1章――②
巴瑛帝国には国の中心、皇帝が住まう京師のほかに主要な街が東西南北に一つずつある。中でも南に位置する赤香の街は、その名を表すように家々の甍はほとんどが赤く、道を歩けばあちこちの露店から食べ物の良い香りが漂ってくる。隣国が近いぶん旅の商人も多いようで、大量の荷物を載せた荷車もよく行き交っていた。
「京師もまあまあ俺たちみたいな余所者を見かけたが、ここでも結構いるんだな」
ゼラムは好奇心に鼻を膨らませながら、瑠璃色の目であたりを見回した。あちらで売っている白い生地の食べ物はなんだ、こちらの軒先にぶら下がっている果物はなんだ、と視線が一つ所に留まることはない。
今すぐにでも一軒ずつ順に入ってこの土地ならではのものを食べてみたい。その考えを見透かされていたのか、半歩後ろに下がったところを歩いていたギヴィルにジャケットとシャツの襟首をまとめて掴まれた。
「駄目ですよゼラムくん。まずは仕事に集中しなければ」
「分かってる、分かってるからそんなに強く掴むな。首が締まる!」
これは失礼、とギヴィルが手を放す。申し訳ないと微塵も思っていなさそうな声音だった。女性に間違えられることもある中性的な細面には、ほんのかすかに呆れたような笑みが滲んでいる。
乱れたジャケットを整えていると、近くを通り過ぎた子どもたちに不思議そうな目を向けられた。巴瑛帝国の民は品質の違いこそあれ庶民も貴族も袍を着用するのが一般的だそうだが、ゼラムとギヴィルの装いは襟付きの白いシャツ、瞳の色に合わせたジャケット、黒いスラックスに編み上げのブーツと、ひと目で異国人と分かるそれである。
極め付きはゼラムの容貌だ。男らしく角ばった顔を上下で区切るように、一筋の傷跡が刻まれているのだ。右耳も上部が欠け、大人には痛々しい目で見られることが多いそれも、子どもたちには単に珍しいものに映るのだろう。
彼らに愛想よく笑って手を振ってから、「それで」とゼラムは首を傾げた。
「神さまを祀ってる寺とやらはどこにあるんだ」
「街の南だそうです。中心の一番広い道をひたすら進んでいけば突き当りにあると皇帝陛下が仰っていたでしょう」
そうだったっけか、とゼラムは一週間前のやり取りを振り返った。
ゼラムたちが巴瑛帝国に入ってまず初めに向かったのは、京師の中心にある宮城だった。
帝国のそこを一言で表すなら〝絢爛〟に尽きる。城壁の内側には数えきれないほどの殿舎が建てられ、甍、柱、壁から床まで大部分が目に映るものすべてが金色に輝いている。そうでない場所には尊象教の神々が色彩豊かに描かれたり、どれほど時間をかけて制作したか想像もつかない繊細な技巧の彫刻があったりと、さすが皇帝が住まう場所としか言えない豪華さだった。
皇帝と面会の約束をしている旨を伝えると、二人は謁見のための殿舎に通された。二人が騎士のごとく床に跪いて数分後、側近を引き連れて現れた皇帝が正面にある玉座に腰かけた。
「そなたたちが異国の魔術師か」
皇帝は長旅を簡潔に労ってからさっそく本題を切り出す。顔を上げて良いとは言われておらず、ゼラムは顔を伏せたまま「左様にございます」と、出立前に散々叩きこまれた丁寧な言葉づかいで答えた。
「我々はエアスト家当主より派遣されてまいりました。わたしはゼラム・エアスト、隣の男は今回の任務を補佐するギヴィル・ヴェッターと申す者。巴瑛帝国の民を導く皇帝陛下に拝謁が叶ったこと、誠に嬉しく存じます」
「エアストなる魔術師はかなりの歴史を誇ると聞くが」
「は。初代当主が当時の国王よりこの姓を賜ったのはおよそ五百年前のこと。ゆえに畏れ多くも魔術師の〈始祖〉の異名を取っております。このたびは皇帝陛下より調査の依頼があったと当主より聞いておりますが」
うむ、と皇帝がうなずくのに合わせて、しゃらりと雅やかな音がする。着ている衣が擦れる音らしい。
「わが帝国は五体の聖獣によって守られておる。それは知っておるか」
「エアスト家に伝わる書物にて確認いたしました。大地の麒麟、草木の青龍、金鉱の白虎、水脈の玄武、火炎の朱雀――以上五体で相違ないでしょうか」
皇帝はゼラムの答えに満足したらしい。ようやく「面を上げよ」と許可が下りた。
玉座にどっしりと腰かける皇帝、瑛耀成は先日五十歳を迎えたばかりだという。威厳ある黒の袍には金銀の糸で五体の聖獣が刺繍され、ふくよかな頬とたっぷり垂れた耳たぶは温和な雰囲気を醸す一方、きりりと上がった眉とその下の精悍な瞳からは為政者たる重みが感じられた。
「そなたらに調べてもらいたいのは五聖獣が一体、朱雀だ」皇帝は声音に憂いを滲ませて目を細める。「半年ほど前から朱雀の様子がおかしいのだ。そなたらには朱雀の異変を突き止め、元のように正してもらいたい」
「おかしい、と申しますと」
「帝国内の炎はすべて朱雀が司っておる。朱雀に祈りを捧げねば火は付かぬし、火事があればどこからともなく現れて鎮めるのが務め。しかしこの半年ほど、炎に関する異変が立て続けに起きておってな」
どれだけ祈って石を打ち合わせても点火せず、やっと小さな火種が灯ったかと思えば瞬く間に制御出来ないほどの猛火と化す。ある村では朱雀が一向に鎮めに来ないまま大規模な火災に発展し、村にあった家の八割が全焼してしまったそうだ。そんな事例が国内各地で相次いだ。
皇帝はすぐさま朱雀を祀る寺に使者を出し、朱雀はなにをしているのかと問い質した。だが返答は「朱雀さまは立派に務めを果たしておられます」とにべもない。何度使者を送っても同じで困り果てていたところ、宮城の奥深くに鎮座する麒麟から「エアスト家に任せてみよ」と勧められたそうだ。
皇帝はもちろん臣下の多くも聞き馴染みがない名前に困惑したものの、国を守る聖獣の言葉は受け流せない。早速エアスト家へ文をしたため、それを確認した当主から調査員に指名されたのがゼラムというわけだ。
――麒麟がエアスト家を知ってるってことは、だ。
五聖獣の正体について、ゼラムの頭に一つの可能性が過ぎる。それを顔には出さないまま調査を引き受ける旨を皇帝にはっきり伝えた。安心したのか、皇帝の眼差しがほんの少しだけ緩む。
「朱雀は南の赤香の街にある寺に祀られておる。朱雀に仕える奉聖官たちは異国人の訪れをよく思わぬかもしれぬが、余から命を受けたと伝えれば問題ないであろう。必要なものがあればなんでも申せ。可能な限り用意させる」
「お心遣いに感謝いたします。では――」
調査に必要な道具一式はもちろん持参している。しかし皇帝の計らいを無碍にするのも失礼に当たると考えて、ゼラムは帝国の大まかな地図や現地の装束といった数点を頼んで準備してもらった。
謁見も終盤に迫った頃、最後に一つ、とゼラムは皇帝が座る玉座に目を向けた。ひじ掛けには麒麟と顔と思しき彫刻が施されている。
「朱雀の確認に向かう前に他の聖獣も拝見したいのですが、構いませんか」
皇帝から許可が下りたあと、ゼラムたちは中央、西、北、東の順に各聖獣の様子を確認し、最後に本題の朱雀が祀られている赤香の街に赴いた。帝国は広く、徒歩ですべてを回れば容易にひと月はかかり、皇帝が用意させようとした馬を使っても二週間はかかっただろう。それを大幅に短縮して一週間でここまで来られたのは、エアスト家で代々飼われている翼が生えた馬――天馬のおかげである。
ゼラムは朱雀が祀られている〝朱聖寺〟に続く道を歩きながら、「街によって雰囲気は違うもんだな」と小さく呟いた。巨大な城壁で四角く囲われ、家々や肆などの区画もきっちり升目上に区切られている街づくりはどこも同じだったが、壁や屋根の色はもちろん、そこに暮らす人々の活気の差が各街の印象を大きく変えている。
赤香の場合、賑わいはどの街よりもある。旅人相手に商売が繁盛している屋台や旅館のおかげが大きそうで、大通りはあちこちで昼から呑む客が目立ち、時折豪快な笑い声も飛んでくる。一方で、細い路地に目を向ければ活気とは程遠い静けさと薄暗さが凝っており、地面に直接引いた筵の上でうずくまる痩せた者たちの姿も窺えた。そのあたり一帯だけ、快晴の昼間にも拘らず霧が漂い、温暖な気候とは真逆の肌寒さすら感じられる。
「ゼラムくん、あまりじろじろ見るのは失礼です」
無意識のうちに足を止めて路地を見入っていたらしい。ギヴィルに促されて、ゼラムは頭を振って視線を逸らした。
「どこの街にも貧しい身なりの奴はいたが、ここは特に多いな。大通りとそこ以外で活気の落差が大きいっつうか」
「炎が大きくなれば明かりも強くなり、そのぶん影も濃くなります。炎を司る朱雀がおわす街なのですから、それが特に顕著なのでは」
「そういうことなのかねえ」
道を進むにつれて賑わいが遠ざかっていく。道の両側には土塀が続き、その奥に家の屋根らしきものも見えるのだが、ひと気が感じられず妙にひっそりしていた。土を踏みしめる自分たちの足音すらひどく耳障りに感じられるほどだった。
「あれが朱聖寺か」
道の突き当りに巨大な建造物が見え、ゼラムは歩みを止めないまま口の端をにやりと歪めた。
朱聖寺は街の南端にあった。敷地を取り囲む赤色の土壁と飾り気のない山門に遮られて全貌は窺えないが、裾にかけて反り返る雄大な屋根が壁の向こうから圧迫感を帯びてずんと飛び出しているあたり、とにかく大きい、ということは分かる。
しかしゼラムもギヴィルも、特に驚きはしなかった。なにせすでに四か所で全く同じ造りのものを確認している。
五聖獣はいずれも巨体なのだ。じっと動かずに留まっていれば一つの山と見紛うほどである。その体をすっぽり収めるべく、五聖獣が鎮座する寺は必然的に大きく作らざるを得ない。
「ここは屋根と壁の色が赤いんですね。朱雀が司る炎の色に合わせてのことでしょうか」
「だろうな。瓦……とかいったか。あれだけ大きな屋根を全部覆うのにどれだけの枚数使ったんだか。数えるうちに馬鹿らしくなってきそうだ」
二人は山門の手前で足を止め、そろって首を反らし寺の屋根を見上げた。
「屋根の両端にある像はなんだ、鳥か?」
「朱雀は巨大な鳥なんでしょう? であれば、あの像は朱雀を象ったものの可能性が高いかと。他の寺でも各聖獣の像がありましたし、ここだけ例外ということもないでしょう」
二人は歩幅に気を付けながら土壁に沿って敷地を一周した。山門前を出発して同じ場所に戻ってくるまでの歩数はこれまでに回った四つの寺と同じで、どこの寺も同じだけの敷地面積で作られていることと、その精度が恐ろしく高いことが分かる。
これまで巡ってきた寺の山門は、参拝者がいつでも通れるように開け放たれていたのだが、朱聖寺のそこは扉が隙間なく閉ざされて向こう側が窺えない。皇帝が遣わした使者から二人の訪問も聞いているはずだが、誰かが待機している気配もなかった。
ゼラムは鼻で軽く笑い、太く逞しい腕を胸の前で組んだ。
「『異国人の訪れをよく思わないかもしれない』とは聞いていたが、こんなに歓迎されねえとなると逆に笑えるな。あからさますぎる」
「朱雀の様子がおかしいということですし、その状態の朱雀に参拝者が会うのは危険と判断して門を閉ざしているだけかも知れませんよ。そうであればそうとどこかに案内を掲示していても良さそうですけれど」
耳を澄ませばかすかに砂利を踏みしめる音が聞こえた。敷地内も他の寺と同じ構造であれば、山門から聖獣が座す〝大聖殿〟までは石造りの一本道で、それ以外の場所には砂利が敷かれているはずだ。そこを何者かが歩いている。
ゼラムはギヴィルと目を合わせてうなずき、「とりあえず」と細かな傷が目立つ右手で拳を作って山門の扉にひたりと当てた。
「ここを思いっきり叩けば誰かしら気付くだろ。そうなりゃ無視は出来ねえはずだ」
「思いっきりって」嫌な予感がする、と言いたげにギヴィルの眉尻がひょいと上がる。「加減はしてくださいね。不要な揉め事を起こせばあとで当主に怒られますよ」
「お前が報告しなきゃ分かんねえだろ――せーのっ」
軽いかけ声とともに、ゼラムは握り拳で扉を叩いた。
傍目には単なるノックに見える動作だったはずだ。しかしたった一撃で、木製のそこは雷鳴のごとき轟音を立てて大きな風穴を開け、数秒前まで見えなかった向こう側があっさり見通せるようになる。
砕かれた扉の破片が地面にぱらぱらと落ちる。何事かと慌てて集まってくる足音も増えてきた。それを聞いて満足そうなゼラムの隣で、ギヴィルが額を手で押さえながらため息をついていた。




