第十章:現実と理想
第十章:現実と理想
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簡素とした会議室。
その雰囲気から、蒼衣はすぐここでインドの宣告が行われた事を悟った。
縦十五、横三十メートルほどの長方形の空間。その中央には二列になった長机があり、それぞれ相対する形で向かい合っていた。椅子は三脚ずつ。それ以外に、物らしい物は何もなかった。
神州の外交団総勢八名は、インドの下官に連れられて会議室へと入った。
そこにはすでに、インド代表四名が待ち構えていた。
「どうも今回は遥々ムンバイにまで来ていただき光栄に御座います。私、インド神話体系局局長及び連合議会議長を務めるアウヴィダと申します。後ろにいるのはインド神軍参謀のアッシュと、同じくインド神軍の最高指揮官を務めるドルガー。神軍麾下ヴァス神群の代表アナーヒアで御座います」
白い服で身を包む老女は柔らかな笑みでそう告げた。
背後にいるデブ犬、浅黒い肌をした青年、若草色の髪を肩まで伸ばした女性は、それぞれ会釈を自分たちに送った。アウヴィダは、
「今回の会談は、私が交渉役を致します。竜王様が補佐を二名出すと言われましたので、こちらも補佐を二名、ドルガーとアナーヒアを出しますが構いませんでしょうか?」
確認に、蒼衣は言葉を返さなかった。それを肯定と受け取ったアウヴィダは、次に、
「――それでは、今日は宜しくお願い致します。双方の発展のため、良い話し合いになる事を願っております」
「前説などどうでもよい。さっさと交渉を開始しよう。あまり、時間もない」
「ほほ、――これは失礼致しました。どうぞ、そちらへ。残りの方々も椅子をご用意致しましょうか?」
「構わぬ。いざという時、動けなくなる。貴様らは立っておけ」
蒼衣の言葉に表で反論する者はいなかった。が、念話では、
「(ええ!? 俺座りたいんですけど!?)」
「(エリスさんも座りたいなあ)」
「(一応念のためですから、遠野・和時のお母上もどうかご寛仁下さないな)」
念話の中だけで何とか折り合いを付け、蒼衣を中央に波坂と空が両端に座った。
すぐ後ろに外交団の残りのメンバーが待機している。インド側もアッシュを後ろにおいた状態で、アウヴィダ。ドルガー。アナーヒアが腰掛けた。
両陣が静まる。蒼衣は肘掛で顎肘を突きつつ、言葉を作った。開口一番。
「前座は詰まらぬ。初めから要件を言おう。貴様らが昨晩行った全世界への宣言。その撤回もしくは修正。及び、〝魔力併用〟の理論の積極的流出だ」
単刀直入の言葉。インド側もこの発言は予想できていたようで動揺はない。
どう反応するか。見極めようとアウヴィダらを直視する蒼衣だが、代表の老婆は笑顔で、
「何故でしょうか?」
「何故、だと?」
早速な切り返しに、蒼衣はとりあえず聞き返しをした。
ええ、とアウヴィダは頷いて、
「私共はただ世界の状況を憂い、無法地帯や各連合・統合国家の皆様方に貿易による援助や治安維持の手伝いを行うと、そう申し上げただけで御座います。撤回する意味が分かりません」
老女の笑みは常に微笑、奥底の知れぬ笑みだった。
……あくまで為政者として善意を示しつつ、こちらの揚げ足を取っていくつもりか?
こちらはまだ相手の方向が見えていない。尻尾を出させる事に集中するべきか。
「たとえ意図がそうであろうと、解釈の余地というものがある。そんな取られ方をする発言を貴様はした。ならば治せ。全世界に善意のみで支援をするとな」
「ですが、善意で支援したとしても、支援された方々がどうするかは保証しません」
ぬらりくらりと善意と悪意を出してくる老女。一つ一つ指摘していては埓が開かない。ならば、と蒼衣は老婆に言ってやった。
「ならば、どうする。貴様ら善意でした事が、結果的に貴様らの憂いる要因を助長させた時、貴様らはどうする」
問いかけでならば、相手の思考が読める。
蒼衣のその詰め寄りに、しかし老女は笑んだ。彼女は答える。
「どうも致しません。もし貴方様の仰る通りになったとしても私共は宣告した事を行うのみ。ただ無法地帯ばかりが広がっている世界をより良いものにするために行動するだけで御座います。国として援助はしても、内政にまで干渉する訳にはいきますまい」
「あくまで、貴様らは物を売り買いするだけだとぬかすか。たとえ世界を巻き込んだ紛争が起ころうとも、それを止めもせずに物を売り助長させると、そう言いたいのだな!」
マズイな、と蒼衣は心の中でそう思っていた。
インド側の目的が見えない。上辺でこれほど独善的な理論を展開するほど幼稚ならば、ボロなどすぐ出る筈だ。だが、出てこない。小さな違和感が胸の奥を鬱屈とさせるばかりだ。
理想を叶えるための極致は、現実を選択する事だ。現状の物事から、いかに理想に繋がり結果を引き寄せるか。おそらくこの老女も、何かの目的や理想があり、そこを目指し選択している。だが、その選択から鑑みた場合、この老女は金に目が眩んでいるとしか思えなかった。
「ええ、他方から見ればそのように解釈できる言葉でありますな。しかし、私共とて世界が転覆するような事態は望んでおりません。ましてやヒトの死が出る事も。
私はただ、選択の余地を示してみせただけで御座いますから」
ここにきて初めて、アウヴィダが一人称だけで選択という言葉を出してきた。
「選択だと?」
ええその通りです、とアウヴィダは肯定する。
「どんなに夢見る境地があったとしても、先立つものがなければ意味がない。しかし、止まるしかなければ終わりです。自分の未来は己の意思をもって決めなければならない。故に、私共は選びました。世界に、均等に選ばせる力を見せる事を」
何故ならば、
「――私共はインド。境地に達せしものを分け隔てなく迎え入れ、力を与える輪廻の神々。最悪の結末だけは避けますが、どんな行き先を示すかは世界が、人類が選ぶ事で御座います」
その台詞に、蒼衣は口元を歪めた。
「滅ぶかも知れぬと分かっていながらそれをするか!?」
「何もしなければ直に滅びます。滅びを回避するためにリスクを多少なりとも支払うのは当然でしょう。貴方様も、リスクがあっても結果が良ければ目を瞑る事もありますでしょう」
「――貴様、何を求めている」
「私一個人の感情など、世界の意思に比べれば針先一つにも満たぬ小ささ。ここで話すような事でもありますまい」
「だが、一個人の感情がこの世を変える事もあるぞ?」
二人だけで交わされる言葉の応酬。
補佐でいた筈の波坂らやドルガーらは、その会話に入る事もできなかった。元々見栄え的に置かれているのだが。存在そのものを無視するように、アウヴィダは口を開いた。
「例えば神州、貴方様の事のでしょうか?」
ハハ、と蒼衣は笑声を挙げた。そして、
「名指しとは良い度胸だな。しかし神州は神代より民主主義を開いていた。そう簡単には動かせんぞ。十年をかけて集めた愚か者どもだからな」
「それはインドとて同様で御座います。たとえ私が鶴の一声を持っていたとしても、世界の始発からインド神は二分されましたが、皆で共同するという境地を見ております」
いつの間にか張り合いが始まってしまった。
……マズイな。交渉も何もしておらん状態で張り合いをしていくのはマズイ。だが。
だが引く訳にはいかない。だから、
「たとえ神だけで決めるとしても、神州の継承者は五千人、襲名者も三百近くいる。議会を造るとしても十分だろう。世界の先導として、我々は常に平和という結果を望むぞ」
「年々継承者の数が増える事は喜ばしい。経協圏にも継承者は五千、襲名者はざっと三十名でしょうか。インドは世界の金庫、貿易役として均衡を保つ事は可能でしょう」
「面積的に鑑みればインドの五千は些か少ないのではないか。もう少し継承者の捜索に力を注いではどうだ?」
相手を落とした。子供なら、ここで真っ向から反撃してくるだろう。
「流石は研究の進む神州の長のお言葉です。しかし、神州はインドからの輸出に消費量の三割を頼っております。生産面を考慮してはどうでしょう」
「日々研究を進めておるわ。神州の研究成果は随時世界に発信しておるしな」
「インドとしても自立している地域には積極的に貿易を行って物流を押しております。私はインドの最高神の一角ゆえ直接交渉に出る事も多々あります」
そういう突き返しをしてくるのか。
インドの神話は最高神が三体いる。が、蒼衣のツクヨミは最高神ではない。
「そうのようだな。残念ながら神州の統治者は未だ、世界に対して現れておらぬ」
その言葉に、アウヴィダが一瞬間を空けた。ややあってから、
「世界を維持するために継承者が増えていく事は大変喜ばしい。自給率が十五割であろうと、〝魔力併用機構〟を実用できようと、継承者がいなければ直に自立もできぬ世界になりますゆえ」
「だが、無法地帯にも当然継承者はいるだろう。現地で奴らの扱いは知れぬが、全世界が認識できるようになれば、継承者の総数、絶対数もおのずと割り出せる。神州の継承者数は年々増加しているが増加量はなだらかになりつつある。面積単位、保護範囲が判明すれば更に研究が進みそうだ」
「早急に対策したい事でありますでしょう、竜王様」
会話の途中だったが、蒼衣の頭の中に横やりが入ってきた。
「(あの、何だか交渉が駄目な方向に進み出してませんこと?)」
波坂だ。彼女の意見に蒼衣は端的に応じる。
「(進んでおるな)」
「(どう方向修正をするおつもりですの?)」
「(ノープランというやつだ)」
即答だった。
*
*
は? と波坂は思わず念で聞き返してしまった。
事前に合わせていた波長で念を飛ばしていたので、朝臣が会話に入り込んできた。
「(あの、それってかなりまずいんじゃ―――)」
「(どうという事はない。が、少し気がかりがある。それを質さねば動きようがない)」
「(ふぇ、なにそれ?)」
今度は宿禰が入ってきた。彼の疑問に応じるためか、蒼衣はそのまま口を開いた。
「アウヴィダよ。貴様は、自由と平等、そして平和、どれが最も重要だと考えるのだ?」
非凡な問いかけに、老女は沈黙した。が、神州側は、
「(なにそれ?)」
「(同じ言葉を吐かないで下さないな。ですが成程、会長の気がかりという意味がワタクシにも分かりましたわ)」
独り得心した事に波坂は内心でほくそ笑んだ。しかし、
「(どういう事なのかしら?)」
「(エリスさんも分かんないな眠たいな)」
「(わ、わたしもー)」
本当にこのメンバーで良かったのか、今更ながらに不安になってきた。
その道のエキスパートである事は確かだと割り切って、波坂は前を見る。アウヴィダの表情を覗きながら、彼女は軽く息を吸った。室内のこもった空気が肺に入る。
「(分かりましたわ。ならよろしいですこと? ――会長は、まだ相手を知っていませんの。それは基準や価値観、思想といった彼女の表に出てくる考え方ではなく、彼女の捉え方。つまりは裏の考え方。おそらく会長は、彼女の価値観を見誤っていたのですわ)」
次のアウヴィダ氏の回答で、こちらの取るべき道が決まる。波坂はそう確信していた。
……ワタクシの予想が正しければ、彼女は確実に答えますわね。逃げずに。
波坂の念が神州に行き渡った直後。アウヴィダが、その優しげな微笑を保ったまま、蒼衣の問いかけに答えた。平然とした口調で。
「――どれも、さして重要ではないと思いますが」
空気が止まった。
だが、しばらくして、ククと笑みを押し殺す音が生まれた。
それは蒼衣によるものだっだ。彼は口端を吊り上げて、至極愉しそうに言葉を作る。
「そういう事か。貴様、中々に面白い女だな」
アウヴィダは表情一つ変えずに微笑を顔面に貼り付けていた。
「(ちょ、ちょっと待ってくれるかしら! どういう事? アウヴィダ氏は自由も平等も平和もいらないって、それじゃあただの暴君じゃない!)」
老女の公言に神州側で反応したのは朝臣だった。彼女は意味不明だと喚くが、他の面子は、
「(そうかあ? 別にいいんじゃねえの)」
「(そ、そうなのかなぁ……)」
「(エリスさんはどうでもいいよ帰りたい)」
「(ちょっと貴方たち―――)」
食い下がろうとする朝臣は、波坂は自ら制止した。念で、だ。
「(いいえ、朝臣・ヘルネ。今の発言は、上辺だけで受け取っては駄目ですわ。宿禰・真人や蒼衣・空の反応が至極最もですわ)」
「(どうして。さっきまであんなに平和とかが大事だって言ってたじゃないの!?)」
確かにそうだ。だが、意味はそれだけではない。だから、
「(違いますわ)」
否定して、そこから答えを示す。自分に確かめを取るように、波坂は告げた。
「(よく考えてみて下さいな。アウヴィダ氏は、組織の長としてではなく、個人として会長の問いに答えていますわ。会長も彼女を名指しして問うておりますの。――つまり、)」
波坂の言葉を引き継いで、蒼衣は言った。
「貴様は国を動かす身としてでしか、平和や自由を見ておらんというのだな? 貴様自身は違う事柄をもって組織を動かしておる。そういう事か?」
「ええ、概ねそうお受け取りになっても構いません。私は民の考える事、民の欲しているモノを考える。そしてそれが民に届くにはどうすれば良いか考える。民が自ら選び、欲する世界を私は考える」
「ならば、今回の件は貴様の、貴様らの思惑なのだな。臣民の心ではなく」
アウヴィダは肯定も否定もしなかった。
……恐ろしい方ですわ。これほど内実を奥目もなく晒していながら、まだ何かあるように思えてしまいますの。
背中に冷たいものを感じつつ、彼女は蒼衣の言葉を耳で聞いた。
「自由、平等、平和。どれも民が欲するものだ。だか、貴様はそれらさして重要ではないと言い切った。そして昨晩、貴様はあえて悪的な行動を起こし、世界に無理やりにでも動きが生ずるようにした。平和という概念を一切考慮せぬ動き、――それは、貴様が臣民の求めるモノ以外のモノを求めた結果なのであろう?」
核心を突くような言い回しに、老女の微笑がわずかに濃くなった。
不気味な笑みだと、波坂はそう感じた。
*
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……成程。こういう事でしたのね。和時さんのお父上が仰っていた事、アウヴィダ氏は確かに魔術師でしたわ。
魔術師。自分の知らない、魔の存在だ。
昨日の昼、遠野の母エリスと矛を交えたが、彼女の天真爛漫さとは掛け離れた威圧感と畏怖の感情を彼女は得た。おそらくあれが、魔術師というものなのだろう。
名目上、波坂も魔術師を名乗っているが、十中八九彼らとは違う。理由は技量の差、知識量もそうだ。
……ですが、ワタクシには分からないモノがありますわ。
〝魔法〟だ。
魔術師が己に課す絶対の理にして、最高の魔術を指す言葉。その境地に達したいがために、魔術師は己に魔の法を課している。最高の魔術。魔術師というヒトが恋焦がれた境地。
どんな魔術かも、自分たちは知らない。だが、少なくとも、
……魔術師を縛っているのは、紛れもない自分の、自分だけの理想郷ですわ。
理想を叶えるために、理想で己自身を縛り、理想のためならばヒトとしての感情すらも捨てる。おそらくそうやって、魔術師という存在は畏怖なるものへとなった。
エリスも、海瀬も、そしてアウヴィダも、その魔術師である。
彼らは一体、何を求め、何を得ようとしているのだろうか。
……それを知るきっかけになれば。
失礼千万である事を承知して、波坂は海瀬にのみ伝わるよう思念を練った。
「(遠野・和時のお父上。一つ、お伺いしてもよろしいですの?)」
「(何だい?)」
海瀬から返って来た念はどこか粗かった。だが気にせず、波坂は、
「(興味本位ですわ。――貴方は、何を求め、得ようとしていますの?)」
「(―――――)」
無言が返って来た。が、ややあってから、
「(――何も。ただ、役目を果たすだけだ)」
「(役目、ですの?)」
ああ、と首肯が来る。
「(役目だ。役目しかない。もう十分かも知れないが、君のような優しい子にばかり頼るのは気が進まない。だから、役目を負うと決めたからには最後まで負う。
ただ、それだけの事だよ)」
や、優しい子だなんて。何もしてませんけど評価が鰻昇りですわ!
魔術師である海瀬は、役目を果たすと答えた。少し、彼女が想像していた魔術師とは毛色が違う気がする。もっとエリスのように、単純で欲深い、業のようなモノがあると思っていたのだが、彼は抜け殻の如く静かだった。――魔術師も人それぞれなのだろうか。
「(貴方は魔術師であられますのよね?)」
ふと疑問に思い、彼女は取りとめもなくそう訪ねていた。
問いは一つと言った手前、返してくれるか不安だったが、数秒後、
「(違うと、言っておこう。魔術師ではない。課した役目を果たすだけだ)」
海瀬は理由を述べるでもなく、答えをだけを出して念話を切った。
……魔術師では、ない? では、一体彼は何だと言いますの?
役目を果たすだけ。
それでは、
……ロボットと大して変わりないじゃありませんの。
波坂には理解できない境地だった。
*
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蒼衣とアウヴィダの交渉、もとい言葉の殴り合いは苛烈を極めていた。
言えば言われ、指摘しては指摘され、発破をかけてはかけられを繰り返し、堂々巡りを延々と繰り広げていた。
「私の心意気がよほどヒトらしくなくとも、私はインドを、世界を潤すために日々精進して参りました。それは貴方様も同様、半生を研究に捧げたも同然でしょう」
「それがどうしたという。オレはオレの目指すモノのために動いただけだ。臣民のためなどではない。結果的に役に立っただけの事。丁度良い歯止め役も最近手に入れた。これからも研究を存分に進めていく」
「ほほ、誠に生気溢れる事この上ない。貴方様のようなリーダーがいるのなら、神州は向こう一世紀安泰でありましょう。近隣にある台湾独立区、自ら手助けすれば研究材料が増えると思いますが?」
「自治政府があるものに興味はない。来れば話程度は聞くがな。だが、貴様の方は精力的に事を運んでおるようではないか。フェリピンなど、度々使節団を送っておるであろう?」
「あの地域は国内統制で手一杯の状況です。支援物資の確認と友好のためでしょう」
蒼衣は完全に交渉が決裂している事を理解していた。
最初の交渉内容を守っていない時点で、もはやあちら側に話す価値が低いと思われている事がありありと分かる。このままではかなりまずい状況だ。だが、
……この女の底知れなさは使える。他の組織もそう安々と口車に乗るほど間抜けではあるまい。
この場で全てを決せずとも大丈夫だろう。その判断から、蒼衣は譲歩を匂わせた。
「ならば、フィリピンを救うために貴様らはどう動いていく」
アウヴィダらの動きに興味を示してみせた。が、
「どうも致しません。これからもこれまで通り、貿易による相互発展を続けていくだけで御座います」
「経協圏には関税はないが、他はそうではない。フィリピンは些か辛いだろうな」
「実質的な仲間であると誓い合った仲ならば、その程度は当然でしょう。――こちらも、利益が流動的ゆえ多少不便を感じる時がありますが、致し方ありませんでしょう」
「それでも東南アジアという地域は成長を着実に進めている。一刻も早く貴様らから逃れるために、な」
ほほほ、と彼の台詞に老女は笑った。
「成長する事に越した事はありませんでしょう。結果的に、私共が増強されるのですから」
「しかし、先から似たような事しか言ってはおらぬか?」
「指摘の仕方では貴方様も同じようなものだと私は思っておりますが?」
「――そうやも、知れぬな」
アウヴィダが眉をわずかに上げ、笑みを止めた。
「どうかしたのか? アウヴィダよ」
蒼衣の静かな指摘の言葉に、アウヴィダは険しい表情を浮かべる。
……交渉終了を暗に告げたが、さてどう出る?
しかし蒼衣の算段とは裏腹に、老女は手を出してこなかった。
「いいえ、心配されるような事はなにも。ですが、東南アジアの独立はまだ夢の話でしょう。辛辣に申しますが東南アジアの地盤の硬さは未だに緩いまま、今ここで無理につま先を伸ばして背伸びをすれば、取り返しのつかない事態になる可能性が非常に高いのであります」
「故に、すでに取り返しのつかない無法地帯をどうにかしよう。そう考えたか、貴様は」
「否定も肯定もできぬ言葉で御座いましょう」
老女の笑みは奥底が知れない。蒼衣は椅子の背もたれに寄り掛かって、
「……愚か者めが」
「ほほほ―――」
アウヴィダは笑うだけだった。
すると、自分の愚妹から念話を受け取った。それは唐突で、
「(ねえお兄ちゃん。大丈夫?)」
この場合の大丈夫は、用があるからいいか? という意味だ。
「(どうした? 小水か?)」
「(ううん。――ちょっと気になった事があるから)」
「(言ってよいか、と?)」
うん、と空は答えた。そして、
「(アウヴィダさん愉しそうだね)」
薄い笑みを浮かべる老女を見て、空はそう言った。
一瞬でもこの愚妹に期待してみた己は愚かだったと、そう悔いた蒼衣は、適当に少女をあしらった。
「(お前と奴の愉快が同列だとは到底思えぬがな)」
意識を老女の方に戻そうとした彼だが、
「(えっぐ、えっぐ)」
空の目が突然半泣きになった。
「(待て。何故泣く)」
「……ぅ、うう」
蒼衣の制止の甲斐もなく、空の目元に涙が溜まっていく。
そろそろ崩壊しそう―――、
「うう……」
した。
それでもプライドがあるのか、必死に目を見開けて、うるうると我慢を続けている。
『………………』
場が静まる。
空がいきなり泣き始めたため、全員面を食らって口を噤んでいたのだ。しかし、誰よりも驚いていたのは少女の兄だった。
……何故だ。
分からない。
泣く必要性はどこにも無かった筈だ。何故我慢ができない。ええいこっちを見るな空! 周囲の視線がオレに向かうではないか。
とにかく場を取り繕うと蒼衣は、内心の焦りを隠して、交渉の言葉を作った。
「――結論といこう。貴様らは宣言も行いも改めず、こちらの要求にも応ぜず、あくまで全ては世界を憂いたものであると言う。愚鈍な市民どもの涙を無視し、高々トップの私情で世界を手にするのか?」
無理やりな場の繋ぎ方に、しかしアウヴィダたちは居住まいを正した。
一息の後、
「今のところインドに意志を改変する気は御座いません」
交渉決裂だった。




