第10章 『崩壊の記憶 ― そして、立ち上がる声』
空気が変わった。
魔王の声が響いた瞬間、空間が凍りついたかのように静まり返る。
冷たい圧力が肌を刺し、息をするだけで痛みが走る。
マダマ・エルは剣を構えた。
「……全員、気を抜くな。」
オレガ・マモルが盾を前に出し、イノリ・セントライトが祈りを始める。
オモイ・ツカナイは詠唱を早め、キルス・ライムは腰を低くして動きを探る。
だが、“それ”はただ、ゆっくりと形を変えるだけだった。
黒い霧の中心で、巨大な眼が開く。
瞳の奥に映るのは、空でも地でもない――“終わりそのもの”。
> ナレーション:
> 「それは“魔”ではなかった。
> 形を持たない“理”の歪み。
> あらゆる存在を、等しく虚無に還す影。」
⸻
マダマが叫ぶ。
「行くぞ!」
オレガが前に出て盾を構え、
黒い霧の中から放たれた無数の槍を受け止める。
ガンッ、ガガガッッ!!
音が爆ぜ、火花が散る。
オレガの腕が痺れ、盾の表面が歪む。
イノリ:「《セイクリッド・リバース》!」
光がオレガを包み、痛みが和らぐ。
「助かった!」
「感謝はあとで!」
「あとで死んだら意味ねぇだろ!」
「死なせません!」
わずかな笑いが交わり、再び剣が光を放つ。
⸻
マダマの剣が、闇を裂く。
斬撃が黒霧を切り裂き、確かに手応えがあった――が、
すぐに霧は修復される。
「……効いてねぇ!?」
オモイ:「質が違う。あれ、“魔”じゃない。世界そのものを食ってる!」
キルス:「世界ごと!? そんなアホな――!」
マダマ:「アホでもやるしかねぇ!」
マダマが叫び、再び突っ込む。
オレガが後ろから盾を支え、イノリが治癒と補助を続ける。
オモイの詠唱が完成し、炎の槍が空間を貫いた。
轟音。
爆光。
それでも――黒は止まらない。
> ナレーション:
> 「炎は消え、光は飲まれる。
> 闇は満ちる。
> 希望が燃えるほど、黒は濃くなる。」
⸻
黒霧の中心から、何かが歩み出てきた。
その姿は“人”だった。
漆黒の鎧に包まれ、顔は見えない。
ただ一つ、異様だったのは――
その輪郭が、ゆらゆらと溶けるように形を変えていること。
オモイ:「……あれ、人じゃない。」
イノリ:「姿を“真似てる”……?」
マダマ:「どういう意味だ。」
オモイ:「多分、“記憶”を喰ってる。倒した者の姿を……」
キルス:「じゃああれ、過去の勇者たちかよ。」
魔王の声が再び響いた。
『――名を問うか。
では、応えよう。
我は“集積”。滅びた者たちの、怨念の器。』
黒い鎧の中から、無数の声が重なり合って響く。
『我は一つにして、万。
貴様らが呼ぶ“魔王”とは、つまり“人類の終焉”そのものだ。』
オレガ:「……しゃべるスライムだな。」
キルス:「おっさん、あれスライムじゃねぇって!!」
「形、ぷるぷるしてんだろうが!!」
「それは確かに!!」
マダマ:「ふざけてる場合かッ!!」
> ナレーション:
> 「笑いは一瞬。
> 次の瞬間、地が裂けた。」
⸻
黒い波が押し寄せ、全員を飲み込む。
オモイが悲鳴を上げる。
「魔力が吸われていく!!」
イノリが結界を張るが、光が砕けた。
オレガが盾を構えたまま後退し、
マダマが剣を構え直す。
「まだだ……まだ終わっちゃいねぇ!!」
マダマの叫びが響いた瞬間――
黒い腕が、勇者を貫いた。
イノリ:「――マダマ!!!」
キルス:「うわ、やばい!!」
勇者の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
血が滲み、空気が止まる。
オレガ:「勇者を下がらせろ!!」
イノリ:「でも……!」
マダマ:「動くなッ!!!」
叫びと同時に、剣が光を放った。
> ナレーション:
> 「勇者の剣が、最後の光を放つ。
> だがそれすら――闇に呑まれる。」
⸻
衝撃。
爆風。
全員が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
視界が白く染まり、音が消える。
イノリ:「……マダマ……さん……?」
勇者は立っていなかった。
その手から、剣が滑り落ちる。
オレガは呻き声を上げながら立ち上がる。
「まだ……終わっちゃいねぇ……!」
黒の波が世界を押しつぶす中、気力も肉体も限界を迎えていた一行。
だが、イノリは血を拭い、震える手で静かに祈りを紡いだ。
「――皆さん、立ってください。私が癒します!」
白い光が一斉に広がった。風がやみ、痛みが和らぎ、焼けたような肌に新しい温もりが戻る。
傷は塞がり、息は整い、倒れていた身体がゆっくりと起き上がった。
「自己紹介がまだだったな。」
マダマは剣の柄を握り直し、顔を上げる。声はまだ震えているが、力強かった。
「おい、俺の名前は――マダマ・エルだ。お前を倒し、世界を救う者の名だよ。」
オレガも肩に残る擦り傷を押さえながら低く言う。
「忘れちまっちゃ困るぜ。俺は勇者パーティーのオレガ・マモルだ。意地でも世界を守るんだ。」
その言葉に、魔王は、どこか余裕のある嘲笑を返した。
「威勢だけはいいようね。」
そこへ、横からすっと身体を回して――オモイが淡々と名乗る。
「忘れないで欲しいわね。私は魔法使い、オモイ・ツカナイよ。」
イノリは静かに微笑み、皆に向けて言った。
「みんなを死なせはしない。聖女、イノリ・セントライトよ。」
そしてキルスが胸を張って叫ぶ。
「そして俺が――聖剣士のキルス・ライムだ!」
その一斉の名乗りに、一瞬の間が生まれる。全員の顔がキルスに向き、続いて――
(嘘ついたぞこいつ)
という小さなツッコミが漏れ、緊張の端がほんの少しほぐれる。
少しの沈黙が訪れた。誰も息をしていないかのように。
『……茶番は済んだか。』
その声は低く、地の底から響くようだった。
『愚かな人の子らよ。この終焉を止められると思うな。』




