つまらない話では2次で蹴られる
一次は通るが二次で落ちる作品は珍しくない。
わたしは以前、借金取りに怯えるガードマンを主人公にした小説を読んだことがある。
その作品は一次選考を通過したが、二次選考は通らなかった。
このような結果は、決して珍しいものではない。
むしろ文学賞では、よくあるケースである。
一次選考では、最低限の文章力と構成力があり、「きちんと読めるかどうか」がまず見られる。
設定が明確で、破綻がなく、一定の完成度があれば、一次は通ることがある。
しかし二次選考では、基準が変わる。
「この話でなければならない理由があるか」「内容に踏み込みがあるか」「人物の内面が掘られているか」が問われる。
借金取りに怯える、という状況説明だけでは、物語は成立しても、評価には届かない。
恐れている理由、恐怖が行動にどう影響しているか、その恐怖を通して何が描かれているのか。
そこまで書かれていなければ、二次では弱い。
一次を通ったことで、「評価された」と勘違いしてしまう書き手は多い。
しかし一次通過は、あくまで「失格ではない」という判断に過ぎない。
二次で落ちる作品の多くは、読めるが浅い。
整っているが踏み込まない。
題材はあるが、核心がない。
だからこそ、一次通過・二次落ちは珍しくない。
文学賞では、この段階で大半がふるい落とされる。
一次を通ったことに意味はある。
しかし二次を通るには、別の強さが必要になる。
それを理解していないと、同じ場所で何度も止まることになる。
もしこれが借金取りに怯えるガードマンの女だったら通ったかもしれない。
あるいは、建設現場で働く女を主人公は通るかもしれない。
借金取りの怯えるガードマンを書いた男は、今どこにいるのかさっぱりわからない。
その男の文章と写真から、勤務先とどこの小学校の警備員かわかってしまったことがある。
こういうことは企業秘密であり、その会社をクビになったそうである。
またその男は他人の意見を絶対に聞かない男だった。




