2.オタク御殿と東条浩平の哲学
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今日はサッカーの部活が休みなので、そのまま帰ることにした。
それにしても強烈な日だった。君島葉月。あんな女子見たことも聞いたこともない。とりあえず、親しくはなれそうもないと理解したつもりだ。高嶺の花ってこういう存在を言うんだろう。
そのまま下駄箱へ向かっていると、パタパタと足音が聞こえた。振りかえる俺。
「待って、お兄ちゃん! 私も帰る!」
葵が小動物のように駆け寄ってきた。
「学校では兄離れしろっていつも言っているだろ?」
諭しつけるように葵に言う俺。
「さぁて、あたしもお伴しちゃおうかなぁ」
美晴も豊満な胸を揺らしてやってきた。
「今日はいいの。二人で帰れよ」
「あれ? 何か用事?」
「男の用事だ。そういうことだから。じゃあな」
俺は上履きを急いで履き換えた。
「いつもの練習はいつもの場所で待っているからね」
美晴が俺の耳元で囁く。
「分かっている」
そう言い放ち、俺は校門を飛び出していった。
目白の高級住宅街が立ち並ぶ一角で俺は人を待った。別に学校から一緒で帰ればいいのだけれども、仲間内の評判とかも結構気になるのでそうもいえない。ただでさえ、俺は橋本グループの中でも跳ねっ返りで、グループ外との友人などとも行動をとったりしているので色々目を付けられると面倒だ。
(もっとも、俺の〝力〟さえあれば、怖いものなんてないんだけれどもね)
けれども表面上俺は普通の中学二年生。面倒は御免だ。ただ楽しく過ごせればいい。ただそれだけだ。
ふと、遠目で走ってくる姿を見かける。待ち人来たり。東条浩平がやってきたようだ。
「ごめん。待たせたようだね?」
「いや、まったく待ってないな」
そしてそのまま傍にある高級マンションのエントランスへ向かう俺と東条だった。
俺の中で通称〝オタク御殿〟と呼ばれている東条の部屋は、その種の人が好みそうなアニメのDVDやブルーレイ、古くはVHSが棚に所狭しと並んでいる。一方でビジュアル系のノベルゲームも溢れていた。そして本棚はコミックとライトノベルで埋め尽くされている。
東条の親は貿易会社の社員らしい。本宅が別の県にあるらしいのだが、そこにはもっと多くの愛蔵品が貯蔵されているという。まあ所謂金持ちって奴だ。
「高田中の女子連中がこの部屋見たら、卒倒しそうだな」
「新庄君、絶対止めてよね。一応、女子には夢を与えないといけないんだよ」
「あ、このDVD、前やってた深夜アニメのだよな?」
「うん。DVD版はね、湯けむりが薄くて、チトセちゃんのあれやらこれやらが大変なことになっているんだよ」
「見たい! でも今日は、これを見るって決めているんだ。あ、忘れてた。総監督のDVD返す。やっぱ総監督指揮の作品のクオリティは違うよ。なんて言っても戦闘シーンの台詞の掛け合い! あれはマジで痺れるぜ。あんな台詞回し考えられる総監督はマジぱねえっよ」
「あはは。新庄君もようやく総監督の偉大さが理解できるようになったんだね」
「なんで総監督に国民栄誉賞与えてないんだ?」
「それはあと三十年以内にはきっと……」
とりあえず、家に持ち帰って見られる作品はそうしてるが、ここでしか見られない作品というものがある。何故? 決まっている。親と妹の目があるからだ。
こうして俺と東条が親しくなったきっかけは、街の書店で偶然鉢合わせしたからだ。それまでの俺にはこうした趣味はなかったのだけれども、今はすっかり感化されてしまった。妹には絶対言えない秘密の一つだ。
ひとまず、DVDを一本見終えた後、俺は東条に問い質した。
「なんでお前は殴られるばっかで殴り返さないんだよ。剣道だって初段持っているんだろ?」
「いいんだよ。彼らは自分よりも下の存在を見つけて、自分を高い位置にしておかないと、不安で怯えるような連中だよ。そんな彼らのはけ口になるぐらい、安いものだよ」
不敵な笑みを浮かべて東条は呟いた。
「でもさあ」
「言いたいことは分かるけど、ある意味哀れむべきは彼らのほうだよ」
「それでも一発殴り返すだけで、情勢は変わる。何故それを求めない?」
「殴る勇気よりも殴られる勇気のほうが、重いんだよ。新庄君、一発殴ったら確かに情勢は変わるかもしれない。でも、同じ土俵に立つことになるんだよ? また自分の位置付けのために殴るべき相手を再三なく探し求める結果になるんだよ? 君はそんな選択肢を良しとするのかい?」
「別に俺はそこまでは言ってない。殴られるだけよりも情勢を一変させたほうが楽になると思ったまでだ」
「分かっているよ。新庄君。これは僕のやり方だよ。忠告はありがたいけど、僕は僕のやり方で生きていくだけだよ」
「……」
逆にこっちが忠告を受けたような感覚だった。
「それに繰り返すけど、哀れむべきは相手のほうだよ。それしか、ないんだから」
「……」
哲学では俺は東条には勝てないようだ。彼には揺るぎない確固たる信念があるように見える。
「さて、続き、いくよ」
東条はそのままブルーレイを入れ替えた。