2章――②
今回蓮翠が受けた依頼は三件あった。依頼人の住所はそれぞれが離れていて、徒歩で順に回るには少々時間がかかる。
それを聞いたゼラムが「じゃあ俺たちが帝国に来る時に乗っていた馬を使うか」と提案してくれたのだが、いざ見せてもらったそれはただの馬ではなかった。
「……翼?」
蓮翠が呆然と呟けば、ゼラムが愉快そうに歯を見せて笑う。
ゼラムとギヴィルの愛馬は清杏店の厩に預けられていた。二頭とも青毛だが尻尾とたてがみは月光のごとく白い。それだけでも珍しく思うのに、それに拍車をかけているのが、馬の肩あたりから生えた鷲のような黒い翼である。
馬は赤香でよく見かける動物だが、翼が生えた個体は初めて見た。体格もかなりがっしりしていて、大人が三人またがってもなお余裕がありそうだ。翼といい大きさといい、明らかに普通の馬ではない。数々の馬を預かってきた厩番も戸惑っていた。
ひょっとしてゼラムたちの故郷固有の品種なのか。蓮翠がそう予想を述べれば、ゼラムは首を振って否定した。
「これは天馬っていってな、人工的に作られた動物――俺たち魔術師は〝幻獣〟って呼んでる」
「人工的にって、どういう意味」
朱祐が怪訝そうに首を傾げる。その視線は天馬とゼラムを行き来して、蓮翠以上に翼と大きさを珍しがっているのが分かる。
ゼラムは天馬の首筋を優しく撫でながら、「そのままの意味だ」と苦いものを噛み潰したような声音と表情で続けた。
「俺たちの国の神話じゃあ人間は神が泥から作ったとされてるって、前にちょっと話したろ。それに近いことを、何百年も前の魔術師たちが思いついたんだ。いろんな動物や植物、その他もろもろと神力を材料にして、神話や伝説の動物を作り出せないかってな」
幾度となく失敗を経て実験は成功した。こいつはその第一号だ、とゼラムが説明するのに合わせて、天馬がふんふんと鼻を鳴らす。
「何百年も前に作られた子が今も生きてるって、そんなことあり得るんですか?」
「あり得ちまうんだなあ、これが」
話しているうちに、二頭の天馬には手際よく馬具がつけられていく。先にゼラムとギヴィルが各々の愛馬にまたがり、相談の末、蓮翠はギヴィルの、朱祐はゼラムの馬に乗せてもらった。
体が大きいぶん踏み出す歩幅も広いようで、天馬は清杏店の敷地を出るなりぐんぐんと進んでいく。後ろのギヴィルに支えられていなければ、馬に乗り慣れていない蓮翠など一瞬で振り落とされているだろう。翼があるのに飛び立たないのかと思ったが、空へ舞うにはじゅうぶんな助走が必要だそうだ。
人々の物珍し気な視線がむず痒い。緑色の目を怖がられるのとは違う興味の注がれ方に落ち着かなかったが、ゼラムとギヴィルがあまりに堂々と胸を張っているからか、そのうち「異国の珍しい馬」程度の認識に行きついたらしい。好奇の眼差しがいくらか和らいだ頃、ゼラムは説明を再開してくれた。
「天馬に限らず幻獣には心臓の代わりに〝核〟が埋めこんであるんだが、これが神力の塊でな。破壊されたり摘出されたりしない限り、幻獣に神力を供給して動かし続ける」
「それって怪我や病気とかした時はどうなるんですか? 寿命だって……」
「病気は基本的にしないな。そういう風に作られてるから。同じ理由で寿命も無い。老いねえんだ。怪我をした時も核の神力で修復される。仮に腕を切断されたとしても、新しく生えるかくっつくかは個体によって違うが、最終的に元通りになるぞ。核さえ無事である限り半永久的に生きる人工生命体、それが幻獣だ。まったく、ご先祖さまがたはとんでもねえ生き物を作ってくれたもんだよ」
ゼラムの一言は呆れたようにも、誇らしげにも聞こえる。
天馬に揺られながら、蓮翠は「そこの角を右です」と進行方向を指示した。天馬はぴくりと耳を振り、了解したと答えるように鼻を鳴らして道を曲がる。見た目も反応も、翼と大きさ以外は普通の馬と変わりなく、とても人工的に作られた生物とは思えない。首に触れれば生きている温かみも伝わってくる。
蓮翠が魔術師の卓越した技術に感心しかけた直後、ゼラムの声音に苦しさが増した。
「作られた当初はかなりもてはやされたらしい。人間に出来ない仕事を任せたり、死なない愛玩動物として手元に置いたり、いくら傷ついても元に戻る無敵の戦士としてな。そうしてあらゆる幻獣が次々に作りだされるうちに風向きが変わる事件があったんだ」
幻獣は動物や植物、その他もろもろを組み合わせて作るってさっき言っただろ、とゼラムに聞かれ、蓮翠と朱祐はそろってうなずいた。
「その〝もろもろ〟には人間も含まれるって発覚しちまってな」
「……人間も?」
「それが昨日言いかけてた『禁忌』ってやつ?」
蓮翠がぎょっとする一方で、朱祐は冷静に訊ねている。しかし顔をよく見れば唇がかすかに震えていた。
朱祐の問いを、「ええ」とギヴィルが肯定した。
「魔術師の顧客は大半が王族や貴族でしてね。そんな顧客から人型の幻獣を作るよう大金を積まれたのが始まりだったとか。当初は奴隷が材料として調達されたことと、神話に倣って泥から肉体を作ったと偽った影響もあり、問題視されることは無かったようです。ですが後ろめたいことはいずれ露見するのが常でしょう?」
とある魔術師が人型の幻獣作成の依頼を受けたが、都合よく奴隷を調達できなかったらしい。納期が迫って焦った果てに、魔術師は自宅の前を通りかかった少女を家に引きずり込み、幻獣の材料としてしまった。
だがその少女は貴族の令嬢だった上、魔術師に攫われる瞬間の目撃者もいた。問い詰められた魔術師は己の行いを白状し、それがきっかけで人型の幻獣には本当に人間が使われているのだと明らかになった。
「時を同じくして似たような事例が相次ぎ、魔術師たちが受けるのは称賛から罵倒に変わりました。『心を持たない怪物』だとか、『人の命を弄ぶ悪魔の手先』だとか」
「怪物……」
蓮翠は顔を伏せて自身のまぶたに指で触れた。怪物と蔑まれる苦しさも分かるけれど、魔術師が許されざる所業をしたことも理解出来るだけに、胸の奥が針で刺されたように痛む。
反応が気にかかったのか、ギヴィルに「どうしました?」と問われ、蓮翠は「なんでもないです」と曖昧に笑った。
「そのあと魔術師の方たちはどうなったんですか」
「もとから魔術師に対して『神の御業を真似る異端者』と反感を抱いていた聖職者たちの後押しもあり、十あった高名な家系のうち、七家は処刑、一家は離散しました。騒動から二百年経った現在は二家だけ存続しています。ゼラムくんのエアスト家はその一つですね」
「なんでゼラムさんの家は処分を受けなかったんですか?」
「『幻獣は作ったが人間は材料にしなかった』からだな。もう一つ残っている家も同じ理由だ。『幻獣を二度と作成しない』ってのを条件に存続を許されてる。あとはまあ、魔術師を全員処刑しちまうと不都合ってのもあったんだろう。処分されたのは魔術師だけで、魔術師が作った幻獣はそのまま残されたから」
幻獣作成はもともと人の生活に恵みや楽をもたらすことを目的に始まっている。天候の操作や病の治癒、力仕事など暮らしに欠かせない存在になっている幻獣も少なくなく、魔術師は憎くとも幻獣の処分は困ると訴えた地域がいくつもあったという。
「どんな道具でも定期的に調整する必要があるだろ? 刃物なら錆を落として研ぐ、木材なら腐った部分を落として新しいものに変える。半永久的に生きるとはいえ、一部の幻獣にもその必要があった。それを任されたのが、俺たちエアスト家ってわけだ」
ゼラムは力強く胸を叩き、頼りがいの感じられる笑みを顔いっぱいに広げる。
「人々にとって無害な幻獣なら引き続き調整しつつ見守って、有害な幻獣なら処分する。それが世界各地に散らばる幻獣の調査・記録およびその管理を担うエアスト家の使命だ」
ゼラムの眼差しには一片の曇りもなく、魔術師の一族に生まれたものとしての純粋な責任が感じられた。
「その話をしたってことは、だよ」朱祐が首を回し、じろりとゼラムを睨む。「あんたらがこの国に来たのは、幻獣調査のためってこと?」
「シュウは察しが良いな」
ゼラムが満足そうに朱祐の肩をばしばしと叩く。音からして痛そうだと思ったが、実際に痛かったらしい。朱祐は眉を寄せて身を捩り、ゼラムの手から逃れていた。
巴瑛帝国にいそうな幻獣となると、蓮翠が真っ先に思いつくのはやはり緑色の目の怪物だ。だがあの怪物がもたらすのは天変地異や災いであって恵みではない。そんな怪物を魔術師たちが作るだろうか。
不意に往来の人々からどよめきが上がった。誰もが足を止め、空を見上げて目を丸くしては顔の前で指を組み、尊象教の祈りの言葉を口にする。
「ちょっと止まって」と朱祐が鋭い声で指示を飛ばし、二頭の天馬はすぐに従った。ゼラムとギヴィルはなにごとかと問うように首を傾げ、朱祐は細い目をわずかに見開きながら空を指さす。
空は良く晴れ渡り、細い糸をより集めたような薄い雲が点々と浮いている。
そこを悠々と飛翔する赤い影があった。
下からの見た目は鷺に似ている。羽毛は明け方の空で染められたような黄丹色で、広げた翼は太陽を遮ってしまうほど大きい。その翼と同程度の長さの尾羽は、風で翻るたびにきらきらと光の粒をまき散らす。
「あれは……」
「朱雀さまだ」
目の上に手をかざして見上げるゼラムに、朱祐が簡潔に教えて指を組む。
朱雀を見たなら日頃の感謝を伝えて祈る――赤香で暮らす民に染みついた習慣だ。蓮翠も朱雀の姿を目で追いながら指を組み、つつがなく暮らせている喜びを胸の内で唱える。
祈りや感謝が届いたのか定かではないが、ケーン、と軋んだ鳴き声をひとつ残して朱雀は飛び去った。空には光の粒が待っていたが、地上へ落ちる前に空気に溶けて消えていく。
朱雀を見送ったあと、そのまま祈りを捧げ続ける者、元の暮らしに戻っていく者と分かれる。蓮翠たちは後者である。
依頼人の住所への道案内を再開しても、ゼラムとギヴィルは朱雀が飛び去った方向を何度かちらちらと見やっていた。赤香に来て初めて朱雀を見た異国人はだいたい彼らのような反応をするが、そうだ、と蓮翠はギヴィルに振り向いた。
「お二人は朱聖寺に行ったって仰ってましたけど、そこで朱雀さまは見なかったんですか?」
「拝見したいと頼んだんですが、調子が悪いと断られてしまいまして。しっかり全体像を確認したのは今が初めてです。朱雀は定期的にああして飛んでいるんですか」
「いえ、飛んでいるお姿を見たのは久しぶりです。あたしが赤香に来る前まではほとんど毎日だったみたいなんですけど、今はひと月に一回あるかないかくらいで。朱聖寺へ参拝しに行ってお姿を見るのだって、もう何年も『調子が悪いから』って御簾が下がったままなんです。朱聖寺自体、最近は門も閉じちゃってることが多いし」
「そういえば」はっと朱祐が顔を上げ、記憶をたぐり寄せるように口元を手で覆う。「あんたらと初めて会った時、こいつが朱聖寺の門を殴り飛ばしたとか言ってなかった?」
こいつ、と指さされたゼラムは気分を害した風もなく、きょとんと目を瞬いてからうなずいていた。
「朱雀を調査しに行くって皇帝から知らせがあったはずなのに、門が閉じられててよ。だったら俺たちを入れざるを得ない状況にすればいいかと思って、軽めにコンコンッと」
「そのコンコンッで門の扉に大穴を開けたんですが」
朱聖寺の門は蓮翠も見たことがあるが、軽く叩いたくらいで穴が開くほど薄くはなかったはずだ。たまに性質の悪い旅人や酔っ払った地元民が門のそばで騒動を起こすことがあっても、傷一つ付いたことがないと聞いている。
そんな門の扉を、殴り飛ばす。
蓮翠と朱祐の視線が明らかに引いていると感じ取ったようで、ゼラムは腕を突き出して手をひらひらと振った。
「俺の神力は肉体を一時的に強化できるんだ。つまりまあ、殴り飛ばしたのは出力をちょっと見誤っちまっただけで悪気は無い」
「結果的にお詫びという名目で朱聖寺の敷地に入ることは出来ましたが、そもそもゼラムくんの暴挙もあって信用が地に落ちていたんでしょう。朱雀にお目通りが叶うことはありませんでした」
今日も二人は朝早くから朱聖寺に赴いたそうだが、門の前には棍棒を携えた警備が立っていた。近づけば騒ぎになると判断して、朱雀を確認する手段を練るために一度撤退してきたらしい。
そこまでして彼らが朱聖寺や朱雀に興味を持つということは、だ。
「朱雀さまは、幻獣なんですか」
蓮翠がおずおずと訊ねれば、ゼラムが「おう」とすんなり答える。
「朱雀だけじゃなくて、巴瑛帝国を守る五聖獣すべてが、何百年も前に作られた幻獣だ」
ケーン、とかすかに朱雀の鳴き声が聞こえる。
空を見上げてみても、その姿は遠くかすみ、はっきり目にすることは出来なかった。




