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ざまぁは静かに、でも──残酷に

作者: 葉月いつ日
掲載日:2026/03/10

 王城の円形ホール。


 天井を飾る巨大なクリスタル・シャンデリアが、残酷なほどに眩い光を投げかけていた。


 金箔が施された壁や、贅を尽くした大理石の床。

 そのすべてが、今この瞬間、私という存在を排除するための舞台装置に成り下がっていた。


「リーゼロッテ・アデルハイト。君との婚約を破棄する。君のような冷血な女は、わが王国の王太子妃にはふさわしくない」


 第一王子エイリックの声が、広間に鋭く響き渡る。

 その声には、長年の重圧から解放されたかのような、浅はかな高揚感が混じっていた。


 彼の隣には、桃色の髪をふわふわと揺らした男爵令嬢リスナが、怯えた小動物のようにしがみついている。


「エイリック様……あまりリーゼロッテ様を責めないであげてください。お可哀想ですわ」


 リスナの震える声。

 上目遣いで彼を見上げるその仕草は、いかにも庇護欲をそそるものだった。


 だが、私と視線がぶつかった一瞬、彼女の瞳の奥に宿ったのは、勝ち誇った泥棒猫のような醜悪な悦楽だ。


 周囲を囲む貴族たちの反応は、冷酷なほどに分かりやすかった。

 ある者は扇で口元を隠し、私という“完璧すぎて可愛げのない公爵令嬢“の没落を嘲笑う。


 またある者は、王太子の怒りに触れるのを恐れ、蜘蛛の子を散らすように私から距離を置いた。


 さざなみのような囁き声が広間を埋め尽くす。


「あの冷徹なリーゼロッテ様が……」

「ようやくエイリック殿下も、真実の愛に目覚められたのだな」

「公爵家の権勢も、これでおしまいだ」


 だが、私は乱れない。

 背筋を真っ直ぐに伸ばし、顎を引き、指先の一本に至るまで“完璧な貴族“としての矜持を保ったまま、静かにエイリックを見据えた。


「承知いたしました、エイリック殿下。陛下の裁可も得ておられるとの認識でよろしいでしょうか」

「父上には事後承諾で十分だ。これほどまでにリスナを虐げ、私を事務人形で縛り付けた君の罪は重い。今日この時をもって、君を王宮から追放する。慰謝料など一銭も出さぬし、アデルハイト公爵家への支援もすべて打ち切る。……今すぐこの場から去れ!」


 エイリックの指差す先、ホールの巨大な扉が、まるで怪物の口のように開いていた。


「……かしこまりました。殿下のご決断を、一国民として尊重いたします」


 私は取り乱すことも、見苦しく弁明することもしなかった。

 感情を殺し、ただ淡々と、これ以上ないほど優雅な所作で膝を折る。


 それは、これまで私が彼のために捧げてきた十年間という歳月に、自ら幕を引くための儀式だった。


「では、失礼いたします」


 扇を閉じ、一度も振り返ることなく歩き出す。

 ヒールの音がカツン、カツンと静まり返ったホールに響いた。


 背後で、リスナの「まあ、エイリック様、素敵!」という歓喜の嬌声と、それに応えるエイリックの誇らしげな笑い声が聞こえてくる。


 彼らは何も分かっていない──。


 私がこの場を去るということは、この国を形作っていた目に見えない無数の“糸“が、すべて断ち切られることを意味するのだ。


 王太子の執務机を埋める書類の山。

 隣国との際どい外交交渉の裏側。

 枯渇しかけている国庫の帳尻合わせ。


 そして、この愚かな王子を【賢王】に見せかけるために私が積み上げてきた、すべての虚飾。


 私はホールを出て、冷たい夜風が吹くテラスへ出た。

 夜空には満月が浮かんでいる。

 静寂が──心地よい。


 これから始まるのは、怒号でも罵倒でもない。

 ただ、支えを失った砂の城が、自らの重みで崩れ落ちていくのを待つだけの、静かな、あまりにも静かな処刑の時間だ。


「さようなら、エイリック殿下。あなたの望んだ『自由』を、存分に味わうといいわ」


 私は暗闇に向かって、誰にも聞こえない声でそう呟いた。

 唇には、かすかな、そして酷く冷ややかな笑みが浮かんでいた。



 ◇◆◇



 翌朝、王都の喧騒を遠くに聞きながら、私は公爵邸の執務室で最後の整理を行っていた。


 朝日が差し込む机の上には、数枚の書簡と、王家から預かっていた数多の印章が整然と並んでいる。


 私がこの十年間、エイリックの影として、あるいは【王太子の脳】として処理してきた膨大な業務。


 それをすべて、彼の手元へ“あるべき姿“で戻す作業は、驚くほど淡々と進んだ。


「お嬢様、本当によろしいのですか? 陛下への根回しをすれば、このような不当な破棄など、すぐにでも……」


 老執事が沈痛な面持ちで茶を運んできた。

 その手は、怒りか悲しみか──わずかに震えている。


 私は彼に柔らかな微笑みを向け、最後の一通の手紙に赤い蝋を垂らした。


「いいのよ。彼は『自由』を求めた。ならば、その自由に伴う『責任』も、すべて彼が負うべきだわ。私はただ、彼が望んだ通りに身を引くだけ。それが彼に対する、私なりの最後のご奉公よ」


 私が手を引いた仕事は、この国の急所そのものだった。

 まず着手したのは、【王領の予算管理】の打ち切りだ。


 エイリックは派手好きで、軍備や自らの遊興に際限なく金を使う。

 それを私が、アデルハイト公爵家の資産運用益で補填し、帳尻を合わせていた。


 役人たちには「予算内である」と偽の報告書を書き、不足分は私の私財で埋めていたのだ。


 今日からは、その補填が完全に止まる。彼が次に金貨の袋を開けたとき、そこに残っているのは底の見える空っぽの現実だけだろう。


 次に、【外交文書の暗号解読と添削】を放棄した。


 彼は美しい言葉を並べて演説するのは得意だが、条約の裏に隠された隣国の罠を見抜く力など持ち合わせていない。


 私は彼の署名がなされる前に、すべての書簡を検閲し、致命的な失態を未然に防いできた。

 今日からは、彼の無知と慢心がそのまま世界へ発信されることになる。


 そして最も致命的なのは、【リスナへの監視と抑制】の解除だった。


 彼女が男爵令嬢という身分で王城に出入りできていたのは、私が『王太子の教育の一環』として黙認し、周囲の反発を抑え込んでいたからだ。


 だが、彼女の底なしの浪費癖と、実家の男爵家が抱える多額の借金。

 それらを抑え込んでいた私の「無形の圧力」も、今日をもって消滅する。


「お嬢様、荷馬車の用意が整いました」

「ありがとう。……ああ、この書類だけは、明日の朝一番に王宮の事務局へ届けてちょうだい。私が今まで立て替えていた、王宮の備品代と食糧代の【請求書】よ」


 私は、アデルハイト家の紋章が刻まれた重厚な封筒を執事に託した。

 それは、これまで私が“愛“という名目で肩代わりしてきた負債を、純然たる【借金】として突きつける最後通牒だった。


 私は窓から、遠くそびえる王城を見上げた。

 あの中では今頃、エイリックがリスナを抱き寄せ、新しい人生を祝っているのだろう。


 だが、彼らは知らない。精巧な時計の歯車を一つ抜いただけで、どれほど無残に機械が自壊していくかを。


 私は荷物をまとめ、王都から離れた辺境の領地へと旅立った。

 これから吹き荒れるであろう嵐を、私は遠く離れた特等席で眺めることに決めた。


 復讐は、怒りに任せて行うものではない。

 ただ、あるべきものをあるべき場所に戻し、崩れていく様を静観する──それが、最も残酷で、最も私にふさわしい“ざまぁ“の形なのだから。


 馬車が動き出し、王都の景色が遠ざかっていく。

 私の心は──この数年で最も澄み渡っていた。



 ◇◆◇



 三ヶ月が経過した。

 王都からは、風の噂というにはあまりに生々しい惨状が、私の元へ次々と届くようになっていた。


 エイリックは、リスナとの甘い生活に完全に溺れていた。

 王宮の最上階にあるテラスで、彼はリスナの肩を抱き、シャンパンを傾けていたのだろう。


 しかし、彼には知る由もなかった。


 リスナが毎日注文する、一点ものの特注ドレス。

 彼女が“王太子妃に相応しい格を“と称して買い漁る稀少な宝石。

 そして、彼女の取り巻きとして集まった放蕩貴族たちとの、連夜の晩餐会。


 それらを賄っていた【予備費】という名の魔法の財布が、実は私の私財とアデルハイト家の信用によってのみ、存在を許されていたことを。


「リーゼロッテがいなくなってから、なぜこんなに書類が溜まるのだ! 下官どもは何をしている!」


 執務室にエイリックの怒号が響き渡る。

 だが、それに応える者はいない。


 当然だ。

 これまで私が、彼の署名ひとつで済むように、徹夜で下調べをして論点を整理し、反対派の貴族を根回しで黙らせていたのだ。


 私という“翻訳機“を失った公式文書は、エイリックにとってはただの難解な呪文に過ぎなかった。


 さらに、致命的な一撃となったのは、リスナの底なしの無知だった。

 彼女は平民たちに対し、自分を【慈悲深い女神】として印象づけようと、いくつかの領地の税を独断で“免除する“と公言して回った。


 しかし、その一方で、自分の贅沢品にかかる関税は、特権を利用して廃止させた。

 結果として、王家の収入は劇的に激減した。


「エイリック様ぁ、お仕事なんて事務官に任せればいいじゃない。私、今度の夜会には、隣国の『星屑の涙』というダイヤモンドが欲しいわ。あれさえあれば、みんな私にひれ伏しますわ」


 リスナの甘い声が、エイリックをさらに現実から遠ざける。


 だが、その事務官たちも、もはや王宮には残っていなかった。

 アデルハイト公爵家が給与を上乗せして繋ぎ止めていた優秀な人材たちは、私の離脱と同時に『家庭の事情』や『健康上の理由』を盾に、次々と辞職していったのだ。


 彼らが去る際、丁寧に“すべての書類を未処理のまま“置いていったのは、私からのささやかな指示でもあった。


 混乱に拍車をかけたのは、私が止めていた『特権階級への増税案』の承認だ。


 エイリックは、空っぽになった金庫を埋めるため、最も手を出してはいけない中堅貴族や商人たちへの増税を決定した。

 これにより、王家を支えてきた屋台骨が音を立てて軋み始める。


「なぜだ……なぜ誰も私の言うことを聞かない!」


 エイリックが執務机を叩く。

 だが、その机の上にあるのは、山積みの督促状と、私が送った“これまでの立替金の請求書“だけだ。


 騎士団への給与は遅配し、王宮の厨房からは高級食材が消えた。

 衛兵たちは士気を失い、夜回りの数は目に見えて減っていく。


 一方、私は領地で、以前から準備していた【新魔力伝導糸】の利権を隣国と独占契約した。


 アデルハイト家は、沈みゆく泥舟である現王家を切り捨て、独立した経済圏を確立しつつあった。


 今や王家は、私からの『借金』なしでは翌日のパンも買えないほどに困窮している。


 王宮は、美しい装飾だけを残した、空っぽの廃墟へと変わりつつあった。

 ネズミが船の沈没を察知して逃げ出すように、賢い者から順に、エイリックの元を去っていく。


 私は、届いた報告書を暖炉の火に投げ込んだ。

 炎に包まれる紙片を見つめながら、私は確信した。私が手を下すまでもない。


 彼らは自分たちが選んだ“真実の愛“という名の重りに引きずられ、深海へと静かに沈んでいくのだ。



 ◇◆◇



 ある雨の夜だった。

 窓の外では、叩きつけるような豪雨が庭園の木々を揺らし、世界を灰色に塗り潰していた。


 アデルハイト公爵家の辺境領にある屋敷。

 その堅牢な玄関を、激しく叩く音があった。


 現れたのは、かつての婚約者、第一王子エイリックだった。


「リーゼロッテ……頼む、助けてくれ……! 国が、国がもう保たないんだ!」


 開かれた扉の先に立っていた男に、かつての高慢な王太子の面影は微塵もなかった。


 ずぶ濡れになった絹のシャツは泥にまみれ、丁寧に整えられていた金髪は額に張り付いている。


 頬は病的にこけ、目は血走っていた。それは王者の姿ではなく、ただの追い詰められた敗残者の姿だった。


 私は、彼を玄関ホールに立たせたまま、二階の回廊から静かに見下ろした。


 手には、アデルハイト家秘蔵のハーブティーが注がれた白磁のカップ。

 立ち上る湯気が、私の視線を優しく──しかし冷酷に遮る。


「おや、エイリック殿下。お忍びでこのような辺境まで、一体何のご用でしょう。愛しいリスナ様はどうされましたの?」


 私の問いかけに、エイリックは顔を歪め、床に膝をついた。


「あんな女……! 借金取りが王宮の門まで押し寄せてきた途端、私の私物から金目のものを盗んで逃げ出した! それだけじゃない、彼女の実家は隣国のスパイと通じていて、私の署名が入った軍事機密を売り飛ばしていたんだ!」

「あら、それは驚きですわ。でも、彼女を信じ、私の忠告を『冷血な女の嫉妬』だと切り捨てて重用したのは、殿下、あなたではありませんか」


「私が間違っていた! 君が、君こそが私の真のパートナーだったんだ! 今すぐ王都に戻り、すべてを立て直してくれ。君を正妃として迎え直す。リスナの家はすでに取り潰しを命じた。これで満足だろう!?」


 エイリックが私を見上げ、震える手を伸ばす。

 その瞳には、かつての愛情などではなく、自分を泥沼から引き上げてほしいという身勝手な懇願だけが宿っていた。


 私はゆっくりと階段を下り、彼の手が届かない距離で立ち止まった。


「お断りいたします」

「な……なぜだ! 君はアデルハイトの娘だろう! この国を見捨てるというのか!」


 エイリックの声が、絶望に裏打ちされた怒号となって響く。


「見捨てたのはあなたです、殿下。あの日、あなたは私に『去れ』と仰った。私はその言葉に従い、公爵家としての義務をすべて精算した。……現在、アデルハイト家は王家に対するすべての債権を、隣国へ売却済みです。あなたがリスナ様を通じて機密を売った、あの国へ」


 エイリックの顔から、生気が一気に失せた。


「つまり、今の王家が負っている巨額の負債は、すべて隣国が掌握している。そして隣国は、債務不履行を正当な理由として、王領の割譲を要求しているわ。……エイリック殿下、あなたは国を救ってほしいと仰いますが、もう救うべき『国』の土台が、あなたの足元には残っていないのですよ」


「そんな……馬鹿な。私は、私はただ、少しの自由が欲しかっただけなんだ……」

「その自由の代価が、一国の崩壊だった。それだけのことです」


 私は、彼が差し出した泥だらけの手を、そっと、だが断固として振り払った。

 その手の温もりを感じる必要さえ、もう今の私にはなかった。


『ざまぁ』という言葉を口にする必要さえない。


 ただ、自分がどれほどのものを踏みにじり、何を失ったのか。

 それを、骨の髄まで冷えるこの雨の夜に、一生消えない傷として刻み込んであげるだけだ。



 ◇◆◇



「殿下、勘違いなさらないで。私はあの日、あなたのすべてを受け入れた。そして、返却しただけですわ」


 私の声は、雨音に混じってもなお、研ぎ澄まされた刃のように鋭く響いた。


 エイリックは呆然として立ち尽くしている。

 その瞳には、私の言葉を理解しようと足掻く、滑稽なまでの困惑が浮かんでいた。


「……返した、だと? 何をだ」

「ええ。あなたの“無能さ“を、あなた自身の手に。そして、私の“献身“を、私の手元に」


 私はゆっくりと、一歩だけ彼に歩み寄った。

 私の纏う香水の香りが、彼から漂う泥と焦燥の臭いを冷酷に上書きしていく。


「現在、王家の借金はアデルハイト公爵家がすべて肩代わりしている。つまり、この国はすでに、実質的に私どもの所有物。明日の朝、議会は陛下の同意のもと、あなたの廃嫡を正式に決定する。新しい王には、私のアドバイスを忠実に守り、着々と準備を進めてこられた第二王子セドリック様が即位されるわ」


「な……っ!? セドリックだと? あんな影の薄い小僧に、何ができるというのだ!」


 エイリックが激昂し、詰め寄ろうとする。

 だが、私の背後に控えていた二人の私兵が、音もなくその道を塞いだ。


 彼らはかつて王宮の精鋭だった者たちだ。

 給与が支払われなくなった王家を見限り、アデルハイト家が倍の報酬で雇い入れた。


「セドリック様は賢明だわ。自分の無知を自覚し、誰を頼るべきかを知っている。それは、王として最も重要な資質なのですよ」


 エイリックの顔から、完全に血の気が引いた。

 唇が紫に変色し、がたがたと震え始める。


 彼は、自分がすべてを失ったこと、そしてそれを仕組んだのが、あの日“静かに“去っていった私であることをようやく魂の底で理解したのだ。


「リーゼロッテ……君は、最初からこうなることを……私が失敗するのを、嗤いながら待っていたのか……!」

「いいえ。私はただ、あなたが望んだ通りに身を引いただけ。自ら崖っぷちで踊り、足を踏み外したのは殿下、あなた自身。私はそれを、止める義務を放棄したに過ぎないわ」


 私は、背後に控える執事に向かって、最後の下命を下した。


「この方はもう『お客様』ではない。雨に濡れて風邪を召されては、隣国への引き渡しの際に商品価値が下がるわ。衛兵、地下の冷たくて清潔な独房へお連れして。……ああ、そこには先ほど捕らえられたリスナ様も収容されているはずよ。一生、狭い檻の中で、お二人でその『真実の愛』とやらを慰め合うといいわ」


「待て! リーゼロッテ! 離せ! 私は第一王子だぞ! この国の、唯一の継承者だ!!」


 エイリックの絶叫は、降りしきる土砂降りの雨の音にあっけなくかき消されていった。

 私兵に引きずられていく彼の足跡が、泥水に溶けて消えていく。


 私は一度も振り返ることなく、暖炉の火が赤々と燃える温かな部屋へと戻った。

 扉が閉まると同時に、外の喧騒は遮断され、心地よい沈黙が私を包み込む。


『ざまぁ』とは、声を荒らげて相手を糾弾することではない。


 相手を、その身の丈に合った『絶望の深淵』へとそっと導き、自分という光がいかに眩しかったかを、暗闇の中で噛み締めさせること。


 叫ぶ必要などない。

 真実の残酷さは、いつだって静寂の中にこそ宿るのだから。


 私は冷めた紅茶を下げさせ、新しいカップを用意させた。

 窓の外、雨の向こうでは、古い時代が音を立てて崩れ落ちている。


 私は明日、新しい王となるセドリックと共に、再生の地図を描き始めるだろう。

 その地図のどこを探しても、エイリックとリスナという二つの汚れが残る余地は、もうどこにもなかった。



 ◇◆◇



 数年後。


 王都の空は、あの日と同じように青く澄み渡っていた。

 だが、その下を行き交う人々の活気は、以前とは比べものにならない。


 私は、王となったセドリック陛下の筆頭補佐官として、今日も執務室の窓からその景色を眺めている。


 隣には、かつての“影の薄い少年“から、今や沈着冷静な名君へと成長したセドリックが立っていた。


「リーゼロッテ、今回の魔力伝導糸による税収、過去最高を記録したよ。君の言う通り、古い関税を撤廃したのが功を奏したね」

「それは重畳ちょうじょうですわ、セドリック陛下。民が潤えば、国は自然と強くなるものです」


 私と彼は、恋愛感情とはまた異なる、強固な信頼と実利で結ばれたパートナーだ。


 私たちは協力して、エイリックが食い潰した国庫を立て直し、腐敗した貴族たちを粛清した。


 あの日、私が王家から回収した【債権】は、今や新しい国の礎となっている。

 かつての第一王子、エイリックの行方を知る者は、今や公的な記録には存在しない。


 彼は隣国へと引き渡された後、多額の債務を返済するための“労働力“として、北方の極寒にある鉱山へと送られた。

 風の噂によれば、彼は今、名前を奪われ『囚人番号』で呼ばれているという。


 かつて金髪をなびかせ、贅沢な絹を纏っていた体は、泥と炭にまみれ、酷い霜焼けで指先も動かない。


 食事は泥のようなスープと硬いパンのみ。

 彼は、自分がかつて「冷血」だと蔑んだ私の、事務的な管理がいかに自分を甘やかしていたかを、冷たい岩肌を叩くたびに思い出していることだろう。


 一方、リスナもまた、彼女にふさわしい場所へ辿り着いた。

 彼女は隣国で『王族の愛人』を自称して詐欺を働こうとしたが、すぐに見破られ、最下層の街にある娼館へ売られたという。


 かつて“真実の愛“を説き、男たちの情欲を煽ったその美貌も、不衛生な環境と絶望ですぐに色褪せた。


 今では客を取ることもできず、厨房で残飯を漁りながら、かつての煌びやかな夜会の夢を見ては、夜通し泣き叫んでいるという。


「……何を考えているんだい? リーゼロッテ」


 セドリックが不思議そうに私を覗き込む。

 私は穏やかに微笑み、手にしていた万年筆を置いた。


「いいえ。ただ、世界の秩序が正しく機能していることに、満足していただけですわ」


 私にとっての『ざまぁ』は、彼らの不幸を直接見て嘲笑うことではない。

 彼らの存在そのものを、私の人生という輝かしい舞台から完全に消し去ることだ。


 かつて私を「冷血」と呼んだエイリックは、今、その冷たい雪の中で凍えている…


 かつて私を「哀れ」と笑ったリスナは、今、誰からも見向きもされない泥の中で這い回っている。


 復讐は──終わった。


 叫ぶことも、血を流すこともなく、私はただ彼らを“彼らが望んだ通りの自分“へと帰してあげただけ。


 そして私は、私が作り上げたこの美しい国で、これからも優雅に、そして冷徹に──世界の歯車を回し続けるのだ。


 窓の外では、新しい時代の風が、古い埃をすべて吹き飛ばしていく。

 私の視線の先には、もう、あの二人の影は──どこにも残っていない。



              〜〜〜fin〜〜〜





貴重なお時間を使ってお読み頂き、本当に有難うございました。

興味を持って頂けたならば光栄です。


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― 新着の感想 ―
女王……付いててお得というやつですね!!(違) 国王(パパン)の影の薄さよ…… 全てはリーゼロッテの掌の上だった感じですね。
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