は数秒ほどで鎮まった。

 やっとの思いで視界を取り戻した纏向は、むすりとした表情で、

「逃げない、逃がさない……」

 色素の薄い髪をなびかせて、少女は彼の後を追った。

「……みちみち、行った。行く」

      *

      *

 百近くある施設群をジグザグに走るのは少年。

 二年の校章を着け、胸に中将の階級章を着ける彼は、

 ……成程。大体の力は分かってきた。

 遠野だ。

 櫛真の言葉を合図に始まったこの訓練も、すでに七分を経過していた。

「纏向中佐の神力は起こり得る現象を口で言って、そちらに誘導するようだな」

 これまで遠野に浴びせられた言葉は四つ。開発区画で二回、農場横での二回だ。

 こける。逸れる。ぶつかる。曲がる。

 走っている最中に〝こけた〟。

 殴る最中に攻撃が〝逸れた〟。

 角を曲がろうとして物に〝ぶつかった〟。

 走り抜けようとしたが角を〝曲がった〟。

 一言で可能性の高い事柄を引き寄せる。厳密に言えば、こちらの霊体にそうなるよう干渉してきているのだが。どうもそこが不明瞭だったのだ。

 ……俺の神力は俺を正確に操る事だ。なら中佐の神力に対抗できる筈なんだが―――。

 どうにも上手くいかない。干渉を一時的に阻害する事ができても、途中からまた干渉を許してしまう。対処する内に霊体が動いてしまう。

 そんなどうどう巡りを繰り返して、二人は戦闘を続けていた。殴り合いではないが、逃げると追う最中の小さな押収の連続。一撃後退の削りではない、一撃必殺の繰り返しだ。

 付け加えて、おそらくもう一人近くにいる。姿を見せず、攻撃もしてこないが、確かに気配だけが薄らと着いてきている。纏向とは違う二人目の訓練相手という訳だ。

 ……掴みどころのない連中だ。纏向中佐の力もまだ謎がある。警戒は怠らずこのまま無人区を目指そう。

 と、遠野がそう思った直後だった。

 再三再四、纏向による背後からの回し蹴りがきた。一体どこからどうやって飛んで、こちらの背後にピタリと着けてくるのか見当も着かないが、これが彼女のスタイルという事は十分に理解できている。

 だから遠野も何度こようと同じように投げ飛ばすだけだ。神力の邪魔さえなければ、回避は容易だ。

上半身を前に振って頭を下げる。蹴りが左から右へと空を切った。蹴りの制動をかけるために纒向は宙で回転しようとする最中にも、二度の蹴りを放ち、着地後も蹴り上げ、直蹴り、飛び回し蹴りを巧みに繰り返し、遠野に反撃の余地を与えなかった。

 攻撃が通らない事に苛立ちを覚えたか、最後に纏向は空中での三連撃を放った。一発目と二発目をフェイントにして、最後の三発目を首に放つ。

 が、それに掛かるほど遠野も甘くはない。

 上体をぎりぎりまで逸らせて、彼女の一撃を回避したのだ。そして、逆くの字に折れた自身の体を盛大に捻って、右足の後ろ回し蹴りを無理やりに放った。

 少女の横っ腹に遠野の踵がめり込み、強化された脚力で飛ばされ、横の建物に激突した。

 大した受身も取れずに纒向は地に落ちた。

 しばらくの間は回復もままならないだろう。少女一人を無力化するのにこれほど時間がかかるとは内心驚きだった。自分も同格との戦闘経験を積まねばならないようだ。

「さて、急ぎたいところだが最低限の事はしないとな」

 周囲を警戒しつつ、遠野は地面に倒れる纒向に近付いた。

 膝を着き、とりあえず捲れているスカートを整えておく。良かったスパッツだったからノーカンだ。そして遠野は軽く喉元に触れて、脈路の流れを読む。

 ……成程。ヒト種の半妖族か。流石に族名までは分からないが、魔力の消費量から考えると神力と身体能力強化しか使ってなかったみたいだな。

 戦闘従事者としては最良の型と言える。やはり、これほどの軍隊を数年で築き上げた生徒会長の力量には恐れ入る。良い時間だ、そう思った彼は立ち上がろうとした。が、

「――?」

 ふとした違和感に遠野は眉をひそめた。彼女の、魔力の流れが少しおかしい。

 首、手首、腹部と魔力の流れが顕著に出る箇所を診ていく。ややあってから、遠野は溜め息を吐いた。全く、とそうぼやきたい気持ちを抑えて、彼は口を開いた。

「無茶をし過ぎだ、これは」

 仕方ないと割り切って、遠野は手中に力を込めた。

 異能〝有者ゆうしゃ〟だ。展開するのは攻撃ではなく保護を主としたもの。纒向の肉体に損傷を回復させる治癒異能を施しているのだ。

 そして、一通り処置を施した彼は今度こそ立ち上がる。この問題は彼女のものだ。深入りしてはいけない。あまり時間を取る暇もないので、早々にここを離れて先を行こう。

 周囲を見る。施設の間は学園内では比較的狭い。近くに室内射撃場があるから、目的地の無人区までは直線距離でざっと四百メートル。間を縫うから実際は五百メートルほどだろう。

 ……さっさと行くか。

 遠野は再び走りだした。

 新たな刺客が来るまで時間もないが距離は稼いでおきたいところだ。

 天蓋に広がる青い色の下、建物の合間を通って遠野は行く。先へ先へと進むが、しばらくすると彼の足元に影が消えた。

 その瞬間、

「―――!」

 遠野は咄嗟に前方へ全力で跳んだ。数コンマ遅れて、彼が先までいた場所に巨大な氷柱が一本落ちてきた。

 間一髪のところだった。

 偶然ではない。初夏の日差しで、突然曇り子供ほどの大きさを持つ氷柱が落ちてくる訳がない。ならばこれはヒトの手によるもの。それは

 ……くそっ。昨日いないと思えば、外交官にならなかったのはこのためか!

 天候を操る鬼才、八柱の雷を襲名する青年。そう。それは、

「生徒会書記、菅原・道正か!?」

 どこだ!? と彼は怒号を飛ばす。が、無言が返ってくるだけ。先程からの視線もおそらく菅原のものだろう。

 また厄介な相手だが、いちいち探している余裕は生憎ない。もはやこれは時間との勝負だ。運良く姿を見付けられれば幸いだが、そんなものに縋る訳にはいかない。

 故に、少年は、

「……おお!」

 向こう見ずに全力疾走を開始した。

 速い。始めの疾駆よりもなお速かった。

      *

      *

 纒向戦での状況とは打って変わって、少年の注意は上空に向けられていた。

 天からの攻撃。

 氷柱。鉄砲雨。雷。

 どれも防げない事はないが、断続的に降り注がれては対処に困る。それこそ、

 ……本気で異能を展開しないとこれは難しいな。

 そう割り切ったあたりから、遠野は天から落ちる攻撃の同属性を選んで相殺する事を選んでいた。だが、無人区への距離を縮める毎に天からの攻撃は総量を増していっている。

 本格的に対処が困難になってきている。

「……いい加減姿を見せたらどうだ!?」

 叫んではみるものの、これが菅原の耳に届いているかは怪しい。

 狙いは精確であるから、こちらを視認できる距離にはあるのだろう。しかし、自分が見付けられなければ、いくら近くにいようと無意味でしかない。

 訓練開始から十分。無人区までは残り二百メートル。そろそろ頃合いだ。

 高速で走りつつ、遠野は手中に力を意識する。想像するのは剣。そして、それを生み出すのは、彼の律する大地からだ。

 一際大きい氷柱を飛び退いて回避。そこから起き上がる際に、彼は地面に手を触れ、地面を操り圧縮した打剣を抜刀した。

 二発目の氷柱を剣で薙ぎ払う。走る勢いを落とさずに遠野は前傾姿勢を保ったまま、先を急いだ。

 速い。

 もはや氷柱は雨のように天から降り注ぎ、足元のタイルを次々と砕いている。が、幾本も眼前に現れる氷柱を遠野は掻い潜り、剣で叩き割り、徐々にその練度を上げていた。

 残り百五十メートル。

 速度が乗っている。三十秒保てばこちらの勝利だ。

 奔る。

 雷が来た。

 こちらも雷撃系の異能を展開して、軌道を逸らせて高圧電流から逃れる。

 氷柱の冷気で地面付近には霧が溜まっている。雷や鉄砲雨に絶えず狙われる中、遠野は、

 ……炙りだしてやる。

 と、二つの動きを始めた。一つは手の打剣を更に強靭に、固く、金属剣並みの硬度に仕立て上げる錬金術。もう一つは、気流操作の魔術だ。

 全方位に自分の魔力を放出し、その魔力を操作する過程で大気の霊体を掴み、自分の支配下におく。遠野は出来るだけ広範囲に、自分の周辺の大気を広げていった。

 残り百メートル。遠目に無人区を囲む塀が覗ける。

 準備は整った。彼は躊躇う事もなく、剣をタイルに叩き付けた。火花が散る。

 直後。

 開発区間が爆発した。

 轟、と爆音と共に震動が学園に伝わっていく。その爆心地は、開発区間のほぼ全ての道だった。だが、黒炎も煙も大して上がらず、残ったのは道に着くわずかなススと、霧などの水だった。

「っ……」

 全身の痛みを堪えて、遠野は立ち上がった。

 ……流石に水素と酸素の混合爆発はキツイな。だが、それは書記も同じだろう。

 爆発を起こした犯人は彼だ。といっても、厳密に言えば利用したに過ぎない。

 辺りには氷や雨水がたっぷりとあり、天からは高圧電流がひっきりなしに落ちてきていた。否応にも水は電気分解され、水素と酸素に分かれる。

 可燃性の水素と助燃性の酸素。一定の割合で混ざれば、それはもはや一種の爆弾だ。発火源さえあれば 勝手に爆発を起こす。その上、爆発後は化合によって水しか生まない。

 ……使い勝手の良い爆弾だ。

 菅原の雷で発火しなかったのが幸運だった。気流操作で開発区画内に水素と酸素をばらまかなければ、濃密な爆発を自分ひとりで被る事になっていたのだ。

 流石に死ぬ。

 肺に湿った空気を吸う。冷気と爆発の熱気が相まってこそばゆい感触が来る。が、彼は無視して辺りを見回した。建物への損害は軽微、絶えず感じていた菅原の気配も感じない。

「終わりだな」

 と、遠野は呟いた。しかしその直後、彼は目を見開いた。

 天上にあった雲が、急激にその色を濃くしたのだ。

 曇天。

 電荷を蓄えるように暗い雲の中では低い音が鳴り、何かがのたうち回るような威圧、そして不快感が一気に押し寄せてきた。突然の事態に、遠野は一つの結論を悟るように出した。

 書記がまだ意識を保っている。攻撃を再開しようとしているのだ、と。

 舌打ちを吐いて、遠野は苦痛も気にせず両足に力を込めた。治癒は走りながらで構わない。今は全力で 雷の雨を逃げる事だけを考えればいいのだ。

 震脚一発。地面にヒビを入れて、彼は無人区目掛けて突進した。

 数コンマ遅れて、遠野の背後に大きな柱が立った。落雷だ。

 数億ボルトに達する稲妻は菅原の力に支配されている。雷電は狙ったように、地面に溜まった水たまりや氷らを無理やり分解した。

 固体や液体が昇華を超えて、分子の結合そのものを絶たれる。体積は一瞬で数十倍に膨れ上がり、周囲の大気を外に押し出した。遠野は、爆風にも似た突風を背で受けた。

「な……っ!?」

 無重力に晒されたように、身体が一瞬浮遊感に包まれた。

 しまった、と彼は奥歯を噛んだ。次の菅原の行動は予測するまでもない。生徒会の面子はどれも容赦がない。〝やられたらやり返す〟の常套句しか持ってないような奴らばかりだ。

 故に、遠野は伸びきった足で、わずかに着いた足先を駆使して少しでも遠くへ跳ぼうとした。

(……たすかる)

 数瞬の後、少年の背後に巨大な電流の柱が屹立した。

 周囲を爆発が飲み込んだ。

      *

      *

 広域を飲み込んだ爆風を、物陰でやり過ごす少年。

「――ったく」

 呟くのは呆れと恨みの混ざった言葉。――三年の校章と少将の階級章を着ける、細目に眼鏡を掛けた長身痩躯の少年だ。

 壁に手を付く彼は、肩に少女を担いでいた。満身創痍の身体で少女を降ろし、彼は崩れるように座り込んだ。

 少年は菅原、そして少女が纒向だ。

「がいな事しよって。ワイのとっておき殺す気か、あいつは」

 菅原は毒を吐く。が、横から声が出た。それは少女の声で、

「……みちみち。さなさな大丈夫、大丈夫だよ。――あと、かずかずは……」

「分かっとる。お前が助かる言ったけん、助かっとるやろ。ま、まだ一人おるけんな」

 ほんまに助かるかは知らん。

 とりあえず休みたい。菅原は壁に寄りかかって、長く重い息をついた。

      *

      *

 喉の奥から苦悶の息が漏れる。

 意識が飛ばなかったのが不幸中の幸いだった。

 魔力を出せるだけ出して宙に飛び、爆風で一気に空へと飛んだ。

 上空五十メートル。放物線を描くように、彼は無人区の方角へ飛んでいる。この分なら、無人区の手前に落下しそうだ。着地できるかは知らない。

 残念ながら治癒が間に合うかは五分五分だ。体内の魔力を回避に注ぎ込んだおかげで中はすっからかん。今から精製して、それから治癒していてはまともに回復もできない。

 現在進行形でやってはいるが、もしかしたら〝有者〟の中から肉体を固くする異能を見つける方が速いかもしれない。そんな余裕ははなからないが。

 地面に激突まで、あと五秒。

 落下地点に遠野はあるものを目にした。

 紅い巨体だった。水牛の如き二本の角。腹には晒を巻き、巨大な数珠を肩にかけるそれは。

 ……トドメでも刺す気か。

 鬼神、草薙くさなぎ剣三郎けんざぶろうだった。

 体長二メートルをゆうに超す鬼は、腰を落とし、こちらを叩き落とす構えを取っている。

 遠野をただの物としか見ていないような、無防備な構えだった。

 彼は苦笑混じりに吐息した。これは負ける訳にはいかないな、と。

 少年は治癒を止め、姿勢制御に入った。顔を下にし、頭から落下する形にする。

 残り二秒のところで、遠野は一回転。落下の勢いを全て込めた踵落としを鬼目掛けて繰り出した。鬼は構えを防御に変える。衝撃を吸収するための、だ。

 受け止められる。が、その瞬間、遠野は強化された脚を屈めて、再度跳躍した。

 少年は堀を超えて、〝無人区〟の路上に着地した。衝撃を吸収する膝だが、堪え切れずにそのまま地面に膝を着いた。かっ、と遠野は息を吐く。

「お疲れ様です遠野僚長。見事辿り着かれましたね」

 櫛真の言葉に、遠野は小さく頷く程度の元気しか残っていなかった。


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