32.不意の余白埋めかねる②
人間の住む街へやっと辿り着いた。
1人でここまで来るのは初めてで、思わず手が震える。
今まではずっとロデリックさんにくっついて来てばかりだったから、手に滲む汗でどれだけ頼っていたのかを実感する。
「…やりましょう。」
大きく深呼吸をして、手の震えを止まらせる。
兵士の肩をポンと叩き、そのままその場に置いて1人物陰に身を隠して様子を伺う。
途端に兵士の首がガクリと下り、ズリズリと足を引きずって一軒の家に向かって歩き出した。
ドアの前につくと、ゆっくりと腕を上げて弱々しく叩く。
いい感じだ…
自分の考えている通りに動く兵士に感動すら覚える。
「…くれ……
た、たす……くれ……」
迫真の演技でドアに縋る兵士が、本当に怪我をしているようにしか思えない。
そう見惚れていた時、ドアが開いて暗い夜道に一筋の光が差し込んだ。
その瞬間を見逃さず、隙間に手を差し込みがっちりと掴む事に成功した事を確認する。
直前まで息も絶え絶えだったはずの兵士から、ピシッと姿勢の良い兵士へ一瞬で切り替わった。
よし、侵入成功だと兵士を追って歩きだし、兵士の背中の奥に怯えた女性がいる事を捉える。
観察した通り、この家は女性1人。
僕ならできる。
このまま行ける。
自分に念じながら、緊張を女性に悟られないよう自然と近づく。
「では、おやすみなさい。」
「は、はい……おやすみ…なさい。」
2人の会話を聞きながら、兵士の陰から顔を覗かせる。
これが僕の初めての獲物だ。
「おやすみするのは貴方だけですよ。
ダメじゃないですか、悪魔は死んだ人間を操れるって教わらなかったんですか?」
「…えっ………?」
「とっくに広まってしまっている情報だと思ったんですけどね。」
緊張を隠すようにベラベラと饒舌なってしまう。
表情を見られないよう、女性の背後に回ってチラリと兵士の様子を見る。
しっかりと鍵を閉めた事を確認し、女性を仕留める事に集中するために能力を一旦解いた。
ぷつりと操り人形の糸が切れたかのように、不気味な程一瞬で力が抜けてその場に崩れ落ちる兵士。
「な、なに……なに…これ……」
衝撃の光景に怯えた女性が後退りをして僕の胸にぶつかり、そのままズルズルと落ちて尻もちをついた。
ものすごく不愉快だ。
人間は嫌いだ。
汚らわしいとしか思えない。
そんな人間が僕に触れた事が気持ち悪くて仕方がない。
…だめだ冷静になれ。
今は仕留める事だけを考えなきゃ。
「もう、汚いから触れないでくださいね。
本当に嫌なんですから僕。」
こちらを見上げる女性を見ながら冷静を保って語りかける。
「ぁ…あくま…血……悪魔…っ」
「ん?
ああ、正解です。」
「たすけ…助けてっ
助け…っっ!!!」
「叫ばないでくださいよ。
僕だって痛いんだから。」
叫ぼうとする女性の頭を蹴り上げ黙らせる。
すぐに叫んで助けを呼ぼうとするし、食料なら食料らしく黙ってそこで並んでいればいいのに…
人間が生業としている屋台を思い浮かべてそう思う。
そんな事を考えている事に気付くこともなく、恐怖に染まった目で見つめる女性の視線が突き刺さる。
また叫ばれても面倒だ。
そろそろ終わりにしないと。
女性の前へ移動し、髪を掴んで後へ投げ飛ばす。
倒れた身体を見下げ、そのまま心臓へ向かって短剣を突き刺した。
鋭い切先が肉に食い込み、血を溢れさせる。
ドクドクと溢れる血のにおいは食欲を掻き立て、これからの食事に期待が高まっていく。
更にグッと力を込めて押し込むと、刃が全て女性の中へ収まった。
白い寝巻きに咲く赤い薔薇がとても美しい。
ニヤリと笑みを浮かべ、流れ出た大量の血を眺めて成功を噛み締める。
しかし、そう簡単には行かなかった。
ベトリと僕の手にまとわりつく生暖かく濡れた感触の先に視線を向けると、苦しみに喘ぐ女性が血まみれの手で僕の腕を掴んでいた。
「…だから触らないでって言ったじゃないですかっ!」
ゾワゾワと鳥肌が立ち、手を勢いよく払う。
そして、刺した短剣を抜いてもう一度胸に突き刺した。
血飛沫を上げて僕の顔まで飛び跳ねたが、怒りから何も感じず再び突き刺した短剣を見つめる。
気づけば白の寝巻きは全て真っ赤に染まっており、血液を吸って女性の体に沿ってぴたりと張り付いていた。
そして、今度こそ動きも声も止まった事を確認する。
「やっぱ1発で命中はできないですね。
難しいなあ。」
ロデリックさんが1発で心臓を突き刺していた凄さを感じる。
しっかり心臓を狙ったつもりではあったが、胸を切り開いて確認してみると1度目は刺さっていなかったのだと分かった。
静かな空間に濡れた食事の音がペチャペチャと響き渡る。
そんな静かさが寂しく、ロデリックさんと一緒に会話を楽しみながら食事をしていた事を思い出す。
今どこにいるのだろうか。
生きていてくれているだろうか。
また一緒に狩がしたい。
そう思いながら久々に食べる新鮮な人間に手が止まらない。
しばらく食べていた所で、仲間にも持ち帰ってあげなければと思い出す。
美味しくて思わず忘れてしまっていた。
持参した保存袋に血の滴る内臓を詰め込んでいく。
「こんな事した事ないや…」
基本的にその場で殺した人間を食べるため、持ち帰りなど初めてだった。
そして、女性の体の中はほとんど空っぽになる。
持ち帰りの用意が終わると、台所で汚れを落として短剣も綺麗に磨く。
しっかりと自分の顔や洋服を拭いて汚れがない事を確認する。
もう大丈夫かなと玄関の方へ身体を向けると、崩れ落ちていた兵士がゆっくりと首を上げ、上半身を起こし、膝を立てた。
何事もなかったかのように立ち上がり、砂埃をパンパンと簡単に払っている。
「それじゃ、行きましょう。」
その声に反応して兵士が玄関の鍵を解除し、扉を開けた。
2人とも女性の事など見向きもせず、血のにおいが充満する部屋から去っていった。




