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2章――③

 祈祷はつつがなく進んだ。

 一件目は農家の若夫婦のもとへ赴いた。夫の父が病死した数日後に幽鬼となって現れており、蓮翠(れんすい)朱祐(しゅゆう)たちに見守られながら怖々と依頼を全うした。

 二件目は朱祐の実家のように旅館を営む店へ出向いた。蓮翠たちを迎えたのは旅館の若旦那で、彼曰く「昔から不仲だった両親が最近になってさらに喧嘩が増えてさ。一週間前に母が首をくくって死んだんだけど、その日の晩から化けて出るようになっちまって。父はそれが恐ろしくて部屋から出てこねえ」そうだ。

 女将が自死したという部屋へ入らせてもらったところ、蓮翠の目に飛び込んできたのは天井から縄ひとつでぶら下がる女性の幽鬼であった。どす黒く変色した皮膚と、苦しそうに限界まで見開かれた瞳に、堪えなければと思う間もなく悲鳴を上げた。朱祐に支えられたおかげで依頼は果たせたが、もし一人で来ていれば気絶していたかもしれない。

 ゼラムから「ちょっと聞いていいか」と訊ねられたのは、三件目に向かっている途中だった。

「幽鬼ってのは死者の霊なんだよな」

「そうですね。尊象教(そんしょうきょう)の教えだと、亡くなった人の魂は天井にある麒麟さまの宮殿に向かうんですけど、そこへ入れなかった人が幽鬼になって彷徨うって言われてます。ゼラムさんたちの国では違った解釈があるんですか?」

「俺の国にも死後に向かう神さまの庭だなんだって教えはあるが、幽鬼はそもそもそこへ向かうことなく〝死者の無念が神力(イラ)の塊として留まったもの〟とされてる」

 つまりな、とゼラムが武骨な指をぱちんと鳴らす。

「幽鬼になれるのは神力を持ってる奴だけなんだ。神力が無い奴はそもそも幽鬼になれない、というかならない」

「その理屈で言うと、蓮翠が今まで祓ってきた幽鬼の人たちには神力があったってことになるけど」

「俺はそこが気になってんだよ」

 蓮翠はゼラムから依頼をこれまで何件受けて来たのか問われ、だいたい五十件前後だと答えた。三年前、清杏店の食堂へ来た客が幽鬼に悩んでいるのを知り、幼い頃に母から聞いた魔除けの神の名を札に書いて渡したのがきっかけで、祈祷の依頼を受けるようになったのだ。

 当時はふた月に一度の頻度で依頼を受けていたが、噂が広まるにつれ客も増えた。時には今日のように一日に数件回ることもある。

「依頼人ってのはさっきの二件みたいな一般人のことが多いのか。嬢ちゃんと同類の祈祷師だったりは?」

「いませんね。あたしにお願いしに来るのは普通に暮らしてる人たちです」

「……妙だな」とゼラムは唇を山形に歪めて腕を組む。「そんなにごろごろ神力の保持者がいるもんなのか?」

「迫害から逃れて巴瑛(はえい)帝国に行きつき、素性と力を潜めて暮らしてきた魔術師の血が長い時を経て広がっている、ということなのでは」

 ギヴィルが一つの可能性を示したが、ゼラムの表情は晴れず納得している様子はない。

 ゼラムの国と巴瑛帝国では幽鬼の発生原理が違うのでは、と魔術師二人があれこれ議論を交わすうちに、一行は目的地に到着した。

 場所は赤香の中心部から見て東にある安価な酒肆(しゅし)や食堂が軒を連ねる一帯で、旅人の姿はほとんどなく、地元民が店先で酒を吞みながら談笑している。その中で一件、妙にひと気が無くひっそりした酒肆がある。三件目の依頼はここの主人からもたらされたもので、蓮翠は三人を引き連れておっかなびっくり店内へ入った。

 中は広くもなく狭くもない。客は数人いるがそれぞれ一人客のようで、席も離れているため会話はなく静かだ。(みせ)と肆の間隔が狭いためか、窓から入る光は多くなく、夕方が迫りつつあり全体的に薄暗い。

 客からちらちら向けられる視線を受けながら進めば、酒肆の主人が壁にもたれながら赤ら顔で蓮翠たちを待っていた。口を開けば、もわあ、と酒の香りが漂う。

「何ヶ月か前にうちで客同士の喧嘩があったんだ。知ってるか?」

 もしかして、と蓮翠は閃いたものがあった。女性向けの装飾品を売る老夫婦から受けた依頼である。あの時祓った夫婦の息子は確か酒肆であった乱闘騒ぎに巻き込まれ、命を落として幽鬼になったはずだ。

 さすがにあの時の死者が幽鬼になったと伝えるのは憚られ、蓮翠は無言でうなずいた。

「あれからうちに寄りつくのはろくでもねえ客ばっかりになってよ。荒れた奴らが集まっちゃ酔った勢いで喧嘩を起こして、ひどい時にゃ前みたいに死ぬ奴まで出た」

 主人の話では合計で三人もここで死んでいるという。壁や床をよく見れば、その痕跡だろうか、凹みや傷、血と思しき赤黒い染みが点々と残されていた。

 不意に冷たい空気を足元に感じ、蓮翠の肩がぶるりと震える。蓮翠以外の面々も冷気を感じて目を合わせるなか、主人一人だけがなにかを恐れるように背中を丸めて肆の入り口を見やっていた。

 蓮翠が主人の視線を追って目にしたのは、ぬう、と肆に入ってくる人影だった。

 中肉中背の男で、歳は四十前後だろう。肩上まで伸びた髪はまとめられずにぼさぼさで、口元には不精髭が見てとれた。身だしなみも清潔とは程遠く、落ちくぼんだ眼窩から放たれる眼光だけが鋭く生々しい。

 男の周囲には黒い靄が漂っている。幽鬼である証だ。

 ずり、と男は足を引きずって進んでくる。蓮翠が反射的に体を引いて距離を取ろうとすれば、朱祐も一緒にじりじりと後ずさる。

「今日も来やがった」主人は憎々し気に呟き、手に携えていた酒器を守るように胸に抱えた。「この時間になると出るんだ。うちで死んだ客の一人だよ」

「あんたには幽鬼が視えてるのか」

 ゼラムが興味深そうに主人に問う。当のゼラムは思いきり眉を寄せて鼻をつまんでいた。

「ここ何日かでいきなり視えるようになったんだ。常連の中にもアレが視えて恐ろしいってんで、来なくなった奴が何人もいる。祈祷師の嬢ちゃんよ、あいつ、どうにか出来るかい」

「わ、分かりました」

 蓮翠は竹の籠から道具一式を取り出し、魔除けの神の名を記した紙の札を片手に幽鬼へ近づいた。貧民街のそばで祓った女の幽鬼と違い、恨み言は唱えていないがひたすら酒を強請(ねだ)っている。幽鬼となってなお吞み足りないのか。

 札を押し付けるべく近づくほど、男の人相がはっきり分かる。薄く開いた唇は端が切れ、唾液と血が滲んでいた。頬は赤く腫れあがり、酒を求めて宙を彷徨う手は全ての指がおかしな方向にねじ曲がっている。

 ――どうか安らかに、麒麟さまの宮殿へ旅立てますように。

 心の内で祈りを唱えながら札を男の額に押し付ける。札に書いた文字が淡く光ると同時に男の姿は薄くなり、札の中へ吸い込まれるようにして消えた。

 手の中にはどす黒く染まった札が残り、蓮翠は「終わりました」と主人にそれを見せた。

「幽鬼の無事に祓えました。もう現れないはずです」

「そうか、助かったよ。意外とあっさり終わるんだな。祈祷ってもっと仰々しいもんだとばかり」

 本職の祈祷師ならもっとしっかりした儀式をするのかもしれない、と思ったが、蓮翠は「これがあたしのやり方なので」と曖昧に苦笑した。

 あとは報酬を受け取って帰り、三件ぶんの紙をいつものように燃やすだけ――なのだが。

「……待って、蓮翠」蓮翠が主人から報酬を受け取ろうとしていると、朱祐に肩を叩かれた。「まだ祓えてない、かも」

「え? うそ。でもさっきの男の人はいま……」

「幽鬼が出る場所に視えるのと同じ黒い靄が、まだ視えるんだ」

 蓮翠には視えないの、と訊ねられ、注意深く店内を見回す。

 ――言われてみれば、確かに。

 幽鬼が纏っている黒い靄は、本体を祓えば綺麗さっぱり消えるのが常だ。しかし朱祐の言う通り、黒い靄がぽつぽつと床に落ちるように漂っている。

「その靄ってのは多分、神力が塊になったもんだ」ゼラムが鼻をひくつかせ、香りをかぐように顔の周りで手を振る。「幽鬼が出た時に酒と血と汚物が混じったみてえなにおいがしてたんだが、それに近い臭さをまだ感じる」

「おいおい冗談だろ。適当言ってぼったくろうとしてんじゃねえだろうな」

 疑わし気な主人に、そんなことしません、と蓮翠は慌てて否定してから、きょろきょろと忙しなく視線を上下左右へ転じた。

 ――この靄はどこから漂ってきてるんだろう。……奥から?

 主人がもたれる壁の脇には、店の奥へつながる戸がある。建付けが悪いのか傾いており、そのせいで出来た隙間から薄い煙のように黒い靄が出ている。

 朱祐も店の奥が黒い靄の発生源だと気づいたようで、「ご主人」と浅く戸を押した。

「この奥にはなにがあります?」

「なにって、ただの物置だよ。店の備品とか、客の忘れ物を片付けてあるだけだ」

 主人の返答に、朱祐が細い目を薄く見開いた。

「その忘れ物の中に、幽鬼になった男の所持品があったりしませんか」

「さあ。忘れ物なんて毎日あるもんだからどれがあいつのかなんて」

「所持品を取り返しにまた幽鬼が現れたとしたら?」

 脅しめいた一言に、さすがにそれは勘弁願いたいと感じたようで、主人は「ちょっと待ってな」と言いおいて物置へ引っ込んでいく。物をぶつけたり落とす音が何度か聞こえ、やがて主人は小物を握りしめて戻ってきた。

「あいつが死んだ時に首にひっかかってたもんだ」と見せられたのは、歪な楕円形をした灰色の石である。上部には小さな輪状の金具がつき、黒い紐が結ばれている。

 これに近いものを、蓮翠と朱祐は見たことがあった。

 ――真照さんが取引先からもらっていう、お守りの首飾りに似てる。

 黒い靄は明らかに灰色の石からにじみ出ていた。地表に水が染み出すように、じわじわと石の表面に黒い靄が溢れ、空中に漂っていく。

「なんだこれ」

 主人の手を覗きこんで、ゼラムが物珍しそうにさらに顔を近づける。臭いにおいを思いきり吸いこんでしまったのか、直後に咳き込んでギヴィルに背中を擦られていた。

「あの石、神力のにおいがする」

「神力のにおいがする石、となると……まさか」

 ゼラムの呟きに、ギヴィルがはっと口元を手で押さえる。

 二人の様子に構うことなく、主人は首飾りを蓮翠の目の高さに掲げた。

「これをぶら下げてるとな、悪いモノが寄り付かなくなって幸せになれるんだってあいつが自慢しててよ。嘘か本当かは知らないが、そういう胡散臭いものが好きな奴ってのは世の中にいるだろ。だから」

「死人から奪い取って、売り飛ばそうとしてたってわけ?」

 呆れたと言わんばかりに朱祐がこれ見よがしなため息をつく。主人はもごもごと反論していたが、実際のところ図星だったのだろう。

 とはいえ朱祐の脅しが利いたのか、主人は媚びたような笑みを浮かべて「まあ売り飛ばしたら恨みを買うかもしれねえしな。悪いモノを寄り付かねえっつってんのに、ぶら下げてた本人は死んでんだから効果も無さそうだしな。お前らにやるよ」と半ば押し付けるように報酬と一緒に蓮翠の手に握りこませてくる。

 この首飾りは一体なんなのだろう。ゼラムは神力のにおいがどうの、と言っていたが。

 幽鬼を吸い取った紙の札と同じで、炎にくべれば石から溢れ出る靄も消えるのだろうか。

 外に出て蓮翠が首飾りを矯めつ眇めつしていると、ゼラムに「ちょっと見せてもらえねえか」と頼まれた。よほどにおいがきついのか、ゼラムは片手で鼻をつまみ、もう片方の手で口を覆っている。どうぞ、と差し出した首飾りはギヴィルの手に渡った。

 ゼラムがにおいと闘いながら首飾りを確認すること数分。彼は鼻をつまんでいささか間抜けになった声音のまま、ギヴィルの手を指さした。

「これはお守りじゃねえな。高確率で〝核〟の一種だ」

「核って、えっと……」

「幻獣に心臓の代わりに埋め込まれてる神力の塊――だっけ?」蓮翠が記憶をたどるより早く、朱祐が答えを出す。「なんでそれがお守りの首飾りに?」

「分からん。もっと分からんのは、純粋な核とは確実に別物ってことだ。しかも」

「純粋な核であれ類似物であれ、こうして出回っていること自体問題、ということですね」

「それって」

 どういうことですか、と聞こうとした蓮翠の言葉は、甲高い悲鳴によってかき消された。

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