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最後の1行は神さま視点でもいい

芥川龍之介の「羅生門」は、物語の大部分を下人の視点で描いている。


だが、最後に下人が羅生門を去る場面で、「下人の行方は誰も知らない」と記される。


この一文は、単に物語の終わりを示すのではない。


下人自身は自分の行き先を知っているのだから、この最後の文は神さま視点で書かれていると考えることができる。


つまり、物語は下人の視点から読まれていたが、最後の一文だけ視点を神さまに移すことで、読者の想像に行動の結果を委ねる手法になっている。


この技法により、読者は物語の結末を自分なりに補完することを求められ、単なる物語の消化ではなく、倫理や選択の余地を考える体験を得ることになる。


芥川はこの小さな視点転換によって、物語の不確定性と自由を強調し、読者に深い余韻を残しているのだ。


勝目梓の「悪女が目を覚ました」の最後の文。


「彼女は失神していた」も同様の効果を狙っている。

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