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第六章:世はままならぬ

第六章:世はままならぬ

      *

 宵の月。

 快晴の天蓋に星々は張り付き、ゆっくりと時を刻んで周っている。

 要塞港を擁するムンバイは、繁華街と市街の光が眩く見え、正に繁栄を迎える土地だった。

 インド神話体系局の本拠地である白亜の建物は、広い暗いアラビア海に面している。

 シックな趣の強い廊下。硝子越しに、青年は海原を眺めていた。が、ふと彼は、

「手応えは如何でしたか? アウヴィダ様」

 後ろへ振り返り、そう問いかけた。彼の視線の先には白い老女が笑んでいた。

「上々、と言っておきましょう。やはり、世界を相手取るのは中々に小気味良いものですねドルガー」

「言には気を付けて下さい。ただでさえ貴女様は勘繰られるような言葉をお選びになるのですから」

 ドルガーの心配に、しかしアウヴィダは失笑。彼女はドルガーの真横に立って、

「ふふ、何を言うのですかドルガー。常に余裕を持たなければ何事も上手くいかず、何事も出来ないものなのですよ。そう、切羽詰ればしくじる事になりますからね」

 すると、諦めたようにドルガーは嘆息した。

 先程の彼と同じように海を眺める老女は、しかし不敵な笑みを浮かべていた。

      *

      *

 雨が遠のきつつある神州、出雲。

 新東合学園の地下階層は喧騒に満ちていた。

 全四階層あるうちの二つ。指揮及び通信施設の密集する第一階層と第三階層で情報が錯綜していた。厳密に言えばヒトが錯綜していた。

 一時間ほどまえに全世界に向けて発せられたインドの宣言に対して、神州でもかなりの混乱が生まれていた。――神州はどうするのだ、という不安の叫びだった。

 その対処のため、第一と第三階層がフル稼働していたが、初動で厳密な区分けができていなかったために情報が混乱していた。

 そのため、急遽、現場監督官たちが集まり協議した。その結果、第三階層の総統司令部が機構管理下にある組織群を担当し、第一階層の情報指揮所は政府及び公共組織への情報交換を担当する事となり、それまでに来た担当外の物を担当先に送っている最中だった。

 神州の各組織における連絡は、今のところ〝そのような宣言を安易に呑む訳にはいかない〟として、待機願い。国民には〝対策の協議中〟という一報を入れている。

 そして、その協議は、まだ喧騒の最中にあった。馬鹿騒ぎの中で、蒼衣が、

「麻亜奈よ。なにゆえこれらを集めたのだ」

「人員として、優秀である事に相違ありません……」

 櫛真もまた若干の後悔の色をにじませていた。

 神州神話機構、第三階層その最深部にある生徒会室では、二年D組の生徒数名が怒鳴り散らし合っていた。蒼衣が眉をしかめる先にいたのは、

「こら宿禰・真人。せめて貴方は服を着なさいな! 服を!」

 と諌めの台詞を吐く、水色の髪を流す少女。波坂・伊沙紀。

「ひゃっほー! 旅行だぜ旅行! めんこい子いねかな!!」

 とタオル一枚を腰に巻いて踊り狂う少年。宿禰・真人。

『うむ。我が肉体の朋友である皆と仕事ができるとは。感無量だな!』

 と意味もなくぶるぶると身を揺らすグミのようなスライム。田中・ジョニー。

「ちょっと黙りなさいアンタたち! 捻り潰すわよ!! ――あ、ソラ。こんばんわ。珍しく私服なのね」

 色白で緑髪を二房に縛った少女。朝臣・ヘルネ。と、その挨拶に応じる空。

「あ、ヘルネちゃんこんばんは」

 そして、一隅で頭を抱える遠野とその父がいた。

「何てものを副会長は選んでくるんだ」

「お前の学友は濃い人ばかりのようだな」

 一向に静まる気配のない生徒会室。それを憂慮する櫛真だが、まずは蒼衣に対して各々の説明をした。彼女は淡々とした口調で、

「今回特別に、二ノD所属である三名を選抜いたしました。あの全裸が、第七分隊長補佐、中尉相当官である宿禰・真人。ヒト種、無継承襲名者で襲名神は知略オモイガネ。――スライム種が、同じく第七分隊所属の軍曹、田中・ジョニー。――残りの緑髪の少女が、第六分隊長の朝臣・ヘルネ。木霊に近いニンフ種、継承襲名者で、襲名神は仙桃オオカムズミです」

「名などどうでもよい。選任した理由を言え」

 しかし、蒼衣の言葉に応じたのは櫛真ではなく、遠野だった。彼は意気消沈したふうながらも、

「宿禰は〝本〟を使った記録と演算、情報管理が得手だ。細かな情報を必要とする外交にはある程度使える。あれでも図書委員会次期委員長候補だ。朝臣は学園でも指折りの救護員で、現地で何かあった場合でもある程度のバックアップが期待できる。あと、ジョニーは知らん」

『な、何と! 我が肉体は役に立たぬというのかね遠野君よ!!』

 遠野の台詞に、スライムがそのぶにぶにの肉体をしならせながら喚き出した。

 周囲から小さな悲鳴が挙がった。が、櫛真は、

「田中学生を選任したのは龍也様の護衛役にするためです」

『何と! 我が肉体が元帥殿のお役に立てると!?』

 蒼衣の視線が更にきつくなった。

 蒼衣まで暴れ出したら収拾が着かなくなる。事態の悪化を防ごうと波坂が口を開いた。彼女は吐息一つでタイミングを見計らって、

「とりあえずそこの三人は顔合わせ程度で済ませて大丈夫ですわよね。どうせ話し合う事など今後の方針や具体的な行動ですし、議事録と具体的な指示内容さえ出せば、この三人は理解してくれる筈ですわ。構いませんこと?」

「ああ、それで構わん」

 蒼衣の首肯に波坂は内心で安堵した。が、宿禰が、

「えぇえ、そりゃねえって! 折角風呂上りをダッシュで来てやったのによー! ――何か褒美くれよぉ誰かのエロいポーズ一枚撮らせてくれればすぐ帰るからさあ!!」

 波坂は眇で宿禰を睨んだ。ほぼ全裸で騒ぐ宿禰はそれを一向に気にしない。

 おそらく現像して大量に売り捌く気なのだろう。地味にここにいる女性陣には根強いファンがいるらしいし、

 ……そのファンクラブの大半を組織したのもこの男なんですけど。手広いですわね。

 しかし、宿禰の要求に思わぬヒトが手を挙げた。それは、矮躯の、

「あ、わたし撮りたい! 真人君のソレで一回やってもらいたかったんだ!」

 空だった。

 宿禰の顔が一気に満面の笑みと化した。無理もない。噂によれば空の写真はレアならしく、その上今の 空は私服。柔らかい白のワンピースに上着を合わせている。

 これは間違いなく高値で売れる。が、横から朝臣が割り込んできた。

「言っておくけどマサトに撮らせたら後悔するわよソラ。貴女を見てると余計に心配だわ」

「そ、そうですわよ蒼衣・空。いつもワタクシや遠野・和時のおかげであの男の魔の手から助けていますのに!」

 内心写真は欲しかったが、ここは心を鬼にして我慢しよう。

 こちらの戒めが通じたのか、空は渋々写真を諦めた。

「うぅ……、分かった。我慢する。真人君、怖いヒト……」

「おいおいちょっと待ってくれよ! なんて教育してくれんだ二人とも! 空ちゃん? 俺怖くないよ。良いヒトだよ。イイ事してあげるからさ、一枚だけ。ね、ねっ?」

 宿禰の押しに、空は困ったように周囲を見回した。その物欲しそうなつぶらな瞳に、朝臣や波坂も折れた。が、頭の中で波坂は軽くガッツポーズした。

      *

      *

「ハーイ、じゃあいくよお。笑ってぇ。――はいエロス」

 宿禰は青白く光る〝本〟を広げて、空の方に掲げながらにこやかに写真を撮っていた。

 生徒会室にいる全員の感情を代弁するように、波坂が、

「何度見ても呆れる手法ですわね」

「ええ、情報記録媒体とかいうけど、ようは反射した光子から情報を読み取って変換するだけみたいだし。もしかしてアイツあれするために創ったんじゃないでしょうね」

 撮影会を後ろから観察しつつ、波坂と朝臣は溜め息まじりに会話していた。

 他の面子は外野で静かに見守っている。が、その間ずっと蒼衣は空たちに冷たい眼差しを送っていた。

「申し訳ありません龍也様。まさかこのような事態になるとは……」

 櫛真が深々と腰を折るが、蒼衣は小さく短い吐息をして、

「構わん。どうせ今夜中に決めればいい事。細かい事は機構や政府が先に手筈を整えている。オレ達は意思決定すればいいだけだ。焦りは禁物だろう」

 彼はそう言って、色んなポーズをして撮影会を楽しむ空の姿を眺めた。

      *

      *

「それでは、会議を始めたいと思います―――」

 櫛真の進行が始まる中、波坂は横で記録係として残った宿禰と空が小声で会話するのを耳にした。会話の内容は写真の事で、

「……部屋戻ったら即現像するから、明日には出来てるよ」

「ん、ありがと。でも、ごめんね。寝なくて大丈夫なの?」

「全っ然。むしろハイになってやってるから」

 彼の笑みに波坂はジト目になる。すると彼は、今度はこちらに向き直って口元を歪めた。

「(それで旦那ぁ、幾らで買いますかね?)」

「(貴方はもっと自分の評価というものを気にするべきですわ……)」

 溜め息を吐く波坂だが、宿禰はあっけらかんと念話で言葉を返してきた。

「(今さらそんあ事言われてもなあ。俺はエロの伝道者なもんで。で、幾らでいく?)」

「(――もういいですわ。なら、三枚目と五枚目、八枚目と九枚目、それと最後のをそれぞれ万で頼みますわ!)」

 すると、視線の先にある宿禰の顔が苦笑した。

「(最初から買う気満々なのが波さんらしいよ。いやあほんといい金づるです)」

 波坂は眼球に魔力を通して黄金色に輝かせた。

 宿禰はさっさと視線を逸らして、素早くメモで何かを走り書きしていた。おそらく、彼女の要望を記録しているのだろう。帳簿でも作られていないか心配だった。

 波坂は軽く目を閉じて、気を取り直してから会議に耳を傾けた。櫛真の声がする。

「今回の件は事前にインド側から連絡があり、何かしらの行動を起こす事は分かっておりました。あの映像の証言や動画の実証性については研究部が精査しました。〝魔力併用機構〟について理論自体は不明ですが、映像を見る限りでは実際に成功しているものと思われます。――そしてそれによって世界規模でパワーバランスが偏りを起こす可能性があり、現状これを最も危惧すべきと判断できます」

 彼女の言に反応した者がいた。遠野だ。彼は、自分に言い聞かせているように、

「だが、あの言質だけでは普通に平和利用、使いたい奴は使えと言っているようにも捉える事が可能だ。インドの行いをどこまで悪的に捉えるかが面倒だぞ」

「別段面倒などあるまい。そのように解せるのであればそれでいい。そう告げた向こうが悪いだけだ」

 蒼衣に追従しようと、波坂も意見を述べた。

「政治的に言っておきますけど、無法地帯だからといって簡単に別の国が吸収できる訳ではありませんわ。併合には世界と現地の承認が最低でも必要。他国が認めなければ併合は許されませんし、吸収される事を嫌う土地であれば戦闘は必至。どうあっても争いが生まれますの」

「波坂会計の発言を補填しますと、無法地帯の大部分はアフリカと北米です。地政学の観点から言っても近年まで大国としてあった北米、部族意識の高いアフリカを併合させるのは非常に困難と言えます」

 遠野から始まる論を締めようと、蒼衣はこう結論付けた。

「どの道インドの行為は悪的と言えよう。こちらがそう言ったところで、あのような物言いをする者どもだ。ぬらりくらりと避けるか、安易に認めるかの二択だ」

 なら、と波坂は疑問の声を挙げた。今のところ全く想像の着かない事。それは、

「そもそもインドは何が目的ですの?」

「エロい事じゃねえの?」

 宿禰が勝手に口を挟んできた。

「縛しますわよ」

 タオル一枚の彼は蒼い顔をして引き下がった。もはや誰も気に留めていなかった。

 櫛真は話を戻そうと、口を開く。が、遠野がそれよりも早く言葉を発した。

「俺の親父が知ってるんだろ」

「そうだな」

 と、腕組みして座る海瀬は頷いた。が、向かいに座る空は、今さら気付いたのか、

「あれ、そういえば和時君のお母さんは?」

 エリスがこの場にいない事に疑問の声を挙げた。ああそれは、と波坂は前置きを入れて、

「面倒だからこないそうですわ」

 途端。周囲が静まり返った。皆は眉をひそめている。

『…………?』

「ど、どうしましたの?」

 恐る恐る尋ねた彼女だが、横の宿禰が答えを出した。

「何で波さんが知ってんの?」

「え? ……あ」

 しくりましたわああ!!

 波坂は手を振って何か言い訳しようと必死に考えるが、テンパった自分にそんな事が期待できる筈もなかった。完全に混乱してしまった。

「それはその、あれですわ。ワタクシがあの……、ええと――――」

 口籠っていると不意に空が席を立ち上がって、こちらに近付いてきた。

 空は急にクンクンと波坂の服を嗅ぎ始めた。ややあってから、少女は身を剥がし、

「伊沙紀ちゃんお昼と違う匂い。シャツは一緒だけど洗ってあるし、お風呂にも入ってる」

「な――――!?」

 顔を真っ赤にして波坂は驚嘆した。

 ……何で分かりましたの!?

 まさか毎日ワタクシの匂いを嗅いでくれてますの、と思った波坂だが、

「確かに波坂会計の匂いはいつもと少し毛色が異なります。元のものと混じり多少判断しかねますが、これはおそらく」

「和時ものに近似しているな」

 波坂は爆発した。

 もはや言い訳など思いつく余裕は皆目なかった。蒼衣は、

「異属は全般的に嗅覚が鋭い。リュウ属は無論、ウルフ属も顕著にそれがある。この距離でも識別など容易だ」

「ささ波さん、釈明の余地は御座りませんよ!」

「……あ、あぁの、その、ワタクシは別に、遠野・和時とはぁ……」

 しどろもどろになりながら、衆目の期待から必死に逃れようと頑張る波坂。が、しかし、遠野がみかねたようで、

「俺の家の風呂に入っただけだ」

 宿禰が発狂した。心底悔しがるように、

「ええマジか!? マジだよな二人。マジで俺も今日行っていい!? 行っていいよねっていうか行かせてお願いマジで隠し撮りさせて!! それとも事後? 事後なのか!!?」

「伊沙紀ちゃんお泊り? いいなぁ。私もお泊りしたぁい」

 空は素直に羨ましがるが、蒼衣は含みを盛った笑みで、

「会計は中々に面白い事をする。蛙の子は蛙とはよく言ったものだ」

「――もういやですわああああああああ!!」

 波坂は崩れ落ちた。

 しばらくしてから、

「話題が逸れましたので戻します。なお、波坂会計の件については会議後に各々のご裁量にお任せ致します―――」

 波坂は顔を赤くしたまま俯いていた。櫛真は続けて言う。海瀬の方を見て、

「――遠野補佐、インド経協圏の目的に着いて情報は御座いますか?」

 櫛真の質問に、海瀬はしばし黙考するような間を開ける。前置きもなく、彼は告げた。

「はっきり言おう。インドが求めているものは、――世界の矯正だ」

      *

      *

 夜のムンバイ。

 市街の喧騒とは別に、違う音が海岸近くで鳴り響いていた。

 夜をも徹して行われる海岸線の改修工事だ。

 アラビア海に折り曲げられたように突き出すムンバイは、今や世界中の貿易の要となっており、ここ十年で幾度の海港の拡張工事が行われてきた。

 が、今回の工事は貿易ではなく、防衛目的の改修工事だった。

 ムンバイ全域を囲む防壁に、防壁強化術式を追加導入しているのだ。事前にある防壁に対して、霊脈を解して自律する棒術式を束ねた杭を一本ずつ埋め込んでいる。手順は簡単だが、距離と数量が膨大で、工事日数短縮のために昼夜問わず工事は進められている。

 と、工事のため人気のなくなった海岸通りに、人影が三つ現れた。それは、

「プラはお外をぷらぷらお散歩します」

「パティも、――ぷらぷらするです」

「あのぉ、お二人とも御就寝になる時間ですけど大丈夫なんですか?」

 褐色の少女二人を追う、若草色の髪を肩の辺りまで伸ばした女性は心配の声を挙げた。

 彼女は、この工事の現場責任者である、アナーヒアと呼ばれる精霊種だった。少女二人と同様、継承襲名者で、その神名は、

「サラスバティーは芸能系で河川の女神の筈ですけど、プラは思います。どうしてアナーヒア様が海岸工事の監督なのですか?」

「パティも思うのです。ここは鍛冶や工芸の神を襲名するホール様です」

少女二人の疑問に、アナーヒアは困った。

「いやあ、そんな事言われましても、私はただアウヴィダ様やドルガー君から頼まれただけですしぃ……」

「でもプラは分からない事があるのです。アウヴィダ様やドルガー様、他の皆様もどうしてそこまでこの作戦にご執心なのです? プレイ?」

「パティも理解不能なのです。プレイなら理解可能です」

 最後のは聞かなかった事にして、アナーヒアは素直に失笑した。

「ふふ。実は私もよく分からないんです。お二人は一番の新参ですけど、わたしも新人である事に違いないですから。たぶん、ちゃんと分かっておられるのはアウヴィダ様やドルガー君、あとはホールさん辺りだと思います」

「でも、ちょっとはアナーヒア様も分かってるのですよね?」

「パティたちはおバカで治すしかのうがないので教えて欲しいです」

 二人の求めに、アナーヒアは逡巡した。が、ややあってから、柔らかな口調でこう答えた。

「夢、だそうですよ。最初は二人で始めたのだったと思います。アウヴィダ様が考えてドルガー君が手伝う。私たちはそれに参加し始めたに過ぎません」

 そう。

「アウヴィダ様が考えているのは、この世界を維持する事。最もではなく、丁度良い形に手直ししようとしているんです。そのために、あの御方は泥をも被っているんだと思います」

 しかし、アナーヒアは次に笑った。工事を横目で気にしつつ、微笑んで、

「ですが、アウヴィダ様はこう言って笑われるんです。自分は商売でしか事を起こせない、浅はかで卑しい人間なのですよ、と」

 精霊の言葉に、褐色の少女は首を傾げた。

      *

      *

 事務的な口調で、海瀬は生徒会室に面子に説明した。

「インド経済協力圏の連合議会議長並びに、神話体系局の長を兼任するアンジュ・アールス・ガンジィ。通称アウヴィダは、旅商人としてその生涯の殆どを送っている。側近でありインド神軍の最高指揮官を務めるドルガー・シークリー、本名スハルト・ラシングも彼女と共に旅をしていた」

 海瀬は落ち着いた眼差しで、周りを見ている。口は説明を続けた。

「二人は昔から悪徳的な手法で手に入れた品を平然と売買していたようだが、客の評判は良くも悪くもそれなりにあったようだ。この二人は十年前の変革を期に、特別機関である三百委員の一員として政府が召喚し、以後精力的に活動して徐々に政府、国、インド周辺を呑み込んでいき、政界経済市場を盤石化させるに至っている。そこまでの道のりにも、幾度となく賄賂や買収、不平等な契約を用いているらしい」

「成程。何かの目的がなければ、そこまで悪道に手を染めてまで頂点に至ろうとは思いませんものね。今回の一件、遠野・和時のお父様はどのように考えておりますの?」

 波坂の問いかけに、海瀬は即答した。

「特には。ただ、二人の行動は常に一貫している。それは過程ではなく結果を最重要としいる面だ。事実、行いはどうあれ経済協力圏における経済成長は目まぐるしく、貧困対策にも印度から莫大な量が供出されている。世界経済にしろ、印度の中間貿易は需要供給のバランスを整えるために不可欠な存在となっている。印度に世界が生かされているという認識の仕方も、あながち間違いではない」

「だが足付きよ。それは逆に言えば着け込められる隙だ。どんなに支援されようとも、気が付けばそれは賄賂も同然だったなどという事はある」

 蒼衣の言葉に、遠野が反応した。否定的な意見で、

「賄賂をするような名じゃないな、この二人。あの老婆は悪徳神ブッタ。ドルガーとかいう奴はインドラを退けた軍神スカンダだ」

「加えて、資料を見る限りその周辺の襲名者も結構な者がいますわね。サラマンダーに淫魔、半獣人、精霊、ドルガーという方も魔人族ですし、凡庸なのはヒト種のアウヴィダ氏くらいですわ」

「ハハハ。それを言えば神州も負けてはいまい。ここにもリュウ属が二人に精霊一人、ヒト種が四人いるが遜色ないほどに濃い」

 蒼衣が笑声を挙げた事でタイミングを見付けたのか、宿禰が言葉を作った。性懲りもなく、

「確かに俺たち馬鹿ばっかだからなあ。そういや遠野の親父さん初めましてえ。俺、和時君のオトモダチの宿禰でえす! 和時君のお母さん紹介してにょろ!」

 取りあえず波坂が宿禰を殴り倒したところで会議は再開した。

 席に座り直した波坂は一度咳払いして、それから質問を投げかけた。

「で、具体的に会長はどのような対策を講じるおつもりですの? 抗議文では些か打撃に欠けると思いますが」

 ああ、と蒼衣は頷いて、

「無論、直接赴くに決まっている。手配は済ませてある」

 彼の言葉の直後。バン、と円卓が叩かれた。遠野だった。

「何のために幕僚監部ができたと思ってるんだ。方針を決めるのは構わないが、決定権は俺にもある筈だぞ!」

 彼の口調は怒り、というよりも諌めに近かった。おそらく二ヶ月前の事を思い出しているのだろう。蒼衣もそれは分かっているのか、しかし毅然とした態度で言葉を返した。

「ああ、確かにそうだ。だが今は緊急だぞ。規約にも緊急時にある程度の裁量の独断が許されている。俺が決めて何か問題があったか」

 遠野は蒼衣を睨み付けた。しばしの間、沈黙の睨み合いが続いた。が、

「――ストーップ!」

 そこに空が割り込んできた。

 少女はやや不安げな表情ながらも、硬く結んだ唇を開いてこう叫んだ。

「ケンカは駄目だから! もう絶対しちゃ駄目だから!」

「そうで御座います、龍也様。ここで争っても利益など御座いますまい」

 追従するように櫛真も蒼衣を制止した。が、しかし、彼らは何故か嘆息した。

「別にオレ達は争おうなどとは考えておらん。ただ、」

「どっちが外交団の長になるか決めようとしただけだ。お前らの方こそ熱くなってるんじゃないのか?」

「え、そうなの? ……ごめん。邪魔して」

 二人の言い分をあっさり信じた空はいそいそと引き下がったものの、櫛真は蒼衣の傍を離れようとはしなかった。彼女は小声ながらも、毅然とした態度で、

「龍也様、貴方様のご采配は常に何かしらの理由がある事は存じております。加えて、それに関わる最終的な目的も一貫なされている。故に追求はしませんが、私めは貴方様がご相談なさるに足らぬ存在でしょうか?」

「言わぬが花という事もあり得る。それに言ったところで言い訳をしている可能性も否定できないであろう? 頼ってばかりでは男の名が廃る。違うか? ――麻亜奈」

 蒼衣は少し口元を緩めて答えた。

 その答だけで満足だったのか、櫛真は元の位置に戻った。蒼衣は、

「インドでの行動は抗議と宣言の撤回を要求する外交目的だ。任命状もすでに届いている。残りは人選だ。それをここで決める。麻亜奈」

「はい。先程紹介した朝臣、宿禰、田中の三名はすでに外交メンバーの補佐官として決定されています。交流目的でないため正式な外交官は少数で足ります」

 その言葉をまっていたかのように、波坂が意気揚々と口を開いた。彼女は、

「ならばワタクシと蒼衣・空は確定ですわね。ワタクシは政治的なら顔と知識は広いですし、蒼衣・空は以前にも印度の外交官を務めたのですから当然ですわ」

 蒼衣、そして遠野もその意見に賛同した。空はいきなり決まったせいか、少し緊張した風だった。やだ可愛いですの。

「印度では最悪戦闘に至る場合もある。オレの直属の部下である足付きと銀髪は補佐に入るべきだが。異論はあるか?」

「和時がいいと言うならば断る理由はない。エリスも了解している」

 海瀬の言葉に、ふと波坂は遠野に尋ねた。

「何でご自宅のお母上と連絡が取れてますの? ここ第三階層で防護結界も二重で張られてますのよ?」

「俺に聞くな。オリジナルの魔術師の事なんて知らん。それに予測でなら何とでも言える」

 ああ成程、と波坂は独り納得した。そして遠野の方は、海瀬の言葉に応じた。

「俺はどっちでもいい。どの道、母さんが行きたがれば止めても無駄だからな」

「では外交メンバーに加えましょう。それで、どちらが印度に発つのかお決まりになったのですか龍也様?」

「元帥であり経験の積んだオレで押し切った。麻亜奈は神州に置き、和時は神州の防人として立つ事で譲歩させた」

 想像以上に具体的な内容に、波坂は嘆息した。

「あの睨み合いの中で念話してましたのね。何とも面倒な真似を」

 というよりも、この会議本当に会議として成り立っていましたの? 

 今になって不安になってきた。議事録の確認を取る時に自己嫌悪しそうだ。しかし、次に発した遠野の言葉は、彼女の予想外のものだった。それは、

「何言ってるんだ波坂、俺は今念話は使えないぞ」

「え?」

 確かに遠野は異能や神力を発動しないと、念話を含めた術が使えない。まさかとは思うが、

「全てはアイコンタクトだったな」

 こ、この二人は一体なんですの?

 会議は進んだようで、結果いつも通りの自分たちだった。

      *

      *

 彼は一息をついた。

 なるべく彼らに干渉する事を避けたが、それでも見ていて微笑ましいと思える光景だった。が、椅子に腰掛けた白髪混じりの男は、その事に内心で苦い思いもしていた。

 自分にとっては、喜ばしい事ではないな、と。

 しばらくすると、ふと心の中に声が響いてきた。それは華のある女性の声で、

「(ねえねえ、どうだった?)」

「(特に変わりはない。見ているだけで勝手に進むのはそれなりに楽だったよ。報告すれば終わりだったからね)」

「(ふうん。でもカズトキたち、向こうに行っちゃうんでしょ。心配だなあ。うふふ)」

 いや、和時は行かない筈だ。

「(もお、何言ってるの。後で来るに決まってるよー。来ないのなら連れてくもん)」

「(我が儘だな。お前も)」

 海瀬の返しに、エリスは変な笑い声を挙げた。

「(ふぇっふぇーん。エリスは最凶さんだからね)」

 心の中で小さく苦笑して、海瀬は呟いた。

「……確かに、お前の本気を相手にするのは骨が折れた」

「(ふふ、あの時は最っ高に興奮したよ? もう濡れ濡れ)」

「(それは、二十年ぶりの衝撃だな……。最後は子どもみたに大泣きだったと思うが)」

「(私はおっとなあ!)」

「(四十手前の淑女の言葉には思えない)」

「(――――――)」

 それっきりエリスは言葉を返してこなかった。失言だったか。

 彼女との会話に一区切りを着けたところで、海瀬は椅子から立ち上がった。そして、

「さあ、帰るか。――和時、帰るぞ。君はどうする?」

 長い髪を頭の後ろで結った少女、波坂に海瀬は問いかけた。すると彼女は、柔らかい笑みを浮かべて返事をした。

「支度もありますので、今日はお暇させて頂きます。家の者を呼びますのでご心配なく。――それと、今日はご自宅に招いて頂き光栄でした。次、機会があるならばワタクシの拙宅、その敷居を跨いで下さいな」

「とんでもない。君のような子の私宅に招いて頂けるのなら是非とも。息子とは今後とも仲良く付き合ってほしいが、頼めるかい」

 ええ、喜んで。と少女は会釈。次いで踵を返して、波坂はそそくさと生徒会室から去っていった。そして海瀬は、更に横にいた矮躯の少女に声をかける。

「君も、和時と仲良くしてやってくれ」

「ん、分かった。わたしも和時君のおうちに遊びに行ってもいいかな?」

「それは和時に聞いてやってくれるかい。――それじゃあね、蒼衣・空君」

 そう言って、海瀬は空の頭を撫でてやった。細く柔らかな髪の感触が来、少女は目を細めて笑っていた。が、

「……?」

 撫でる最中、一瞬だけ、彼は眉根を寄せていた。

 何かに気付き、疑問するような間。しかし、ややあってから、彼は少女の頭を撫でるのを止めて、小さく笑んで見せてから息子に目配せを送った。

 遠野親子はそのまま、生徒会室の扉を潜った。しばらく歩いた後、海瀬はふと、

「和時」

「なんだ親父?」

 息子の名を呼んだ海瀬は小声で尋ねた。取り留めもなく、

「そろそろ好きな子とかができるんじゃないのかい?」

「何だそれ。冷やかしか?」

 引き気味の回答。予想通りの反応に、海瀬は失笑した。そして、

 ……蒼衣・空君か、――中々面白い〝世界こころ〟を持った子だったよ。

 虚ろな瞳で、海瀬は行く先を見据えていた。

      *

      *

 インド神話体系局。

 ムンバイ随一のホテルを改修して造られたそこは、至る所にホテルの名残を感じさせる雰囲気を持っている。

 時刻はそろそろ翌日に入る頃。本来ならば夜番の人員しかいない時分だが、今日に限ってはヒトの動きで騒がしい。幾度となくヒトの集団と入れ違う中で、アウヴィダは偶然出くわしたドルガーと言葉を交わした。途中までの行く先を共にして、

「それでドルガーよ。各国の反応は如何でした?」

「様々、という言葉の選択が最適でしょう。殆どが発言の仕方に気を付けろ。世界の中心気取りか。戦争を起こせというのか、などというものでしたが、反応速度はどれもまちまち。今のところ、直接外交官を派遣すると宣告してきたのは神州のみです」

 ほお、とアウヴィダは笑みを溢した。ドルガーは諌めを言うが、

「ほほ、貴方もヒトの事は言えないでありますよ。笑ってますよ?」

 青年は思わず口元を手で押さえる。が、開き直ったように返答してきた。

「それは貴女様の見間違いです。私は常に平静、それでも言われるのならばこれはこれから起こる事への武者震いとでもお受け取り下さい」

 すると、老女は再び笑い出して、

「ほほほ、――世界はままならぬものですね」

 と瞳を鈍く光らせた。

 ムンバイは着実に準備を進めている。


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