比喩とその責任
比喩は文学や日常の表現において、言葉に色彩や動きを与える便利な道具である。
「彼の怒りは火のようだ」「悲しみは雨のように降り注ぐ」といった表現は、短い言葉で感情や状況を伝え、読者や聞き手に想像の余地を与える。
しかし、比喩には責任が伴う。
なぜなら、比喩はあくまで実体験を伴わない言葉の置き換えだからだ。
もし対象が読者にとって身近でないものであれば、比喩の効果は薄れ、場合によっては理解を妨げる。
例えば「津波のように」という比喩を考えてみよう。
津波とは圧倒的な力を持つ自然現象であり、被災した地域では深い記憶として残る。
しかし、多くの人にとって津波は経験したことのない現象である。
そこに「〜のように」という表現を当てはめた場合、読者の感覚と比喩の意図がずれる危険がある。
圧倒的さや突然の襲来といった意味を伝えたい場合でも、実感として届かないことがあるのだ。
比喩は言葉の美しさや創造性を表す手段である一方で、読者との共有可能性を考慮しなければならない。
強烈なイメージを与えることが目的なら、身近な経験や具体的な状況に即した表現の方が、より説得力を持つことが多い。
比喩の力は、単に言葉を派手にすることではなく、読者の心に自然に理解されることにある。
結局のところ、比喩とは刃物のようなものである。
巧みに使えば表現を鮮やかに彩るが、無遠慮に振れば読者を迷わせる。
作家や書き手は、比喩を選ぶとき、その意味が読者に届くかどうかを常に意識する必要がある。
言葉は想像力の道具である。
しかし、想像力を生かすためには、まず読者が手に取れる形に整えることが必要である。
「津波のように」という比喩は、その意味の深さゆえに注意深く扱わねばならない。
比喩は美しいが、同時に慎重さを求める芸術でもあるのだ。
芥川賞をとったあとの綿矢りさの「夢を与える」での、「津波のように」は女性に甘い傍証になる。




