↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

夢の中で、逢ったような……。





 むかしむかしある処に。白馬のぼうやがおった。




 白馬のぼうやは料理のめいじんで、それはそれは調理台にひっきりなしに向かっていたものだ。


 お屋敷のつとめを果たすなり、わたしはまっすぐに我が家へ向かった。




「ししょうおかえりなさい! もうちょっとでご飯、できあがりますよ」




 今日も鍋にひっついて、ぐつぐつとシチューを作っている。料理をふるまってくれる優しさには感謝しておるが、まったく。少しはわたしに構ってほしいものだ。


 だが、今日は少し、はねる声音の中にいつもの元気さがないように感じる。




 今日の昼下がりも、翠緑の光が、庭の竹林からわずかに覗いていた。




 なるほど。ぼうやの周りには、食材はおきっぱになってはいないが、シチューの匂いから、家にない胡桃のむき実とあらびき胡椒を買ってきたのだと分かる。


 きっと、勝手に外に出たことについてわたしに怒られるとでも思ったのだろう。


 わたしは大きくため息をついた。




「はぁ。やれ、また勝手に外に出たか。いいかげん私のゆうこと、聞いたらどうだ? ぼうや? 早く風呂に入れ」




「や、ちょっと、ししょう」




 恥ずかしげに拒否するぼうやを、後ろからハグする。


 しゃつのぼたんを外して、ぼうやを風呂に入れる準備をして。しょーとかっとのきんぱつを払うと、わたしは気づいてしまった。




 ぼうやの体は、傷だらけだった。




 叱りたいことなど、たくさんあったはずなのに。 




「ぼうや」




 声が、喉の奥でつっかえる。わたしは手をぐう、ぱあと開いてみる。


 頭を撫でるべきか。


 抱きしめるべきか。


 けれど、どちらも分からなくなってしまった。


 ぼうやは困ったように笑った。 




「大した傷じゃ、ないですよ」




 その言葉を聞くなり、わたしは鍋の前からぼうやを引き剥がした。豆っぽちな体は、驚くほど軽かった。 


 どうやら、わたしを喜ばせようとして買い出しに行ったものの、花街の帰り道にノギツネに食材を奪われ、ノギツネの巣窟にひとりで行き……


 オオカミに匂いを辿られ、噛みつかれて。残ったものだけを、ぼろぼろになりながら持ち帰ってきたそうだ。


 わたしは問い詰めた。なぜそんな無茶をした。




「どうして一人で行った」


「どうして助けを呼ばなかった」




 問いかけるたび。ぼうやの肩は、少しずつ小さくなっていった。


 ぼうやはばつが悪そうな顔をして、じんわりと目尻を赤くした。


 そして、目を伏せて、小さく答えた。




「……ししょうに使えない奴だと思われたら、行く場所がなくなるので」




 なぜそんなことを考える。誰がそんなことを教えた。


 肩から首にかけては、ばっくり噛まれた傷あとがある。ぼうやは、血の流るる自分の首筋につんとゆび添えするなり、こくりと黙って小さな貝みたいに口を閉じてしまった。




 傷口を確かめようと手を伸ばす。けれど、触れる寸前で止まってしまった。


 もし少し力を入れれば、また痛がらせてしまいそうで。代わりに、乱れた髪をひと房だけ耳へ掛ける。




「……まったく」




 そう言った声は、ひどく掠れていた。


 窓の外では、風がプラムの木々を揺らしている。


 叱りたいことは、たくさんあったはずなのに。


 今はただ。


 ぼうやの頭を抱き寄せることしか、できなかった。




「………しょうがない、坊だ。」




 わたしは着物のおびを弛めると、したちちで持ち上げるように、ぼうやを胸にうずめさせた。




「ぶはっ、し、ししょっ〜……」




 とろん、と蕩けた目を見た途端、なぜこの子に今まで無理をさせてしまっていたのかと自分に怒りたくなる。




「ほら、ほら♡ い〜っぱい、吸え」




 わたしは、ぼうやのひな鳥のような口にちちのさきを押さえつけた。




「ゔむっ⁉︎」




 しばらくすると、ぼうやはばたばたするのをやめ、手をだらんと下ろして……いや、むしろ自分の方から、ちち肉をふに、ふに、と触ってきた。




 ぼうやは、ただでさえふさふさと茂った長いまつ毛を瞬かせて、泣きそうな目で永くおっぱいを見つめている。




「ふ……、わらわ、わらわは……おまえを、ももすけ、と呼ぶことにする……♡ おっぱいが大好きで、聞かん坊ながきだ♡いっしょう、そこでうずくまっていればよい……」




 わたし、いや。わらわは、ももすけの鼻っぱちにきすをした。


 この矮小(わいしょう)なおのこ──男は、わらわが居らねばたえられぬ。




「今後は、きちんと自分を大事にできるように。返事は?」




 頭を撫でると、ぼうやの腰が抜けた。 




「もっ、もう、ゆるじでぇぇっ……♡」




 わらわは、反発する自分のちちにぼうやの息遣いを感じた。















 まじょもも竹取ものがたり




 ──もものようなおっぱいを持つエルフの姫さま・アルマと、「ももすけ」と呼ばれ可愛がられるレイピア使いの少年・リルルートのちょっとえっちなものがたり──

















第一話 むかしむかしあるところに














 オレもあまり背は高くないのですが……現れたお姫様は頭ひとつぶん小さくて、でも、なぜか着物の胸元だけぱっくりと開いていました。




 その、みるく色の肌が柔らかそうに揺れていて……腕を寄せるたびに、もっちんもっちんくっついて、深い谷ができていました……。




 なにより……ぷっくら腫れていて、長いわれめ?がむっちりくいこんでいるさきっぽがじんわりももいろに色づいていて……しょうじき、目に毒です……。




 そのもちもちが、こっちに迫って来るたびに……ごりごりずがい骨が削られて、ちかちか星が散るような、ずんと重いしょうげきが……。




 姫様は桜いろのくちびるを、ぁんとひらいて──こう囁やきます。





「ようやく迎えにきたか。わらわのお婿、リルルート……♡」





 つんと澄ましたつり目がほどけて。


 姫様は、なにもかも柔らかなのに不釣り合いな笑みを零しました。




「──うっ……!?」


 オレは、飛び上がるように目を覚ましました。


 心臓がばくばくして、今にもはち切れそうです。


「……お、オレはなんて夢をっ……!」




 ──小鳥が鳴く朝、オレは懐かしい夢を見てしまったみたいです。









 一




 ──大正の候、お江戸は今宵もからんころんと奔(はし)る馬車で賑わっています。


 でも、なぜおじさんはお酒が好きなのでしょう──




 オレは居酒屋店主のはち丸さんにぐいぐいとお酒を勧められて、べろべろになっていました。 




「う、ひどいっすよ。オレ、まだ未成年なのに」


「まぁそう言わず、飲め飲めぇ」




 はち丸さんいつも陽気で、それはありがたいのですが、たまに強引で困ってしまいます。


 オレは、あれよあれよという間に、もっとお酒を飲んで……ずぶずぶと深みに溺れていきました。




───


「うぅ〜ん……それでぇ、その時オレがぁ、ずば〜っんって妖狐をやっつけてぇ」




 オレはぐで〜っと伸びきってしまい、はち丸さんはちょっと困った顔をしていました。




「あちゃ〜かんっぜんに酔っちまったなぁ」


「それだけじゃないんですよ〜。『キミしかいないっ!』て妖狐の前に押し出されたんですけどぉ……ひっく。ちゃんと倒したら、すごいねって、ほめられちゃって、」




 オレは首の傷をさすりながら、うつむきました。


 ……そういえば、この傷っていつできたんでしたっけ。


 まぁ、いいか。


 そして、ごろごろと喉を鳴らして、べろんとシャツをめくりました。




「こっちは妖狐にやられた傷なんですけどね〜」




「まぁ、ちょっと傷痕は残っちゃいましたけど。栄誉の勲章、ってことで」




 はち丸さんは、ぱちぱちと瞬きします。




「あんちゃん……」




 その声色に、どことなく含みがあって……少しだけ恥ずかしくなって、シャツを下げてしまいます。




「そんなにがっついてると、女にバレるぜ」


「がっ、がっつ……⁉︎」




 さっ、と酔いが覚めました。




「だって、んにゃおもむろに服はだけさせて、おなご誘ってるとしか思えねぇさ〜」




 気がついたら、ベストはだらんと肩からずれ落ちて、シャツのボタンもはだけてました。




 ……みるみるうちに、顔が熱くなりました。




「そ、んなこと、ないですよ……オレだって、そこまで見え見えのこと、しませんよ……!」


「残念だけど、ここにゃ女は来ねーぜ、あんちゃん。おっと、用事が」




 ぶるぶると震えるオレを尻目に、はち丸さんは逃げようとします。




「もう〜……! 今月のバイト代、きちんとくださいねっ。約束しましたよねっ」




 きっ、と睨みつけても、はち丸さんはのらりくらりと躱(かわ)します。


 そして、うるさそうな顔でこう言いました。




「まっ、でも男にゃモテそうだよな。まめまめしくおせっかい焼いてくれそうなトコロが」




「お、男っ……!」


「じゃあ、達者でな!」




 ……居酒屋の店主って、皆こんなモノなのでしょうか。





 オレの名前はルートヴィッヒ、しがない働き人です。




 オレが育った古きよき異国、フランマンジェの街は今は遠く。昔はそこそこいいとこの身分だったらしいですが、そんなものは今の暮らしの足しにもなりません。




 普段は日雇いの仕事(それも居酒屋のアルバイトなど)を手伝っていますが、それでもお金が足りなくて。魔物の討伐依頼も受けたりするんですけど、気づけば依頼じゃない揉め事まで引き受けてしまうことがあります。




 この前の妖狐は倒してくれ!と急に頼まれたので、ちょっと危なかったですが……。でも、泣きじゃくってありがとう、なんて言われたら、こっちも礼を受け取るわけにはいかないじゃないですか……。




二




「わりぃ! ち、ちょっとおつまみが食べたいんだが……」




 翌日の夕暮れ時のこと。居酒屋はがらんとして、人気(ひとけ)がありません。




「もう〜、またですか? 店長、おつまみならオレが美味しいものいつでも作ってあげるのに……」




「や、あの店の、燻製イカの味が恋しく」


「あ〜、そうですか。もう知りません!」




 オレはそっぽを向きました。




「お、怒ったか?」




 はぁ、と大きくため息をついて。




「で、閉店何時です?」


「ろ、六時だ……」


「すぐじゃないですかっ」


「……あんがとよ〜っ! あんちゃん!」




 店長は途端ににかっと笑いました。


 ……本当に、調子のいい人ですね!




 




  ──江戸の都は広く、少し走り込んだだけでも髪が吹き飛ぶほどの涼風が吹きます。


 びゅおっ!




「うわっ、風やばっ!」




 茶色の前髪が視界いっぱいに広がって、危うく前が見えなくなるところでした。


 しかし、そこは活気あり余る16歳。




「うわっ! 馬車が暴走して〜っ‼︎」


「ちょっ」




 子どもが一人、車輪の前に転びました。


 考えるより先に体が動きます。


 オレは荷物を放り投げて駆け出しました。





 足首の滑らかなしなりが、積み荷の木箱をぐっ、とひと蹴りしました。まるで重力を忘れたみたいに軽くて。


 夕暮れに溶けるように、宙を滑りました。


 疾走する車台へふわりと降り立ち、両手で手綱を引き絞ります。




「これで──」




 止まる。




 そう思った瞬間でした。


 がくん、と大きく車輪が跳ねます。




「うわっ──!」




 世界がぐらりと傾いて。


 オレは夕焼け色の砂埃を巻き上げながら、ずざざっーと地面へ転げ落ちました。





 ばさり。


 抱えていた店の帳面が空へ躍りました。


 夕暮れの風を受けて、紙束が白鳥(しらとり)の群れのように散っていきます。




「や、やばいな。店長に謝らないと……」




 ほほを掻いていると、小さな男の子がてくてくと近寄って来ました。




「あっ、あの、お兄ちゃんありがとう」




 くくった髪が小鳥のしっぽのようにちょん、とはみ出ています。


 かわいいちびっ子です。




「はい、どういたしまして。次も危なくなったら、お兄ちゃん呼ぶんですよ」




 オレは、ちびっ子の頭をうりうりと撫でました。


 全身を擦りむいてしまいましたが、なんとか大惨事は食い止められたでしょう。





 しかし、そんな平穏な時間も続くことはなく


──遠くから、耳を劈(つんざ)くような悲鳴が聞こえました。




「大変だ〜っ! 妖狐、妖狐が現れたぞっ!」




 一人の百姓さんが手を伸ばしてオレに呼びかけました。




「そこの、茶髪のにいちゃん! あぶな……」




 オレはとっさに、彼の前に立ち塞がりました。






 ──がきん。と白銀の閃光が瞬き、夜気に滲む昏い光と交錯する。






「──大丈夫ですか、」





 純白の粉が、ちらちらと舞う。


 オレは白銀(しろがね)の剣(つるぎ)で弧を描き、空を斬りました。




 ──すると、どこかで、鈴の音がしました。




「あぁ、相変わらず人間はうまいのぉ……そなたが、わたしのごちそうかえ?」




 月明かりに照らされた金髪が金糸のように揺らめきます。


 花のように広がって地面を飲み込む、深いえんじの着物。


 そして──毛羽立った、とがり耳ふたつ。




 妖狐は木魂(こだま)をしゃなりと撫で、りん、りんと鈴下駄を鳴らしながらこちらへ近付いてゆきました。


 オレはレイピアを宙でくるくると転がし、持ち直しました。




「………っ、早く逃げてくださいっ!」




 ですが、百姓さんはおろおろと立ちすくむばかりです。




「で、でも……前、盾にしてしまったし……」




 ふと、頭の中に記憶が掠めます。




 ──キミしかいないっ!って妖狐の前に押し出されたんですけどぉ……




 ……オレは唇を引き結んで、顔を隠すように妖狐へ向き直りました。




「……いいから! 行ってください! 早く」




 百姓さんは何度も振り返りながら駆けていきます。


 足音が遠ざかります。


 それを見届けて、ようやくオレは息を吐きました。




「……これで、いいっす」




 妖狐はくすくす、とビーズを転がすような声音で囁きます。


 耳元に、じっとりとした蒸気がかかりました。




「あら、ぼうやでも怒ることがあるのじゃな。本当に、そいつを赦してよかった……? 淋しくは、ないのか?」




 妖狐は、つつ、とあごをなぞる。




 ぼんやり光っている、けれど底なしの冷気。




「……さぁ、妖狐さん。おやつの時間っすよ」




 レイピアとは名ばかりの剣ですが。なまくら刃よりは戦えるはずです。


 剣を一回転させ、握り直す。







─── 


流れ来る木魂を跳ね返すたび、きぃんと耳鳴りが響く。




 ──くっ、入り組んだ場所は、苦手なんだよな……!




 森の奥深く、神社の前。


 宙をくるりと回転すれば、レイピアの切先から弾丸のように銀の粉が舞う。




「おぉ、ぼうやの癖にようがんばっておる。でも……これには太刀打ちできまい」




 ──こん、と妖狐の囁きが支配して。


 何かが足首を掴んだ。




「っ!?」




 見下ろす暇もなく身体が宙へ跳ね上がる。


 気づけば蔦が手足に絡み付き、オレは操り人形みたいにぶら下がっていました。




「ぐっ……」




 宵闇色の蔦は冷たく、まるで冬の蛇のようでした。


 葉の隙間から落ちる月明かりさえ、今日は少しも優しくない。


 森は静かで……さっきから、心音だけが、やけに響きます。




「あぁ、綺麗なおかお。慈味で、わたしの馴染むあじ……」




 耳に纏わりつくのは、警戒心をひとつひとつ解きほぐすような艶やかな声。大人の、女性の声。




「ほら、茶髪に染めるなんてもったいないことしてないで。本当の姿を見せてごらん」




 妖狐がぱちん、と指を鳴らすと、ぼわん、と淡い煙が弾けるように広がりました。


 江戸生活で、きしんだ茶髪とは違う──薄みがかった、柔らかな金髪に。




「あはは……オレ、あんまり美味しくないっすよ?」


「その、できれば放してもらえると嬉しいんですけど……」




 妖狐は両てのひらでオレのほほに触ります。


 そして、心根のいちばん柔らかいところを引きずり出すように。こう囁やきました。




「──ずっと自分が貧乏くじを引いていることには、気づいておるな?」





 ──なっ。




一瞬、息の仕方を忘れた。




体が強張って、指先からじわりと熱が引いていく。





「この地の町民に世話を焼いたって、ぼうやをもう一度褒めてくれる人間など、おらぬ」




 はくはくと唇を震わして、でも気持ちだけは必死に正して。


 オレはおえつ混じりに、ひとつひとつ確かめるように言葉を紡ぎました。




「そ、そんなこと、ない、はずです……! え、江戸の人は、いつも生活が苦しいし……それに、いつもは人里に妖怪が来る前に倒されるので、それで、怖いのに慣れてなくて……!」




 うわずる声を喉で押さえつけるのが、ひどく痛い。


 妖狐は綺麗な眉をくしゃりと困らせて、鼻をつん、と小突きました。




「おぉ可哀想に。いつも妖怪退治を押し付けられているのだなぁ」


「ち、ちが」


「あの店主だって、ぼうやに感謝こそすれど、褒めたことなど一度もあるまい?」


 




 ──おうあんちゃん、おめぇ、料理うめぇな! また作ってくれ! 




 堪えていた糸がぷつりと切れて。涙がぽろぽろと溢れ出しました。




「しょうがないじゃないですか……!」




「オレが余計なことをしたから」




「オレが、手を出したから」




「皆を甘やかしてしまったから……!」




 みんな、オレを頼ってしまう。




 百姓さんたちの足音は、とっくに遠ざかっていました。 


 助けを呼ぶ声もない。




 妖狐は、宙吊りのあごをごろごろと撫でさすりました。まるで、猫を愛でるように。




「ぼうや、ぼうや。いいこいいこ」




 どろり、と甘い液体が頭じゅうを満たしていく。




「わたしらの……狐たちのおもちゃになってもらおう♡」




 妖狐はきつねさんの指をして、オレのわき腹……腹筋となぞるように遊びました。




「ほらほら、こんこん、わたしをいっぱい楽しませてみろ」




 大事なところをひとつひとつ指歩きするみたいに、ぞくぞくって体じゅうを這いまわる。




 涙の滲む視界は冷たくて。


 けど、顔だけはずっとあつくて。




「オレだって、本当は」




 頑張って当たり前みたいな顔をされるのも


 一人で大丈夫だろって言われるのも


 もう……




「助けてほしかったのに……! 追いかけてきて、欲しかったのに……!」




 あたまの中で、百姓さんの去りゆく後ろ姿が、まだ残っている。




 町の皆が泣きじゃくって、駆け寄ってくれることはなくて。ごめんってオレを抱きしめてくれることも、きっともうなくて。




「うぐ、ぐすっ……!」




 妖狐は……長いつめで舌なめずりをする。




「可愛い顔をこんなに歪めおって……涙と鼻水に塗れた顔も、美味そうな……」




 妖狐は、オレの顔を抱き寄せて、舌をべろんと垂らしました。




「いっしょう飼い慣らされて……不幸が実った頃が食べころじゃ」  




「あ、あぁ……あ」




 零れるおえつは何にも届かない。


 狐の艶やかな声だけを残して。




 オレはひとりぼっちで食べられる。







 ……そのときでした。


 甘い桃の香りが、風に乗って流れてくる。


 森には似つかわしくない香りで。





 妖狐の耳が、ぴくりと震える。


 もて遊ぶような視線が、びくりと見開かれる。


「──この、気配はっ」


 後ずさった妖狐は、まるで天敵を前にした獣みたいでした。





 白い葉が風に舞う。


 葉脈だけが透けて見える、不思議な葉でした。


 そしてかぐよう、桃の匂い。


 月の光をたっぷり受けたももの涼やかさが、オレの頭を。


 こころを、いっぱいにした。


 ふわん、と果物の甘みが増したとき。


 ──ももの花びらが一枚、肩を滑り落ちる。





 次の瞬間。




 もも色にかかやく灯火が揺らめいて、妖狐は雷に打たれたようにのけ反りました。





 しゅるり、と茨がほどける。




 支えを失った身体は、そのまま闇へ沈みました。


 月が遠ざかる。


 白い光が滲む。


 まるで、誰かの手を取り損ねたみたいに。


 オレは、プラムの穴ぐらへ、深く深く落ちてゆきました。






───


 しんしんと夜の更ける居酒屋。


 いつもは騒がしやかなこの店は、珍しく店じまいの看板を立てていました。


 薄暗い店内で、白電球だけがやけに明るく輝いていました。 




「あんちゃんが、帰ってこねぇ」




 はち丸さんは煙草をくしゃ、と灰皿に押し付けました。




「あんちゃんがいなきゃ、俺ぁそのうち釣り銭まで間違えて店潰しちまうぜ……」




 はち丸さんは力なく笑います。




「……俺ぁよ、あんちゃんがいてくれるから、店主なんて面ぁできてたんだ」




 ぱち、ぱちと点滅する白電球を、いつまでも見つめていました。










 三




「う、ん……」




 ……体じゅうが鉛(なまり)みたいに重い。




 けど、ベストがいつもより暖かく感じて。  




 心が、ぽかぽかする……。




 首をもたげると、目の前には、黄身みたいに濃厚な色のプラムが転がっていました。


 そういえば、小さい頃、転がる胡桃を追いかけていたような……。




 オレが片膝を上げて立ち上がると、そよ風が、かろかろと胡桃の木を揺らしました。





「こ、ここは……」





 目の前に広がるのは、からっと晴れたうす水色の空。


 小春日和、という言葉を聞いたことがありますが、こんなに涼やかなものでしょうか……。




「……あ、そういや!」




 オレは、さっと腰に手を当てました。 




「よかった、ありますよね……」




 もう六年も連れ添った相棒なので、大事にしてあげないとこいつも拗ねてしまいます。


 オレは左手にハンカチを敷き、その上からレイピアの刀身を支えました。






 浅翠色の竹林を通ると、清水の匂いが漂います。




 ところが、耳を澄ませても鳥のさえずりひとつ聞こえません。


 花から花へ飛び回る虫の姿もないのに、一体どうやって果物は実をつけているのでしょう。




 歩いてると、突然──ずるり、と靴が滑りました。




「ぐわっ!!」




 足元の胡桃につまずき、盛大に前のめりになります。


 足元を見ると、拳ほどの大きな胡桃がごろごろ転がっていました。




「い、いてっ……」




 こつん、と胡桃が頭に落ちました。




 顔を上げると、ふわふわ浮かぶ白いおばけのような妖精が、腹を抱えて笑っています。




「わ、笑いごとじゃないですよ……!」




 オレは頭をさすりながら、ぼやきます。




「うー……動物はいないのに、こういうのはいるんですね……」




 すると、女の人の声が聞こえました。




(……? なんだ?)




 けれど、妙です。


 声は確かに聞こえているのに、どこから聞こえてくるのか分かりません。




 竹やぶの向こうなのか、頭の中なのか。


 思わず辺りを見回してしまいました。




 (……わらわの)




 今度ははっきりと。竹やぶの間を縫うように、蜜やかな声が流れてきました。




 澄んだ声なのに、輪郭だけがぼやけています。


 まるで言葉そのものが夢を見ているみたいでした。





 オレはおそるおそる竹の葉を掻き分けました。




 ……そこからはより濃い桃の香が漂っていました。




「なんでしょう、この感じ」




 ──ころころ転がる胡桃、竹の葉のつるりとしているのに、引っかかるような感触。




 くしゃん、とくしゃみをしてしまいました。


 どうやら、ここには胡椒の花も咲いているようです。


 そよ。と小春の風がほほをくすぐりました。













──そよ風が舞うのは、いたずらみたいで。ほほをふわっとした手のひらが包んで、それは、ひどくゆるくて柔いもの。






「……ようやく迎えに来たか。わらわのお婿、リルルート……♡」






──ふる、と空気が震え、風が止みました。


 胡椒は紅い実を結び、胡桃はこつん、とお行儀よく足を止めます。


 そうして、ぱくり、と殻が割れました。





「まったく。待たせすぎだろう? このあほう……」





 お姉さんは、懐かしそうに目をほそめました。


 


 オレよりも歩幅は小さく。姫様が歩んだ後の地面には、ゆるゆると萌葱の子どもが、芽吹いていました。










  ──第一話 おしまい──


 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。