パート10: 疾風兎と模擬戦
翌朝、俺たちはレンブラント近郊の森へと足を踏み入れた。
依頼対象である疾風兎は、比較的街に近い森にも生息しているらしい。
「疾風兎は、その名の通り、非常に素早い動きで獲物を翻弄します。危険を感じると、目にも留まらぬ速さで茂みに隠れてしまうので、仕留めるのは意外と難しいんですよ」
セレスが道々、疾風兎についての知識を教えてくれる。
「攻撃力自体は低いですが、鋭い爪や歯には注意が必要です。あと、集団で行動することもあります」
(素早くてトリッキー、か。なるほどな)
油断すれば、確かに苦戦しそうだ。
リリアーナは、緊張した面持ちで周囲を見回している。手には、村で借りてきた小さなナイフを握りしめているが、それで戦力になるとは思えない。まあ、護身用と、いざという時の覚悟の表れだろう。
しばらく森を進むと、セレスが「いました!」と小声で言った。
彼女が指さす方向を見ると、少し開けた場所で、数匹の兎のような生き物が草を食んでいた。大きさは普通の兎より一回り大きく、灰色の毛皮をしている。あれが疾風兎か。
俺はリリアーナとセレスに「ここで待っていろ」と目配せし、音を立てずに疾風兎たちに近づいていく。気配を殺し、足音を消す。格闘家としての基本的な技術だ。
距離を詰め、攻撃範囲に入った瞬間、俺は地面を蹴った。
狙いは、一番近くにいた一匹。
俺の接近に気づいた疾風兎たちは、一斉に弾かれたように動き出した。速い! まさに疾風の名に違わぬ速度だ。ジグザグに、予測不能な動きで逃げ惑う。
(…!)
だが、俺の敏捷性も伊達ではない。ターゲットの一匹の動きを正確に捉え、その進行方向を予測して回り込む。
逃げ道を塞がれた疾風兎は、一瞬動きを止めた。
その隙を見逃さず、俺は素早く距離を詰め、手刀で首筋を打った。
ピクッ、と痙攣した疾風兎は、そのまま地面に倒れて動かなくなった。気絶させただけだ。素材にするなら、生かしておいた方がいいだろう。
残りの疾風兎たちは、仲間がやられたのを見て、一目散に茂みの奥へと消えていった。あっという間の出来事だった。
俺は倒した疾風兎を回収し、リリアーナとセレスの元へ戻った。
「…終わったぞ」
「す、すごい…本当に速かったですのに…」
リリアーナが感嘆の声を上げる。
「フローネ様の動きの方が、疾風兎よりも速かったように見えました…」
セレスも、驚きを隠せない様子だ。
(まあ、AGI35だからな。伊達じゃないということか)
俺は自分のステータスに、少しだけ納得した。
「さて、依頼は達成だが…」
俺はふと思いつき、リリアーナに向き直った。
「リリアーナ、お前、『自分の身は自分で守れるようになりたい』と言ったな?」
「は、はい!」
リリアーナは背筋を伸ばして答える。
「なら、少し試してみるか? この兎で」
俺は気絶している疾風兎を示す。
「こいつが目を覚ましたら、お前が相手をしてみろ。もちろん、俺もセレスも傍にいる。危険はない」
「えっ!? わ、私がですか!?」
リリアーナは狼狽えた。
「で、でも、私にはフローネ様のような力は…」
「力じゃない。技術だ」
俺は言い切った。
「お前にもできることがあるはずだ。まずは、やってみろ。話はそれからだ」
俺はリリアーナに、簡単な護身術――相手の攻撃の受け流し方、急所への打撃(目潰しや金的など)、そして何より、恐怖に打ち勝つための心構えを、ごく簡単に教えた。
やがて、疾風兎が意識を取り戻し、むくりと起き上がった。
状況を理解したのか、再び逃げようとする。
「行け、リリアーナ!」
俺が檄を飛ばす。
リリアーナは、震える足で、それでも一歩前に出た。
小さなナイフを構え、疾風兎と対峙する。
これから始まるのは、貴族令嬢の、初めての「戦い」だった。




