なぜ今の「小説の書き方」が役に立たなくなったのか
昔の「文学賞狙いの本」と今の本の大きな違いは、昔は「だめな例」をはっきり示していたが、今はそれをしない、という一点に尽きます。
二十年ほど前の文学賞対策本や小説の書き方の本には、「こう書くと落ちる」という具体例が必ず載っていました。
例えば、ドラマ「高校教師」のノベライズ本です。
視点が混乱している、回想で話を逃がしている、主題が見えない、説明ばかりで物語が動かない。
そうした原稿が、一次や二次で落ちる理由として明確に説明されていたのです。
これは、文学賞が減点方式で選ばれるものだという前提が共有されていたからです。
「どこで失格になるか」を知ることが、受賞への最短距離だと考えられていました。
だから、あえて「悪い見本」を示す必要がありました。
ところが今の本では、こうした「だめな例」はほとんど扱われません。
語られるのは成功例や、うまくいった作品の分析ばかりです。
それは、失敗を指摘すること自体が敬遠される時代になったからでもあり、ウェブ小説文化の中で「伸びない作品は黙って消える」仕組みが定着したからでもあります。
しかし、文学賞狙いという観点に限って言えば、これは致命的です。
なぜなら、文学賞では「よくある失敗を避ける」だけで、一次や二次は通ることが珍しくないからです。
昔の本が実用的だったのは、成功の夢を語ったからではありません。
「これを書いたら落ちる」という現実を、はっきり書いていたからです。
今の本が物足りなく見えるのは、そこを避けて通っているからにすぎません。
この違いを理解していないと、「小説の書き方」は、いつまで経っても具体性を持たないままになります。




