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第十一章:止まれぬ想い

第十一章:止まれぬ想い

     *

 狭い空間がある。

 暗く、肩を挙げればすぐ壁にぶつかるような圧迫感。

 絶え間なく電子音がし、光は正面の小さな四角いディスプレイと計器類からしか来ない。

 それをヘルメット越しに見るのは独りの男。

 遠野だ。

 暗いコックピットの中で、彼は学生服のまま操縦桿を握っていた。

 学園の地下階層。航空シミュレーション室で遠野は訓練を受けている。パイロットとして最低限の装備を身に着け、その上から重力変化を再現する全身アーマーのような機器を装着している。正直言って苦しい。

 今は夜間、上空で待機状態。設定は、対空能力を持つ制空者と突然接敵し、迎撃だ。

 しばらくレーダーパネルを注視していると、真正面から反応が来た。

「十二時の方向、二―七―〇より小型機相当のアンノウンを三機確認。民間機の信号なし。軌道回避する」

 尾翼を動かし正面三機との軌道を外す。

 数秒後、交錯したのを確認し反転。全身に強いGを感じつつ、反転しつつあるアンノウンの熱紋を確かめた。

「――熱紋、ジェットエンジン。速度、機動性から戦闘機と判断。呼びかけもなしだが、アンノウン改め敵機との戦闘に早速入る」

 遠野は一気に操縦桿をきった。

 こちらに近付く敵機は散開し、それぞれこちらに照準を合わせている。回避行動を取ってはいるが中々振り切れない。が、ややあってから、

「敵機正面。機銃発射」

 偶然背後を取った敵機一機を遠野は早速蜂の巣にした。

 撃墜。

 ……機銃で落とされるとか反応遅すぎるだろ。

 敵のひ弱さに驚きながらも遠野は操縦桿を再度強く握り直した。

 その結果、遠野は健闘し、三機全てを撃墜した。

 訓練は続き、対空戦闘から対地、対艦など一通りの戦闘訓練。長距離航続のシミュレートをした。

 数時間で、訓練終了。

 コックピットのハッチが開き、一気に解放感が増す。重苦しいヘルメットを脱ぎ、遠野はやっとの思いで息をついた。ぶっ通しではないにしろ、流石に三時間近くの訓練は辛い。

『長時間ご苦労様でした遠野僚長。本日の訓練は以上です。明日からも訓練ですので、今晩は学園の寮にて休養下さい』

 シミュレーション室横のモニタリング室から、櫛真の声がマイク越しに聞こえた。

 因みに遠野は通学だが、中将になった際に学園の寮に自室を頂いている。

「分かった。――ずっと思っていたんだが、この訓練は何なんだ? 俺は陸上科だ。特自にでもなれっていうのか?」

 呆れ声でそう問うた遠野。

 特別自衛隊。いわゆる神州の国防軍で、この十年で再編された武装隊だ。魔術や異能、神力を二次的作用と考え、いかに旧武装を主力にするかを研究している。

『近くにもこの訓練の意味が分かります。しかし、実験データを記録しているのは確かです。こうでもしてゴマを擂らなければ面倒なので』

「確かに面倒だが、特自に俺みたいな奴はいないだろう。データに意味があるのか心配だな。――しかしやけに尾翼ラダーが利かなかったがわざとか?」

『仕様です』

「仕様……」

 ええ、と櫛真は肯定した。

 近く尾翼の利かない戦闘機に自分を乗せる気のようだ。

 ……まあそれはいいとして、

「インドの方はどうなっている。そろそろ交渉が始まる頃じゃないのか?」

『いいえ、まだのようです。インドは現在五時半頃ですから、交渉開始は三時間ほどあるかと思われます』

「どうなると思う」

「芳しい結果になる可能性は低いと思われます。相手がインドだけに、あまり強きに出る訳にもいきませんので」

「インドからの輸入にかなり神州は頼っている面があるからな」

「それなりの釘は刺せるだろうと仰っていましたので、龍也様ならば素晴らしい結果を持って帰って頂ける筈です」

「………………」

「どうかしましたか、遠野僚長」

 問いかけに、遠野は答えた。軽く肩を竦めて、

「副会長の会長贔屓は毎度留まらないなと、そう思ってな」

「私めは事実を述べているだけです。龍也様は素晴らしい御方です」

「それを会長に直接言った事はあるのか?」

「いいえ、ありません。申し上げたところで何も変わりませんので。私めはただあの御方の力添えができれば、それで満足ですので」

 そうか、と言葉を返したところで会話は途絶えた。

 ……会長は貴女の事を思って行動しているんだろうがな。上手く噛み合わない二人だ。

 しかし、

「……親父と母さんは、噛み合っていたんだろうか?」

 いつどこで出会い、どんな事を経てあの二人は共になる事を決めたのか。

 息を吐く彼は、ふとそんな事を考えていた。

      *

      *

 シャワーを浴びて学園表層部に出ると、すでに外は深夜だった。

 七月とはいえ、風呂上りに夜風に当たるのは少し寒い。が、

「内側は風呂で温もって熱い。動くには最適だな」

 学園正面。職員棟の手前の参道で、遠野は着替えた服を仕舞った袋を小脇に抱えている。

 これから担任である鬼村を探すところだ。職員室にはいなかったので、

「探すしかないが――、その前に袋を部屋に置いてくるか」

 その途中に鬼村が見付かればそちらを優先するだけだ。そう判断して、遠野は一キロ向こうの学生寮に足を延ばした。

 結果として、鬼村を見付けたのは袋を寮の部屋に置き、外に出てすぐの頃だった。

 二百メートル向こう、園芸広場の傍を二メートルの巨体が歩いていた。一目でわかる。

 ……あの方向だと夜番棟に行くのか?

 声を挙げようかとも考えたが夜で寮の近く、付け加えて何故か興味が湧いたため、遠野は鬼村の行き先が分かるまで後を着ける事にした。

 気配を消し、足音を立てずに二百メートルの差を縮める。第二講堂と女子寮の間を駆け抜けて一気に園芸広場の前に寄った。女子寮の陰から、夜番棟の方向を覗く。と、

「夜番棟じゃない? 向こうは何もないぞ」

 夜番棟の向こうには森林区しかない。両端に伸びる通路も、寮や遊技場、無人区にしか行かない。教諭が夜遅くに行くような場所ではない筈だ。

 疑問に思った遠野は、鬼村の目的が判明するまで尾行する事にした。

 案の定、鬼村は直進し、森林区の中へと入っていった。遠野もそれに続き、森林区の柵を越えて鬼村の後を追った。

 物陰が多い森では見付かる心配は減るが、見失しないやすくなる。百メートル近く追ったところで、遠野は不意に鬼の姿を見失った。

「……?」

 おかしい。二メートルの巨躯で暗闇でも目立つ赤い肌、普通に歩いていてまず見失う筈はない。周囲への警戒を高める遠野。だが、ややあってから、

「何か用ですか?」

 背後から突然、重低音の声が耳に入った。

「!? ……いつの間に!」

 反射的に前へ跳び、翻った遠野は顔を上げた。鬼村がいる。

「遠野君、君が森に入った辺りから気付いています」

「まさか。気配は消していた筈」

 遠野の驚きに鬼村は少し呆れたような表情を浮かべて、

「気配は消えてても見られていては関係ないです。ここの妖精は活発ですから」

「……そういや波坂が母さんと教諭の戦闘を話してたな。成程。精霊術ってやつか」

「厳密に言えば契約系ではなく、共感による共生関係です、自分の場合は。仲良くしていれば気前よく従ってくれるから有難いんですよ。契約じゃないので無理強いができませんけど」

 臨戦態勢のままでいたのを思い出し、遠野は起き上った。吐息して、

「魔術は奥が深いな」

「奥がありませんからね。探究すればするほど奥ができます」

「それで、ここで何をする気だったんだ?」

「何をする気だったと思います?」

 鬼の重低音で、ウキウキとした感じで尋ねられた。どことなく後輩臭のする担任だ。

「聞いているのはこっちだぞ」

「こちらは教師として聞いてます。海瀬さんとエリスさんの子なら分かると思うんですが。筋は良いですし」

 そう言われると無碍にも出できない。遠野は仕方なく考える事にした。

「そう聞いたという事は散歩ではないな。さっき仲良くと言った事を鑑みた場合、その交友でも深めに来たと考えるのが妥当だろう」

「いいですね。平時なら正解でしょう。でも違います。――朝から君の訓練で無人を盛大に壊したせいで森の精霊が怯えてるので、宥めに来たんです」

「何故? ここには何もしていないぞ」

 ここに精霊が一人いる事は知っていたが、そのような事だとは知らなかった。

「本来こんな人工の場所に精霊は来ませんしいません。よくて妖精くらいです。無理に精霊に住んでもらって土地の浄化と整調を頼んでる訳です。でも、とてもひ弱で怖がりな子なので、自分が監禁されてるように感じる事がどうしてもあるんです。訓練で使う事もありますし」

「その上、今日急に隣の物が四分の一近くも吹っ飛んだから恐がってると」

 成程。大体の成り行きが分かってきた。

「ええ、元々そういう約束で契約した訳でもありませんでしたから。今日は一晩中一緒にいようかと。エリスさんたちが来て嬉しそうだったんですけどすぐ行っちゃいましたし」

「その精霊は教諭のなのか?」

 鬼村の口ぶりからすると、両親ともかなり交友があるように思えた。

「まあ成り行きでかなり前から。自分が君と同じくらいの時ですかね、逢ったのは」

 聞くならば今しかない。と遠野はそう悟った。だから、

「成程。丁度いい。――教諭、昔の事を、教えてくれないか?」

 問いかけた途端。鬼村の雰囲気が豹変したのを、遠野は直感していた。

      *

      *

 新東合学園の森林区。

 その南部に位置する池の畔には、一メートルにも満たない小さな社があった。

 比較的新しい社だが、内側の本殿に相当する場所は遠目に見ても古く感じる。どこかにあった物を移してきたようだ。そして、遠野はその手前に視線を移動した。

 社の前には、二メートルの体躯で座禅を組む鬼村の姿があった。

 彼は無言で身動き一つ取らず、ただただ座禅を組み続けている。

 細く長い吐息を遠野はついた。

 少しではあるが、両親の過去が知れた。

 色々と難儀な人生を送っているようだが、一つ、少年には疑問が残った。それは、

 ……親父が命を賭けてまで闘った理由が、分からない。

      *

      *

 「分かりました」

 その凄んだ雰囲気とは裏腹に、鬼村は簡単に遠野の要求を呑んだ。

 鬼は仕方ないといったふうに、

「本当は精霊の方がかなり先決なんですが、君が海瀬さんたちの子どもなのであの子も納得してくれるでしょう。ですが、手短に話すだけです。それと、詳しい事は自分に話す資格がないので言いませんが、それでも聞きますか?」

 ああ勿論だ、と遠野は即答した。

「一応、自分視点で話します。自分がエリスさんと出会ったのは三、四歳の時、海瀬さんとは十五の時です。取りあえず色々考えるところがあって、自分たちの世代は当時魔術師たちを取り纏める魔法機関、プロティスタから逃げました。それが魔導会という組織で、エリスさんがボス、顔役が何人かいました」

 出だしからかなりヘビーな事態だ。

「自分たち魔導会は追われる身でした。何せ世界を揺るがすくらいのものを盗んでいきましたからね。考える原因もそれなのですが、要は、大切な仲間を魔術の道具にされて、それで魔法機関のやり方に疑問を感じるようになったんです」

 鬼村は話を続ける。

「魔法機関が全総力を挙げて行おうとした大魔術、その研究にボクたちの仲間が一人犠牲になりかけました。半ば死んでいたようなものですが、実験動物でホルマリン漬けにされる前に自分たちは仲間を助け、そのまま協力者の力を借りつつ日本にまで逃げてきました」

「どうして神州に。魔術の機関は、欧州辺りにあったんだろ?」

「魔法機関は欧州の人間全員を殲滅するくらいの狂気は持っていましたから、少なくとも遠い場所に行ったと思わせたかった。そして、彼らの力が極限まで薄い場所が日本で、更に田舎にまで渡って仲間を匿っていたんです。――機関から逃げたのは自分が十三、四の時ですね」

 そこまで聞いて、遠野は質問を投げかけた。

「その田舎ってのは、どこなんだ?」

「伊予の国です。今もそこにボクたちの城があるとは思えませんが」

「成程。なら、教諭が親父と会ったのはその田舎ってところか」

 ええ、と遠野の指摘に鬼村は頷いた。

「自分がやらかしましてね。仕事から帰還している間にプロティスタの刺客に尾行されてたみたいで、建前上通学していた学校で戦闘に。幸い夜で、防音遮光で外にはバレなかったんですが―――」

「運悪く、親父が校内にいてそれを見ていた、と?」

 本当に運の悪い父親だ。鬼村は少し気落ちしたような口調で肯定した。

「その時は自分の仲間が一人いて、自分は荷を持っていたので一人逃げて基地に。詳しい状況は見てないので分かりませんが、その仲間を海瀬さんが助けたり助けられたり、ドタバタした末に刺客を撃退して」

「口封じか抱き込むために仲間が基地に連れていった。そこで教諭と母さんは親父に逢うんだな」

 分かり易い展開だ、と遠野は思った。が、そこで鬼村が、

「海瀬さんの力と身体の事情は知っていますか?」

「神にも匹敵する凄い力で、代償で身体を悪くした、くらいにしか聞かされていない」

「まあそうでしょうね。実に腹黒い理由で、自分たち魔導会は海瀬さんを抱き込みました。最初は監視でしたが」

「どういう事だ?」

「海瀬さんは、有体に言えば魔導会の匿った仲間と同等以上の価値があったんです。全ての魔術師が目指した境地、世界創造の力を持った人だったんです」

「……世界創造」

 ええ、と鬼村は首肯する。

「〝魔法〟です。匿った仲間も、魔法を発動し得る才能があった。海瀬さんは魔法を発動させてなおかつ、肉体を維持できる人でした。あの人は少しと言っていましたが、〝魔法〟を発動する度に海瀬さんの寿命は十年近く吹き飛んでいました。寿命が一割減るなんて些細な事、そんな人間を機関が放っておく訳がない。そう考えた自分たちは海瀬さんを保護・監視を始めました」

 鬼村の言葉に遠野は呆れたように嘆息した。

 ……十年だと? なら、親父はあと何年の命になるんだ!

 内心で苛立ちを覚えつつも、遠野は話の続きを視線で催促した。

「しばらくして、魔導会で仲間割れが起きました。匿っていた仲間がもう嫌だと言い出したんです。仲間の人生を棒に振るくらいなら、自分は機関に行ってこの世界を救いに行くとね。当時魔術師の間では、十年後、今から言えば十年前に世界が終末を迎えると信じられていましたから。機関が〝魔法〟という世界創造の力を欲していたのもそれが理由です」

「十年前、人類の変革と重なるじゃないか」

「ええ、仲間割れした時はまだ自分たちも世界が終るものだと思っていました。でも機関と戦う内にそうではないと気が付き、最終的にボクたちは世界を静観する事にした。――話を戻しますが、仲間割れから自分たちを和解されてくれたのは海瀬さんです。あの人は暴走した仲間を相手に一人で〝魔法〟を発動させて奮闘し、自分たちを救ってくれた」

 そこからはもう彼も仲間だった、と鬼村は語った。

「魔導会の技術を駆使して素人の海瀬さんを魔術師に仕立て上げました。魔力炉を移植し、魔術師同士の供給経路を造り、少しでもあの人の負担を減らした。変革前の時の海瀬さんは〝魔法〟一回の発動で一年程度の寿命減少に留められました。今はほぼゼロでしょう」

「プロティスタとかいう組織を倒すために、変革を静観するために、親父はダシに使われったっていうのか?」

 とんでもない、と鬼村は首を横に振った。

「海瀬さんは殆ど最終兵器でした。確かに五聖院の院長たちを倒したのは海瀬さんですが、自分たちやエリスさんだって海瀬さんの負担にならないよう善処しました。そもそもユイさんが海瀬さんを―――」

 不意に、鬼村が口を噤んだ。

「すいません。言い訳が過ぎました。海瀬さんが協力してくれたとはいえ、海瀬さんの身体がボロボロになったのは確かな事です。自分の力が足りないあまりに。身勝手ではありますが、謝らなければならないと考えていました。――すいません」

 真摯な態度で、鬼村は頭を下げた。

「別にそんな必要はない。親父が決めた事なら、俺がどうこう言えるものじゃない。――それで、結局どうして母さんと親父はくっついたんだ? 今の話だと、母さんが親父を気に入るような事はしてないと思うが」

 その質問を契機に、鬼村は腕組みをして悩み込んでしまった。エリスと海瀬の話を、自分が勝手に喋って良いのか、後輩脳が必死に考えているのだろう。

「――ん」

 中々答えを決めかねている鬼村だが、

「……成り行きと言えば成り行きですし、正直言ってエリスさんの考えてる事なんて自分には理解不能ですし、一体いつからとか聞かれるともはや最初からとかしか……」

 呟く鬼村。答えは永久に出てこないような気がする。が、ややあってから、

「すいません。自分にはいつ二人が繋がったかなんて想像も着きません。二人の子である君が考えて下さい」

 投げられた。まあ想像は着いていた事だ。がしかし、

 ……分からないな。親父が魔導会に入った理由もそうだが、あの親父が魔導会にそう易々と協力するとは思えない。何か、理由があった筈だ。

 助けられたのなら、ある程度の恩義を果たせば海瀬は自ら離れようとするだろう。監視されたのならば、それだけだ。基準はよく分からないが、どうするかくらいなら遠野にも分かる。

 だから、

「……親父はゼロの状態で、母さんを助けるようなヒトじゃない」

そもそも助ける必要性すらなかっただろう。海瀬が助けたいと、そう思える何かがエリスたち魔導会にはあった。そういう事だ。

      *

      *

 絨毯の敷かれた廊下を直進する集団がある。

 目指す先を違わぬその者たちは、紅白の衣装を身に着けている。

 蒼衣たちだ。

 インドとの交渉を終え、丁度それぞれの客室に戻るところだが、一先ずは一か所に集まって今後の確認をする予定だ。場所は事前会議と同じ波坂の部屋。

「……会長、芳しい結果ではありませんけど、この先どうしますの?」

 小声で波坂が問うた。蒼衣は、

「予定通り、明日には帰国する。他の組織も勇んでインドの話に乗るほど愚直でもあるまい、ある程度インドにも釘は刺せた。ひとまずは帰り、様子見をするしかあるまい」

「そうですわね」

「話はここまでだ。続きは部屋でする。誰に聞かれるやも知れん」

 波坂はすぐ引き下がり、会話はそこで終了した。

 が、ややあってから。不意に、それは起きた。まず聞こえたのは女性の悲鳴、

「――カイセ!?」

 振り返った先。海瀬が胸を押さえて膝を着いていた。

 表情は苦悶に満ち、胸を押さえて必死に痛みを堪えているようだった。海瀬に寄り添うエリス。周囲が突然の出来事で動けない中、不意に彼女は、

「え、でもカイセ。ここじゃ―――」

「……いいから、頼む……!!」

 決死の叫びと共に、海瀬は服の胸元、裏ポケットに手を突っ込んで無理やりある物を取り出した。彼の手には、一つの小さな人形が握りしめられていた。

 十センチほどの白髪の少女を模った、古びたぬいぐるみ。

 海瀬の表情は、怒りや悲しみ、苦しみなど複雑な感情が入り混じったようで、しかし澄んだ瞳は真っ直ぐ目の前のエリスへと向いていた。

 いいから、と彼の瞳は告げていた。

 エリスは彼を説得するのを諦め、ゆっくりと目蓋を閉じ、人形を受け取った。彼女もまたやるせない表情を浮かべながらも、それを自分の胸に当てた。

 そして彼の背中を空いた方の手で触れて、彼女は、

「――いくよ」

 と、そう告げた瞬間。

 空気が破裂した。

 遠野夫妻を中心に、膨大な魔力が生み出す暴風が起こる。

 突風の如き魔力は数瞬で光をも発して、瞬く間に閃光へと変わった。

 周囲にいた誰もが自分の身を守る事で精一杯で、そこで何か起こったかなど観察できる者は一人としていなかった。

 数秒後、光と風が徐々に鎮まっていった。

 しかし、遠野夫妻がいた場所には、

『―――な!?』

 海瀬ただ一人が、あの小さな人形を手に持って倒れている。

 エリスの姿は、どこにもなかった。

 


 『印度政争編:上』終了です。この辺りを書いたのが14年の秋ごろなので、私の執筆ペースは文庫本1冊を2ヶ月弱で書いてる計算ですね。

 とりあえず、中編に続きます。読んで頂きありがとうございました。

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