2章――①
清杏店の中庭は広い。四角く区切られたそこには樹齢百年を超すとも伝わる梅の木を中心に、季節ごとに色とりどりの花が咲いて宿泊客の目を楽しませている。今の時期は黄色が鮮やかな山茱萸が盛りを越し、紫や白の木蓮が爽やかな甘い香りを漂わせる中で、薄紅色の花海棠がちらほらほころび始めていた。
蓮翠はその一角にしゃがみ、いそいそと雑草をむしっていた。厨房の手伝いのほかに蓮翠が言いつけられた仕事の一つである。植物の手入れを担う職人もいるにはいるのだが、高齢で腰を屈めるのが苦痛だと聞いてから、自主的に手伝ううちにいつの間にか仕事になっていた。
草むしりは好きだ。手が汚れるからと誰もやりたがらず、一人で請け負うぶん、恐怖や忌避の眼差しを向けられることがない。厨房で肩身の狭い思いをするよりはるかに気が楽なのだ。
「これくらいでいいかな」
しゃがみながら梅の周辺をぐるりと見まわす。作業に取りかかる前はぽつぽつと余分な緑色が目立っていたが、黙々と励んだおかげですっかり綺麗になっている。成果が目に見えて分かるのもこの仕事のいいところだ。雑草を抜く際に盛り上がってしまった土もそのたびに均したが、行き届いていない部分はあとで職人が整えるだろう。
あとは雑草を運んで捨てれば完了だ。蓮翠は一ヵ所にまとめてあった雑草を掬いあげようとして、ふと手を止めた。
「……頭の中で思い浮かべる、だっけ」
周りに誰もいないか素早く確認してから、よし、と両手を雑草の上にかざして目を閉じる。
――手のひらから光が出て、その光が雑草を包みこんで、ゆっくり浮かんで……。
声に出さずにくり返し呟くこと数秒。はっと目を開けてみれば、想像とは裏腹に雑草は変わらず積み上がったままそこにあった。
「……そんなすぐ上手くはいかないかあ」
なんとなく分かっていたことではあったが、少々悔しい。
蓮翠は苦笑しながら、潔く諦めて雑草を両手で掬った。
ゼラムから「魔術師の血を引いている」と言われたのは昨日のことだ。
なにか心当たりは無いかと問われ、母が遠い異国の出身だったとは答えたが、具体的にどこの国なのかを蓮翠は知らない。母からそんな話を聞いた覚えも無かった。
「ひょっとしたらあたしが大きくなったら教えるつもりだったかも知れないですけど、母はあたしが子どもの頃に病気で亡くなってしまったので」
「そうか……辛いことを思い出させたかもしれん、すまん」
ゼラムが深々と頭を下げて謝る。初対面では風貌もあってどこか威圧的な雰囲気を感じたか、実際は真摯な一面を持つ人なのだろう。朱祐も同じように感じたらしく、意外そうに目を瞬いていた。
数秒ほど頭を下げたあと、ゼラムはおもむろに足元に手を伸ばし、床に置いていた荷物から一冊の本を取り出した。手のひらほどの大きさしかなく、厚みもほとんどない。使い古されたのか青い表紙は色あせて四隅が剥げていた。
「これは魔術師の家系を簡単にまとめたものでな。各家系の神力の特徴や、発現する能力の傾向、そのほか諸々を記してある。さっき嬢ちゃんが紙に字を書いた時と、あとそっちの兄ちゃんに押しつけた瞬間。この二回、嬢ちゃんは神力を使ってた。今のところ無意識みたいだけどな」
その時に感じた神力の気配はこれだ、とゼラムが表紙を開き、紙面を何度かめくってから手を止めた。ゼラムの母国で使われている言語なのか、蓮翠には読めない文字や記号がびっしり記されている。
「第四の魔術師――〈哀惜〉の二つ名を持つフィアト家の神力と、嬢ちゃんの神力がかなり似ていた。恐らく嬢ちゃんの母君はここの血筋を引いてたんだな」
「そうなんですか。全然知らなかった……」
「あとそっちのお前もだ」
ゼラムの視線が朱祐に向く。まさか自分も関係していると思わなかったのか「……僕?」と朱祐の眉尻が戸惑ったように跳ねた。
「昨日あの場所で感じた神力の気配は二つあった。あそこには嬢ちゃんとお前、あともう一人男がいて、けどその男が神力を使った様子は無かった。となれば、お前にも神力があると考えるのが妥当だろ」
「その前に僕を『お前』呼ばわりしないでくれる。不愉快だ」
「そりゃ悪い。なんせ名前を教えてもらってないんでな」
「朱祐だ。旺朱祐」
「シュユウ……」ゼラムは何度か朱祐の名を口の中で転がしていたが、なにを納得したのか軽くうなずく。「呼びにくいな。シュウでいいか?」
名案だろうと言いたげにゼラムが片目をつぶってみせる一方で、朱祐の頬と耳にかっと赤みが差した。
「ふざけるな、いいわけあるか! あだ名で呼ばれるような関係を築いた覚えはない」
「仕方ねえだろ、この国の人の名前はどうも発音しにくい」
その後もしばらく朱祐とゼラムの言い合いは続いたが、結局ゼラムは〝シュウ〟と呼ぶことに決めたようだった。最悪だ、と朱祐が肩を落とし、蓮翠はそこをそっと撫でて慰めた。
「話を戻すぞ。気になるのは、シュウの神力はここに記録されている家系のどの神力とも違う気配だったことだ。試しに使ってみろ」
「使ってみろって、神力をまだよく分かってないのにいきなり言われても」
「神力を使う上で大事なのは想像力だ。そうだな……光らせるのが一番分かりやすい」
「光らせる?」
蓮翠と朱祐がそろって首を傾げれば、ゼラムは二人に「手を出して、手のひらを上にして目を閉じろ」と慣れた様子で指示を寄こす。
「頭の中でよーく思い浮かべろ。神力は体の中で血と一緒に全身を巡っている。その力が手のひらに一気に集まると光りだす――そんな風にな」
蓮翠は素直に従い、言われた通りに目を閉じて集中した。
時間にして数秒か数分だろう。手ごたえが無いうちにゼラムから「もういいぞ」と声がかかり、そろそろと目を開ける。蓮翠の手は特に変わりが無かったが、朱祐のそこは指先から手首までを包むようにぼんやり赤く光っていた。
それを確認した途端、ゼラムは急に朱祐の手に顔を近づけ、すうっと大きく息を吸った。
「うわっ!」と朱祐が手を引っこめ、指が鼻先を掠めそうになるのをゼラムは顎を反らしてひょいとかわす。「なんなんだよ、いきなり!」
「神力のにおいを感じてたんじゃないかな。ゼラムさん、さっきそう言ってたし」
蓮翠が指摘すれば、ゼラムがうんうんと首を縦に振る。間違っていなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
「やっぱりそうだ。シュウの神力はどの家系の神力とも違う。ギヴィル、どう思う?」
「恐らく魔術師が歴史の表舞台に登場する以前に力の保持者がこの土地へ移り住み、力を自覚せず眠らせたまま、先祖代々密かに受け継いできたのでしょうね。魔術師や神力に馴染みのない土地ではよくあることです。光り方を見るにそれほど力も強くなさそうですし、朱祐さんの場合、蓮翠さんが近くで神力を発動するうちに影響を受けて運よくご自身の神力が呼び起こされた。そんなところでしょうか」
説明されても実感が湧いてこないのか、朱祐は手を握っては開いてを何度もくり返している。それを横目で見つつ、蓮翠も自身の手のひらに目を落とした。
朱祐と違い、蓮翠の手はまったく光らなかった。想像力がいま一つだったのだろうか。ゼラムには神力がある、魔術師の血を引いていると言われたけれど。
「なんで光らないんだろ……」
「慣れの問題だと思いますよ」
蓮翠がぽつりと落とした呟きを、ギヴィルがするりと掬っていく。はっと顔を上げれば、ギヴィルは机の上に置いたままにしていた蓮翠の筆を指さした。
「蓮翠さんはこれまで〝筆を使って文字を書く〟という動作の中で神力を発動していたようなので、手から直接神力を放つという行為に慣れていないだけかと。得手不得手による差もありますし」
そういうものなのか。蓮翠がよほど落ちこんでいるように見えたのか、ギヴィルは最後に「訓練を積めば出来るようになりますよ、きっと」と付け足していた。
ひとまず神力がなにかはなんとなく理解したが、気になることはまだある。蓮翠はゼラムの方へわずかに身を乗り出した。
「あたしの神力と似てるっていう魔術師の……ふぃあと? でしたっけ。その人たちもあたしみたいなお祓いとかそういうお仕事してるんですか?」
「弔いだとか死者に関する仕事はよく請け負ってたみたいだから、そういう一つにひょっとしたらあったかもしれねえ。そのあたりの資料は処刑の時に一緒に燃やされちまったみたいで、ほとんど残ってねえんだ」
「……処刑?」
思いがけない一言に、蓮翠だけでなく朱祐までもが固まる。
ゼラムがギヴィルと目を合わせ、顔の横で色褪せた本を振った。
「ここには十の家系が記してあるんだが、このうち現代も存続してるのは二家だけでな。他の家系は約二百年前に処刑なり離散するなりして続いてねえんだ」
「ど、どうして。なんでですか」
簡単な話だ、とゼラムは机に本を置き、どこか切なそうに目を伏せてその表紙を撫でる。
「禁忌を犯しちまった。それだけだ」
雑草を処分したあと、蓮翠は箒を手にして再び中庭に戻った。地面に落ちた枯れ葉を掃くためである。これは仕事というより自主的にやっていることで、朱祐の父から給金は出されない。ほとんどただ働き同然なのに、枯れ葉一枚でも残っていればあとでちくちくと小言を賜るのだから、理不尽だと思わないこともない。
――でも厨房で居心地の悪い思いをするより、一人でここでお庭を掃除してる方が気楽で良いでしょ。
自分に言い聞かせるように何度も心の内で呟いて、回廊のすみに溜まっていた枯れ葉を丁寧に掃く。作業を続ける間も、頭の中では昨日ゼラムから聞いた話が絶えず巡っていた。
「禁忌って……結局なんなんだろう」
詳細を知りたかったが、食堂の客入りが増えてきたこともあり、蓮翠は給仕の手伝いに戻ってしまったためそこから先は聞けていないのだ。ゼラムたちとはそれから顔を合わせていない。彼らが赤香に留まっているのかすら蓮翠は知らないが、朱祐ならなにか聞いているだろうか。
その朱祐も朝から見かけない。もうすぐ昼になるというのに、この時間帯まで挨拶すら交わしていないのはここへ来てから初めてではないか。
――なんだか寂しいような、静かで物足りないような。
そう考えているのが通じたわけではないだろうが、回廊の向こうから足音が聞こえ、顔を上げれば朱祐と目が合った。いで立ちは普段となんら変わりないが、「おはよう蓮翠」と述べた挨拶も表情も、妙にぐったりしている。
「朝から頭の痛いことばかりで……これといって運動をしたわけでもないのに疲れたよ」
「珍しくどこにもいないなと思ってたけど、出かけてたの?」
「ううん、朝から父さんの部屋に呼び出されたんだ」
朱祐が回廊の柱にもたれて空を仰ぐ。視線は三階にある彼の父の部屋の方へ向いていた。
「縁談が来てるんだってさ、僕に」
「縁談……えっ、朱祐、結婚するの?」
祝福と驚きに蓮翠が目を瞠れば、朱祐はすぐさま「しないよ」とどこか傷ついたように目を伏せて否定した。
「父さんは僕に身を固めてほしいみたいだけど、僕はまだそんなつもりない。父さんが選んだ相手っていうのも商売関係の利害とか、そのあたりを重視した家の娘ばかりで。そんな婚姻はごめんだって言い争ってたらこんな時間になってて」
「それは……大変だったんだね、お疲れさま」
「ありがとう。蓮翠に労ってもらえると疲れが一瞬で吹き飛ぶ気がするよ」
朱祐は微笑みを向けてくれたが、無理に口の端を上げているような無理やりさが感じられた。父との応酬は蓮翠に語った説明以上に激しかったのかも知れない。
ぶうん、とかすかな羽音を立てて蜂が何匹か飛んでいる。花の蜜を集めに来たのだろう。蓮翠はそれを見るともなしに眺めて、己の腹を軽く擦った。
「ねえ朱祐。あたしそろそろお昼ご飯にしようと思ってたんだけど、ここで一緒に食べない? お天気もいいし、たまには外で食べるのも気分転換になりそうでしょ」
「花の香りを楽しみながらってこと? いいね、良さそうだ。じゃあお饅頭でも貰ってこようか」
「饅頭ならちょうど調達してきたところだぞ」
むうっと朱祐の横から四角く厳つい顔が覗く。ゼラムである。その後ろにはギヴィルもいた。
げっ、と朱祐があからさまに顔を顰めてもゼラムが気を害した様子はない。彼らは皇帝に用意してもらったという藍色の袍に身を包み、それぞれが饅頭を五個ばかり乗せた皿を持っていた。
「こんにちは、ゼラムさん、ギヴィルさん。そのお饅頭、昨日食べてたものと同じですよね。お気に召されたんですか?」
「おう。ちょうどいい甘さの餡と桃みたいな香りが気に入ったんでな。違う味もあるって聞いたんで、いくつか頼んだ」
「ゼラムくんは好きな食べ物が出来るとそればかり食べるんです。付き合わされるこちらとしては大変なんですがね」
「そんなことどうでもいい」朱祐が目元を押さえて長くため息をつく。「なんであんたらがここにいるわけ」
「神力のにおいを辿ってきたに決まってるだろ。初めは食堂で待とうと思ったんだが『若さまは取り込み中ですので』って断られてよ」
「だったらなんでそこで諦めて帰らない……!」
「帰るもなにも、我々はここに泊まることになりましたので」
「はあ?」と朱祐が困惑する横で、蓮翠もぱちぱちと目を瞬いた。二人の反応を面白がるように、ゼラムはにんまりと笑いながら饅頭にかぶりつく。豪快な一口が饅頭の半分を一瞬で削った。
「今朝まで別の宿に泊まってたんだけどな、ここの方がお前らと話すのに都合がいいから移ってきた。ほら、昨日中途半端なところで話を切り上げちまったし、嬢ちゃんの祈祷師の仕事がどんなか興味もあったからよ」
確かに蓮翠としても話の続きが気になっていた。清杏店に逗留するのなら顔も合わせやすい。朱祐はかなり不満なようで、苛立たし気に爪先で回廊の床を叩いていた。
「そうだっ、依頼!」
ゼラムの一言で思い出し、蓮翠は朱祐の袖を引いた。
「中庭に来る前に祈祷のご依頼が何件かあったの。朱祐も一緒に来るかなと思ってひとまず待ってたんだけど、どうする? 来る?」
「当たり前だよ。蓮翠一人で行かせるのは心配だし」
言うと思った、と蓮翠は苦笑しつつ、二つ目の饅頭を口に運んでいたゼラムに目を向けた。なにを聞かれるか察したようで、ゼラムはギヴィルとともにうなずいて笑う。
「その依頼、俺たちもついていっていいか? もちろん邪魔はしない」
「構いませんよ。人が多い方がちょっと心強いですし。朱祐、いいよね?」
「……蓮翠が良いのなら」
そうと決まれば早速行かねば。困っている依頼人を長く待たせるわけにはいかない。
蓮翠は途中になっていた枯れ葉の掃除を素早く終わらせる。神力でひと息に集められないかと密かに挑戦もしてみたが、やはり上手くいかなかった。




