パート2: 岩猪と拳
ブルルルッ! と荒い鼻息を立て、ロックボアが突進してきた。見た目通りの直線的な突撃だ。しかし、その質量と速度は脅威だ。まともに受ければ、この華奢な身体ではひとたまりもないだろう。
(…捌いて、カウンターだ)
俺はギリギリまで引きつけ、ロックボアが目前に迫った瞬間、身体を左にひらりと躱す。同時に、突進の勢いを利用するように、奴の硬い体側面に右の掌底を叩き込んだ。衝撃を流し、体勢をわずかに崩させるのが目的だ。
ゴッ! という鈍い衝撃。手応えは硬い。岩のようだ、というのは比喩ではないらしい。だが、わずかにロックボアの突進軌道が逸れた。
「ブゴォ!?」
予想外の抵抗に、ロックボアは一瞬戸惑ったように動きを止める。
(…いける!)
俺はその隙を見逃さない。即座に距離を詰め、ロックボアの側面――比較的皮膚が柔らかそうな脇腹あたりを狙い、渾身の膝蹴りを叩き込む。
「オラァッ!」
思わず、前世みたいな掛け声が漏れる。
ドゴンッ!
今度は確かな手応えがあった。ロックボアは苦悶の声を上げ、数歩よろめいた。
「す、すごい…!」
後ろでリリアーナが感嘆の声を上げるのが聞こえる。
だが、まだだ。この程度のダメージでは、この獣は止まらないだろう。
ロックボアはすぐに体勢を立て直し、怒りの形相で再びこちらを睨みつけた。今度はより警戒し、慎重に距離を測っているようだ。
(…タフだな。打撃だけじゃ時間がかかるか…)
ならば、次は別の手を試すまでだ。
関節技は…この体格では難しいか。
ならば――
俺は再びロックボアの突進を誘うように、わずかに隙を見せる。
獣は単純だ。すぐに挑発に乗り、再び突っ込んできた。
今度は回避するのではなく、相手の突進に合わせて、俺も前に踏み込む。
狙うは、奴の頭部。
突進の勢いを殺すように、相手の頭部を両手で受け止め――いや、掴み取る。そのまま、全体重を乗せて下に引き倒すように力を加える。柔道の「巴投げ」に近い要領だ。
「ブモッ!?」
不意を打たれたロックボアは、巨大な身体をコントロールできず、前方に大きく体勢を崩した。
俺は相手が体勢を立て直す前に、素早く背後に回り込み、首を狙う。太く短い首だが、締め技が使えれば――!
しかし、首に腕を回そうとした瞬間、ロックボアが暴れ、その巨体で振り払われそうになる。
(…チッ、デカすぎる!)
咄嗟に飛び退き、距離を取る。締め技は失敗だ。
ロックボアは完全に逆上し、頭を振り乱して威嚇してくる。
長期戦は不利だ。どうやって仕留めるか…?
観察する。ゴツゴツした体表。太い四肢。小さな目。弱点はどこだ?
ふと、奴の足元に目がいく。岩のような皮膚に覆われているが、蹄と脚の境目あたりは、比較的、普通の皮膚が見えているような…?
(…関節か!)
もう一度、突進を誘う。
今度は、潜り込むように低く踏み込み、奴の前足――その膝と思しき関節部分へ、狙いを定めて渾身のローキックを叩き込んだ。
ゴッ! という硬い感触と共に、確かな衝撃が伝わる。
「ブギィィィ!?」
ロックボアは今度こそ明確な悲鳴を上げ、前足から崩れ落ちた。どうやら、当たりだったらしい。競走馬と同様、足はやられると弱いらしい。
俺は畳み掛ける。バランスを崩したロックボアの顎を目掛け、下からアッパーカットを突き上げる。
ドゴォン!
巨体が、わずかに宙に浮いたように見えた。
ロックボアはそのまま地面に倒れ伏し、痙攣するように四肢を動かした後、ぴくりとも動かなくなった。
「……はぁ、はぁ…」
さすがに息が切れる。戦闘時間は短かったはずだが、消耗が激しい。
俺はその場に膝をつきそうになるのを、なんとか堪えた。リリアーナの前で無様な姿は見せられない。
「フ、フローネ様…! お怪我は…!?」
リリアーナが駆け寄ってくる。
「…問題ない。それより、あれを見ろ」
俺は顎で、森の開けた方向を指し示した。
木々の切れ間から、煙が立ち上っているのが見えた。建物の屋根らしきものも見える。
間違いなく、人里だ。
「あ…! 村…! リルカ村ですわ!」
リリアーナの顔が、安堵と喜びに輝いた。
どうやら、ようやく目的地に辿り着いたらしい。




