第12節 捕まえるより先に
中央環状駅の大時計が、零時を告げる最後の音を震わせていた。
鐘の余韻へ、短い警笛が重なる。
「十二番線を閉鎖! 十四番線も北階段から先へ人を入れるな!」
グレアムの声が、白い蒸気を押し分けた。
「機関車には触るな! 鉄道局員もだ! 所属と名前を確認するまで、勝手に一本の鋲も持ち出させるな!」
警察官たちが、砕けた煉瓦の上を走る。
壁際に伏せていた乗客は、駅員に導かれ、北階段へ移り始めていた。振り返る者はいたが、黄金列車へ駆け寄る者はいない。
煤けた金色の車体から、まだ熱い蒸気が細く噴き出している。
警察官の一人が後部車へ梯子を掛けた。
別の二人は、十四番線側の駅内放送管から突き出した靴をつかんでいる。
「引っ張るなら、せめて三つ数えて!」
管の中から、くぐもった声がした。
「一、二――」
「まだ息を吸ってない!」
「号外売りは声が商売道具なんです! 肩より先に喉を守ってください!」
グレアムの眉間に、深い皺が刻まれた。
「フェンとかいう小僧だな」
「ぼくをご存じで?」
「駅中へ勝手に放送した小僧は、お前しかいない」
「引き抜け」
警察官たちが一斉に引いた。
ニコは放送管から栓のように抜け、煤と古い紙片をまとって床へ転がった。
一方、黄金列車の右後方では、保守索が崩れた側路へ下ろされていた。
暗い穴の下から、灰褐色の髪が現れる。
リラは片手で索をつかみ、もう片方の腕を身体へ寄せたまま、煉瓦の縁へ足を掛けた。
ホルンと警察官が、彼女をホームへ引き上げる。
「腕は」
ホルンが訊いた。
「ある」
「そういう話じゃない」
「動く。痛いだけ」
リラは短く答え、周囲を見回した。
「ニコは」
「無事だよ! 肩幅が今夜より広くならなければ!」
床に座ったまま、ニコが手を振る。
その声を聞いてから、リラはようやく索を放した。
レオンは、黄金列車へ目を向けなかった。
砕けた壁も。
露出した十三番線も。
百年間、存在しないことにされていた金色の車体も。
すべてを背に置き、ホームへ下りてきた者を一人ずつ見た。
「エレノア」
「ここよ」
エレノアは、煤に汚れた学園服の裾を押さえた。片膝が擦れ、手袋の掌は裂けていたが、自分の足で立っている。
「テオ」
「いる」
テオは点検槌を工具帯へ戻そうとして、右手を止めた。柄を握り続けた掌から、血と機械油が混じって落ちている。
「ニコ」
「救出直後。取材は可能」
「リラ」
「いる」
リラは痛む腕を隠さなかった。
レオンは四人を、もう一度数えた。
顔。
手足。
立ち方。
呼吸。
それからようやく、駅の救護員へ顎を向ける。
「テオの掌。リラの腕。ニコの肩。エレノアは右膝も見てもらえ」
「兄さま」
「報告は手当てを受けながらでもできる」
「そうではなくて」
エレノアは、蒸気の向こうへ目を向けた。
駅上部を渡る保守用索道が、暗闇へ消えている。
白い外套は、もうどこにもなかった。
「ルヴェールを逃がした」
レオンは、慰めなかった。
責めもしなかった。
ただ、訊いた。
「何を選んだ」
エレノアは、テオの裂けた掌を見た。
煤だらけの顔で記事鞄を抱え直すニコを。
痛む腕を押さえながら、それでも崩れた側路の奥を気にしているリラを見た。
「仲間を」
「出る前に書いた予定の続きは」
エレノアは、胸元から煤けた革表紙の手帳を取り出した。
行き先。合流予定時刻。地上へ出るはずだった出口。短い符号で書いた三人の名前。
地下で描いた地図と証拠。
伝言のために、一枚だけ破った頁。
その続きは、まだ空白だった。
「なら、その選択の結果まで記録しろ」
成功とも。
失敗とも。
レオンは決めなかった。
決めるには、まだ早いのだ。
エレノアは手帳を閉じ、裂けた手袋のまま胸元へ収めた。
「待て! その列車を封鎖する権限は市警にはない!」
怒声が、ホームの反対側から飛んだ。
ギデオン=ヴァルツが、二人の警察官の間から進み出ようとしていた。
礼装外套は煤をかぶり、片方の袖口が裂けている。それでも胸の機械遺産保存委員章だけは、指で汚れを拭ってあった。
「私は鉄道局の資産を保護しようとしただけだ。廃車処理の不備によって局外へ持ち出された試作機関を、正規の管理下へ戻そうとした。怪盗と、無断で機関へ触れた者たちのせいで事故になったのだ!」
「正規の命令書はどこだ」
グレアムが訊いた。
「ルヴェールが盗んだ! あの盗人を追え! 私を止めている場合ではない!」
「あいつを追う連中は、もう走ってる」
グレアムは、ギデオンの胸ではなく靴を見た。
旧排水路の赤錆と、黄金列車の機械油が、磨かれた革へ筋を作っている。
「こっちは、逃げないほうから聞く」
「子どもの戯言を証言にするつもりか」
「戯言かどうかは、聞いてから決める」
グレアムは四人へ向き直った。
「順番だ。見たことだけ話せ。推測は分けろ」
最初に前へ出たのは、エレノアだった。
「記録庫で、ヴァルツ部長の示した移動命令を確認したわ」
「子どもが一瞥しただけだ」
「ええ。一瞥で分かる誤りが三つあった」
エレノアは低く続けた。
「用紙は百年前の旧保守様式。印章も当時の本物。けれど、印章の上から複写圧が掛かっていた。押印のあとで、現代の文面を写したからよ」
「保存文書を再利用しただけだ」
「旧様式が使われていた時代には存在しない《機械遺産回収資産》という分類語も入っていた。古い命令を復元したのではないわ。古い紙と本物の印章に、現在の回収命令を着せたのよ」
「文書の現物はない!」
「あなたはいま、現物をルヴェールに盗まれたと言ったばかりでしょう?」
ギデオンの口が止まる。
ニコが、救護員に肩へ布を巻かれながら手を上げた。
「次、紙の話ならぼくが続けます」
「治療を受けろ」
「受けています。口は包帯の範囲外です」
ニコは記事鞄から、煤で汚れた手帳を取り出した。
新聞名。
発行日。
版。
棚番号。
欄外の組版印と、その位置。
古新聞の原本は地下の棚へ戻し、確かめたことだけを持ち帰っていた。
「百年前の三紙。どれも《黄金列車、午前零時に消失》と報じてる。でも、この第三版の締切印は十一時二十分。列車が消える四十分前に、消えた記事が組み上がってた」
「百年前の新聞が、今夜の私と何の関係がある」
「鉄道局の事前発表が、見たことのない出来事を事実にしたってことです」
「記録は一致しています」
レオンの傍らから、ミラベルが三部の保存綴じ込みを抱えて進み出た。
「正午までに調べた、同じ日付の同じ版です。三紙とも、鉄道局の発表をほぼ同じ文面で掲載している。第三版の締切は、ニコ君の記録どおり十一時二十分」
綴じ込みには、新聞社の貸出票が挟まれていた。
レオンも、折り畳んだ照合票を開く。
「《アウレア零号》の資産番号は、百年前の事故日、午前零時付で廃車台帳へ移され、現行の資産台帳から抹消されている。三紙が載せた発表時刻、文面とも一致した」
「そして今夜も、同じ鉄道局の人たちが発表より先に結末を知っていた」
ニコは、警察官に押さえられている二人の回収員を指した。
「ぼくが駅前で、《怪盗紳士ルヴェール、存在しない十三番線へ現る》と試しに叫んだ。みんな黄金列車に驚いた。でも、この二人だけは《十三番線》を聞いた瞬間、十二番線と十四番線の間じゃなく、旧保守入口を見た。入口が地上の壁の向こうへあると、もう知ってたからだ」
「噂へ反応しただけだ」
「では、どうしてぼくらを追って、地図にない旧排水路へ入れたんです?」
「号外売りの作り話だ!」
ニコは笑わなかった。
「ぼくは作り話を使う。でも、どこから作り話だったかは覚えてる」
テオが、回収員の足元に置かれた工具鞄へ近づいた。
「開けていいか」
グレアムが警察官へ合図する。
鞄の口が開かれた。
テオは中へ手を入れず、身を屈めて道具の並びを見た。
「三爪の固定具。短い柄。回収部の刻印」
「資産固定用の正規工具だ」とギデオンが言った。「機関を保護するために携行していた」
「保護じゃない」
テオは、黄金列車の後部を指した。
「後部制動器の保護箱に、新しい三本傷がある。爪の幅はこれと同じ。固定環の内側には、逆向きに締めた削り粉が残ってる。壊れて止まらなかったんじゃない。こいつで制動器を固定したから、非常制動が動かなかった」
「怪盗に操作されることを防いだのだ!」
「なら、走行レバーを引く前に外せ」
「起動は事故だ!」
「違う。補助圧調整器を直したのは俺だ」
テオの声が、一度だけ詰まった。
だが、目を逸らさない。
「俺の修理で、機関が動ける状態になった。そこへ誰かが主走行レバーを引いた。後部制動器を逆位置で固定した。この三つは別だ。俺がやったことまで、お前たちのせいにはしない。だから、お前たちがやったことも一緒にはさせない」
グレアムは短く頷いた。
「最後。侵入経路を見たのは」
「わたし」
リラが前へ出た。
鉄道局員たちの視線が、頭巾の下からのぞく長い耳へ集まる。
リラはそれを見返さず、回収員の靴底だけを見た。
「正規の保守階段から来てない。旧排水路の南口。錆水が靴の外側だけについてる。壁沿いの狭い道を通った跡」
「そこは閉鎖区画だ。鉄道局員が入って何が悪い」
「入口の封鎖札を、内側へ曲げて入った。灯りも救難灯じゃない。番号だけ読む細い灯り」
リラは一息置いた。
「戻って、と言った。この先に人がいる、と言った」
「登録居住区は存在しない」
「人はいた」
ギデオンは、言い返そうとした。
リラの声が、先に重なる。
「聞こえてた。先頭の人が止まった。後ろを見た。あなたが、進めと言った」
ホームから、音が消えた。
遠くで、蒸気の雫が一つ落ちる。
エレノアの読んだ文書。
ニコの読んだ発表時刻と、人の反応。
テオの読んだ金属傷。
リラの読んだ道と、そこで交わされた言葉。
どれか一つだけなら、ギデオンは言い逃れられたかもしれない。
四つは、同じ場所から始まった証拠ではない。
それでも最後には、一本の線路の上へ重なっていた。
グレアムが言った。
「ギデオン=ヴァルツ。移動命令偽造、危険運行、閉鎖区画への不法侵入、監禁および資産回収手続の濫用の疑いで拘束する」
「私は機械史を守ろうとした!」
「その話は署で聞く」
「あれを地下の違法占有者へ渡せば、百年の技術が失われるぞ!」
グレアムは、拘束具を掛ける部下へ場所を譲った。
「だからって、人を轢いていい理由にはならん」
鉄の輪が閉じた。
ギデオンが連れていかれるより早く、鉄道局の別の職員たちが黄金列車を囲み始めた。
「部長個人の手続きに問題があったとしても、車両は局有資産です」
濃紺の制帽をかぶった職員が、車体へ封印帯を掛けようとする。
「現物が鉄道局管理区域へ到達した以上、即時回収し、機械遺産庫で原型保存を――」
「触るな」
今度は、ホルンの声だった。
六十八歳のドワーフは、曲がった背を伸ばし、黄金列車と職員たちの間へ立った。
その後ろには、給水管や負傷者の手当てを途中で置いてきた帰路番たちがいる。
誰も、所有者の印章を持ってはいなかった。
「百年だ」
ホルンは言った。
「局が廃車にしたあとも、百年、こいつを帰してきた。いまさら原型へ戻すだと? どの時代の原型だ。お前らが捨てた日の形か。五十年前に軸受を替えた日の形か。昨日、俺が鋲を締めたあとの形か」
「保守記録のない改造は、所有権を生じさせません」
「じゃあ、お前らの所有権は何を直した」
職員は答えず、後部車を見た。
「共同寄託補記があるという話でしたな。原本を提示してください」
ホルンの顔から、怒りが引いた。
後部車の記録庫へ向かう。
エレノアたちも続いた。
壁際の記録筒は開いていた。
古い革紐だけが切られ、中身はない。
「ルヴェール」
エレノアが呟く。
「最初から、これも狙っていた」
「なら、証拠は怪盗が持ち去ったことになる」
鉄道局の職員が、封印帯を持ち直した。
「来歴の不確かな写しや落書きで、局有資産の移送を妨げることは――」
「うるさい」
ホルンは記録庫の床へ膝をついた。
太い指で、壁の下に並ぶ黄銅鋲をなぞる。
「あいつが原本を持っていったからって、百年前の連中まで怪盗を信用してたことにはならん」
欠けた円の刻まれた鋲を、半回転させる。
隣の三本線を押す。
壁板の奥で、細い金属音がした。
テオが顔を上げる。
「筒が落ちた」
「分かるの?」
「壁の中が二重だ。いま、下へ滑った」
リラが床へ耳を寄せた。
「右。少し奥」
「そこの細い板だ」
テオが指す。
エレノアは《旧線共通鍵》を差し込み、古い錠を回した。
細長い隠し筒が、壁の下から押し出される。
ホルンが両手で受け止めた。
筒の中には、油紙で幾重にも包まれた一枚の文書が残っていた。
紙の上辺に、薄れた文字がある。
《共同寄託補記 第二写》
ルヴェールが見つけなかったのか。
見つけて、残したのか。
それを示す印はなかった。
ただ、怪盗は証拠を独占してはいなかった。
「その文書だけで、帰路番の所有権が成立するわけではない」
記録庫の入口から、静かな声がした。
煤けた車内に似合わない、皺一つない濃色の外套。
エドガー=クラウスは、黄金列車を見上げて驚くより先に、鉄道局の封印帯と、ホルンの手にある第二写と、警察官に連行されるギデオンを順に見た。
普段の彼は、現場へ来ない。
都市の異変を記録の側から動かす男が、自ら煤けた車内へ足を踏み入れた。それだけで、この列車をめぐる処理が一部署の資産回収では終わらないと分かった。
「エドガー兄さま」
「事情は駅へ来るまでに聞いた。足りない部分は、これから記録で埋める」
エドガーは第二写へ触れなかった。
「結論から言う。所有権は、この場では決められない」
「ならば現行の管理者である鉄道局が、一時保全を――」
「認めない」
鉄道局職員の言葉が、途中で切られた。
強くもない声に周囲が静まり、ホームで機関の冷える音まで聞こえた。
「廃車済みで存在しないと処理した資産を、百年後に現存したからという理由だけで局有と主張すること」
一本目の指が折られる。
「百年間、保守も安全管理も行っていない局が、後世の修理を排除した《原型保存》を理由に即時回収すること」
二本目。
「偽装命令を用いた疑いのある部署が、事件の証拠保全を単独で行うこと」
三本目。
「いずれも認められない」
「では、誰が持つ」
ホルンが訊いた。
「誰のものかが決まるまで、共同保全とする。鉄道局だけにも、帰路番だけにも移さない。車体、記録庫、《手の壁》、破損した機関部を一体の証拠として、この場所で封印する」
エドガーは、鉄道局職員の持つ封印帯を見た。
「局の封印だけでは足りない。市警と帰路番の立会印も加える」
グレアムが鼻を鳴らした。
「また面倒な紙が増えるな」
「面倒だから残す」
「お前の弟と同じことを言う」
「心外だ」
「兄さまも、そこを否定するのね」
エレノアが言うと、エドガーは聞こえなかったように記録官へ向き直った。
「公開記録には、黄金列車が旧保守線を経て中央環状駅へ到達した事実までを書く。正確な零番線への経路と地下生活区は、捜査資料の非公開付録へ分けろ」
リラの目が細くなる。
「誰が読む」
「捜査と救難に必要な者だけだ。公開記録から経路を復元できる表現も避ける」
「全部、書かない?」
「犯罪の証拠は書く。君たちの家へ行く道は、必要な範囲だけ残す」
リラはすぐには頷かなかった。
エドガーの外套。
記録官の筆。
三種類の封印。
順に見てから言う。
「あとで、読む」
「その権利は記録しておく」
ホームの端では、ニコが荷箱を机にしていた。
救護員に肩を固定されても、鉛筆は止まらない。
紙のいちばん上に、大きな字で書く。
《号外――黄金列車、現存》
その下へ、
《存在しない十三番線の地下に、百年の秘密都市――》
と書きかけた。
鉛筆の先が止まる。
リラは、何も言わなかった。
ニコは二本目の見出しを、端から端まで黒く塗り潰した。
「売れるのに」
ミラベルが、煤煙を避けて荷箱の横へしゃがむ。
ニコは肩越しに彼女を見た。
「売れます。街中で」
「零番線も?」
ニコは答えず、紙へ新しい一行を書いた。
鉄道局の廃車記録と、現存車両の矛盾。
偽装の疑いがある資産回収命令。
停止不能となった列車。
百年間、その列車を維持してきた多数の無名保守者。
どこにあるかではなく。
何があったかを、一つずつ。
「帰還歌と生活区、避難路は」
「書かない」
「零番線」
ニコは、塗り潰した見出しを指で隠した。
「書かなかった」
リラは黒い線を見つめた。
「それ、読める」
「印刷するときは、紙ごと切るよ」
テオが、ニコの紙を横からのぞいた。
「正式な機関名も注記しろ」
「見出しには長すぎるよ!」
エレノアも紙へ目を落とした。
「《偽装命令》と断定するのは、正式な鑑定が終わってからよ。《偽装の疑い》にして」
「号外! 四人で作ると記事から勢いが消える!」
「違う」
リラが言った。
「道が消えた」
ニコは、塗り潰した二本目の見出しを見た。
少しだけ黙る。
「うん。それでいい」
今度の声には、見出しも役もなかった。
「売らない記事だって、ぼくが選んだなら、ぼくの記事だ」
ミラベルは、空いている紙へ手を伸ばさなかった。
「では、その選択ごと持っていきなさい」
「直さないんですか」
「誤字は直す。でも、約束まで記者の権限で書き換えるつもりはないもの」
ニコは鉛筆を握り直した。
紙面の隅に、小さく《経路、居住区および避難設備の詳細は非公開》と書き添える。
「ところで」
ニコは、駅上部の暗い索道を見上げた。
「怪盗紳士殿の結果は、どう書けばいい? 予告どおり黄金列車は現れた。本人は逃げた。これは勝利?」
「回収資格は盗んだわ」
エレノアが答えた。
「ギデオンが正当な権限で回収する筋書きは崩し、命令書の原本も持ち去った」
「でも、列車はここにある」
テオは、止まった《王冠差動機》を見る。
「主伝達軸も切れた。同じ形では走れない」
「第二写は残った」
リラが筒を見た。
「では、半勝?」
「勝ち負けを、あなたの見出しで決めないで」
エレノアは、手帳の表紙へ触れた。
「ルヴェールは、黄金列車を守ってきた人々へ返すつもりだった。けれど、返す相手へ聞かず、どこまで公開するかも自分で決めた」
「聞かなかった」
リラが繰り返す。
エレノアは、駅灯の下にさらされた無数の修理板を見た。
「あの人が道を開かなければ、私たちは十三番線へ入れなかった。それでも、助けた者が、その先をすべて決めてよいことにはならない」
「記事には?」
「《怪盗紳士ルヴェールは逃走。黄金列車の奪取には失敗》」
「短い」
「事実でしょう?」
「次に捕まえれば、もっと長く書ける」
ニコが笑う。
エレノアは、笑わなかった。
ただ、索道の先へ言った。
「次は、選ばせないわ」
その声に返事はなかった。
怪盗は、勝利を告げる笑いも、白い紙羽根一枚も残さず、夜の駅から姿を消していた。
けれど、怪盗が選んだ結末は残らなかった。
黄金列車は怪盗にも鉄道局にも奪われず、誰へ返すか、どこまで見せるかは、これから当事者を交えて決めることになった。
四人が守ったのは、宝の行き先ではない。
行き先を、ほかの誰か一人に決めさせないことだった。
夜明けには、まだ遠い。
それでも駅の騒ぎが少しずつ収まるころ、黄金列車の機関室には、工具灯が一つだけ残っていた。
テオは、床へ落ちた主伝達軸の前に座っていた。
三度打ち込んだ亀裂が、太い鋼を一周している。
切断面の向こうでは、《王冠差動機》の大歯車が止まっていた。
削り直された歯。
異なる規格の留め具。
薄い青銅の修理板。
誰かが直し。
別の誰かが使い。
また壊れたものを、次の誰かへ渡してきた跡。
ホルンが隣へ立った。
叱らなかった。
礼も言わなかった。
ただ、壊れた軸と、テオの包帯を巻かれた手を見比べる。
「直せるか」
テオは答えなかった。
切断面へ工具灯を近づける。
鋼の材質。
軸受の歪み。
大歯車へ残った負荷。
直す方法なら、いくつか浮かんだ。
新しい軸。継ぎ輪。低速だけでも動かすための駆動比変更。
けれど、どの方法も、列車をもう一度走らせる。
どこへ。
誰を乗せて。
誰の許可で走らせるのか。
それを決める工具は、テオの鞄には入っていない。
長い沈黙のあと。
テオは、壊れた主伝達軸から目を上げた。
「直せるかじゃない。
直していいかを、先に決める」




